アメリカ合衆国におけるアスベスト禁止に向けて
Richard A. Lemen, et.al., IJERPH, 2017, 14, 1302

抄録:多くの先進国がアスベストの使用を禁止しているなかで、合衆国は禁止していない。しかし、これまで合衆国では、厳格な曝露基準を確立し、アスベストの使用を制限し、また裁判を通じてアスベスト被災労働者の補償を追求する様々な努力がなされてきた。こうした努力の結果、法的に義務付けられた禁止がないにもかかわらず、アスベストの使用は劇的に減少した。この論考では、こうした努力の歴史的レビューを提示する。

1. 序文

「アスベスト粉じんは、おそらく、歴史上もっともよく報告された産業毒素である…」

アスベストは毎年12,000~15,000人のアメリカ人を殺し、数えきれない疾患・障害事例をもたらしている。合衆国では2015年に、アスベスト関連死亡の約15~20%を占める中皮腫による2,597件の死亡があったと報告されている。中皮腫によるもの以外のアスベスト関連死亡の大部分は肺がん(~60%)及び石綿肺(~10%)によるものであり、加えて喉頭及び卵巣のがんや様々なアスベスト関連非悪性呼吸器疾患によるものがある。アスベスト曝露が、胃、咽頭及び結腸直腸のがんを含め、他のがんとも関係しているという証拠もある。全般的な科学的コンセンサスは、アスベストは証明済みのヒトに対する発がん物質であり、アスベスト曝露の安全レベルは存在していないという知見を支持している。

多くの先進国がアスベストの使用を禁止しているが、合衆国はしていない。しかし、これまで合衆国では、厳格な曝露基準を確立し、アスベストの使用を制限し、また裁判を通じてアスベスト被災労働者の補償を追求する様々な努力があった。国立労働安全衛生研究所(NIOSH)はこうした努力を先導し、1976年には職場におけるアスベストの禁止を勧告した最初の連邦機関となった。こうした努力の結果、法的に義務付けられた禁止がないにもかかわらず、アスベストの使用は劇的に減少した。

2. 合衆国におけるアスベストの歴史的使用

合衆国におけるもっとも早い記録されたアスベストの発見は、1823年以前、バーモント州ロウェル近くのベルヴィディア山においてだった。1825年にバーモントでは、「(微細な絹のようなアスベスト繊維)アミアンタス及び一般的品種双方のアスベストが豊富であり、まれに繊維が長い」ことが報告されている。バーモント鉱脈は、バーモントの北からカナダ・ケベックへと走る蛇紋石鉱物ベルトの南の端近く、同州の北西部に位置している。エデン及びロウェルの町近くのベルヴィディア山中の3か所のオープンピット(露天掘抗)でクリソタイルが採掘された、1890年代までアスベストの商業用採掘ははじまらなかったことから、1800年代初めにはこのアスベスト鉱脈にあまり関心は示されなかった。

合衆国へのアスベスト繊維の輸入は1800年代中ごろに増加しはじめた。1869年のアメリカ大百科事典によれば、H.W.ジョンズ製造会社の創設者H.W.ジョンズは:

「…この注目すべき鉱物の実用的な価値についての彼の発見と彼が特許をとった発明の特徴を世界に知らしめた。この比較的新しい分野で彼が賢く働いたことは、構造的及び機械的目的のために物質が使用される場所ならどこでも彼のアスベスト製品が使用されているという、満足のいく成功と世界的な評判によって証明されている。」

アスベスト製品についての最初の特許は「屋根その他の目的のための改善された合成物」であった。

1874年までにH.W.ジョンズ社は、「もっとも一般的かつ価値ある用途のひとつを形成する」フェルト、紙及びアスベストの層でつくられた管被覆材を開発した。ポール・ブローダーによる1968年のニューヨーカー紙の優れた記事によれば、それは:

「古代から『魔法の鉱物』として知られたアスベストが有効であることが、産業拡大の時代に再発見してから100年も経っていないことは小さな不思議であり、それは機能した。」

ポール・ブローダーは指摘する:

「アスベストは、布に織ることのできる唯一の鉱物であり、その繊維構造は、もしあれば、その熱に耐える優れた能力よりもさらに素晴らしい。実際、様々な断熱材の場合にはわずか3,800のガラス小繊維、あるいは人間の髪なら同じ距離に630本しか並べられないのに対して、長さ1インチのクリソタイル・アスベストに並んで横たわっている約100万の個々の小繊維があることから、電子顕微鏡でなければ、アスベストが繊維状である程度は信じることが困難だったろう。さらに、その細さ、高い拡張力、際立った柔軟性、紡糸性及び熱抵抗性に加えて、アスベスト繊維は吸着及び濾過する大きな力をもっている。」

1906年1月13日、アスベスト企業ジョンズ・マンビルはサタディ・イブニングポスト紙に、アスベストは「世界中のその種のいかなる保温材より多くの方法で、より多くの人々の役に立つ」と宣言した、1頁の全面広告を掲載した。この広告に含められた製品は、住宅建築業者、工業用・商業用建築業者、自動車利用者、及び大型炉について鉄鋼企業に向けたものだった。「また、アスベスト産業は比較的未発達ではあるが、世界の重大産業のひとつにランクされなければならない」。

1960年代及び1970年代までに、合衆国で70万トンを超えるアスベストが毎年消費された。しかし、アスベスト被災労働者のための法的補償を追求した裁判を通じた精力的な努力に加えて、アスベストの既知の健康影響の結果生じた規制及び特定用途についての選択的禁止のゆえに、合衆国のアスベスト消費は2000年までに、20世紀の変わり目時点におけるよりもわずかに少ない、14,600トンに減少した。2000年までに合衆国の製造業者はアスベスト製品の生産を中止した。しかし、驚くべきことに、2015年に合衆国はなお343トンのクリソタイル・アスベストを-その95%はブラジル、残りはロシアから、輸入している。クロルアルカリ産業が現在合衆国のアスベスト消費のほぼすべてを占めている。

