毎日新聞社大阪本社 労災隠し取材班/(2004.11.15)web版

労災隠しをなくすために

労災隠しは、さまざまな関係者をすり抜けるようにしてまかり通っている。関係者は、被災者本人、職場の責任者、同僚、医師、看護師、そして社会保険事務所職員(健康保険担当者)や労働基準監督署職員などがいる。

私たちの取材を通して分かったことは、それぞれの立場の人が「これは労災隠しではないか」と、うすうす感じながらも、それを無視したり軽く見てしまうケースが多いことだ。
そうした過ちが起こらないようにするには、「労災は労基署に申告する」という当然のことを当然と受け止め、第3者からもチェックできるように情報公開を進めることが大切だと言える。

●広島県医師会では労災請求書を全ての指定病院に

労災隠しについて取材した広島県の医師会の取り組みを紹介する(89ページ記事)。
労災保険の補償給付請求書は原則として労働基準監督署にあるが、広島県の場合は医師会が送付し、県内すべての労災指定病院に置いてある。被災者が労働基準監督署に行くまでもなく、自分の企業に問い合わせるまでもなく、申請できるようにした。これですべてうまくいくわけではないが、労災隠しを少しでも排除しようという取り組みだ。
取材をしていて、「事故ゼロ記録」とかその表彰という制度があるため、労災隠しが起こる面があるという印象を強く持った。労災隠しをする人たちは、「労災になると大変な目にあう。監督官が来て洗いざらい、まったく関係ないことまで調べていく」というようなことも言っていた。労災を隠した時の「被害」と正直に申請した時の「被害」を天秤にかけるということだ。その天秤で、正直に申請した方が損をするというような判断をしている。だから、その判断がひっくり返るようにならないといけない。そのためには、正直に労災を届けたところにあまりにも厳しいことをするのは問題がある。もちろん、再発防止のためには必要な措置をしなければいけないが、必要以上に厳しく取り締まるようなことがあると、それが労災隠しの背景の1つになるかも知れないと思わざるをえない。

●アスベスト、じん肺も労災全体の問題の中で重視したい

記者の1人が労災隠し問題に関わりはじめたきっかけは、アスベストとじん肺肺がん(じん肺に併発する肺がん)の問題だった。

アスベストに関してはヨーロッパでは全面禁止に踏み切ることが決まっていて、じん肺肺がんに関しても、じん肺の主な原因であるケイ酸粉じんについて、国際的には発がん性が認定がされていた。にもかかわらず、国内的にはアスベストの全面禁止は遅れ、旧労働省が裁判でじん肺と肺ガンの因果関係は認められないと、虚偽と言える証言をした。これらも労災認定に関わってくる問題で、とても重要だ。政府による1種の労災隠しともみられるからだ。

特に医者や医師会にお願いしたい。肺がんになった時、たいがいの場合、タバコによるものと診断されることが多いようだが、実はアスベストが影響していて労災だというケースがたくさん隠されている。もっとアスベストが危険な物質だという認識を持って、病気の原因として疑ってほしいと思う。

けがの場合は、その場で原因が本人も分かっているが、アスベストの場合は、潜伏期間が長いとか、いつ吸い込んだのか分かりづらいという問題もある。だから、本人もアスベストが肺がんや中皮腫といった深刻な病気の原因になりうることを、知識を持った人から知らされないと分からない。こうした問題も労災全体の問題の中で、とても大きな問題だ。

●健康保険証に労災保険制度を分かりやすく記載すべき

この取材を通じて、「労災隠し」をなくすには何が必要なのかということをいろいろな人に聞いた。その結果、前章「記者の目」で提言させてもらったのが、健康保険証の様式の改定だ。
健康保険証には労災には使えないと書かれているが、どういうケースが労災になるかということは書かれていない。そこで、パートや派遣労働者も労災保険の適用対象になることや、会社が労災保険に加入していない場合でも適用されること、労災隠しは罰せられることなど、労災保険制度の概要や請求方法を分かりやすく書いたらいい。
省庁再編で厚生省と労働省が厚生労働省になって、連携がとりやすくなったのは間違いないから、できるはずだ。

●「労働者死傷病報告」が原則非公開では、外部からチエックできず

取材を進めるうちに労災隠しの防止には、情報公開の推進が大変重要だと、強く思った。
労働者が労災で休業すると、会社は「労働者死傷病報告」を提出しなければならない(19ページ)。建前としては、この死傷病報告は労災の再発防止のための資料を作成するために必要だと労働基準局では言っていた。しかし、労災の相談に当たっている人たちの話を聞くと、心もとないようだ。

労災が発生した場合、事業者は、労働安全衛生法に基づく死傷病報告を提出する。相談機関への取材では、企業があまりにも悪質な場合は労働基準監督署に死傷病報告が出ているか、問い合わせをするそうだ。ところが、これは厚労省に聞くと「原則非公開」という。そうなると、企業が「労災隠し」をしているかどうか、外からチェックできなくなってしまう。

