管理される心 感情労働の現状と対策 労働者の尊厳と人権の回復に向けて

千葉 茂(いじめメンタルヘルス労働者支援センター)

1.労働者の管理される「心」

労働のなかで労働者の「心」はどう扱われているでしょうか。産業の発達、機械の改良、社会的環境のなかで変化してきました。現在はさまざまな形で管理・支配が行なわれています。具体的にあげてみます。
使用者による心の管理は、雇用契約に基づく業務命令・指示などで従属させられます。帰属意識による安心感も生まれますが、「会社人間」のように依存に陥ったりもします。従属は雇用継続、出世のためだったりしますが、基本的には生活安定のためです。
組織(部署・部門)による心の管理は、グループ・チームの共同作業、目標管理・達成などのために集団による相互監視が行なわれます。連帯責任、秩序維持が要求されます。個々人の労働者は、同僚への迷惑回避、仲間はずれ回避のために努力します。それが不可能となった時は孤立状態におかれます。
機械による心の支配は、生産性を優先させた効率追求のためのテンポの強制です。労働者は機械への従属を強制され、心身のゆとりがうばわれます。
ITによる心の支配は、会社や上司、顧客からの指示・命令が24時間とおして行なわれる状態を作り出しました。また、コミュニケーションが一方通行になったり、行き違いが生じたりします。業務遂行指示がマニュアル化され、個々人の労働者の裁量や工夫の幅は小さくなりました。IT産業の労働者のあいだでは「IT奴隷」という言葉が存在しています。
顧客や行政の窓口における住民からの心への侵略があります。サービス・営業活動に従事する労働者に売り上げ目標設定やノルマが課せられます。目標達成のために低姿勢になって顧客の引き留めをはかると相手は逆手にでます。本来の自分の感情を押し殺して対応する行為は「感情労働(emotional labour)」と呼ばれます。日本ではオイルショック以降、その傾向が大きくなりました。また、行政窓口などにおける住民からの過剰な要求やクレーム、いわれのない非難への対応は「職場の暴力(Violence at work)」と呼ばれます。
差別の強制による心への抑圧があります。昔から女性だからというだけで処遇が差別されました。非正規労働者だからということでの排除・仲間はずれがあります。“だから”にはそれ以上の理由はありません。理不尽な差別に対して自分を維持するには疑問や不満を押し殺さなければなりません。
社会や慣習からの心の強制があります。会社に、受け入れがたい風土・社風が存在したりします。法律や就業規則に違反するような不正が公然とおこなわれていても我慢を強いられたり、長期にわたる慣習になっていて労働者はそのようなものだと思い込んで周囲に流されることを受け入れたりしています。「みんなで渡れば怖くない」がもたれ合い構造と安心感をつくり、疑問を持つ労働者も“みて見ぬふり”をして従っています。良心、正義感が攻撃をうけますが、指摘すると協調性がないと批判されます。
経済的理由による心の管理とは、格差者社会で底辺におかれる労働者は声を上げる手段もゆとりも奪われているということです。声を上げるよりも貧困状態での現状の生活を維持していくことで精いっぱいです。常に不安感に支配され、我慢、無理を続けます。

労働環境の改善は土壌から

「管理・支配される心」に労働者は慣らされて気づかない状況におかれたり、我慢、あきらめ、服従、自己の喪失に陥ったりしています。そのためあまり関心がもたれていないテーマです。しかし、自覚・無自覚にもかかえているストレスを他者を対象に発散し、人間関係を破壊してしまうなどさまざまな問題が発生しています。労働現場が抱えているさまざまな課題の違うかたちでの表出です。「管理・支配される心」により被害者が加害者になったり、新たな被害者が生まれています
ですからこれらの問題は、個別には解決しません。視点が違っても労働現場が抱えている問題と一体のものとして、対処療法ではなく土壌の改善が必要です。個人的対応、組織的対応、社会的対応がセットでないと本質的解決には至りません。
組織的対応とは、賃金、労働時間など(可視化できる)労働条件や労働環境の改善です。そのなかからお互いの理解と心身のゆとりの取り戻しに向かう必要があります。ゆとりとは、人間性の回復、人権獲得、自立などです。
社会的対応は、風習打破のための社会的運動、法整備による規制などです。おかしなことにおかしいと声をあげる共生の社会建設へのカウンターです。