3. 健康影響及び規制・禁止に対するその影響

アスベストの健康影響は1世紀以上にわたってよく記録されてきた。1918年にアメリカ・レントゲン学雑誌に、アスベストに曝露した15人におけるX線上の変化を示した、アスベスト疾患に関する最初の記述が発表された。その後まもなくアメリカとカナダ双方の保険会社が、アスベスト労働者の疾患を発症するリスクに関連した高い費用のゆえに、アスベスト労働者に対する保険を拒否しはじめた。

1920年代に、石綿肺がアスベスト曝露者に影響を及ぼすじん肺(肺に影響を及ぼす粉じん疾患のひとつ)の一種の名前として作られ、また、後に石綿小体として知られる興味深い物体が初めて記述された(今日、石綿小体は、肝臓や脾臓など、呼吸器以外の部位に形成され得ること示されている)。合衆国におけるアスベスト関連疾患についての最初の公式な労災補償請求は、1927年にマサチューセッツであるアスベスト工場の織物部門の現場監督についてのものだった。また、その年にサウスカロライナ医学会に、合併症のない石綿肺の最初の死亡事例が報告された。1920年代及び1930年代を通じてアスベストのハザーズに対する注目が高まり、1928年1月14日に合衆国最大の医学団体の雑誌、アメリカ医学会雑誌が、アスベスト吸入の危険性とその結果としての疾患である石綿肺について報告した石綿肺に関する論説を掲載した。この論説は、1927年のクックの事例を引用して、以下のように主張した:

「にもかかわらず、石綿肺は、その危険性及びその独特な病理特性のゆえに、これまで以上に注意が払われるべきである」。

1930年に米英共同の医学雑誌であるランセット誌に、アスベスト繊維労働者のコホートに関する最初の疫学的研究が報告された。その知見は、アスベスト曝露と石綿肺という肺疾患の間の因果関係を支持した。この研究はまた、石綿肺は予防可能な産業病であると結論づけた。このイギリスの研究の結果は、ハーバード大学資金提供する産業衛生雑誌でも報告された。

1930年にアメリカ医学会雑誌は臨床医に対して、石綿肺はアスベストに関わる労働と関連しており、イギリス議会によって労災補償法に導入されていると警告した。加えて、業界誌アスベストが、合衆国労働統計局が、その予防の一次措置としてアスベスト粉じんの抑制を促していると述べて、石綿肺に言及した。

国際的には、合衆国も加盟国のひとつである組織、国際労働事務所がその衛生・病理・社会福祉エンサイクロペディアに石綿肺に関する議論を発表した。この権威ある出版物は、アスベストの危険性を記述し、産業衛生慣行を勧告し、また、アスベスト関連規制について議論した。この報告は、アスベスト労働者が疾患を発症するリスクが高いことから、合衆国とカナダの保険会社がいかにアスベスト労働者を保険対象にすることを拒絶しているかについて記述している。合衆国労働局は、以下のように報告している。

「産業プロセスにおけるアスベスト使用の着実な増加が新たな職業リスクを生じさせ、産業肺影響のリストに新たなかたちの慢性肺線維症を追加した」。

1931年に合衆国労働ブレティン局は、アスベスト産業で大気中のアスベスト粉じんを管理することがいかに重要かについて述べた。ブレティンは、粉じんの発生点での局所排気装置の適用、手渡しやほこりっぽい手作業の密閉化された方法への代替、湿式方法の使用、及びとりわけほこりっぽいアスベスト作業区域での若い労働者の作業禁止を勧告した。

1935年の合衆国のアスベスト繊維労働者についてのある研究は、衝撃的にも同産業で15年超働いた労働者の87%がその肺にX線上の変化を有していると報告した。筆者は、大気中のアスベスト粉じんは工学的管理を通じて75%まで低減させることができることを見出した。しかし、筆者は、さらなる大気中アスベスト粉じん管理はいずれも法外な費用がかかるという見解で、「大気中のアスベスト粉じん量に関する基準を設定することはまだ現実的ではない」と述べた。

1930年代半ばまでにすでに、「加工のいかなる段階においても、アスベスト粉じんへの十分な曝露は、特徴的な症状及びX線上の所見をもつ明確な呼吸器障害である石綿肺を引き起こし得ることが信じ」られていた。当時までにすでに、疾患の影響の受けやすさに相当の差があることがわかっていた。「それゆえ、疾患を生み出すであろう曝露の長さは、労働条件及び個々人の永久の受けやすさによって多様である」。この多様さが、すべての労働者にとって保護的であるひとつの基準を設定するうえで障害であることが認識されていた。

アスベスト曝露労働者におけるがんは、石綿肺をもつ労働者の肺がんの報告が合衆国とイギリスの双方で現われた、1930年代半ばに初めて関心事になった。

広く読まれている194年のブリタニカ百科事典は、「2つの知られた有害な粉じん、シリカ(二酸化ケイ素)とアスベストがある」と述べている。1942年までにいくつかの州(カリフォルニア、コロラド、マサチューセッツ、ミシガン、ノースカロライナ、オクラホマ及びペンシルバニア)が5mppcf([大気]1立方フィート当たり百万粒子)、またサウスカロライナが15mppcf、のレベルの大気中のアスベスト含有粉じんを規制する法的基準を採用した。

第2次世界大戦の到来は、戦艦その他戦争関連機器を保温するために、アスベスト使用の増加をもたらした。合衆国海軍では、配管の保温、ガスケットやバルブのパッキン中、及び高温蒸気タービンの保温に、アスベストが使用された。海軍は、船員や造船労働者におけるアスベストに関連した医学的変化をみつける必要性を認識した。1941年の、保護マスク、局所排気装置及び湿潤化技術が使用されたニューヨーク海軍工廠の配管労働者の調査では、アスベスト関連疾患はみつからなかった。合衆国海事委員会の保険コンサルタント、フィリップ・ドリンカーは、「船を装備する圧力は大きく-それは緊急の必要性のためである-平時には受け入れないであろう慣行を受け入れなければならない」と述べている。第2次世界単線中に合衆国海軍及び合衆国海事委員会によって行われた、4つの海軍工廠における横断的医学調査では、配管被覆労働者で3件の石綿肺がみつかった。石綿肺に罹患したこれら3人の労働者全員が、5mppcfという勧告値を超えるレベルのアスベスト含有粉じんに曝露したものと推定された。結果として筆者は、配管被覆作業は曝露が5mppcf未満に保たれれば安全な仕事であると結論づけた。しかし、調査対象だった労働者の大部分は曝露期間が5年未満であったことから、より長い潜伏期間の石綿肺の検出はありそうもなかった。

