アスベスト被害者の全国連携に学ぶ-マンチェスターでの日英+国際交流会と5都市でのアクション・メゾテリオーマ・デー(AMD)イベントに参加(2017年)

古谷杉郎(全国安全センター/石綿対策全国連絡会議事務局長)

2017年の夏、中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会は、20名の大型代表団をイギリスに派遣した。

現地で受け入れてくれたパートナーは、イギリスのアスベスト被害者支援団体の全国ネットワークである「アスベスト被害者支援団体フォーラムUK(AVSGF-UK)」とそのメンバー団体、支援者らである。事前にプレスリリースも発表して、大いに歓迎していただいた。

一行は、7月4日夕刻にマンチェスターに集合。羽田、中部国際、関西国際の各空港発で欧州各地を経由してマンチェスター国際空港へ、あるいは一足先にイギリスに入りロンドンから鉄道で移動するなど、いくつかのグループ・個人別であったが、大きなトラブルなく合流することができた。

少し遅れてバーミンガムから移動してきたフランス、スペイン、イタリア代表らとともに「遅め」の夕食をとり、日本代表団のおおかたは「早め」に休んで翌日からの長丁場に備えた。「早め」と言っても、現地はサマータイムで日没時刻は午後9時40分頃で、11時をすぎても「早め」という感覚である。

目次

マンチェスターで全体学習会-国際交流会

明けて7月5日は、朝から全員参加で全体学習会会。地元のアスベスト被害者支援団体フォーラムUKのメンバーと日本代表団20名のほかに、フランス2名、スペイン3名、ベルギー・イタリア・オーストラリアからも各1名の代表の参加があり、ちょっとした国際交流会でもあった。この日は日本側から依頼してプロの通訳を手配してもらい、以下の報告は、参加者のひとり渡邊羊子さんが作成していただいた通訳のメモや発表資料等によっている。
会場を提供してくれたスレーター&ゴードン法律事務所からは、飲食物等のサービスも提供していただいた。

会議は、マンチェスターから車で1時間ほどのロッチデールから来ていただいた、61歳の女性中皮腫患者ビビアン・スウェイン(Vivienne Swain)さんから、以下の体験談をうかがうことで開会された。

私はビビアン!-中皮腫患者の訴え

診断を受けたのは2015年8月5日でした。
それまでは健康でしたし、何の病気をしたこともなく、普通の人生を送っていました。
具合が悪くなったのは4月のこと。胸が感染症を起こしているようで、病院に行って抗生物質とステロイドを処方されてよくなったので、5月にはギリシャ旅行に行きました。過去3回行ったことのあるところでしたが、山を歩いていたとき中間あたりで息がきれてしまいました。いままでそういうことがなかったので、ちょっとおかしいなと思いました。

帰国後あらためて医者にかかりましたが、喘息と言われて、吸入薬をもらいました。薬がうまく効かず、息切れが続くので不安を伝えたところ、「それでは胸のレントゲンを撮りましょう」と言われましたが、急ぐ必要はないとのことで4日後くらいにしました。
レントゲンの結果を待っていると、看護師さんが「私と一緒に来てください」と。「どこに行くのですか」と聞くと、「救急です。そこでお医者さんにちゃんとレントゲンを見てもらいましょう」と。私はだんだん心配になりました。ちょうどスタッフのシフトが替わるときで座って待っている間に、パートナーのイアンと息子に電話して、「何が起きているかわからないので来てほしい」と頼み、息子が先に来ました。

お医者さんは、「肺の3分の1がつぶれている」ということでした。とてもびっくりして怖くなりました。すぐに入院の手続がとられました。お医者さんからはたくさん質問をされました。夫が9年ほど前に腎臓がんで亡くなっており、「がんじゃないんですか」と聞きましたが、「大丈夫、がんの兆候はまったくありません。CTスキャンを撮りましょう」と言われました。

CTを撮ってそのあと自宅に帰り、2、3日後に同じ医師に診てもらって一晩入院ということになりました。そのとき、「がんかもしれない」と言われました。「別の病院で診てもらった方がよいので明日の予約を取りました」と指示されました。

ウェリーというマンチェスターの病院だったのですが、でも「大丈夫、どういう問題であっても対応できる」と思いました。イアンは仕事があり、息子が来てくれました。病院で超音波検査をしたところ、肺の中に水が溜まっていることがわかりました。水は濁っており、明らかに感染症を起こしていることがわかったので、かなり強い抗生物質が処方されました。お医者さんに会うたびにだんだん具合が悪くなってきたのですが、「大丈夫、とてもお元気そうですよ」と。「もしかしたら真面目に取り扱ってくれないのではないか」と思ったのですが、そうではなくて、元気そうに見えると言われるだけで心が落ち着くので、そのためだと思いました。

肺に針を入れた検査は痛かったです。その後内視鏡を使って検査をしました。組織を取る検査もしました。水は1.5リットル出ました。「その水で何がわかるのですか」と聞きましたが、「すべての結果は陰性で、99.9%がんではない」と言われました。

その後、初めて中皮腫という診断が出ました。最初は「がんですね」と言われ、「どこのがんですか、何と呼ばれるがんですか」と聞きました。中皮腫という単語をきちんと発音できるようになるまでに2週間くらいかかりました。そして、治療法はないということも聞きました。そのときはショックだったのですが、息子が3人いまして、どう息子たちに話そうかと考えました。3人とも成人しているのですが、まったく性格が違います。イアンにも話しました。

NHSというのはこの国の健康保険制度ですが、診断後とてもよくしてくださってすばらしかったです。まず、8月末から9月にかけて家族旅行に行きました。そのあと12か月くらい何も治療を受けずに過ごしました。その間、3か月南アメリカに旅行に行ったり、アイスランドにオーロラを観に行ったり、孫と休暇に出たりしました。とても前向きな性格なので、人生を楽しまないといけないと思いましたし、楽しんでいます。治験に参加したのですが、それはうまくいきませんでした。そのあとがんも少し大きくなり、次の治療は背中からの放射線治療でした。その様子を見て治験を受けたいと思っています。

がんの患者というと、「苦しむ人(sufferer)」と言われるのですが、私は「苦しむ人」と言われたくありません。中皮腫という言葉で私を表現してほしくないです(直訳すると、「中皮腫で私を定義(define)されたくはない」だった)。

私はビビアンです。
これから生きていっぱいいっぱい楽しいことを経験したいと思います。ありがとうございました。

以下は、質問に答えてのやりとり--

●治療がはじまってからのサポートは
中皮腫というのは独特な病気なので、なかなか情報がなくて探すのが難しかったです。自分がラッキーだったのはマンチェスターにいたことです。ここにはよいグループがあり、お医者さんにはなかなか聞けないこともグループの人には質問することができます。先日、ある女性の娘さんから私のフェイスブックを見て連絡がありました。私の話を載せているのですが、それを見たそうです。その人のお母さんが中皮腫の診断を受けて、カンブリアという北の方にいるのですが、そこには支援グループがないのでどうしたらよいのかという質問でした。私が所属しているグループに話して、連絡してもらいました。
私が診断を受けてから3日後でしたが、グラハムさん[グレーター・マンチェスター・アスベスト被害者支援グループ(GMAVSG)]が自宅に来てくださり、手当を受ける手続をしてくれました。当時は何をしたらよいか、何からはじめたらよいかまったくわからなかったですし、具合も悪くてなかなかできなかったのですが、すべてやってくれて、感じていたプレッシャーをすべて取り除いてくれました。申請書もすべて手続をしてくれたので、銀行に振り込まれるようになり、それがとてもよかったです。これからどうやって生活をしていくかというのがとても不安だったのですが、こうやって手当を受けられるようになりました。障害者手当を受けて、障害者用の駐車許可証が届きました。グラハムさんはそのような面で、大学教授よりも、どんな偉い人よりも中皮腫についてよく知っているし、患者さんのことを知っているし、情熱をもって対応してくれてすばらしいです。それから、グラハムさんのおかげで、病気を研究するためのたくさん資金が集まりました。

●どこでアスベストに曝露したと思いますか
亡くなった主人が大工でした。建具屋さんで、仕事でアスベストに曝露して、汚れた作業着のまま帰宅するので、帰ってから私がそれをばさばさと払い、洗濯機で洗い、床を掃除機をかけたりしていました。ロッチデールの工場から徒歩5分くらいのところに住んでいたので、環境からの汚染もあったと思いますが、私は主に主人からだと思っています。

イギリスの惨事、世界の惨事-ローリー・カザンアレン(IBAS)

続いて、イギリスで国際連帯関係を一手に担ってきたといってよい、国際アスベスト禁止書記局(IBAS)のローリー・カザンアレンから「中皮腫:イギリスの惨事、世界の惨事」と題した報告がされた。

イギリスは中皮腫死亡率が世界最高。これは、過去何百万トンものアスベスト輸入・使用を考えれば驚くべきことではない。2015年に議会の超党派議員グループが、イギリスが「アスベスト・クライシス」の状態にあると宣言した出版物を出した[2015年12月号47頁参照]。11頁のこのリーフレットが示したいくつかの事実は憂慮すべきものだった。

・2020年までに25万のイギリス人がアスベスト曝露により死亡するだろう。
・130万人の職人が日常的に労働でアスベストに曝露している。
・600万トンを超すアスベストがイギリスに輸入され、その大部分が国のインフラのなかに潜んだまま残されている。
・50万の商用施設と100万の居住用施設がアスベストを含んでいる。
・学校の75%がアスベストを含んでいる。
・毎年5千人がアスベストがんと呼吸器疾患により死亡している。

140年以上イギリスのビジネスマンは、膨大な種類の断熱材、耐火材、その他の目的で、アスベスト含有製品を開発し、特許をとり、販売してきた。20世紀が始まる前にグラスゴー郵便局の住所録には52のアスベスト製造業者が登録され、ターナー・ブラザーズ・アスベスト社(TBA)などのアスベスト製品を製造する工場がイギリスで操業していた。
「カモが水を好むのと同じように」アスベストを好み、この「奇跡の鉱物」から最大の利益を得ようとして、早くも1899年には与えられた健康上の警告は無視された。そうして、失われた機会と命を大量に損失する100年がはじまった。

