びまん性胸膜肥厚で労災認定、42歳男性・建築工務店勤務、現場管理でアスベストばく露

概要・解説

本件は工務店勤務で通算15年、住宅新築工事、防音工事で現場管理で現場で仕事に従事しびまん性胸膜肥厚を発症した男性が、当初、疾病の原因に思い当たらなかったところ、支援団体の協力により石綿ばく露に気づき、支援を受けながら労災認定に至った事案である。

原因不明

滋賀県在住のKさんは1998年春に職場健診で胸部に異常を指摘され呼吸器科に受診したが原因がわからなかった。

翌年の夏には少し歩いても息切れするほどになり再受診、肺がん、中皮腫が疑われたが、組織検査の結果、両側の胸膜に肥厚が広がっていることがわかった、石綿との接点を何度も質問されたが、本人と医師の知識不足もありわからずじまいだった。

9月に右側の胸膜肥厚部の切除手術を受けたが、厚さ1センチ程度の白色繊維状でセメントのように堅いものが胸膜全体を覆い、横隔膜まで広がっていたということであった。

支援団体への相談きっかけに労災認定

2000年1月から在宅酸素療法をはじめたが年々病状が悪化した。昨年、中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会に相談されたことをきっかけに安全センターで労災申請の支援をすることになった。地元の家族の会メンバーを中心としたサポートはKさんの妻とKさんの力強い味方になった。

職歴を聞いたところ、1979年(23才)から1983年にかけて豊中市の工務店に勤務し、伊丹空港周辺の住宅防音工事のため現場管理でほとんど現場にいたことがわかった。
1987年から1995年までは住宅新築エ事で現場管理をしており、同様に一日中現場で仕事に従事していた。幼少期に2年程度豊中市のパッキン工場の周辺に在住していたために周辺曝露も疑われたが、職業曝露があまりに明白だった。
こうした建築現場における直接間接の石綿曝露による「びまん性胸膜肥厚」であると判断されたため5月上旬に労災請求した。

しかし、すでに療養開始から8年が経過し労災請求時効の2年を大きく超過していたため、多くの部分が時効とされてしまったこと、9月「こは労災認定されたが、その間Kさんの容体が急激1こ悪化し、ついに還らぬ人となったなったことは誠「こ無念であった。行政の怠慢、医療現場の無理解が生んだ悲劇としかいいようがない。
残されたKさんの妻は悲しみの中で家族の会の仲間を支えに人生を前向きに生きていこうとしている。

関西労働者安全センター