1944年に、アスベスト及び石綿肺という疾患を含め、有害な粉じんを議論するなかで、業界紙「暖房と換気」は、以下のように述べた:

「粉じん濃度の疾患の発症に対する関連性についてはきわめてわずかなデータしか入手できない。いまだ最小安全濃度は設定されておらず、ハザードが存在することが知られている工場における状況に関する情報は乏しい。しかし、大気が吸入レベルで浮遊している場合に加工工場で遭遇するアスベスト粉じんはシリカフリーであり、また、粉塵の危険性は繊維の質または長さファ増加するにつれて増加するとされている」。

よく認められた毒物学者で国立がん研究所環境がん部門の最初の責任者であるウィルヘルム・ヒューパーは、石綿肺が存在する場合剖検事例の17~20%に肺がんがみられ、通常アスベストへの初回曝露から14~20年後に生じていることを報告した。彼は、職場におけるアスベストのハザードを低減するために「衛生措置」が用いられるべきことを勧告するとともに、「石綿肺における複数の主要性症状が結核と間違えられているかもしれないことから、石綿肺で死亡した労働者は、肺病変の組織学的調査を含め、検死の対象とすべきである」と勧告した。1944年、及び1949年に再度、アメリカ医学会は、アスベストは既知または疑われる職業がんに含まれると述べた論説を発表して、アスベスト関連がんのリスク関する懸念を強調した。

1952年にブリタニカ百科事典はアスベストに関する項目を最新化して、以下のように指摘した:

「鼻の粘膜、卵胞腔、喉頭、気管支及び肺を含め、気道のがんは、クロム塩、アスベスト粉じん及びニッケル・カルボナルの吸入に曝露する労働者で生じる」。

ヒューパー博士は、以下のように言って、アスベスト曝露の発がんリスクについて説明し続けた。

「石綿肺と肺がんの間の因果関係の存在を示す証拠は、最近数年間にいくつかの諸国(合衆国、カナダ、イギリス、ドイツ及びフランス)から追加的支持を受け、アスベストへの曝露が性別間で等しいときに、その『がんに対して責任がある』ことが観察されてきた」。

イギリスの研究者による2つの研究が、石綿肺が一般に生じる場所における肺がんとアスベストの間の関連性についての強力な疫学的証拠を報告した。ひとつの研究は胸膜がんに言及した。E.I.デゥポン・ド・ヌムール&カンパニーは、以下のように言った本を出版した。

「アスベスト産業の従業員に肺がんが高い頻度で観察され、ほとんどの当局によって因果関係が受け入れられてきた」。

アスベストによって引き起こされる疾患の率の理解における重要なブレークスルーは、33人(22人の男性、11人の女性)におけるまれな胸膜腫瘍(中皮腫)に関わる大規模症例報告が発表された1960年に生じた。1件を除いた全報告事例が南アフリカのNWケープの採掘地域におけるクロシドライト・アスベストへの共通した曝露をもっていた。18人は鉱山近くで生まれ、2人は幼児としてこの地域に到着していた。11人は子供のときに鉱山の近くで粉じんに曝露していたが、いくらかの事例は採掘の経験はなく、たんに鉱山近くに住んでいたためだけで曝露したものと推測された。1963年までにワグナーは120件の中皮腫事例を集め、彼は第14回国際労働衛生会議にそれらを報告した。

こうした南アフリカの報告を受けて、合衆国で初めての疫学的研究が実施され、混合した種類のアスベストを使用する会社の労働者において1件も期待されなかったところで、2件の腹膜中皮腫を示した。加えて、39件の石綿肺と、5.61件しか期待されなかったところに19件の肺がんが報告された。これは、アスベスト曝露労働者において生じた他の報告による知見と一致していた。アスベストに曝露した632人の保温工についての2番目の大規模な合衆国の疫学的研究は、期待値6.6に対して45件の肺がん死亡、12件の石綿肺死亡及び4件の中皮腫死亡(胸膜3件、腹膜1件)を見出した。これら2つのよく実施された疫学的研究は、中皮腫とアスベスト曝露の間の強力な因果関係についての疫学的証拠を固めた。

この同じ期間に、建設その他の屋外作業状況では、アスベスト製品の一般的製造において用いられる伝統的な粉じん抑制技術を実施するのが容易ではないことから、共通の曝露限界を実施する可能性が問題にされた。それゆえよりよい予防技術の要求が追求された。

アスベストの生物学的影響に関するニューヨーク科学アカデミーの会議において、アスベスト産業の代表は、アスベスト関連がんを予防する唯一の方法はその使用を根絶することであることに同意した。疫学的研究、症例報告及び毒物学的研究がアスベスト曝露と疾患との強力な関連性を示し続けた。

4. 1970年労働安全衛生法成立前の合衆国におけるアスベストを規制及び禁止するための努力

20世紀最初の3分の2におけるアスベスト使用の増加と、健康に対するその有害な影響の証拠の増大とともに、イギリスのアスベスト管理のための1931年規則に続いて、合衆国は自国のアスベスト労働者のためにそうする時であると決定した。アスベスト採掘産業が1930年代に成長するにつれて、石綿肺を管理するために多くの措置が必要だった。まず、大気中粉じん濃度の低減に、労働者の医学監視の実施、医学的管理の適用及び/または個人的管理の適用が続いた(1930年代の個人的管理は基本的に、結核などの活動的または治癒した状態双方の呼吸器または心臓の状態による、粉じん疾患発症の影響を受けやすいと思われる労働者をなくすための手法だった。言い換えれば、同産業で働くのに身体的にもっとも適した者だけを選択すること、及び、定期的な医学検査を通じて、もっとも適した者だけが同産業で働き続けるよう維持することだった)。