●アスベスト死第1の波:工場労働者

イギリスの最初のアスベスト関連疾患被害者の波のなかに、マンチェスター近くのロッチデールのターナー・ブラザーズ・アスベスト社のアスベスト紡織工場で、1903年から1922年の間働いたネリー・カーショー(Nellie Kershaw)がいる。彼女は1924年に貧困のうちに33歳で亡くなった。ネリー・カーショーと同じように、ノラ・ドッカティー(Nora Dockerty)は、学校を出たあと1933年に15歳でTBAのロッチデールのアスベスト工場で働き始めた。1950年に亡くなったとき、ノラはたった31歳で、ネリー・カーショーが亡くなったときの年齢より2歳若かった。

●アスベスト死第2の波:アスベストのユーザー

リチャード・ディック・ジャクソン(Richard “Dick” Jackson)は、1947年にハルの造船所でアスベスト断熱工として働き始めた。彼は、1970年に初めてアスベストの職業上の危険性に気がついた。6年後、JWスタンリー社の労働者の5分の1にあたる3人の同僚がアスベスト関連疾患で亡くなった。1983年にディックは、ハル・アスベスト行動グループを設立した。彼は1994年に中皮腫のために亡くなった。

2006年にマンチェスターの男性アンドリュー・バーンズ(Andrew Burns)は、30代で中皮腫のために亡くなった。彼が大きな工業地帯の改修工事で働いた1980年代半ばには、アスベスト曝露は日常茶飯事だった。エディー・ジャウェット(Eddie Jowett)はいま石綿肺で亡くなろうとしている。1950年代と60年代に、彼は見習工として、英国鉄道のダービーの機関車工場でアスベストに対する防護なしに働いた。

●アスベスト死第3の波:建物利用者、家庭内・環境曝露、日曜大工

2000年に51歳で、学校教師ジーナ・リーズ(Gina Lees)が中皮腫で亡くなった。診断されてから3か月後のことだった。ジーナはアスベスト作業をしたこともなければ、アスベスト工場近くで暮らしたこともなく、家族の誰も現場労働に就いたこともなかった。ジーナが働いた学校の大部分がアスベスト製品を含んでいた。

2014年にサンドラ・ネイラー(Sandra Naylor)は、52歳で中皮腫のために亡くなった。彼女は、スコットランド・ノースランカシャーのコールダウッド高校の生徒だった1970年代にアスベストに曝露したことが病気の原因だと信じている。

不幸なことに、病気になるのは、仕事でアスベストを使った人々だけではない。1997年にジュン・ハンコック(June Hancock)は、61歳で中皮腫によって亡くなった。彼女は、イギリスの多国籍企業T&Nの子会社が所有する工場のすぐ近くで育った。

デビー・ブルアー(Debbie Brewer)は、2013年に54歳で亡くなった。彼女は、プリマスの造船所から父親の衣服に着いて家に持ち込まれたアスベストに曝露した。父親は2006年8月、娘のがんが診断される3か月前に、肺がんで亡くなった。

アスベスト被害者は国のどこにでもいるが、中皮腫の発症率が高い地域があることは疑いない。日本の仲間たちは、マンチェスター、リバプール、バーミンガム、シェフィールド、ダービーでのアクション・メゾテリオーマ・デー(AMD)イベントに参加する。各地域独特の問題についての理解を助けるために、それらの地域の状況の簡単な背景を紹介したい。

●マンチェスター

過去何十年間にもわたり、数千の人々がターナー&ニューオール(T&N)及びケープPLCが所有するアスベスト使用工場に雇用された。エンジニアリング企業や重工業、公共住宅を含めたこの地域の大規模建設プロジェクトで大量のアスベストが使用された。グレーター・マンチェスター・アスベスト被害者支援グループ(GMAVSG)が相談を受ける、アスベスト被害者がもっとも多い職業は建具工である。ソルフォードの港で雇われた人たちは、麻袋に入って到着した積み荷のアスベストに日常的に曝露した。その袋は、裂けて、港湾労働者が致死的な繊維を頭からふりかぶることも多かった。

●リバプール

マージーサイド・アスベスト被害者支援グループ(MAVSG)が支援しているのは、とくに元港湾、建設、造船労働者、断熱工や工場労者らである。MAVSGの相談者の多くは、同じ使用者によって職業的にアスベストに曝露させられた:キャメル・レイアード造船、ピルキントン・ガラス、バビーズ(現Beoco)、コートルズ、プレッシーズ、リバー・ブラザーズ、キャドバリーズ、テート&ライルなどである。このリストに食品製造会社の名前があるのは奇妙に思えるが、1980年代にはイングランド北西部は他のどこよりも多くの加工食品を製造していた。組立ラインの労働者が必ずしもアスベスト曝露のリスクが高いとは限らないが、それら設備の機械工や整備工は明らかにリスクが高かった。また、MAVSGの初期の相談者は、袋のリサイクルが行われた港湾倉庫で働いた人たちだった。この産業部門で雇われた者のほとんどが女性で、彼らが加工した麻袋の多くがアスベストを輸送するのに用いられた。

●ダービー

ダービシャー・アスベスト支援チーム(DAST)は、ダービーとバートン・オン・トレントの発電所、ノーサンプトンシャーとスカンソープの製鉄所、ダービーのブリティッシュ・セラニーズなどの化学工場、ポート・オブ・グリムズビー郊外で活動するグリムズビーの港や造船所などで働いた、イーストミッドランズの人々を支援している。その他のDASTの相談者は、ボンバルディア・レール・ビークル・プロダクション、ブリティッシュ・レールウエイズまたはブリティッシュ・レール・エンジニアリングで働いていた。

●シェフィールド

サウスヨークシャー・アスベスト被害者支援グループ(SARAG)は、サウスヨークシャーとノースヨークシャーの炭鉱を含めた重工業化が進んだ地域、サウスヨークシャーとノースヨークシャーの鉄鋼業・重工業・エンジニアリング、サウスヨークシャー・ドンカスターの鉄道作業所の鉄道エンジニアリング、鉄道エンジン・客車の製造・修理・メンテナンスでアスベストに曝露した人々を支援している。
SARAGの相談者がアスベストに曝露した企業には、シェフィールドのクレイブンス・コーチビルダーズ、リーズのJWロバーツ、ドンカスターの鉄道作業所、シェフィールド・フォージマスターズその他がある。

●バーミンガム

アスベスト支援ウエストミッドランズ・グループが扱っている事例の大部分は伝統的に、バーミンガム・レイルウエー・キャリエッジ、ワゴン・カンパニーLtdやメトロポリタン・レイルウエー・キャリエッジ・カンパニーなどの鉄道客車製造業者やエンジニアリング企業からのものである。多くのアスベスト被害者は、エンジニアリング企業ルーカス・インダストリーズのフォアマンズ・ロード地区の自動車用電池工場で働いた。そこではアスベストが電池の覆いに使用され、工場の一端にあるホッパーに注ぎ込まれた。
他の被害者グループと同様に、被害者のプロファイルは変化しており、もっとも新しい事例は、建設産業、とりわけメンテナンス労働者からである。教師や事務労働者のアスベスト関連疾患の数の増加もみられている。

7月7日金曜日に、イギリス中のグループが、この国の惨事であるアスベスト問題に注意を喚起するために、行事、会議、集まり、「ハプニング」を行う。
今年は、20人のアスベスト被害者・家族ら日本代表団が、上述の5都市でのイベントに合流する。すべての日本の同志を心から歓迎するとともに、皆さんの連帯のメッセージとすべての国のアスベスト被害者に対する支援を支持します。

ターナー&ニューオールの事例-ジェイソン・アディ(市民活動家)

次は、ロッチデールのアスベスト工場跡地の環境問題に取り組む「スポドン渓谷を救え」というキャンペーン・グループのジェイソン・アディ(Jason Addy)から「ターナー&ニューオールの事例」の報告。36~37頁の囲み記事[省略]も参考にしていただきたい。

ローリーの話にあった「第3の波」-環境曝露によるアスベスト被害の話である。過去のアスベスト消費のぐんと上昇した後ぐんと下がるカーブと同じカーブを少しずらして重ねて、アスベスト被害も同じようなカーブを描くであろうと推計する図を見たことがあると思う。工場労働者については当てはまるかもしれないが、環境被害については当てはまらないと思う。そんなに急激には下がらず、なだらかに下がることになるのではないか。

環境曝露を考えるうえでの3つのポイントは、①低レベルの曝露であっても、重大であって、健康被害を引き起こす曝露を把握すること(建物や汚染された土壌等)、②規制が有効でなく、その執行も不十分であること、③人々の力-他の社会運動やキャンペーンから教訓を学び連帯することが必要だ。

アスベスト製品工場の環境アスベスト汚染の源には、①アスベスト廃棄物をその場に捨てる、②アスベスト製品や積み重なったほこりが工場の構造と絡み合う、③周囲の土壌構造のなかに何十年にもわたり大気から降り積もる、などがある。

アスベスト関連の法律はこの国に100年以上あるが、結局うまくいっていない。とりわけ環境曝露に対する規制は弱すぎるし、きちんと執行されていない。ハンプティ・ダンプティの言葉で、「私が言葉を使うときは、私が意味したい言葉を選ぶ」というのがある。ロッジデールのスポドン渓谷は、地表にアスベストが白く見えているにもかかわらず、「汚染土壌ではない」ということにされている。

汚染土壌に対するイギリス政府の方針は、民間部門による汚染土壌の改善を促進するというもの。汚染地帯の経済的再利用も促進するもので、脱工業化経済における「より多くの住宅が必要とされる」ことともからんで、問題を引き起こしている。工場跡地の事務所や住宅としての再開発である。

汚染された土地は誰に責任があるのか。融資した銀行家? 法律は銀行を保護している。土地の所有者か? そうかもしれないが、責任を負えないと思う。契約業者か、専門コンサルタントか? そうかもしれないが、これも十分ではないと思う。「汚染者が支払う」という原則があるが、T&Nのような会社はもうないので、支払うことができない。

一般の人々には、健康を守るための証拠-その土地からアスベストがきちんと取り除かれているか、裏付ける証拠を見る権利がない。安全衛生庁(HSE)が採用した除去手法についてもそうだし、私有地に対して民間事業者が行った除去措置についても同じである。

規制上の問題点としては、①全国的な汚染土壌登録制度がない、②概念的な現場モデリングの提供が義務付けられていない、③環境影響評価は?、④アスベストについては法定の土壌ガイダンスがない、⑤労働現場向け(8時間)濃度基準は環境向け(24時間値)ではない、⑥吸入性アスベスト繊維への潜在的曝露を把握・報告する有効な制度がない、などをあげられる。