2.管理される心からの脱出――労働者の心の取り戻し

「労働は商品ではない」

工業が発展して労働者が登場すると、支配・管理に対する抵抗、衝突が自然発生的に、頻繁に発生していきます。
1700年代後半、イギリスで産業革命がすすみ、例えば繊維工業の機械が発明されると手工業職人の熟練工は生活苦や失業の原因は技術革新と機械導入だと主張して機械を打ちこわしました。「ラダイト運動」と呼ばれます。打ちこわしは、熟練工のプライド維持、人権無視、生活破壊への闘いでもあります。
この後、機械化によって発生した労働者の貧困問題と人権要求は労働組合運動に発展していきます。
19世紀後半になると大規模なストライキがおきます。1889年のロンドンのドック労働者のストライキは不熟練労働者によるもので、これを契機に組織化が進んでいきます。

アメリカの南北戦争は1861年4月12日に開始され1965年4月まで続きましたが、さまざまな面で工業の発展を刺激し、鉄道が利用されました。(ちなみに南北戦争で、はじめて兵士の「戦闘ストレス」が発見されました)工業の発展はそれ以降も続き、労働力が不足し過重労働での長時間労働がつづき身体がもたないという状況がうまれました。
このようななかで1886年5月1日にアメリカ・シカゴの労働者が8時間労働制を要求して統一ストライキを行ったのがメーデーの起源だということはよく知られています。
長時間労働を解消しようとしたのが1880年代に始まった「科学的管理法」と呼ばれる「テイラー主義」です。時間、動作研究を通して能率的な生産方法を発見して生産効率を高めます。無駄な作業が省かれると同時に、細分化されて専門的に分担されます。結果は、労働者から知的労働を奪い、肉体的労働を単純化させました。生産過程での支配力を失わせ、意思決定から人間的要素は次第に排除され、組織やシステムが優先されていきます。
1920年代からオートメーション化がすすめられます。大量生産・フォーディズムが登場します。労働者を環境操作的に可塑的な集団的存在ととらえました。人間労働の機械への置き換えがおこなわれ、労働者は自律不能にされ、取り換え可能な生産資源のひとつとされました。その結果は人間としての尊厳を奪いました。
その一方、生産性の向上の見返りとして賃金は上昇し、消費の自由・拡大が生まれます。また、第三次産業が成長していきます。

オートメーションは、労働を軽くする性格をもっているようにみえるが、資本家的な重要の場合には必ずしもそうではない。…しかし一般的にいうと、次のような諸問題がある。
1つは、オートメ化は全面的にとり入れられるのはごくまれであるから、その前後の工程は以前と余り変らぬ技術条件の下で著しく高い生産量の処理を強要される。こういった現場部門の労働者の作業強度は一般に高められる。
2つは、オートメーションは、精神的緊張とこの面での疲労を著しく高める傾向がつよい。ILOの文書(『オートメーションと労働』によれば、『精神の緊張は、複雑な設備や連続的な過程を制御することがオペレーターに要求される結果としてあらわれるであろう。精神的疲労が肉体的疲労にとって代わる。状況の変化と責任の大きさが精神衛生に影響をおよぼすだろう…アメリカとヨーロッパでのいくつかの調査によれば、オートメーション化された工場では、オートメーション化されない工場よりも精神過敏な労働者の数がふえている』としているが、西ドイツの調査によれば、神経系統の失調からおこる病気が量的にますます多くなっているし、ますます増大する神経系統失調の原因が神経的疲労の増加にあるとしている(ヤン・アウエルハン『オートメーションと社会』)。わが国においても同様の傾向が現われてる。…
3は、オートメーションの一部門としての事務作業のオートメ化ないし機械化は、事務の工場労働課をもたらし、単なる精神的緊張だけでなく、肉体的疲労を著しく高め、騒音その他環境条件についても多くの問題を生み出している。その典型は電子計算機のキイ・パンチャーであるが、単純作業で密度が高く、騒音は異常であり、1日の作業で多くの婦人はそれこそくたくたになっている。