私たちは非公開にするという厚労省の姿勢がどうしても理解でない。「労災隠し」を防止することが役所の目的としてあるのであれば、これを公開して、外側からもチェックして摘発できるようにすることが必要で、そのことが労災そのものも少なくしていくことになると考えられる。
今後、マスコミもそうだが、労働組合も厚労省と連携をとって情報公開を進めていくべきだろう。

●情報公開制度を利用し、どんどん資料請求すべき

懸念されるのは、情報公開法の施行で、今までは理解のある監督官が労働基準監督署にいると、見せてくれないまでも肝心な部分を読み上げてくれるなどをしてくれたが、それがなくなるかも知れないという点だ。情報公開制度では、全ての情報について、開示を求める書式にのっとって公開するということが原則だ。

しかし、情報公開制度をどんどん活用して請求するのも1つの手だ。というのは、取材する中で旧労働省が特にひどかったという経験があるからだ。

1995年12月に福井県の敦賀市で「もんじゅ」のナトリウム火災という事故があった。その時も「何と動燃(後に核燃料サイクル開発機構)や科学技術庁は秘密体質か」と思った。ところが、旧労働省に行ったら、「原則として何も言わない」と言う。これは動燃以下だ。資料を出そうとしないのが彼らの義務だと思っているところがあるので、それは変えていかなければならないと思った。

その半面、情報公開に詳しい旧労働省の役人に聞くと、今後は情報公開法によって積み上げられた前例が法律みたいになっていき、内規みたいになっていくそうだ。どんどん請求していくことによって前例ができていき、事によっては請求しなくてもパッと出てくることが、積み重ねによってはできるとも言っていた。正攻法で攻めていくしかないのかなとも思う。

●労災保険財政の状況を明らかにすべきと、行政監察局も問題視

取材などを通じて、「労災保険財政はどのように使われているのか」という疑問が寄せられた。
食堂関係の人からも、「うちでは労災はまだないが、保険金は払い続けている。でも、どのように使われているのか分からない」という同じような質問が来た。

そこで労働基準局に取材に行ったが、事業者から出た総給与の約1%の労災保険料をどのように使い、運用しているのか、財政状況をほとんど明らかにしなかった。どこかにやましいところを持っているのではないか、というふうにしか考えられなかった。問題がないのだったら、細かいところまで出せるはずだ。

もし、労災保険の保険料で積み立てたお金を出したくないという気持ちがなかったら、「労災隠し」をもう少し一生懸命取り締まるかも知れないし、労災で出すべきところは出すという姿勢を強めてくるのではないかと思う。なぜかお金に関わる問題になってくると全く言わない。

記者の目」でも指摘したが、旧総務庁行政監察局も「厚生・国民年金財政と比較して、基本的事項が公表されていない」と指摘した。保険の専門家に聞いても「それはひどい」と話していた。行政監察局の指摘の内容を持っていって旧労働省に取材しても、表に出すのは「労働月報」程度の情報しか出さないし、「中身について公開する気はない」と言っており、私たちはとても怒りを感じた。今後とも追及していく大きな課題だと考えている。

●労組や相談機関に権限を与える

今注目すべき動きは、国の監督官だけでは目が届かない労災隠しなどについて、労働組合や民間人が補完していくものだ。

龍谷大学法学部の脇田滋教授(労働法、社会保障法)によると、イタリアなど欧米の労働組合は、労働者全体の立場を代表する場合が多いという。労働組合が、支援の対象を組合員だけではなく、産業全体、地域全体、職場全体の労働者の権利を守る役割を果たす。職場ならば、派遣労働者や下請け労働者ら非組合員にも目を配る。死亡事故や職業病死などが起これば、非組合員の遺族に積極的に出かけていって補償交渉について委任を受け、当然の補償を受けるようにするというものだ。

労働現場での非正規社員が約6割を占める韓国では、日本の労働基準法にあたる勤労基準法に守られない「死角地帯」の問題が取り上げられている。国の監督官は「人手が足りないから」と言い訳をするが、「それならば、監督官の権限を民間にも回すべきだ」という声が起こっている。こうした声を背景とした韓国の民主労働党が、2004年4月の総選挙で初めて議席を獲得した。しかも同党は10議席におよび、他の議員と1緒に非正規職(派遣労働者、臨時被雇用者、臨時職)の保護法案を提案した。
この法案の中には労働組合などの民間が国の監督官の補完をする「名誉勤労監督官」の制度が含まれている。国の監督官と1緒に労働現場に入り、労災隠しや労働基準違反の事案について調査し、申告書を提出できるようにする内容という。

「過労死」や「過労自殺」の悲劇を繰り返さないようにする「労働基準オンブズマン」の代表を務める脇田教授は「派遣労働者ら未組織の労働者は、労働基準法や労働安全衛生法などが守られていなくても、契約を打ち切られることを恐れて声をあげにくい。そうした人をサポートする立場の人が是非とも必要だ」と訴えている。
日本でも労働基準オンブズマンや、労働組合の協議体や労働相談機関が調査権を持ち、申し立てをできるような仕組みが本格的に検討されてもいい。

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