さらに、アスベスト疾患をマッピングする有効な制度がないこと。ロッチデールではそれができなかった。検視官は、中皮腫を「自然の原因」「アスベストに関連したものではない」と報告していた。労働者も居住者もかなり移住してしまっている。

現実的な問題としては、主な手引きがバルク分析のためのものであって、土壌におけるアスベストを確認するためのものではないことがある[詳しい話は聞けなかった]。0.1%含有で有害廃棄物に分類されるが、これはバケツ1杯の土にスプーン1さじ分混じっているくらいである。隻眼だったネルソン提督はよく望遠鏡を見えない方の目で見ていたと言うが、アスベスト専門家もまさにそうであるように思えてならない。

もっとも重要なのは、保管された情報の強固なネットワークをつくること。知識はパワーになる。いろいろな知識、ストーリーや写真、データ、世界中のそういうものをきちんと集めて、それが誰にでも見られるようにすることが大切だと考える。

イギリスの被害者全国ネットワーク-グラハム・ドリング(被害者支援団体)

続いてグラハム・ドリング(Graham Dring)が、アスベスト被害者支援団体フォーラムUK(AVSGF-UK)の歴史とキャンペーンについて紹介した。グラハムは、バーバラ・バーチャル(Barbara Birchall)の次の言葉の引用からはじめた。

●歴史を切り拓いた人々

「それはあなた方、ターナー兄弟のおかげだ。私たちは、青い雪にまみれながら、あなた方のために働いた。あなた方は、それが肺に入って、20~30年もそこにとどまると言ったことはなかった。早い段階で全員にレントゲン写真を撮らせていたのだから、何かは知っていたに違いない。でもマスクは与えられず、アスベストが付きやすくするために指先を舐めなければならなかった。出来高払いだったのを覚えている。あなた方を、そして私の内側を侵して成長した青石綿を呪う。なぜこのことを知らせなかったのか?なぜ!あなた方、ターナー兄弟を呪う」。
バーバラは、ロッチデールのTBA社で少女のときに働いた。彼女は、1960年代にオーストラリアに移住し、1977年に中皮腫と診断された。

1982年に、2時間のヨークシャーTVドキュメンタリー「アリス:命の闘い」がゴールデンタイムに放映された。アリスは、17歳のときに、ケープ・アスベスト社のハブデン・ブリッジ工場で働き、30年後の48歳のときに中皮腫と診断された。このフィルムは人々に衝撃を与え、政府にアスベスト管理限界値を見直しを余儀なくした。視聴者は、医師らのごまかし、政府のせこさ、アスベスト産業の責任回避を目撃した。この番組は、アスベスト産業に対する全面的な反撃の出発点となった。

ローリーも紹介したジュン・ハンコックは、リーズのTBA社アームリー工場のアスベストで汚染された道路で、他の友人たちと遊んだ。彼女の母親は中皮腫で亡くなり、彼女も1994年に中皮腫と診断された。1995年に彼女は、環境汚染に対する補償を認めた画期的な判決を手に入れた。彼女は1997年に亡くなった。

1979年にアラン・ダルトン(Alan Dalton)の、影響力をもった本『アスベスト 殺人粉じん』は、アスベスト使用に対する労働者の闘いを紹介するとともに、公式の労働組合運動が組合員を代表してやっていることがあまりにも少なすぎると批判した。アランは、この本の出版元になった科学の社会的責任のためのブリティッシュ協会(BSSRS)の一員だった。それは、TUC(労働組合会議)の医学助言者だったロバート・マレー(Robert Murray)博士の産業界擁護の立場に対するアランの批判だったが、マレーはBSSRSを訴えて破産させた[筆者は、アラン自身から1998年にこの本を贈られ、翌1999年にエジンバラで開催された欧州ワークハザーズ会議で初めてお目にかかった。彼亡き後2008年には、お連れ合いにホームステイさせてもらっている。]

公務員で郵便局の技術者だったナンシー・テイト(Nancy Tait)の夫は、1968年に中皮腫のため亡くなった。保健社会福祉省(DHSS)に職業病と認めさせるのに1972年までかかった。当局の無知と秘密主義に怒りを感じて、ナンシーはイギリス最初の被害者支援団体である「石綿肺・職業病予防協会」を設立して、『アスベストは殺している』を出版した。彼女は、欧州とアメリカにおけるアスベスト疾患について研究するためにチャーチル奨学金を与えられた。

他にも勇敢に闘った方々がいるが、すべてを紹介する時間はない。しかし、そうした人たちの闘いのおかげで、1990年代初めにスコットランドやイングランドでアスベスト被害者支援団体ができていった。

●被害者支援団体と全国ネットワーク

各団体は当初、労働衛生キャンペイナー、安全衛生団体、福祉受給権アドバイザー、アスベスト被害者やその家族らによって開始された。その多くは、例えば造船所やアスベストが使用されたことがわかっている工場などのある、スコットランドやイングランド北部の重工業地帯で設立された。アスベスト疾患を診断される者の数が増えるにつれて、より多くの人々が以下のことに気がつくようになった。
・アスベスト被害者が経験する不正義と苦しみ、そして
・治療、補償や社会保障受給資格に関する支援や助言のニーズが満たされていないことである。
多くの団体は、前述した人々の勇敢な闘いを受けて設立されたのであって、私たちは彼らにとても感謝している。

イギリスにおける中皮腫による死亡者数は、1968年には153人だった。2014年には2,515人であり、毎年交通事故死(約1,750人)よりも多くの人が亡くなっている。1968~2050年に9万人、2001~2050年で6万人が死亡すると予測されている。

グレーター・マンチェスター・アスベスト被害者支援グループ(GMAVSG)が2016年に受け付けた新たなアスベスト疾患の相談件数は348件だった。これは、1996年には19件、2006年には236件だった。
フォーラムUKとして知られる「アスベスト被害者支援団体フォーラムUK」は、主としてイングランド北部の支援団体によって、2005年7月に設立された。その目的は、アスベスト疾患被害者の社会的に認められる統一された声をつくろうということだった。

フォーラムは現在、9つの支援団体(イングランドに7つとスコットランドに2つ)、プラス、8つの相対的に小さな団体や連携している団体がある。
フォーラムは、情報や経験を共有し合うために、定期的に会合を持っている。しかし、フォーラムの主要な目的は、以下のために、アスベスト被害者とその家族とともに、また彼らを代表して、キャンペーン団体として行動することである。
・社会保障給付や補償の改善
・中皮腫に対する研究への資金提供及びアスベスト被害者に対する治療の改善
・今日のよりよい安全衛生保護及び学校、公共建築物、職場や家庭からのアスベストの除去
・アスベストの国際貿易の禁止

フォーラムには「原則」があり、メンバーとなる各支援団体は、以下を満たしていなければならない。
・適切に構成されていること、具体的に慈善団体として登録されているか、同等でなければならない。
・無料かつ独立した助言を与えるとともに、相談者の自宅を訪問する。
・継続的な支援を提供する。
・電話による相談ホットラインを開設する。
・適切かつ監査を受けた会計を維持する。
・専門的法的助言提供元のリストを維持する。
・苦情処理手続をもつ。

私たちは、弁護士ではないが、被害者・家族にとって補償が重要であることを理解している。直接、弁護士を紹介することはなく、「パネル」システムを採用している。私たちが知っていて被害者を欺くことはないであろう弁護士のリストを紹介している。その弁護士らは使用者や保険会社側の代理をしてはならないことになっている。こうした基準がうまくいっているか、また、彼らが信頼できるかどうかチェックしている。そのようにして、相談者が安全な選択をできるよう再確認している。

●アスベスト被害者の援助・支援

アスベスト被害者支援団体の役割は、援助と支援である。

援助
・元軍人の被害者に対する戦争障害年金を含め、社会保障給付や補償に関する助言
・自宅訪問と援助終了様式
・給付に係る不服申請手続における代理
・検視段階における支援

支援
・中皮腫患者とそのパートナーや介護者のための支援グループを運営または運営を援助している。
・愛する者を中皮腫で失った方々のための支援グループを運営、または運営を援助している。
・グループが社会活動を計画するのを支援し、精神的支援を提供している。

現実には、相談の大部分は、病院、肺がん看護師(中皮腫と肺がん)、呼吸器科診療所(石綿肺と胸膜肥厚)からの紹介によるものである。私たちは、この領域で病院との間に強力な関係を築いてきたし、これが私たちの活動にとって重要である。患者は、自らを治療している医師や看護師を信頼しているから、彼らから紹介された私たちも信頼し、援助を受け入れてくれる。

新たにアスベスト関連疾患を診断されて相談のあった患者全員の自宅を訪問している。中皮腫や肺がんであれば1週間以内に訪問し、石綿肺や胸膜肥厚の場合には6週間以内。入院中の深刻な患者の場合には、病院も訪問する。

前述したGMAVSGが2016年に受け付けた新たな相談合計348件の内訳は、中皮腫41%、肺がん10%、肺がん+石綿肺2%、石綿肺32%、胸膜肥厚15%。肺がんが少ないのは、病院で肺がんと診断されてもすぐに紹介されるわけではなく、肺がんとアスベストの関連をなかなか証明できないからだと思う。社会保障給付や補償を得るのも難しい。

348件の職種別内訳は、建設労働者/作業員35人、T&N労働者27人、塗装工/装飾工26人、電気工23人、配管工(plumber)/熱機関工17人、配管工(pipefitter)17人、ボイラー労働者13人、断熱工/保温工12人、工場労働者10人、事務労働者8人、機械工7人、紡織工5人、教育労働者4人、解体工4人、化学工場労働者3人、鉱夫3人、軍人3人、天井修理工2人、二次曝露(夫の作業着)2人、運転手2人、港湾労働者2人、鉄道労働者2人、だった。

●アスベスト被害者に対する社会保障給付等

社会保障給付のひとつとして、労働災害障害給付(IIDB)があり、石綿肺、中皮腫、石綿肺がん、びまん性胸膜肥厚が対象疾病とされているが、肺がんが認められるのはきわめて厳しい。
・肺がん+石綿肺であるか、または
・肺がん+以下で働いている間に著しいアスベスト曝露があった
・造船、または
・アスベスト吹き付け、または
・アスベスト織物の製造、または
・アスベスト保温作業
・上記作業を5年以上(1974年以前)または10年以上(1975年以後)していなければならない
安全衛生庁(HSE)は、毎年、中皮腫と同じくらい、アスベストによる肺がんがあると推計しているにもかかわらず、2015年の数字で、IIDBが支給された中皮腫が2,130件であるのに対して、石綿肺がんは320件にすぎない。