藤本武著『労働時間』岩波新書1963年刊

1924年から32年まで、シカゴ郊外のホーソン工場でエルトン・メイヨーらによって物理的な作業条件と従業員の作業能率の関係を分析する目的で証明実験が開始されます。一連の実験と調査は「ホーソン実験」と呼ばれています。結果は、労働者の行為はその感情から切り離すことができないこと、職場での労働者の労働意欲はその個人的な経歴や個人の職場での人間関係に大きく左右されるもので、客観的な職場環境による影響は比較的少ない、という結果となりました。
チャップリンの『モダンタイムス』は1936年に制作されました。人間の尊厳が失われ、機械の一部分や歯車のようになっているオートメーション化された工場で働く主人公チャーリーは、非人間的な労働のために正気を失い、工場を放り出されます。フォードをモデルとした、まさに悲劇と喜劇が混在した作品です。

このような状況のなかで、1919年にILOの創設において「労働は単に商品または取引の目的物とみなされてはならない」とうたわれ、第二次大戦後にフィラデルフィアで「労働は商品ではない」と宣言します。

労働のつまらなさ

大量生産・フォーディズムは労働をつまらなくしました。アメリカでは1970年代以降、生産現場における伝統的な管理の有効性も低下し、いわゆるテイラー主義が限界に至ったといわれています。いくつかの理由が挙げられますが、その1つが「労働の質(QWL:Quality of Working Life)」の問題です。労働者は欠勤というかたちで抵抗します。

60年代末から70年代初頭にかけての超完全雇用に伴う深刻な労働不足と、ベトナム反戦運動や公民権運動など社会紛争の激化は、これらの不満を爆発させる格好の触媒となった。彼らは、高賃金および先任権を代償に、徹底した分業と階層的な管理に服する労働秩序への挑戦を開始した。現場での苦情申請件数は増え、離職率や無断欠勤率の上昇、作業密度の低下など労働意欲の低下や労働規律の弛緩が表面化した。ロボット化された工場での公然たる反発も生じた。

鈴木直次著『アメリカ産業社会の盛衰』岩波新書

労働のつまらなさを指摘する労働者の正直な行動にたいして、アメリカの経営者は深刻に受け止めて対応することを迫られました。

「労働生活の質」はアメリカだけの問題ではありません。
1976年、イギリスの兵器生産企業、ルーカス・エアロスペースで働くショップ・スチュワード(職場委員)たちは、社会の役に立つ製品と新しい形の従業員の能力開発のための詳細なプランを作成し、人員整理や兵器の生産に代わるべき道として提案しました。通称「ルーカス・プラン」と呼ばれる「経営プラン」です。

『経営プラン』が指摘したもう一つの問題は、残っている仕事の技術面での内容やそのおもしろさが低下しているということだった。『経営プラン』の序文は、この70年間にわたって、仕事を小さな限られた職務に細分化し、その遂行の速度を上げていくということが系統的な形で試みられてきた、と述べている。序文は、さらにつぎのように続けている。『奇妙なことに「科学的管理」という名で知られるこの過程は、労働者を自分が扱っている機械または工程に付随している無目的で思考力のない付属物としての存在にまで落とし込めようとするものである…』。
連合委員会は、仕事の性格からずっと前に機械のペースと要求に縛られることになった他の労働者たちによる抵抗を自分たちのものとしてとらえた。『経営プラン』は、これらの労働者たちがどのような形で人間以下の存在として扱われることを拒否しているかを示す実例を挙げている。
たとえば、スウェーデンのボルボ社では、1969年の労働移動率は52%で、欠勤率はいくつかの工場では30%に達していた。アメリカでは、労働者の反応はもっと劇的なものだった。オハイオ州のローズタウンにあるゼネラル・モーターズ社の工場では、労働者は、コンピューター制御の生産ラインに直接手を下して破壊している。

ヒラリー・ウェインライト、デイヴ・エリオット著『ルーカス・プラン「もう一つの社会」への労働者戦略』緑風出版

労働のおもしろさが低下していることの原因は労働者に起因するのではなく労働そのものにあるということです。

日本の労働者も勤勉でなかった

1900年に発表された『職工事情』の織物工場での調査の部分です。

…労働時間は大略以上のごとくといえども終歳これを励行するにあらず、彼ら職工は…就業中といえども雑談を試むる等不規律極まるものなり。本調査員は桐生、足利地方織物工場の労働時間長きに失することにつき工場主に語りしことあり。彼らは曰く、単に1日の労働時間は16、17時間なりと。聞けばその長きにわたり過酷なる如くみゆるも、機械工は機械的に働作するものにあらず。その就業時間中全力を委して労働に従事するが如きことなく、倦怠すれば自ら手を休め、あるいは雑談を試みあるいは管巻を取りに行くとか、監督者の目を盗みてなるべく労働せざることを務む。