粉じん測定に関連した医学影響に基づくガイダンス限界値の最初の合衆国の提案は、アスベスト粉じん濃度を測定し、その後健康知見と関連づけた、1938年に合衆国公衆衛生局(USPHS)によって出版されたある研究からきたものだった。それゆえ、たとえその濃度未満で働いた労働者において3件の石綿肺がみられたけれども、適切なガイダンス濃度として、時間加重平均として5mppcfのレベルが選ばれた。10年超働いたのは12%(n=66)だけで、労働者の多数は5面未満しか働いていないことを含め、筆者は彼らの研究の限界を報告していたものの、彼らは、「これらのデータから、吸入される大気中のアスベスト粉じん濃度がこの限界未満に維持されれば、新たな石綿肺事例は生じないであろうと思われる」と結論づけた。おそらくがんまたは他の潜伏期間の長い疾患のような長期影響の観察のためには潜伏期間が短すぎたことから、筆者は、勧告された5mppcfのガイダンス限界は「よりよいデータが利用可能になるまで、アスベストについての閾値としては暫定的なものとみなされるかもしれない」と警告していた。不幸なことに、「よくあるように、多くの弟子は師匠によって表明された限界を都合よく無視した」。「各々の有害な粉じんについて許容できるほこりだらけさの基準を採用するという考えは、今日利用できるデータからはまったく正当化されない法医学的な魅力をもっている」と警告した者もいた。

このUSPHSガイダンス濃度は30年以上勧告のままで、アメリカ合衆国産業衛生専門官会議(ACGIH)などの非政府組織によって採用された。ACGIHは1946年にその許容濃度値(TLV)として採用し、2mpccfまたは12繊維/mlに引き下げることを勧告した1968年まで変更しなかった。USPHSの、またTLV委員会の長年のメンバーであるハーバート・ストッキンガー博士は、シカゴにおけるACGIHの1956年の年次会議でTLVsに関して2つの注意を与えた。ストッキンガーは、以下のように言っている。

「許容限界は知識に基づく推測以外のなにものでもなく」、また、「安全な大気基準を確立するためにはいくらかの方法を考案しなければならない物質の1グループ-産業発がん物質-がなお存在している」。彼は勧告する、「…発がん物質については安全要因を追加すること。安全要因の規模は100から500にすることが提案される」。

1962年から1977年までTLV委員会を率いたストッキンガーは後に彼の初期の立場を変えて、ドールの広く受け入れられた疫学的研究を含め、アスベストは発がん物質だという証拠を無視した。こうした誤った分析が、1970年の労働安全衛生法成立の後まで、アスベスト関連疾患についての増大する流行を止めるための合衆国における努力を止めてしまった。

1946年と1970年の労働安全衛生法の制定の間に、合衆国政府機関と複数の州が、様々な制定法を通じてまたは規則の公布によって、勧告された5mppcfのガイダンスを採用した。それゆえ1951年のウォルシュ-ヒーリー[公共契約]法のもとで、管理機器及び装置の設計及び性能の評価を要求することなど、大気濃度レベルに加えて多くの規定が含められた。すべての港湾労働者を対象とする1960年の港湾労働者法は5mppcfレベルを採用した。1967年に港湾労働者法は、繊維計測のための古い重量粒子測定に変えて、約2mppcfに相当する12繊維/mlの、イギリスで開発された新たな計測方法を採用した最初のものだった。この新たな方法では、長さ5μ超でアスペクト比3:1以上という基準に合致した繊維だけが計測された。1969年にウォルシュ-ヒーリー法が同様にアスベスト基準として12繊維/ml及び2mppcfを採用した。1971年4月、合衆国労働安全衛生法が誕生したのと同じ月に、ACGIHが後に続いて、アスベストについて5繊維/mlという新たなガイダンス勧告を採用した。

5. アスベストの規制及び禁止に対する労働安全衛生法の影響

労働安全衛生法成立前40年間にアスベストの有害な影響に関して多くの情報が発見された。1970年までに、アスベストが石綿肺、肺がん、中皮腫を、職業曝露のある労働者だけでなく彼らの家族や傍職業・環境曝露を受けた他の者にも引き起こすことが疑いなく知られるようになった。アスベスト関連疾患の抜きんでた専門家の一人アーヴィン・セリコフ博士は1970年に議会で以下のように証言した:

「1970年においてわれわれが40年前からよく知っている疾患が、あたかも何も知られていないかのようにいまもなおわれわれとともにあると報告するのは気の滅入ることである」。

1970年の労働安全衛生法の成立はおそらく、合衆国におけるアスベスト関連疾患を予防するための行動に触媒作用を及ぼすもっとも重要な推進力だった。労働安全衛生法成立前の職場の安全衛生は、50の州と多数の合衆国領土によるヒットン・アンド・ミス[うまくいくときもあればそうでないときもある]アプローチの状況だった。

1970年までのアスベスト曝露ガイダンス基準の有効性について、ロンドン大学のS.A.ローチはアスベストの生物学的影響に関するニューヨーク会議に、以下のようにコメントした:

「1立法フィート当たり500粒子は、私だったら『安全』という言葉は使わないが、シンプルな基準ではある。決して安全基準であるとは言われなくても、実際に用いられている基準である」。

ローチはさらに、たとえその基準を1立法フィート当たり200粒子に引き下げたとしても、「粉じんの完全に安全なレベル」ではないと述べた。とりわけ、労働者には20~40mppcfの濃度に達するまで大気中にいかなる粉じんも見えないだろう。