政府による一時金は、以下の場合に支給される。
・元使用者に対して民事賠償を請求することができない。
・「無過失」-使用者の過失または認識を立証する必要なし。
・労働災害障害給付(IIDB)が認められた場合に認められる(1979年じん肺等(労災補償)法)。
・合計額は年齢と障害率(中皮腫と肺がんは常に100%)によって決まる金額表に基づく。
・IDBが認められない場合に認められ得る(2008年びまん性中皮腫支払制度)。
・支払われる金額は裁判所で認められる補償よりも著しく低い。
・後に裁判所で補償請求を獲得できた場合には一時金は払い戻さなければならない。

政府の一時金は通常、(いずれかの時点で)あなたをアスベストに曝露させた使用者のために過去20年間働いていない場合、または、当該使用者がもはや事業をしていないことがわかっている場合に支払われる。
労働年金省は、たとえ最近雇用があったとしても、中皮腫については常に一時金を支払う-2008年びまん性中皮腫支払制度のもとで支出するだろう。
複数のアスベスト疾患があれば、各疾患に対して別々の一時金の受給資格がある。

アスベスト被害者は、その疾患特有のものではない社会保障給付の受給資格があるかもしれない。
・一般障害給付
・所得損失給付
・家計調査に基づく給付
・アスベスト曝露が軍にいるときに起きた場合には戦争障害年金

イギリスの社会保障制度は非常に複雑である。
・ある給付を請求することは別のものを失うことを意味するかもしれない。
・被害者には完全な助言が与えられなければならない。
・様々な給付のすべてについて助言と支援が与えられなければならない。
・不服申立や裁判に対しても支援が与えられなければならない。

フォーラムは、諸問題を議論するために、定期的に労働年金省(DWP)の担当者と交渉を行っている。諸給付の複雑さは、下された決定の多くが間違っていたり、行政上の問題(例えば給付支払いの遅れ)を引き起こすことを意味している。DWPは、社会保障給付を担当する政府機関である。DWPは、イングランド北部の小さな町であるバロウ(Barrow)の事務所で、アスベスト被害者に対するIIDBを扱っている。この町には、大きな造船所があってこの町のたくさんの人々がアスベストに曝露したことから、数多くのアスベスト疾患被害者がいる。非常に効率的な事務所であり、そこの職員は、自らの町の経験から被害者に共感をもっている。政府はいまバロウ事務所を閉鎖しようと試みており、それに反対してキャンペーンしているところである。

●フォーラムの全国キャンペーン

これまでのフォーラムのキャンペーンについて紹介したい。
・補償を支払う責任を回避するために保険業者が行ってきた法的挑戦に反対する-様々な事例
・保険契約を追跡できない事例に対して、保険業界に支払わせるためのキャンペーン。このキャンペーンが、2014年にびまん性中皮腫支払制度の創設につながった。
・補償法を原告(主に保険業者)に有利なように改悪する政府の試みに反対する。通常被告によって支払われる費用の支払いから中皮腫被害者を除外する仕組み(LASPO例外)につながった。
・アスベスト被害者に対する社会保障給付の改善:
・2002年-中皮腫に対して自動的に100%のIIDB
・2003年-ターナー&ニューオール請求者の補償が政府の一時金によって減額されないようにした。
・2006年-アスベスト関連肺がんに対して自動的に100%のIIDB
・2008年-労働で曝露した場合だけでなく、すべての中皮腫被害者に一時金が支払われるようにした。
・よりよい治療や薬剤にアクセスできるようにするキャンペーン-例えば、2008年にアリムタ(化学療法薬)を提供するキャンペーンに成功
・安全キャンペーン、例えば「隠れた殺人者」キャンペーン、の支援
被告(通常は保険業者)は、中皮腫事例において補償を支払う責任を回避するために、裁判で数多くの主張を行ってきた。例えば、中皮腫を引き起こした正確なアスベスト曝露を証明できなければ、使用者に責任があると立証できたことにならない(フェアチャイルド事件)、複数の使用者によってアスベストに曝露させられたとしたら、各使用者は補償の一部の支払いについてだけ責任がある(バーカー事件)。このことは、アスベストに曝露させたすべての使用者を追跡することができなければ、完全な補償を受けられないことを意味している。最高裁判所はこの主張を支持したが、直近の労働党政権は、各使用者が個々に全補償に責任をもつように法律を変更した。

●訴訟と抗議、ロビー活動等の組み合わせ

キャンペイナーは、訴訟と抗議、政治家に対するロビー活動を組み合わせてきた。訴える相手をみつけられないまま亡くなったアスベスト被害者に対して補償を支払わないことによって、保険会社はおそらく10億ポンド近く節約している。被害者が訴える相手を見つけられなかった理由は、使用者がもはや事業をしていなかったり、使用者に責任保険を提供した保険会社を追跡することができないことである。また、保険会社を追跡できない理由は、故意または過失のどちらかで、彼らが記録を破棄または保存していないためである。したがって、保険業者は自らの過失/不正行為から利益を受けているのである。
フォーラムは、過失によってアスベストに曝露させられ、しかし、保険記録がもはや存在していないことを示すことのできたすべてのアスベスト被害者に対して補償を支払う、保険業者によって支払われる制度/基金が設立されるよう精力的にキャンペーンを行ってきた。びまん性中皮腫支払制度は2014年に設立された。それは、裁判所で認められる平均補償額に基づいた補償を支払う(年齢に応じた表による)。中皮腫被害者だけを対象にしたものである。私たちは、保険業者によって資金が賄われる、他のアスベスト疾患の被害者のための補償制度も求めて、キャンペーンを継続している。

フォーラム自身による訴訟事例は以下のとおり。
・2013年-被告に利するやり方で民事賠償手続を変更する政府の提案に対するフォーラムの司法レビュー(JR)。訴訟提起前に政府が提案を断念。
・2014年-中皮腫被害者についての費用支払い免除をなくす政府の提案に対するフォーラムの司法レビュー。法律が要求している適切な協議を行っていないと主張するとともに、政府と保険産業が秘密取引に至ったことの責任を問うた。高裁は私たちを支持する判決。
・2015年-アスベスト被害者が引き上げられた裁判費用を支払わなければならなかったと評価した場合に、政府一時金を資産として計上することに対するフォーラムの司法レビュー。
・2015年-LASPO例外を今後使うことができないことを意味する、(アスベスト以外の)事件にフォーラムが介入。事件は最高裁で勝訴。

最近及び現在進行中のフォーラムのキャンペーンは以下のとおり。
・100%正義キャンペーン-2014年びまん性中皮腫支払制度(DMPS)による支払いを平均補償額の70%から100%に引き上げる。
・他のアスベスト疾患被害者に対するDMPSと同様の制度のために保険業界に支払わせる進行中のキャンペーン
・原告が補償裁判で費やすことのできる合計額を限定しようというジャクソン改革に対する反対。改革がすすめられるようであればさらなる行動。
・アスベスト被害者が民事請求を起こすのに必要な、抹消された会社に関する古い文書を会社登記所が破棄するのをやめさせるキャンペーン。
・中皮腫研究のための資金を増やすための他団体と協力した進行中のキャンペーン。フォーラムは、国立中皮腫センターの運営委員会に代表を派遣している。
・アスベスト憲章[別稿で紹介したアクション・メゾテリオーマ・デー憲章のこと]
・フォーラムは、現在及び将来の被害者に役立つと思われるとともに、アスベスト企業が過去に公開したよりも多くのことをアスベストの危険性について知っていたことを示すであろう文書を獲得するために、ケープ(旧ケープ・アスベスト)が関わる訴訟に介入している[この事件でつい最近グラハムが法廷で証言を行ったとロンドンの弁護士から聞いた-その後、帰国後8月21日に流れた情報を40頁に紹介した[省略]]。

ジャクソン改革とは、民事賠償裁判で他の側から請求することのできる裁判費用の合計額を制限するという提案である。これは、使いたいだけ自由に費やすことのできる被告(主として非常に力があり裕福な保険会社)に大きな力を与え、被害者側の弁護士が裁判に勝ったとしても回収することのできない費用を費やすことを恐れることになるので、被害者を脅かすために裁判を遅らせ、長引かせることになるだろう。
7月末に報告書がまとめられて、パブリック・コンサルテーションの予定である。すでに私たちの見解は明らかにしており、一方の腕を被害者側弁護士の背にくくりつけるような措置に反対するキャンペーンを継続する。総選挙の結果がこの改革提案に影響を与えるかどうかはまだわからない。

最後に、アクション・メゾテリオーマ・デー(AMD)の目的について。
・その命を中皮腫によって奪われた人たちを追悼する。
・中皮腫及び中皮腫被害者に影響を及ぼす諸問題に対する注意を喚起する。
・中皮腫研究のために資金を調達する-2006年にAMDがはじまって以来、フォーラムの各団体は数十万ポンド集めてきた。
・イギリス各地の様々な都市で毎年7月の第1金曜日に行われる。
フォーラムは、日本からの代表団をこころから歓迎します。
※フォーラムについては、32~35頁及び40~41頁も参照されたい。

学校アスベスト・キャンペーン-ジョン・マクリーン(労組活動家)

続いてジョン・マクリーン(John MacClean)からイギリスの「学校アスベスト・キャンペーン」について、簡単に紹介された。ジョンは、ガス、ボイラー等労働者の組合からはじまり、現在は全国都市一般労働組合と翻訳されているGMB労組のOBである。

イギリスには、ジーナ・リーズのお連れ合いのマイケルがはじめた「学校アスベスト(Asbestos in sc-hool)」というキャンペーン団体がある。マイケルはしばらく前に完全リタイアしたということだが、団体としての活動は継続されている。ホームページも新しくなったが(http://www.asbestosinschools.org.uk/)、マイケル時代のホームページも維持されていて閲覧できるようになっている。

また、合同労働組合アスベスト委員会(JUAC)が2010年に設立されている(http://www.juac.org.uk/)。以下の9労働組合で構成される労働組合キャンペーン委員会である。学校大学指導者協会(ASCL)、教師講師協会(ATL)、全国校長協会(NAHT)、NASUWT、全国教員組合(NUT)、Voice、UNISON教育部門、UNITE、GMB。これらの団体は、イギリスのすべての学校・大学をアスベストの危険性から安全にすることを目的としている。JUACのすべての労働組合は、「学校アスベスト」キャンペーンのメンバーでもある。