『職工事情』

工場主は、勤務時間中「機械工が機械的に」働かずに「監督者の目を盗みてなるべく労働せざる」からやむを得ず労働時間を延ばしているという主張です。しかし調査員は「労働時間の長きにわたること甚だしきを以て、勢い労働の不規律に流るる傾向あり」と指摘しています。
今も同じような議論があります。使用者は仕事ができない労働者が残業をする、昼間サボって夜働いていると言いわけします。しかし、労働者にはこなし切れない仕事量が舞い込んでいます。成果と労働時間は正比例しません。一番効率が悪いのが慢性的疲労のもとでの労働です。逆に、適時の休息は効率を高めます。
テイラーの『科学的管理法』は、日本にも1910年代に翻訳・出版され導入されました。

労働者が取り込まれた

ストライキに似た効果をあげる、労働者が職場を離れないでとった戦術がサボタージュです。名前は20世紀初めにフランスの労働者がサボ(木靴)で機械を蹴飛ばして壊した戦術に由来します。
日本では1919年9月半ばからの神戸の川崎造船所の争議で行使されました。このような闘いで8時間労働制が実施されていきます。
労働者不満・怒りの表現は自己の覚醒、自己確認です。「やってられないよ」の感情での抵抗や爆発は今も組織化の要素です。労働組合は見逃さないで組織するチャンスです。
戦後の労働者は勤勉でした。そのように導いた1つの要因はQC(Quality Control 品質管理)サークル運動です。
現場労働者にとっては職場集団内の意思疎通、労働者の「知的欲求」を満たす職務拡大、教育訓練、「仕事をやりやすくする」など意義あるものでした。特に経済的理由で勉学の機会を得ることができなかった労働者・「銀の卵」たちにとっては楽しい活動でした。
しかし、結局は会社に完全に取り込まれていきます。いかに生産を上げ、コストを下げるか、労働者数を少数化して総雇用量を削るかは労働者が自分たちの首を締め上げ合理化推進の一端を担うものになって行きました。

大量生産・大量消費の高度経済成長はマイホーム建設がすすみます。
オイルショック後、製造業の成長テンポの鈍化により合理化がすすめられます。かわってサービス部門。付加価値、「知的産業」、情報社会などの第三次産業が拡大します。「余剰」な労働者には営業への職種転換や出向がおこなわれました。さらに“社員全員営業部員”とされてノルマ設定が課せられます。この頃から「お客様は神様です」が言われ始めます。顧客は要求が受け入れられると頭に乗ってさらに要求を続けます。労働者はリストラを恐れ、会社に認められようと必死にノルマを達成します。顧客に迎合し、会社に服従します。この頃からメンタルヘルスにり患する労働者が増えました。
「お客様は神様です」は歌手の三波春夫が言い始めたといわれていますが、三波春夫はそうはいっていません。諸説ありますが、芸人として芸を捧げる神様のように観客席が見えるという関係性を語ったものだといわれています。決して客に媚びるという意味ではありません。

3.「感情労働」の登場

「心の支配」の構造は時代とともに変化します。新たな「心の支配」の浸透がすすんでいても労働者は無自覚だったり、あきらめの状況におちいっています。
アメリカでは1970年代から「感情社会学」という分野が登場し、労働現場の外部から肉体労働、頭脳労働ともう1つの形態として「感情労働」の概念が“発見”されました。
社会学者アーリー・ホックシールドは、著書『管理される心』(世界思想社刊)のなかで「感情労働」を「公的に観察可能な表情と身体的表現を作るために行う感情の管理で、賃金と引き換えに売られ、したがって<交換価値>を有する」労働、「自分の感情を誘発したり抑圧したりしながら、相手の中に適切な精神状態を作り出すために、自分の外見を維持すること」と定義しました。そして、航空会社の客室乗務員を取りあげて、乗客からのクレームにどのように「感情規制」「感情管理」を私的行為でなく行いながら対応しているかを説明しました。
具体例です。
「客室乗務員は通常2人ひと組で仕事をしており、…この仕事がある部分で『感情トーン』の巡回興行であって、…友人との会話やからかい合い、冗談のとばし合いによって維持されているからである。事実、お互いにからかい合うことによって、客室乗務員たちは、人間関係に関わる重要な作業をしているのであり、…。同時に、自分自身が正常な精神状態にとどまっていられるように、冷やかし合う」
「問題が乗客の側にあると思われたとき、彼らの人生に何かトラウマがあったのだ、というふうに考えるように努めます。」
「予防策にもかかわらず怒りが吹き出してしまったら、『彼といっしょに家に帰る必要はないのだから』と自分に言い聞かせる。」
「あなたが何も悪いことをしていないのに、お客様があなたにがみがみ言うことがあったら、その人が責めているのはあなた自身ではない、と思いなさい。」
「『何が起こっても、お気持ちはわかりますと言う』共感の表現は、乗客に、自分たちは非難するべきところを間違え、怒りをぶつける相手を間違えたということを納得させる。」