アメリカ産業衛生協会(AIHA)の設立メンバーであるウォーレン・クックは早くに、「これ(5mppcfレベル)は非常に小さな濃度であり、実際に批判的な目にさえもよく見えるかもしれない状態で、しかしなおこの低い限界よりも大きな曝露を示しているのだ」と強調した。USPHSの労働衛生部門の責任者(1962~1963年)クラーク・クーパー博士は、5mppcf基準は他のそのような勧告と比較して不安定な証拠に基づいていると述べた。

労働安全衛生法はアスベストに対する統合的規制の開始をしるしたとはいえ、1965年のアスベストの生物学的影響に関する会議の結果アスベストが受けたいきわたった悪名がなかったら、アスベスト管理はそのように緊急な優先事項ではなかったろう。アーヴィン・セリコフ教授とジェイコブ・チャーグによって組織されたこの会議は、アスベストに対するより迅速な行動及び労働安全衛生に対するより厳格なアプローチの必要性を記録した。合衆国におけるアスベスト規制は荒野から現われ、アスベストは労働安全衛生法の完全な基準として扱われるべきとされた最初の物質だった。

労働安全衛生法の最初の25年間のアスベスト管理は、過去のいかなる時期よりも速いスピードで進展した。国立労働安全衛生研究所は、2つの勧告基準のクライテリア、1つの最新情報ブレティンを作成し、4つの議会証言、8つの科学的ポリシーステートメント及び600以上の発表された報告書を提供した。同じ期間に労働安全衛生庁は、アスベストについての2つの緊急一次基準(ETSs)、3つの重要な規則作成提案通知(NPRMs)、3つの最終アスベスト基準及び31のアスベスト規制に関連した連邦官報通知を発出した。

一般産業についての労働安全衛生庁によるアスベストに関する最初の規則は1971年5月29日に発出された。このアスベスト基準は、アメリカ産業衛生専門家会議の1968年の許容基準を使った、以前ウォルシュ-ヒーリー法によって採用されたコンセンサス基準に由来するものだった。

国立労働安全衛生研究所が活動を介してから6か月後、研究所長のマーカス・キー博士は労働安全衛生庁に対して、当初の同庁のアスベストについてのコンセンサスベースの基準が高すぎ、12繊維/m3から長さ5μ超の線維ついて5繊維/m3に引き下げるべきであると警告した書簡を送った。労働安全衛生庁はまたAFL-CIO[アメリカ労働総同盟・産業別組合会議]から、アーヴィン・セリコフ博士とマウントサイナイ医科大学のスタッフによる報告書に基づいてアスベストへの労働者の曝露を低減するよう請願を受けた。AFL-CIOは、たんにPELについての基準ではなく、作業環境基準を設定することを勧告した。

結果的に1971年12月7日に労働安全衛生庁は、工学的管理が実行可能でない場合には保護マスクを義務付け、8時間日の5時間までにつき1時間のうち15分までについてピークが10繊維/m3を超えることなく、長さ5μ超の線維の計測に基づいて500万繊維/m3という、アスベストについての緊急一次基準(ETS)を発出した。労働安全衛生庁は、「…作業条件が重大な危険を構成し、ETSが必要だった」と言って、この緊急基準を正当化した。労働安全衛生庁は1983年に2回目のETSを発出し、それに対してただちにアスベスト産業が裁判で挑戦して、取り消されたために、このETSを使う手順は短命だった。労働安全衛生庁は再びETS権限を使うことは試みなかった。

1972年2月25日、キー博士の労働安全衛生庁に対する書簡の3か月後、国立労働安全衛生研究所のアスベスト基準勧告についての最初のクライテリア文書が労働安全衛生庁に送られた。このクライテリア文書には、作業慣行についての勧告、環境監視、医学的監視、ラベル表示、個人保護機器、着衣、記録の保存が含まれており、また、労働安全衛生庁に、ピーク曝露限界10繊維/m3未満(5μ超)で長さ5μ超線維の計測に基づいて2繊維/m3というPELを設定することを勧告した[注:PEL=許容曝露限界、労働安全衛生庁によって使われる用語で、労働安全衛生庁の基準から国立労働安全衛生研究所の勧告を区別するもの。1980年代に国立労働安全衛生研究所はPELの使用を勧告曝露限界(REL)に変更した]。国立労働安全衛生研究所の勧告はまた、定期的医学検査及びPELを超えた濃度別に求められる特別な呼吸保護具の種類も要求していた。労働安全衛生庁はその後1972年6月7日に最終アスベスト基準を発出した。この新たな基準は、ただちに実施される長さ5μ超線維の計測に基づく5繊維/m3のPEL、及び1976年7月1日から実施されるより低い長さ5μ超2繊維/m3のPELを設定した。

1973年に環境保護庁(EPA)は、アスベスト1%超の鉱物を含む、建物、構造物、管及び導管の耐火/保温における表面が吹き付け処理されたアスベスト含有材料を禁止した(40 CFR パート61、サブパートM;61.146)。その後1975年に環境保護庁は、当該物質が事前成型(鋳造)かつ飛散性であるかまたは乾燥後に飛散性になりうる湿式適用される場合に、設備の構成要素としての、及びボイラーまたは温水タンクへのアスベスト管及びブロック保温材の設置を禁止した(40 CFR パート61、サブパートM)。1978年に環境保護庁は、1973年の吹け付け禁止で対象とされなかったすべての表面が吹き付け処理された物質に禁止を拡張した。

1975年に国立労働安全衛生研究所は、ブレーキ中のアスベストのハザーズについて議論するために、他の政府機関、大学科学者、産業界の代表及び労働組合関係者との会議を招集した。それは、新しいトラック用ブレーキライニングのブローアウト、研削及び面取りの作業者の10フィート以内で37.3繊維/m3(長さ5μ超)くらいだったことを含め、特定のブレーキ・サービス作業についてアスベストのの平均ピーク大気中濃度を報告した。これは国立労働安全衛生研究所による、労働者を保護するための具体的勧告を提供した、ブレーキ中のアスベストに関する最新情報ブレティン(CIB)の発行につながった。国立労働安全衛生研究所は、アスベストが発がん物質であり、CIBで報告された濃度は明らかにブレーキ粉じんに曝露した者にがんを含めたアスベスト関連疾患のリスクにさらすのに十分なほど高かったことから、当時は疫学的研究を開始する必要はないと考えた。しかし、CIBの発行は今日まで続いているブレーキ製造業者によるブレーキ中のアスベストの危険性の容疑をはらそうとする大掛かりのロビー活動を止められなかった。ロスネルとマーコウィッツによって記述されたアスベスト・ブレーキ産業の行動は、なぜアスベスト規制が達成するのがそんなに困難か、また、なぜ合衆国がまだアスベストを禁止していない世界で数少ない先進国のひとつなのかを示す例として役立っている。