このJUACの「初めての全国会議」が前日-7月4日にバーミンガムで開催されており(38~39頁の記事参照[省略])、ジョンも参加した。以下は彼の報告。

GMBではとくに造船や港湾労働者の仕事をし、また、全国安全衛生担当もしていた。自らの経験から、将来にかけて環境曝露による被害がひろがるのではないかと思う。他の建物もそうだが、学校建物による汚染がこれから広がるだろうと思う。
学校アスベストについては、マイケル・リーズ(Michael Lees)が15年前にはじめた。奥さんのジーナが教師で中皮腫で亡くなったことがきっかけだった。関係する労働組合全体、教師、校長、給食、清掃、用務員、すべてがそのキャンペーンに加わわった。一致団結して作業にあたっている。

学校の85%以上にまだアスベストがある状況にある。政府、中央だけでなく地方政府も、それを無視して過ごしている。しかし、議会のなかで議題のひとつにするように努力し、さらに、その優先順位を少しずつ上げている。とてもゆっくりとしてはいるが、確実にその作業は進んでいる。
教育省が学校の建物に関する責任を持っているが、アスベストに関する作業委員会を作っており、そこに私たちも加わっている。学校の先生たちに対するガイダンスも作った[2015年6月号45頁]。機能しはじめているところだが、残念ながら強制力がない。政府の関係機関にこのようなことが死亡につながる認識をしてもらうため働きかけている。
子どもは肺が発達している段階なので、そのときに曝露することで影響が大きくなる。子どもは弱い立場にあるので、守らないといけないということを訴えている。政府機関はいまとても大きなプレッシャーにさらされている。2010年に新しい政府が発足したとき、資金援助を50%カットするということがあり、経験のあるスタッフが早期退職に追い込まれた。

政府が実際に何もしないことに対する言い訳として繰り返されている呪文がある。それは、「もしアスベストが良い状態であるなら、そのままにしておけ」という呪文である。それは常識的のように聞こえるかもしれないが、教育省は学校アスベストの状況をまったく把握していないので、それを踏まえて考える必要がある。2014年に教育省が全国の学校に対して調査をしたが、その中でひとつだけやらなかったことがアスベストに関する調査だった。次の調査をこれからするようにいま調整中なのだが、2014年の調査を改正するための調査をするよう私たちから圧力をかけている。

先ほど話したガイダンスは2014年の調査に基づいているもの。その目的は学校の建物から、一番悪い状態のものから手始めにして、学校の建物からすべてアスベストを除去すること。それから、学校の責任者に対してアスベストの取り扱いの研修を行う。また、教師や職員、親、子どもたちに対して透明性をもったオープンな関係を作るというものである。また、安全衛生の担当者の方と検査を積極的に一緒に行って、アスベストがどのように管理されているか把握すること。すべての学校に対して教育省が、アスベストの範囲やどこにあるか、そのようなデータを集める。こういうことがきちんと計画され実行されると、比較的短期間のうちに実行されるのではないかと思うのだが、短期間と言っても10年単位ということになる。

昨日バーミンガムで初めて学校アスベストに関するJUAC全国会議があった。その場でマリアとアンジェラが、スペインのアンダルシアでの進展を報告をしてくれた。その話では、イギリスと同じように苦労されているが、中央政府ではなく、地方政府と一緒に学校からアスベストを廃棄しようという働きをされている。こういう会で国際的な情報の交換ができるのはとてもいいことだ。
学校アスベストのスキャンダルは過去50年以上にわたって行われているので、これをぜひ今後10年以内に終わらせないといけないと考えている。

中皮腫の診断・治療・臨床試験-ロレイン・クリーチ(中皮腫専門看護師)

順不同になるが、イギリス関係の報告を先にまとめておきたい。メゾテリオーマUKの看護師ロレイン・クリーチ(Lorraine Creech)さんは、「中皮腫:診断、治療及び臨床試験」というテーマで話した。
彼女の実際の報告のままではなく、メゾテリオーマUK関連情報を加えて紹介する(http://www.mesothelioma.uk.com/)。

●中皮腫専門看護師と他分野チーム

メゾテリオーマUKは、とりわけアスベスト関連がんである中皮腫のための、全国的な専門家によるリソースセンターである。この慈善団体は、専門家による中皮腫情報、支援と教育を提供するとともに、イギリスのすべての中皮腫患者とその介護者のためのケアと治療の改善に献身している。

この慈善団体は、必要な場面で中皮腫専門看護を確保するために、全国保健サービス(NHS)の最前線のサービスに組み込まれている。これは、地域におけるNHS病院を基盤にした中皮腫専門看護師のネットワークの成長によって実現されているが、メゾテリオーマUKの資金提供によるものである。この慈善団体は、イギリスのどこでもすべてのサービスを無料で提供するのを、完全に寄付、遺産寄贈、募金、助成金に依拠している。

私たちは、すべての中皮腫事例は、中皮腫専門家による多分野チーム(MDT)によって検討されるべきだと考えている[この体制が実際に取れている場合には、中皮腫専門看護師の果たす役割は大きく、また、被害者支援団体が関われる余地も大きくなるだろうと感じられた]。

メゾテリオーマUKは、グレンフィールドのレスター大学病院NHSトラストを本拠にしているが、中皮腫専門看護師チームを擁しており、臨床専門家で、多分野チームに対する専門情報源である2人のチームリーダーがいる。彼らは、メゾテリオーマUKの専門看護師チームの人材の獲得と保持に責任を負っている。各人は、メンターとして行動し、メゾテリオーマUK専門看護師チームに対して支援と臨床的リーダーシップを発揮し、また、新たな看護士がチームに加わるよう支援している。チームリーダーは、イングランド北部とスコットランドを担当するロレーン・クリーチさんと、イングランド南部とウェールズを担当するアン・モイランさんである。

現在、以下の地域に中皮腫専門看護師がいる。
・レスター-2人(看護師コンサルタント)
・ポーツマス-1人(チームリーダー)
・マンチェスター-2人(チームリーダー)
・シェフィールド、ニューキャッスル、オクスフォード、グラスゴー、ウェールズ、ヨークシャー、プリマス、ケンブリッジ-各1人

●中皮腫に関する留意点

彼らが、各地のアスベスト被害者支援団体と日常的に連携しているし、各地のアクション・メゾテリオーマ・デーにも参加している。

ロレーンは、報告の「結論」を以下のようにまとめている。
・中皮腫はほとんどが致死的
・生存中央値は現在4~18か月
・トライアル(治験)を奨励している。
・相対的に長く生存している患者もいるし、慢性疾患の場合と同じ管理を行っている患者もいる。
・治癒を近い将来期待できる(on the horizon)という者もいる。

慎重な表現ではあるが、期待を与えてくれるものである。他に彼女が報告してくれた内容をいくつか紹介しておく。
中皮腫は、身体的には、症状が進展するので、定期的(再)評価が必要である。
・呼吸機能の制限
・胸水の貯留
・肺の圧縮や浸潤
これらが、痛み、息切れ、咳、嚥下困難、食欲減退、体重減少や脱力につながる…

感情的及び精神的には
・診断の影響
・恐れと不確実性/治療/将来
・予後の悪さへの適応
・怒りと非難
・自制心の損失
・恨み、引き込もリや孤立
・忌避や否認
・検視の要求
・精神的ニーズ

中皮腫の予後決定因子としては、疾病のステージ-全身状態が重要であるが、これは年齢にはまったく関係ない。年齢よりも現実の全身状態のほうがより強力な予後決定因子だとして、高齢の女性が立って垂直に開脚している写真を示した。

●イギリスにおける治療と治験

イギリスでの標準的な治療は化学療法で、2003年以降は、アリムタとシスプラチンまたはカーボプラチンが主流。病気の進展に応じて変えていく。治験-Vim Trial 2nd line、また、経口化学療法VS最善の対症療法という議論についてもふれた。

イギリスでは、効果を示さなかった2回のランダム対照照射後のルーチンな予防介入的局所照射は下降しているという事実から、放射線治療の利用は減少してきている。悪性胸膜中皮腫における高線量苦痛緩和放射線療法の役割が最近注目されていることから、積極的症状管理のための苦痛緩和放射線療法は増えているかもしれない。痛みの管理のために、2週間以上標準的な線量と相対的に高い36Gy照射した場合を比較する治験が行われている。

メゾテリオーマUKは、様々な治験を紹介するとともに、協力・促進している。年4回発行しているニューズレター(郵送2,500+電子的配信3,500)には、利用可能かもしれない治験の最新情報の一覧表を含めている。

イギリスでは大きな手術は最近はしなくなっているが、MARS 2という胸膜切除術に関する治験が行われている。最近はじまっている免疫療法のいくつかの治験についても紹介しながら、副作用にも注意する必要があると指摘した。また、対症療法、緩和ケアの重要性もあらためて指摘した
現在中皮腫患者1人当たり医療費は75,000ポンドで上昇傾向にあり、年間総費用は1億8,500万ポンドを超えている。2050年までに総費用は50億ポンドを超えそうだと予測されているという。

イギリスにおける被害者の補償-パトリック・ウオルシュ(弁護士)

イギリスからの報告の最後は、スレーター&ゴードン法律事務所の弁護士で、1957年からアスベスト事件に取り組んでいるというパトリック・ウオルシュ(Patrick Walsh)から「イギリスにおける被害者の補償」について。彼の用意してくれた資料が要領よくまとめられているので、それを紹介する。

●イギリスの補償制度-3種類の補償が可能

・政府の給付制度
・裁判による補償請求
・フェデラル・モーグル(Fedeal Mogul)/ターナー&ニューオール(Turner & Newall)等の制度

●補償が支払われる得るアスベスト疾患

・石綿肺
・アスベスト関連胸膜肥厚
・アスベスト関連肺がん
・中皮腫
胸膜プラークは、1984~2007年の間はイギリスの裁判所で補償が認められる病気だった。2007年にイングランドとウェールズで胸膜プラークに対する補償を終わらせる最高裁の決定。スコットランドと北アイルランドではいまも胸膜プラークについて裁判により請求することができる。

●政府からの給付

・これについては、グラハム報告で扱われているのでふれない。
・一定の給付は、裁判による補償請求に成功した場合には、政府に払い戻さなければならない。

●裁判による補償請求

アスベスト関連疾患訴訟
・石綿肺、アスベスト関連肺がん、アスベスト関連胸膜肥厚及び中皮腫について、裁判に請求することができる。
・圧倒的多数は使用者に対するものである。
・環境事例はきわめて少ない。
・ほとんどの事例が製造物責任に基づくアメリカとは違って、製造物責任訴訟はきわめてまれ。