日本人のビジネスマンはミスを探してクレームをつける

鎌田慧の著書『空港〈25時間〉』(講談社文庫)には、客室乗務員からの聞き取りとして「社長や会長らしい客は客室乗務員に多少ミスがあってもクレームを言わない、一方、ビジネスクラスに乗る日本人のビジネスマンはミスを探してクレームをつけてくるし、しつこい」という報告が紹介されています。

2012年6月9日付け『朝日新聞』の「天声人語」です。

今もそうなのか、どうか。日本のある大手航空会社の客室乗務員は、機内で否定語の対応をすべからず、と教育を受けていた。たとえばビールを頼まれて、『ない』といってはいけない。『ただ今はソフトドリンクだけ用意しております』。20年余り前に取材で聞いた話である…▼とはいえ客の側にも無理難題を言う人はいる。『感情労働』という言葉があって、客室乗務員が典型とされてきた。自分の感情をひたすら押し殺し、相手に合わせた言葉と態度で応じる。強靭な『堪忍袋』を求められる仕事である▼昔の空の『もてなし上手』は、一方ならぬストレスの賜物だったようだ。今のご時世、簡素なサービスは悪くないが、木で鼻をくくるのとは違う。取り違えないよう願いたい。

天声人語 2012年6月9日付朝日新聞

クレーマーはクレームをつけることが目的で、自分のストレス発散のために反論されない対象を探して行います。自分の「頭にきた」感情をぶつけてきます。他者に謝らせたり、騙したり落とし込めることで自分の存在を確認し、快感を得ます
その行為は誰か自分の相手をしてほしい、自分を高く評価してほしいという思いの変形した表現方法です。人を相手にするということは、本当は“人恋しい”人たちです。だから自分の要求が通ったからといって攻撃を終了するわけではありません。次から次へと要求が続きます。
本質的原因は他にあります。会社や社会の競争主義、分断政策、孤立化政策のひずみの現象です。しかし、対応する労働者にとっては迷惑千万です。

モラルハラスメントの“発見”

1998年に発表されたフランスの精神科医マリー=フランス・イリゴイエンヌさんの『モラルハラスメントが人も会社もダメにする』(紀伊国屋書店)は「モラルハラスメント」の言葉を使用して存在している問題を指摘しました。
それまでは、労働者は職場でさまざまないじめや嫌がらせのような現象・雰囲気に遭遇しても言葉で表現したり、主張することができませんでした。『本』を読んで初めて自分たちの周囲で起きている現象・雰囲気について捉えなおし、議論することができるようになります。同時に社会的に広範な議論が起こっていきました。
職場におけるモラルハラスメントとは「不当な行為を(身振り、言葉、態度、行動)を繰り返し、あるいは計画的に行なうことによって、ある人の尊厳を傷つけ、心身に損害を与え、その人の雇用を危険にさらすことである。また、そういうことを通じて職場全体の雰囲気を悪化させること」です。
労働者の「精神的」損害について取り上げられるようになるのはこの頃からです。
ちなみに日本ではじめて精神的問題を取り上げたのは、東京都労働経済局が2000年3月に発行したパンフレット『職場のいじめ~発見と予防のために~』においてです。
そこでは「職場のいじめ」を「職場において、仕事や人間関係で弱い立場に立たされた成員に対して、精神的又は身体的な苦痛を与えることにより、結果として労働者の働く権利を侵害したり、職場環境を悪化させたりする行為」と捉えています。