1975年に労働安全衛生庁は、アスベストをヒトに対する発がん物質であると宣言し、建設業ではなく一般産業についてのアスベスト基準を、0.5繊維/m3という新たなPELで改訂するよう意図した、規則制定提案通知(NPRM)を発出した。この規則制定提案は、4人の上院議員と2人の下院議員が提案は産業界にとって経済的に実行不可能であるとして反対することにつながった、産業界のロビー活動の成功によって公布されることはなかった。政治的支持を欠いたために、労働安全衛生庁はいかなる公聴会も開かず、新たな基準を完全に取り下げてしまった。

1976年に国立労働安全衛生研究所は、1972年の韓国基準を更新するために「アスベストについての勧告基準の改訂」を発行した。同研究所は、すべての種類のアスベストへの曝露はがんや石綿肺を引き起こし、示された証拠は動物がわずか1日アスベストを吸入したことによって中皮腫や肺がんが引き起こされることを示していると結論付けた。こうしたデータは、アスベスト曝露の閾値または「安全」レベルの証拠がないことを示すとともに、アスベストに起因する疾患は量-反応関係をもち、過剰がんはあらゆる繊維濃度でみられることを再確認した。

こうした知見の結果、国立労働安全衛生研究所は、利用可能な分析技術によって検出可能な最低レベルに基づいた新たなRELを勧告した。当時は、位相差顕微鏡(PCM)が一般に利用可能で現実的な分析技術であるとされていた。PCMを用いて、同研究所は、濃度は、15分のサンプル時間について長さ5μ超で0.5繊維/m3を上回ることなく、8時間加重平均で長さ5μ超で0.1繊維/m3に設定することを勧告した。同研究所は、この勧告は、①アスベストの非発がん性影響に対して保護し、②「禁止のみがアスベストの発がん性影響に対して保護を保証できる」という警告付きで、アスベスト起因がんのリスクを著しく低減させ、③有効で再現可能かつ産業界や公的機関が利用可能な技術によって測定される、と結論付けた。同研究所は、「特定の作業慣行においていくつかの困難が生じるとともに、革新的な工学的管理またはプロセスの変更が必要である」が、「よく記録されたすべての種類のアスベストのヒトに対する発がん性のゆえに、こうした困難が、長さ5μ超の線維で10万線維/m3(長さ5μ超線維で0.1繊維/cc)を超える濃度でのアスベストへの曝露が継続されることを許すための理由にされるべきではない」ことを認めた。これは、国立労働安全衛生研究所が提唱し続けた政策である、職場におけるアスベストの全面禁止を、合衆国政府機関が示唆した初めてのことであった。

1977年に消費者製品安全委員会(CPSC)がアスベストで作られた人口暖炉エンバー及びアスベストを含有する化合物で作られた目地構造の禁止を発表して、もうひとつの部分的禁止が生まれた。

1978年4月26日に保健教育福祉長官ジョセフ・A.キャリファーノ・ジュニアがワシントンで記者会見を開き、アスベストを扱うことの危険性を警告するとともに、アスベストの危険性について合衆国の公衆衛生局長官から合衆国の40万人の医師全員に対して3頁の「医師助言」が送られたことを発表した。これ以前に医師にアスベストの危険性を警告するために系統的な政府の努力がなされたことはなかった。この助言は、アスベストに曝露する者は、石綿肺、また肺がん、中皮腫や胃-腸管がんを含め、発がんのリスクにさらされるかもしれないと述べた。助言は、①職業または環境曝露歴を聴取すること、②肺疾患を注意深く管理すること、③喫煙とアスベスト曝露の結合が喫煙またはアスベスト曝露単独によるのを超えて労働者ががんを発症するリスクを高めることから喫煙中止を強調すること、④がんについてスクリーニングを行うことを含め、アスベストに曝露した可能性のある者に対して医師がいくつかのことを行うよう提案した。加えて、助言は、職場における排気や工学的管理を通じたアスベスト曝露の一次予防と保護マスクの使用を強調した。キャリファーノ長官は、アスベストに曝露するアメリカ人の正確な数はわからないが、第2次世界大戦の開始と健康影響は初回曝露から15~30年またはそれ以上の長い潜伏期間後に生じることから、800万から1,100万人の高さでありうると述べた。「医師助言」は「わずか1か月の曝露でも何年も後に病気につながる可能性がある」と述べている。

1979年に労働安全衛生庁所長のユーラ・ビンガム博士と国立労働安全衛生研究所のアンソニーロビンズ博士は、労働安全衛生庁のアスベスト基準の有効性を評価するために共同ワーキンググループを設置した。このワーキンググループは、アスベスト曝露の安全レベルはないこと、労働安全衛生庁のPELは不適切であること、アスベスト労働者の家族やアスベストに汚染された地域の近くに住む者におけるアスベスト関連疾患によって証明されるように、それより下であれば臨床影響が生じない曝露レベルは存在しないことを再確認した。また、委員会は、以下のように述べた:

「アスベストに関するサンプリングや分析上の困難のために、建材などのアスベスト含有製品の製造業者は、間違った利用を含め、彼らの製品の予想可能なあらゆる使用の結果生じうる曝露の詳細な監視を実施すべきである。この監視には、繊維の種類の混合や長さ5μ未満の繊維への曝露を確認するために、電子顕微鏡が含まれるべきである。この監視データは、利用者がアスベスト曝露が生じるかもしれないことを知るだけでなく、潜在的曝露の性質についても知るように、製品のダウンストリームも含むべきである」。

