新型コロナウィルス感染症で公務災害認定された医師、家族の想い- 神戸新聞2020年7月28日報道「北播磨医療センター、3月発症 前院長感染し死亡、公務災害」

2020年7月28日、神戸新聞は朝刊で兵庫県内の北播磨医療センター前副院長・横野浩一氏が病院業務において新型コロナウィルス感染症に感染し、死亡し、地方公務員災害補償基金(兵庫県支部)が公務災害として認定していたことを報じた(6月5日付認定)。

合わせて社会面でご家族(妻と長女)のインタビュー記事を掲載。発症からの横野氏と家族の置かれた状況や気持ちが詳細に語られている。
記事を読むと、こうした患者や家族の声を社会で共有していくことの大切さを痛感される。また、公務災害や労働災害としてきちんと認定していくことの重要性を改めて強調したい。

ちなみに、7月15日現在で地方災害補償基金への新型コロナウィルス感染症による認定請求・認定状況については、請求46件、認定15件
また、民間労働者を対象とする労災保険への労災請求・認定件数は(7月21日現在)は請求772件、認定195件

以下に、記事全文を紹介する。

新型コロナ
北播磨医療センター、3月発症
前院長感染し死亡、公務災害


今年3月、医師や看護師ら4人が新型コロナウイルスに感染した北播磨総合医療センター(小野市市場町)で、前病院長で神戸大名誉教授だった横野浩一さん=当時(72)=が公務中に同ウイルスに感染し、死亡したとして、地方公務員災害補償基金兵庫県支部が公務災害に認定していたことが分かった、新型コロナウイルスに関して、6月に全国で初めて公務梁害が認められた公務員の一人という。

神戸新聞の取材に、遺族が明らかにした。認定は6月5日付。
横野さんは3月5日に外来で患者の診療をした後、同6日に発熱して9日に入院。10日にPCR検査で陽性が判明した。肺炎を起こすなど重症化したため神戸市内の病院に転院し、治療を続けたが、4月25日に亡くなった.
長女の伏谷由佳さん(36)11大阪府11は「当初は、父が病院に感染症を持ち込んだとされ、風評被害も受けたが、仕事中に感染したとして公務災害が認められてほっとしている」と話している。死亡時は死因を明らかにしていなかった。
横野さんは老年医学の権威。神戸市出身で1997年に神戸大医学部教授となり、2009年からは同大副学長を務めた。13年には三木市民病院と小野市民病院の統合で誕生した北播磨総合医療センターの初代病院長に就き、地域の高度急性期医療の確立に尽力した。

神戸新聞2020年7月28日1面
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202007/0013549472.shtml

死亡前院長の遺族
 感染「犯罪者扱いされた」
 風評被害、外歩くの怖かった
 公務災害、事実知ってもらえた


新型コロナウイルス感染症によって4月に亡くなり、公務災害に認定された北播磨総合医療センター前病院長の横野浩一さん11当時(72)、神戸市須磨区。遺族は、横野さんが同感染症を持ち込んで病院を休診させたーとする風評被害や罪悪感に苦しんだという。妻典子さん(65)と長女の伏谷由佳さん(36)11大阪府旺に現在の思いを聞いた。

-風評被害を受けた。

長女「70代医師と匿名で報道されたが、父だと推測できたので、知らない人からや無言の電話が鳴り続けた。電車(実際は車)で病院へ行ったとされ、インターネット上では、ウイルスをばらまく殺人鬼などと書き込まれた。風俗やパチンコでもらったと言う人もウ院長が病院にウイルスを持ち込んで業務を停止させるなんてお粗末とも言われた」

妻「ネット上に実名をさらされ、当時は感染するだけで犯罪者のように扱われた。近所の人もみな知っており、(濃厚接触者として)自宅待機の2週間が過ぎた後も外を歩くのが怖く、買い物は車で遠くに出掛けた」

-公務災害が認められた。

長女「当初は父が感染症を病院に持ち込んだとされ風評被害も受けた。仕事中に感染したことが認められ安堵している」

妻「北播磨地域で頑張ってきた夫のことを、院長で医者のくせにウイルスを持ち込んでとんでもないと思われているのがつらく、夫も残念だと思うので、事実は違うと知ってもらいたかった」

―入院中のやりとりは?

長女「3月9日に入院し、翌日、急に容体が悪化して人工呼吸器をつけた。鎮静剤を入れるので意識がなくなる。万一を考えてLINE(ライン)で『大好きだよ、ありがとう』と伝えた。父も『心から愛しています。ほんとうに幸せだよ』と書いてくれた。家族はほとんど話していないし、まさか亡くなるとは思っていなかった」

妻「私も、しばらく入院して帰ってくるとのんきに考えていた。主治医から話しますかと言われ、夫が『念のためありがとうな』と言ったので、私も『念のためありがとうね』と。それが最後の言葉になった」

長女「当時、コロナが一気に悪化するとは知らなかった。陽性の判明も父は知らない。多分そうだとは思っていただろうが、新型コロナとは知らずに逝った」

―闘病中の様子は。

長女「医師からは『人工呼吸器でサポートし、自分の力で治るのを待つ』と言われたが、呼吸状態が悪くなり、わらをもつかむ思いで頼み、入院10日後にアビガンを使ってもらった。人工心肺装置エクモは人工呼吸器を装着して1週間たつと救命率が低くなるので使えないと言われた。もやもやした気持ちが残った。4月に入って回復の見込みが低くなった。たくさんのチューブにつながれ、父ならきっと楽にしてほしいと思うと考え、血圧を上げる薬をやめた。30分ほどで亡くなったが、父を囲み家族でゆっくり過ごす時間が取れた」

―お別れは。

長女「納体袋に入れられて親族6人で通夜と葬儀をした。お骨拾いも、長男がのど仏だけを拾った。最後はジャケットにシャツ、ネクタイ姿で格好よくなった。ただ、人工呼吸器を入れていたので口は開いたまま。普段は葬儀社が整えてくれるが今回は袋に入っていて触れることすらできなかつた」

―家族を亡くした立場から伝えたいことは。

長女「特に高齢の方は亡くなるリスクを考えて行動してほしい。若い方も緩まず感染対策を。自分の親や祖父母にうつして、いつこういう立場になるか分からない。私たちのような思いをしてほしくない」
(聞き手・小西博美)

神戸新聞2020年7月28日27面