労災訴訟対環境訴訟
・使用者に対するアスベスト関連疾患訴訟をの大多数は被用者によって起こされている。
・夫/妻または他の家族の一員の仕事着/作業服への接触により中皮腫に罹患した者については毎年少数の訴訟
・アスベスト工場の近くに居住または働いたことによるアスベスト曝露から中皮腫に罹患した個人についてはさらに少ない訴訟-きわめてまれ。
・被用者訴訟には使用者の資産の追跡または使用者の責任保険者の追跡が必要になる。
・イギリス法では使用者事件における正しい保険者とはアスベスト粉じんへの曝露が起きた時点で付保していた保険者-使用者責任追跡事務所経由で追跡することができる。
・環境訴訟では正しい被告はアスベスト粉じんへの曝露を引き起こした組織または一般賠償責任保険(public liability insurers)。
・曝露者がもはや事業をしていない場合には、使用者責任追跡事務所に相当するものがないことから、一般賠償責任保険者を追跡することはほとんど不可能。
・保険者をみつけられたとしても、誰が正しい製造物責任保険者であるかについても、法は不明瞭-ある上訴事件は疾患は症状を引き起こす前10年間をカバーした製造物責任保険者であるとするが、別の事件では疾患は症状を引き起こす前5年間をカバーした製造物責任保険者としている-ひとつの法的地雷原。
・保険者をめぐるこうした困難性から、環境訴訟は資産のある現存企業または支払能力のある政府部署に対してのみ起こすのが合理的。
・過去の環境訴訟の多くはターナー&ニューオールとその関連企業に対するもの。
・ターナー&ニューオールが「アメリカ連邦破産法第11章[チャプター・イレブン]」による破産手続のためにアスベスト疾患についての訴訟手続を免除されたことから、環境曝露訴訟を彼らに対して起こすことはできなくなった。

過失に基づく制度
・原告は、被告が曝露が起きた時点で現在の基準でアスベスト粉じん曝露が危険であることを知っていた、または、アスベスト粉じん曝露が当時施行されていた規則に違反するものであったことを立証しなければならない。
・通常は、当時アスベストの危険性について知られていたこと、または、当時施行されていた規則によって禁止されていたことを示す、労働衛生専門家による専門意見によって証明される。

「因果関係」の立証
・その後原告は、被告による曝露が疾患の発症を引き起こしたか、または、寄与したことを証明しなければならない。
・通常は、医学的証拠によって証明されるが、いくつかの疾患については、労働衛生専門家及び/または疫学者による専門意見も求められる。
・中皮腫及びアスベスト関連肺がん事例における因果関係の立証はイギリスで非常に議論を引き起こす問題になっている。

中皮腫の因果関係-「フェアチャイルド事件」
・2001年に被告である保険者は、複数の使用者がいた場合に、原告は発がんプロセスの引き金を引いた「致命的繊維」を提供したのが使用者AかBかを証明できないという主張を展開した。
・誰が「致命的繊維」を提供したか証明できなければ、AまたはBのどちらに責任があるかを立証できず、結果的に訴訟は失敗する。
・この主張は、フェアチャイルド事件において高裁と控訴院で成功した。
・この事件は、貴族院に上訴された。
・法律貴族らは、下級裁判所の決定を覆した。
・彼らは、致命的繊維がAまたはBによって生産されたことを立証できず、しかし、AとBの双方が過失により原告をアスベスト粉じんに曝露させた場合、原告が中皮腫に罹患する「リスク」に各々が実質的に寄与していれば、AとBの双方に責任があるとした。
・これは、因果関係の標準的なルールに対する例外であり、中皮腫訴訟またはきわめて事実関係の似た事件に限定されている。

バーカー事件-割り当て
・2005年に保険者は、フェアチャイルド型の事件において、「リスク」に実質的に寄与した各使用者は、彼らが生み出したリスクの割合に対してのみ支払う義務を負うという主張を展開した。
・例えば、使用者がアスベスト量の50%について責任があった場合には、彼は補償の50%についてのみ支払わなければならないとすべきである。
・貴族院は、この主張に同意した。
・保険者の勝利は長続きしなかった-貴族院の決定はほとんど即座に、議会の法律によって覆された。

2006年補償法第3節
・中皮腫事例における「バーカー」割り当てルールを覆した。
・中皮腫に罹患するリスクに実質的に寄与した各使用者(または保険者)は、当該原告の事例の全額を支払う責任がある。
・これは、原告をアスベスト粉じんに曝露させた可能性のある何人かの被告がいる場合にもあてはまる。
・現実的観点から、これは原告はすべての被告及び保険者を追跡及び提訴しなくてもよいということを意味する-原告は最善のひとりを選んで、彼らから補償全部を回収することができる。
・これによって、他の被告の寄与をめぐって被告が様々な主張をすることがなくなったわけではない。
・この「割り当てなし」ルールは、中皮腫訴訟を提起するプロセスを速めている。

肺がん訴訟-ヘネガン
・アスベスト関連肺がん訴訟で勝利するためには、同疾患を罹患するリスクを2倍以上にするアスベスト粉じんの総量を立証する必要がある。
・アスベスト粉じん曝露の源が単一(すなわち一人の罪を犯した使用者)の場合、彼らはすべての損害を賠償する責任がある。
・複数の使用者が存在する場合、ヘネガン事件において控訴院は、因果関係の「フェアチャイルド」ルールが適用されると決定した。
・疾患のリスクに寄与した各使用者に責任がある
・バーカーの割り当てルールも適用される。
・これは、2006年補償法第3節が中皮腫にしか適用されないためである
・これは、損害全体を回復するためには各使用者及びすべての期間の保険者が追跡されなければならないことを意味する。
・これが可能なのはまれであることから、肺がん訴訟の被害者は、補償の一部しか回復できないことが多いことを意味している。
・アスベスト関連肺がんを含めるように、政府は2006年補償法第3節を改正する必要がある。

補償額の計算
・過失及び因果関係が証明されたことを踏まえて裁判所は補償額を決定する。
・補償は身体疾患-法律家には苦痛及びアメニティ喪失として知られる-に対して支払われる。
・補償は、病気の結果として必要な現金支出、稼得能力の損失、介護、病気のために必要な機器、期待余命減少の結果としての収入の損失、病気のためにもはやすることのできない園芸など家事を行う労働力を費用に対して支払われる。
・民間医療ケアの費用も請求することができる。

訴訟進行中の被害者の死亡
・誰かが当該疾患のために死亡した場合は、家族が訴訟を継続することができる。

暫定損害
・石綿肺、アスベスト関連胸膜肥厚、アスべスト関連肺がんの場合、当該疾患が悪化した場合、または、後に中皮腫を発症した場合に、追加補償について回復させる裁判所の命令を獲得することができる。

損害の裁定
典型的な裁定額は以下のとおり。
・中皮腫-10万~40万ポンド
・アスベスト関連肺がん-8万~30万ポンド
・石綿肺-4万~15万ポンド
・胸膜肥厚-2万~10万ポンド
これらは最大裁定額ではない-数百万ポンド裁定した事例もある(例えば、中皮腫訴訟で将来の稼得が著しく失われた場合など)。

割り当て
・中皮腫を除くすべての疾患は、疾患を引き起こした使用者の間で割り当てられる。
・各使用者の各保険者は彼らが付保した期間に対してだけ支払う。
・これは、肺がん、石綿肺及び胸膜肥厚の被害者は、すべての使用者を追跡することができなかった場合には、補償の一部のみしか得られないこと意味している。

中皮腫
・疾患を引き起こすのに寄与した各使用者は、補償全部を支払う責任がある。
・使用者が事業をしていない場合には、追跡されたいずれかの保険者が、補償全部を支払う責任がある。

保険者の追跡
・使用者が事業をしていない場合、保険者を追跡することを条件に、裁判による請求をすすめることができる。
・操業していない企業の保険者をみつけだす責任をもった使用者責任追跡事務所(ELTO)と呼ばれる機関がある。
・いくらかの保険付保の追跡に成功することは多いが、すべての関係する保険者を追跡できることはまれである。

びまん性中皮腫支払制度
・中皮腫事例についてのみ、ELTOその他の手段によっていかなる保険者も追跡できない場合に補償を支払う政府の制度が存在している。
・過失に基づく制度-原告は定量化するために操業していない/追跡できない使用者の部分に関する過失を立証しなければならない。
・診断時の原告の年齢に基づく定額の補償額表
・補償額表は診断時年齢における中皮腫患者に対する、裁判所の補償裁定額の平均で設定されている。
・支払に含められる定額の最大訴訟費用

イングランドとウェールズにおける訴訟手続
・ロンドン高等法院における中皮腫・アスベスト疾患専門法廷
・専門裁判官が事件を扱う。
・訴訟手続開始から6~12か月以内の終結を目標にしている。
・事件を解決するもっとも効果的な方法は、事件をこの法廷に持ち込むことである。

訴訟提起の期限
・標準的な期限は、傷害または診断の日から3年-いずれか遅い方
・患者が診断から3年以内に死亡した場合、彼/彼女の家族は、裁判請求を開始するのにさらに死亡の日から3年を有する。
・裁判所は適当と考える場合には、標準的な3年の期限を無効にする権限をもつ。
・裁判所が期限を無効にする権限を行使するのはまれであり、裁判所に請求を遅く始めるのを認めさせるためには、とりわけ優れた理由が与えられなければならない。

最近の訴訟の論争点
保険者は果敢に訴訟に対抗しており、最近は彼らに対して起こされた訴訟を負かすのに大いに成功している。最近の論争点は以下のとおりである。
中皮腫事例
・低曝露事例-保険者は1970年5月から1984年あたりまでは「許容」アスベスト曝露量があったと主張する、最近の控訴院の事例に依拠している。被用者がこの閾値よりも低いアスベスト粉じんに曝露した場合には、使用者には過失がない。
・裁判所が量は「許容」閾値未満であったと結論づけた場合、多くの事例が最近負けている。
・保険者はいまこの主張を拡張しようと試みており、このアプローチを1960年以前から適用すると言っている。
・原告側弁護士と労働衛生専門家は、裁判所は規則や手引きを誤解しており、「許容」レベルは存在しなかったと主張している。
・控訴院または最高裁がこのルールを覆すまで、この点で負ける事例が続くだろう。
肺がん事例
・保険者は最近、裁判所に割り当てを肺がん事例に適用すべきであることを説得した。
・とりわけ多くの肺がん事例がその結果において中皮腫事例と同様であり、まったく同じやり方で扱われるべきであることから、これは不公平である。
・最近保険者は、肺がん被害者が喫煙者である場合、喫煙ががんを引き起こすのに一役買っているという事実を反映させるために、補償から相当の控除がなされるべきであると主張している。