こうした知見やその他の知見によって、委員会は職場におけるアスベストを削減する必要性を理解した。

こうした知識の獲得にも関わらず、アスベスト曝露から個々人を保護するための有効な基準の設定も、合衆国でアスベストを禁止することも難しいことが判明した。著名な公衆衛生歴史家であるディビッド・ロスネル及びジェラルド・マコーウィッツ両教授は、次のように書いた:

「この既知の発がん物質の禁止の遅れの主要な理由のひとつは、民間の産業グループが規制における以前の努力を抑えつけたことである」。

合衆国におけるアスベスト基準の設定に対する主要な障害のひとつは、ベンゼンに関する1980年の連邦最高裁判所の判決の結果によるものだった。労働組合部対アメリカ石油研究所事件で最高裁は以下の立場を維持した:

「それゆえ、長官は事前に、重大なリスクが存在するという意味で雇用の場所が安全ではなく、慣行の変更によって根絶または減少させることができるということを見出す閾値を作らなければ、彼は何らかの恒久的安全衛生基準を公布することはできない」。

この決定の重要な結果は、以降の基準の提案はすべて、現在の曝露レベルにおけるリスクだけでなく、新たな基準の提案されるレベルにおけるものも含めて、リスク分析を求められるということであった。それゆえ、リスクの定量化があらゆる新たな基準を正当化しなければならない。

この不幸な判決を受けて、アスベストに関する新たなNRPMが1984年4月10日に発行された。多数の公聴会を踏まえて労働安全衛生庁は、PELを0.2繊維/m3に引き下げた(29 CFR 1926.1101)、一般産業(29 CFR 1910.1001)及び建設業を対象とした2つの新たなアスベスト基準を発出した。同庁のリスク評価は、この基準が45年の労働期間に7,815件のがん死亡を予防するとしたか、または、率に関して同庁は、0.2繊維/ccで45年間アスベストに曝露した労働者に対するがんリスクは約曝露労働者千人当たり約3件のがん死亡であると推計した。労働安全衛生庁はなお0.2繊維/m3は「相当な」リスクであるとしたものの、技術的及び経済て実行可能性のゆえにさらに引き下げることはできないと結論付けた。しかし、コロンビア地域連邦上訴裁判所はこのPELに対する決定を出し、いくつかの職業はすでに曝露が0.1繊維/m3だったことから、労働安全衛生庁になぜ0.1繊維/m3が実行不可能か説明するよう求めた。裁判所の関心に対処するために、労働安全衛生庁は2年後に、0.2繊維/m3PELでのこの過度のリスクから労働者を保護するための他の補助規定とともに、20分間について1繊維/m3という可動[エクスカーション]限界を追加した。

0.2繊維/m3PELへのこの変更が裁判所の疑問に完全に答えるものではなかったことから、労働安全衛生庁は引き続きアスベストから労働者を保護する方策を追求した。1990年7月20日に同庁は、曝露レベルに関わらず大部分のアスベスト除去、メンテナンス及び修理作業について特定の作業慣行を追加し、すべての除去について「能力のある者」が指定されていることを求め、建物の所有者に彼らの建物内でのアスベスト・ハザーズのコミュニケーションについて責任を負わせるとともに、産業部門にどちらの基準(一般産業または建設業)を決定するか認めるのではなく、同庁が行われる作業の種類に対する規制制度を維持できるように、元は1976年に国立労働安全衛生研究所によって勧告された0.1繊維/m3という新たなPELが採用されるべきことを提案した。それゆえ、最終基準は一般産業用のものと、建設業用に別のものが発出された。この基準はPELを半分に削減しただけでなく、すべての使用者に、その従業員はもちろん相互にアスベスト・ハザード情報についてコミュニケートすることを求めた。建設プロジェクトで元請業者は、基準に基づく一般的監督権限を行使するとともに、遵守を維持し、またすべてのアスベスト請負業者に順守を維持するよう求めることができる。使用者である建物・施設の所有者は、アスベストを確認し、請負業者と従業員に警告する責任を負わされた。基準は所有者にアスベストについて検査することは要求していないものの、1981年より前に設置された、すべての熱システムの保温、吹き付け処理されたまたはこて処理された表面材及び床材は、検査がそうでないことを証明したのでない限り、アスベストを含有しているものとみなすことを、彼らに求めた。

1989年に環境保護庁は、有害物質規制法(TSCA)セクション6のもとで大部分のアスベスト含有製品を禁止する最終規則を発出して、合衆国におけるアスベストを禁止するもっとも劇的な対策をとった。これは、将来の製造、輸入、加工及び流通を禁止することを目的にした段階的禁止であった。しかし、この禁止は短命であった。[アスベスト]産業が裁判所に禁止を上訴し、1991年10月18日に連邦第5巡回上訴裁判所によって規則は破棄され、その主要な部分は差し戻されたのである。それゆえ、第5巡回の決定とその後の明確化によって、大部分の既存のアスベスト含有製品は禁止されなかった。この決定の結果、合衆国の市場に残ることが許されたアスベスト含有製品のいくつかの例には以下が含まれる。

・セメント波型板
・セメント平板
・衣服
・屋根用フェルト
・ビニル床タイル
・セメント屋根板
・ミルボード
・セメント管
・自動変速機部品
・クラッチ・フェーシング
・摩擦材
・ディスク・ブレーキパッド
・ドラム・ブレーキライニング
・ブレーキブロック
・ガスケット
・非屋根用被覆材
・屋根用被覆材

有害物質規制法(TSCA)のもとで環境保護庁によって禁止されたアスベスト含有製品は、波型紙、ロールボード、商業用紙、特殊紙及び床用フェルトを含め、ほんの一握りの種類の製品に限られた。加えて、規則は、アスベストの「新たな用途」として参照される以外には歴史的にアスベストを含有したことのない製品におけるアスベストの使用は禁止し続けた。また、大気浄化法(CAA)のもとで、アスベスト管保温材、ボイラーや温水タンクなど設備の構成要素上のアスベスト・ブロック保温材、表面を吹き付け加工されたアスベスト含有物質、及び、40 CFR 61サブパートMで規定された一定の条件を満たさない限り、建物、構造体、管及び導管への1%超アスベストを含有する物質の吹き付けを含め、他のアスベスト含有使用が禁止された。

労働安全衛生庁のアスベスト規制は、進展が非常に遅く、この遅れは労働者の継続的な曝露の原因となったとはいうものの、工学的及び作業慣行管理を志向したものであったことから、様々なかたちで地面を壊した。アートニックらが以下のように言うようにである:

「労働安全衛生法の起草者が、1971年から1998年までアスベスト基準に取り組んでいる機関を想定していたとは思われない」。

6. 討論

合衆国政府-国立労働安全衛生研究所(NIOSH)、労働安全衛生庁(OSHA)及び環境保護庁(EPA)-を含め、国際的及び世界各国の科学及び規制機関は、アスベストはヒトに対する発がん物質であり、いかなる種類のアスベストも安全ではなく、いかなるレベルのアスベスト曝露も安全ではなく、アスベストに関わって安全に労働する方法はないことを確認してきた。こうした認識の結果として、約55か国がアスベストを禁止している。ラマッチーニ協会も検討し、1999年に、その数多いアスベストの採掘、製造及びすべての使用の世界的禁止の呼びかけの最初のものを行っている。ラマッチーニ協会は、以下のように言っている。

「アスベストのパンデミックの深刻な悲劇は、アスベストに関連するすべての病気と死は予防することが可能だということである」。
ラマッチーニ協会は、すべてのアスベスト使用を今日中止したとしても、少なくとも20年間は病気や死の著しい現象はないだろうと、付け加える。アスベスト疾患はなおわれわれとともにあり、増加し続ける。

保健指標評価研究所は、ゲイツ財団の支援を受けて、2013年に世界で約194,000件のアスベストに起因したがん死亡があり、1990年の約94,000件から109.6%増加したと推計している。アスベストのシグナル腫瘍である中皮腫だけとってみても、合衆国における死亡数は過去16年間に2,479件から2,579件に増加し続けた。さらに、「年齢55歳未満の者における悪性中皮腫死亡の発生が継続している傾向は、アスベスト繊維の吸入曝露が継続していることを示唆している」ことが指摘できる。中皮腫は、中皮腫1件に対して、6件のアスベストに起因した肺がんがあると推計される、標識腫瘍であることから、それらの死亡はアスベストに起因したがんの「氷山の一角」を示しているだけである。

合衆国がアスベストを禁止することができなかったのは、公衆衛生の最善の利益に反対し、人間の福利よりも目先の利益を優先する、アスベスト産業とそ政治的同盟者の巨大な力を反映している。この闘いでアスベスト産業が用いた主要な戦略は、疑問を製造する-ずっと前に優れた独立した科学者たちによって解決済みの様々な疑問をめぐって誤った論争を生み出すことであった。こうした戦術は、たばこ産業その他の汚染産業が用いるものと同じである。合衆国が、企業や個人が政治的キャンペーンに巨額の無制限の寄付をするのを許している限り、この種の腐敗の可能性は続くだろう。

合衆国においてアスベストを禁止する道は、2016年の有毒化学物質規制法(TSCA)の改訂、フランク・R・ローテンバーグ上院議員21世紀に向けた化学安全法のもとで、新たなかすかな希望を手にしている。

「新たな法律のもとで、3年以内にアスベストのリスク評価を完了し、アスベストが『人間と環境に対する非合理的なリスク』であると判断されれば、環境保護庁はさらに2年以内に、おそらくは禁止を通じて、リスクを緩和することをお求められる」。

この新たな法律の実施の責任はいまトランプ政権の手にかかっている。アスベストによって引き起こされる疾患の悲劇は完全に予防可能である。原因はわかっており、アスベストのあらゆる製造、輸入及び仕様の全面禁止が証明済みの効果的な予防戦略である。あらゆるアスベスト関連疾患の予防を手引きするために、何十年も前から、利用可能な十分な科学的証拠がある。合衆国におけるアスベスト禁止の失敗は国のスキャンダルであり、道徳と人間の良識に対する侮辱である。

7. 結論

アスベストは証明済みのヒトの対する発がん物質である。すべての種類のアスベストががんを引き越す可能性がある。いかなるレベルのアスベスト曝露も安全ではない。世界規模でのアスベストのあらゆる製造及び仕様の全面禁止が、アスベスト関連疾患の世界的パンデミックを効果的に終わらせる唯一の戦略である。

合衆国は何十年も、アスベストのあらゆる製造、輸入及び使用の禁止を課そうと試みてきたが、労働安全衛生庁の無能さ、[アスベスト]産業のロビー活動力、及び第5巡回裁判所の1991年の環境保護庁によって提案されたアスベスト禁止を支持しないという決定を通じて、そうした努力は失敗した。合衆国におけるアスベスト禁止のこうした遅れの結果は、何千もの労働者が不必要にアスベスト関連疾患によって死亡し、さらに何万もが疾患や障害に苦しめられていることである。フランク・R・ローテンバーグ上院議員21世紀に向けた化学安全法のもとで、合衆国でついにアスベストが禁止されることが期待されている。

※原文:https://www.mdpi.com/1660-4601/14/11/1302

筆者は、Richard A. Lemen1,2,3 and Philip J. Landrigan3,4,5,*
1 国立労働安全衛生研究所(引退)、アメリカ
2 エモリー大学ロリンス公衆衛生大学院環境保健学部、アメリカ
3 ラマッチーニ協会、イタリア
4 マウントサインマイ医科大学環境医学公衆[衛生]
5 国立労働安全衛生研究所ハザード評価フィールドスタディ調査部
* 責任筆者

本ウエブサイト上の「アスベスト禁止をめぐる世界の動き」関連情報