●補償制度

ターナー&ニューオール制度
・ターナー&ニューオールとその子会社の被用者は、裁判を通じて請求を起こすという選択肢をもはやもっていない。
・補償を支払うための裁判所の承認を受けた基金がある。
・請求様式を基金に提出し、基金が特定の個人が支払いの資格があるかどうかを判定する。
・支払は通常、裁判により請求が成功した場合よりも低い。

US[アメリカ合衆国の]トラスト
・被害者がアメリカのアスベスト製品を使用したことに基づいてアスベスト関連疾患被害者に支払いをするために設計された、様々なUS信託基金がある。
・これらの制度は現在一般的に、アメリカ以外の原告には支払おうとしていない。

退役軍人制度
・1987年より前に軍役中の曝露の結果として中皮腫に罹患した個人は、補償のために政府を裁判に訴えることができない。
・2016年まで中皮腫に罹患した退役軍人は、いくらかの戦争年金に請求することができたが、一時金支払いの資格はなかった。
・2016年に政府は、中皮腫に罹患した退役軍人が14万ポンドの定額の一時金かまたは年金のどちらかを選ぶことができるようにした。
・被害者が両方を得ることはできず、選択しなければならない。
・これは。中皮腫についてのみ適用され、肺がん、石綿肺及び胸膜肥厚の原告は、年金をもらえるだけである。

被害者団体の国際交流-国際連帯メッセージ

全体学習会には、フランス、ベルギー、スペイン、イタリア、オーストラリアからも参加があり、各国代表からも報告が行われ、国際交流会でもあった。

フランスのアスベスト被害者擁護全国会(ANDEVA)からは、新しい会長ジャック・フォージュロン(Jacques Faugeron)とカメラ担当で機関紙担当でもあるらしいパトリス・ラヴノー(Patrice Raveneau)が参加。二人は「英語は苦手だ」と言いながら、日本代表団や他国の参加者とも積極的にコミュニケーションを図ってくれた。ANDEVAは1996年に設立され、40の地方組織と18,000人の会員を擁する、世界最大のアスベスト被害者団体である。毎年10月中頃金曜にパリに全国から代表が集結してデモンストレーションを行っているということで、次はそこに日本代表団を派遣するよう強く勧められた。

ベルギー・アスベスト被害者協会(ABEVA)からエリック・ヨンケア(Eric Jonckhere)が参加。彼の母親フランソワーズの中皮腫死亡に対するエタニット社を相手取った、ベルギー初のアスベスト訴訟が3月28日に勝訴したが、6月20日に被告が上告を断念して、高裁判決が確定したという最新報告を披露した[2017年5月号参照]。エリックは、この日の会議のためだけにイギリスにやってきた。

スペインからは、アスベスト被害者団体を支援している弁護士の協同組合Collectiu RONDAの女性弁護士2人と協力しているジャーナリストの男性1人が参加。イタリアのアスベスト被害者家族協会(AFeVA)のメンバーであり、現在はスペインを本拠に映像ジャーナリストとして活躍しているアレッサンドロ・プーニョ(Alessandro Pugno)も同行して英語通訳を務めた。報告ではバルセロナ近郊のセルダニューラのウラリタ(Uralita=旧エタニット)社の被害者の2012年に最高裁で勝訴するに至る長期の闘いが紹介された。

フランスとスペイン、イタリアの参加者は、3月28日のベルギー高裁判決支援にも参加していて、7月5日マンチェスターでの日英学習会の話を聞き、前4日バーミンガムでのJUAC学校アスベスト会議と合わせて参加することにしてイギリスにやってきた。

さらに、ウエスターン・オーストラリアのアスベスト疾患協会(ADSA)の顧問役のグレッグ・デリュール(Greg Deleuil)医師も加わった。彼は、ウイットヌームのクロシドライト(青石綿)鉱山のもたらした、いまなお続く負の遺産と被害者団体の取り組みを、印象深い写真を示しながら紹介してくれた。しかし、筆者の知る限り、オーストラリアには8つの被害者団体があって、全国ネットワークも形成されていることになっているのだが、残念ながら後者はうまく機能しているとは言えない状況のようである。

いずれにせよ、マンチェスターで思わぬ被害者団体のミニ国際交流集会が実現したわけで、24頁に紹介した「アクション・メゾテリオーマ・デーに向けた国際連帯メッセージ」を発表した(日本のロゴを求められて、この間アジアで無断で借用させていただいている韓国の友人のデザインを借用させていただいた)。
20人の日本代表団の存在は、イギリス以外の国の代表にも大きな印象を与えたことは間違いない。

TBAアスベスト工場跡地を訪問-地元の人々の努力に国際連帯

盛りだくさんの内容で会議の終了が遅れたため、予定していた電車ではなく急きょタクシーに分乗して、海外ゲストらは、ロッチデールのアスベスト工場跡地を訪問した。ジェイソン・アディらに、現地でさらに詳しい説明も受けた。

翌7月6日付けの「ロッチデール・オンライン」は、「世界の専門家・キャンペイナーらがスポドン渓谷のアスベスト地帯を訪問」と写真付きで報じた。

「グレーター・マンチェスター・アスベスト被害者支援グループ(GMAVSG)が開催した会議で、国内及び世界のアスベスト問題が議論された。日本、オーストラリア、フランス、イタリア、スペイン、ベルギーから国際的専門家らが参加した。
ロッチデールの住人ビビアン・スウェインが、アスベスト曝露によって引き起こされるまれで侵襲的ながんである中皮腫に罹患した彼女の体験談で会議を開会した。スポドン渓谷のキャンペイナー・ジェイソン・アディは、環境アスベスト曝露に関する発表を行った。彼はまた、ターナー・ブラザーズ・アスベスト社の現場の歴史的概観とその汚染の遺産について説明した。このイベントは、海外参加者による、スポドン渓谷の議論の的である打ち捨てられたアスベスト工場現場の訪問によって最後を飾った。
アディは、会議の成功についてコメントした。『マンチェスターの会議でビビアンに会えて、彼女のがんの旅の個人的経験を聞けたのは光栄だった。中皮腫は残酷な疾病で、唯一知られている原因はアスベスト曝露である。ビビアンの話は、ロッチデールの未来の世代を環境中のアスベストの脅威から守ることの重要性をあらためて教えてくれた。過去の製品、企業が行った決定、廃棄物投棄の歴史と遺産が忘れられることがあってはならない。利益よりも人々を大事にしなければならない』。
会議の主催者であるGMASVGのグラハム・ドリングは、この訪問について語った。『海外ゲストは自らの目でターナー・ブラザーズ・アスベスト社の現場を見ることを希望した。彼らにとってこれは、アスベスト産業、死と致命的鉱物を促進する問題の多い手口がはじまった『グラウンド・ゼロ』である。この場所は真に国際的重要性がある。世界中のアスベスト疾患キャンペイナーと専門家らは、13年間にわたりスポドン渓谷を救えキャンペーンを注目している。過去の悲劇を将来繰り返さないことが重要だ。アスベストへの環境曝露は大きな関心事である。だから、今回のスポドン渓谷訪問は、ターナー・ブラザーズ・アスベスト社工場跡地が最高の敬意を払って対処されるようにするための、ロッチデールの人々に対する国際連帯を示すものである』」。

日本以外の海外参加者は全員翌日帰国する予定であり、7月5日はマンチェスターに戻ってから、再び遅い夕食を一緒にとった。

AMDに参加する5都市に移動-地元団体が歓迎夕食会

日本代表団を7月6日を「移動日」に当てた。20人が各4人×5グループに分かれ、5都市=マンチェスター、リバプール、バーミンガム、ダービー、シェフィールドで現地の被害者支援団体が開催するアクション・メソテリオーマ・デー(AMD)のイベントに参加するのである。

筆者は、尼崎支部の3人-平田忠男副会長と平地千鶴子、飯田浩さんと一緒にマンチェスター残留組だったが、移動組もいずれもマンチェスターから電車で40分~1時間半程度で着くので、移動のための電車の時間まで各々マンチェスター観光・ショッピング等も楽しむことができたと思う。
筆者はホテルに残って、グラハムに手配を頼んでいた電車のチケットが届くのを待ち、全体学習会の残務処理等もすませた。イギリス側は独自に、英語と日本語で「アスベスト被害者に正義を!」と書かれたバナーを10数枚作成してくれていた。
別に日本側も15枚ほどバナーを用意して持ってきていた。これは、2006年の患者と家族の会結成10周年集会で撮った集合写真を使ったもの。5都市の主催者団体だけでなく、道中お世話になった団体・個人に渡そうというものだった。また、尼崎支部と関西支部が中心になって、500羽の千羽鶴を5セット用意していただいた。各グループは、これらの「お土産」も携えて各地に散っていくことになった。

電車のチケットを配布して皆を見送り、手持ち無沙汰になってからはたと思いついた。尼崎支部の3人が独自に行動できることを確認してから(彼らも昼間リバプール観光を堪能してきたようだ)、「いまからでも間に合う」と、リバプールでの歓迎夕食会にお邪魔させてもらうことにした。同地のマージーサイド・アスベスト被害者支援グループ(MAVSG)のジョン・フラナガン(John Franagan)は、2004年世界アスベスト東京会議や2006年タイ・バンコクでのアジア・アスベスト会議に参加していて「古い仲」であり、顔だけでも出しておこうと思ったのである。おかげさまで楽しいひと時を過ごさせていただいたが、またもビールがやや進みすぎ、リバプール・ライムストリート駅で最終電車まで1時間以上待たされ、マンチェスターのホテルにたどり着いたのは午前1時過ぎだった。

マンチェスター以外の各地では、地元団体が各々に歓迎夕食会を用意して出迎えてくれた。

屋外セレモニーと屋内集会-マンチェスターAMD ①

7月7日はアクション・メソテリオーマ・デー(AMD)当日。筆者が参加したマンチェスターでの取り組みを報告する。

マンチェスターでのAMDは二部構成。第一部は12:30から1時間公園(サックビルガーデン、30頁の写真参照)でのセレモニー、第二部は屋内に会場を移しての集会であった。

第一部は、グレーター・マンチェスター・アスベスト被害者支援グループ(GMAVSG)理事長の女性の司会で、5日と同じくビビアン・スウェインさんが自らの体験を話すことからはじまった。その後、(グレーターマンチェスター全体ではなくその中の小さい行政単位の)市長や地元出身の国会議員らがあいさつ。地元の男性と平田忠男副会長のふたりが代表して籠の蓋を開けて、6羽の鳩を空に放った。
200名を超す参加者だったろうか。多くがアスベスト被害者の遺影を掲げていた。かなりの方が第二部にも参加したように思えた。中皮腫で闘病中の方も数人いたとのことである。

日本代表のスピーチ-マンチェスターAMD ②

第二部の会場は、機械研究所(Mechanics Institute)というところで、1階入ってすぐのところに「労働組合会議(TUC)生誕の地-最初の会合が開かれた場所」であることが大きく表示されていた。

まず、日本からの参加者を代表して平地千鶴子さんが以下のような発言をして、日本からの「お土産」として千羽鶴を紹介して手渡した。この日もGMAVSGが独自に日本語通訳を手配してくれていて、平地さんの発言も英語訳を配布してくれていた。通訳のビネガー由紀さんは、ふだんは看護師として働いているが、今回の内容は自分のためにもなったと言ってくれて、よくしていただいた。
「皆さんこんにちは。私たちは日本の兵庫県尼崎から来ました。中皮腫・アスベスト疾患、患者と家族の会のメンバーです。まず当会副会長と支部世話人を兼務する平田忠男、支部世話人の平地千鶴子、尼崎支部事務局長の飯田浩、そして相談役の古谷杉郎です。どうぞよろしくお願いいたします。
皆さん、クボタショックをご存じですか? 2005年6月のこと、原因不明で中皮腫になった3人の患者さんたちの勇気ある行動で、アスベスト被害の実態が世間に知られることになったのです。
尼崎にあるクボタという会社が、1954年から約20年にわたり青石綿とセメントを混ぜて水道管を作っていました。その製造過程で飛散したアスベストを吸いこんで会社で働く人はもちろん、周辺に住んでいた地域の人々にもたくさんの被害が出ました。
大きな公害、社会問題となったアスベスト被害に日本中が震え上がりました。年々被害者の数は増えて、クボタの周辺だけでも今年で300名を超える人々が亡くなっています。
尼崎支部は、そのクボタショックが起きた年の10月に設立されました。年末には患者からの訴えに当時のクボタの社長から謝罪がありました。翌年2006年にはクボタを相手に『命の重みを補償に置き換える交渉』を重ねることとなりました。
石綿健康被害救済新法が同年3月に施行され、その翌月にはクボタ交渉の合意内容も発表されました。大変な思いで闘病している患者さんやその家族の気持ちが一区切りついたことをよく覚えています。
その後、クボタショックをけっして風化させない、世間に忘れさせないため、そしてアスベスト被害の根絶を目指した集会を毎年6月に開催してきました。つい先月、12年目の集会が尼崎にて開かれました。
でも問題は、クボタのアスベスト被害だけではありません。22年前には阪神大震災、6年前にも東北地方で東日本大震災が起こりました。地震大国の日本では、震災で倒壊した建物に使われていたアスベスト飛散の問題、また、これからますます増えていくビル解体現場からのアスベスト飛散への対策も大きな問題になっています。自治体の危機意識も薄くて、廃棄物の置き場やアスベスト防じんマスクの備蓄等、対応の遅れも目立ちます。公営住宅の天井などの建材にアスベストが使われていて、その初めての被害者が出るなどショッキングな報道もあります。
アスベスト被害は、わが国だけでなく、世界中の問題になっています。今回イギリスでの『アクション・メゾテリオーマ・デー』への参加は、私たちにとって新しい発見や知らないことを学ぶ機会になることと思います。しばらくの間ですが、皆さんどうかよろしくお願いいたします。」

GMASVGからの報告-マンチェスターAMD ③

続いてMAVSGスタッフのジェフ・イーマン(Jeff Eaman)から、「ターナー&ニューオールとイギリスのアスベスト産業-簡単な歴史」と題した報告。ちなみに、MAVSGはグラハム、ジェフともうひとり30代男性のパートタイムの3人で、年間約350件の相談に原則自宅訪問で対応しているという。以下、簡単な要約を紹介する。

1880年代にサミュエル・ターナーが、ロッチデール郊外スポドン渓谷にアスベスト紡織工場を建設した。ターナー兄弟は巨大なアスベスト・メーカーを築いた。1920年代後半までにはイギリス中に14拠点、5,000人の労働者を雇用するようになった。1970年までにはイギリスのトップ100社に入り、国内で25,500人、世界中に37,000人の労働者を擁した。

一方で、1920年代以降、アスベスト関連疾患とそれによる死亡者は増えていった。しかし、潜伏期間が長いことが会社に議論の余地を与えた。このような病気は、たばこや食事、不健康な生活によってかかると。研究が示してきたように、会社は利益を優先し、彼らの持つ権力でできることはすべてやった。
イギリスでも、アスベスト使用に対する様々な規制は1960年代から増えていったとはいうものの、1999年まで使用禁止にはならなかった。T&Nは工場の生産ラインをストップするのを拒み続け、とうとう2001年に巨額な補償金額のために閉鎖を余儀なくされた。

この歴史から何を学ぶことができるか。私は3つ提案したい。
・被害はすでに起きてしまっており、増え続けている。被害者やその家族の方々をサポートし続けること。彼らの権利と利益を守り、私たちにできることは可能な限りすること。
・この悲劇は繰り返してはならない。次の世代のためにも、私たちは憤りや怒りを持ち続け、アスベスト曝露の危険性に対する注意を喚起していくこと。職場や他の場所での安全衛生の定義を擁護する。規制や法律順守を重荷とか発展の妨げとなると議論する人たちに立ち向かい、人々の健康を企業の利益よりも優先させること。
・中皮腫その他のアスベスト関連疾患の一層の研究のためにキャンペーンやサポートを強化していくこと。そこに被害者・家族は希望を寄せている。

国立中皮腫研究センターの報告-マンチェスターAMD ④

次の-今年のメインスピーカーは、国立中皮腫研究センター(NMRC)(諮問委員会)委員長のアンソニー・ニューマン-テイラー教授。1977~2010年ロイヤル・ブロンプトン・ヘアフィールドNHSトラストの顧問医で副理事長、2010~2012年インペリアル・カレッジの医学部長を務めた。現在、安全衛生庁(HSE)労働衛生専門委員会委員長、軍人補償制度の独立医学専門家委員会委員長、コルト財団委員長、レイヌ財団委員長を務めている。

2016年にイギリス政府は、NMRC設立のために500万ポンド支出し、関係者から画期的なことと歓迎されたのだが、その委員長が被害者支援団体の集まりでまとまった報告を行うのはこれが初めてのことで、大きな目玉ゲストであったようだ。

同センターは、インペリアル・カレッジ、がん研究所、ロイヤル・マースデン及びロイヤル・ブロンプトン両病院の共同作業で、国内外の中皮腫研究機関とネットワークを形成していく、としている。国内では、①研究、②バイオバンキング、③臨床試験(治験)について、統合ネットワークが動きはじめている等と紹介された。

報告の詳しい内容は省略させていただくが、発表資料(PPT)はいただいているので、ご希望があれば提供可能である。
とりわけ最新の治療法や治験への参加等について、被害者・家族ご本人らから多くの質問が出されたが、教授は丁寧に応答していたように思われる。

第二部は、行事案内では13~14時とされていたが、13時半頃から16時頃までかかったのではないかと思う。
打ち上げはやはりパブで、通訳のビネガー由紀さんも参加してくれて盛り上がった。
GNAVSGの専従スタッフ3人は男性だが、理事長以下パブに残った主力は女性たちで、力強さが印象に残る。セレモニーで司会も務めた理事長は、元警察官だとのことだった。

マンチェスターに戻り帰国へ-中華街での総括夕食とゲイ・ビレッジ

7月8日も「移動日」で、各地に散ったメンバーは一緒に夕食をとれるように再びマンチェスターに戻ってきた。
マンチェスター残留組の4人は、平田副会長のたつての希望でロンドン一日観光。マンチェスターから特急電車で2時間強で行けるとはいえ、夕食までに戻ることを考えればかなり「無茶」だと助言はしたものの、バッキンガム宮殿、ビッグベン、国会議事堂、ロンドン・アイを観て、大英博物館に正味1時間ほどの滞在。それでも喜んではいただけたようだ。

この日は、イギリス側にはもう放っておいてくれてよいので休んでほしいと言って、日本代表団だけで中華街で「最後の晩餐」。
各グループの2泊3日の旅の報告と全体を通じての感想などをお互いに紹介してもらって、簡単な総括会議ともなった、最後の夕食である。
翌9日は、早い組はマンチェスター空港06:50発で、各々帰国の途等に着くのでお開きとしたが、余談をひとつ。実はこの日ロンドンでは、午後からプライド・パレードが行われ、多くの参加者があったようだ(https://prideinlondon.org/)。マンチェスターにも、ホテルそしてAMD会場近くにゲイ・ビレッジという名前のストリートがあり、一部有志は最後の晩にここに繰り出した。時間がたつほどに人が集まり、2千人くらいはいたのではないだろうか。「年に一回の盛大なお祭り」だった。一部の者はあらためてこれに合流しながら別れを惜しんだ?のだった。

イギリス訪問団の記録を作成予定-5都市AMD報告・感想含めて

代表団の記録をまとめる予定である。リバプール、バーミンガム、ダービー(宿泊はチェスターフィールド)、シェフィールドに移動した4組の7月6日現地での歓迎会、7日アクション・メゾテリオーマ・デー行動、8日マンチェスターに戻ってくるまでの間の報告と参加した全員の感想文も収録される。出来上がるのをぜひ楽しみにしていただきたい。

安全センター情報2017年10月号

※アスベスと被害者の全国連携に学ぶ-マンチェスターでの日英+国際交流会と5都市でのアクション・メゾテリオーマ・デー(AMD)イベントに参加(2017年)【本稿】
※イギリスのアスベスト被害者支援団体とアクション・メゾテリオーマ憲章(2017年)
※イギリスの石綿被害と補償・救済のアプローチ-中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会イギリス訪問団参考資料(2017年)
※中皮腫のジェンダー経験調査(GEMS)/イギリス:メゾテリオーマUK(2020.11)