4.世界的に問題が発生している

2003年10月にILOは「サービス業における職場の暴力及びこの現象を克服する対策についての実施基準案」を発表します。国際的にサービス業の労働者に対する肉体的暴力だけでなく精神的暴力も問題としてとりあげられて対策が開始されます。
「基準」は、職場の暴力とは「妥当な対応を行っている者が業務の遂行及び直接的な結果に伴って攻撃され、嚇かされ、危害を加えられ、傷害を受けるすべての行動、出来事、態度」と定義しています。直接的な結果とは「業務との明確な関連があって、かつ、妥当な期間の範囲で発生した行動、出来事、行為と解されるもの」です。
職場の暴力には、管理者、監督者を含めた労働者間で発生する内部暴力と、労働者と職場に存在するその他の者との間で発生した外部暴力があります。
基準におけるサービス業とは、商業、教育業、金融関連業、医療業、ホテル業、飲食旅業、放送娯楽業、郵便通信業、公的サービス業、運輸交通業を含みみます。顧客及び取引先とは、一般公衆と異なり個人的なサービスを受けるもので、例えば、患者、乗客、利用者、観衆です。

日本はダブルスタンダード

ILOでは、職場の暴力に“いじめ”も含まれ、暴力は精神的、肉体的に損害を与える行為です。さらに内部暴力も外部暴力も含みます。
しかし日本では、2012年3月15日に発表された「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」において「職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいう。」と定義しました。内部暴力と外部暴力を区別し、外部暴力は「提言」の活用の直接的対象になりません。
そうすると「暴力」に対する現場の対策に二重基準を存在させ、結局対策そのものを遅らせます。また、学校におけるモンスターペアレントなどの対策は文部科学省、行政窓口職員への脅迫は総務省、鉄道職員に対する暴力は国土交通省、医療機関での患者からのクレームは厚生労働省の医療部門、その他の民間企業での問題は厚生労働省というようにタテ型対応になっています。これでは問題意識や対応策を共有できません。社会的取り組みに発展させるのが難しくなります。
また、いまだ精神的暴力にたいして容認する雰囲気や「限度」の解釈論がはびこっています。
この間、全国安全センターとコミュニティユニオン全国ネットは、厚生労働省に職場の暴力対策の取り組みを厚生労働省が各省に働きかけて開始するよう要請を続けています。
2016年8月26日の要請項目には
「3 職場のいじめ・嫌がらせパワーハラスメント対策
(1)今年度実施が予定されているという職場のパワーハラスメントに関する実態調査において、取引先、利用者や顧客などからの暴力行為及び発言等について調査対象とすること。」
を含めました。交渉の記録の抜粋です。

センター 調査は前回のことを踏まえてということになると、『提言』は外部の暴力については抜けているので今回も触れられていないのではないかと思われます。
ILOでは『内部暴力』『外部暴力』と使い分けをしていますが、外部暴力について対応していないのは日本だけです。なんで対応しないのか疑問です。先ほど、人格・尊厳と言われましたけど、内部だけに人格・尊厳があるわけではありません。しかし外部は無視され、人格・尊厳がダブルスタンダードになってしまいます。
もう1つは、前回、鉄道における暴力にたいする対応は国土交通省、地方公務員に対しては総務省など別々に対応していてもらちがあかないので、『外部暴力』の問題全体に対して厚生労働省がイニシアティブをとって対応したらどうかと提案しました。同じように人格・尊厳のスタンダードが各省によって違うということはないはずだからです。
この問題は、個別職場の問題ではなく社会的な運動として取り組まれないと解決できませんので、そのような運動を提起して取り組んでいただきたいという要請です。
厚生労働省 調査は職場のパワーハラスメントということで狭い範囲での調査になります。広い範囲を対象にした問題については持ち帰らせてもらいます。
センター コンビニの店員が客からハラスメントを受けるということもあります。事業者にとっても従業員を守るということで何らかの対応をしなければなりません。しかし対応能力がない、マニュアルがないという状況があり、そのことによって体調を崩す人も出てきます。だからこそ今回の実態調査にも加えるべきだったと思います。事業者にとっても必要なことです。医療現場でもそうです。
パワハラは単に上司や同僚ということだけではないので、第三者からの行為や言動などについても提言をすべきだという趣旨です。この点の問題意識をもっていただかないと同じような調査をしても変わらない結果にしかならないと思います。
厚生労働省 「提言」は「同じ職場で働く」ということですので、第三者からのパワハラは原則的には外れています。そうするとパワハラの定義が正しいのかという議論になってきます。今回は持ち帰らせてもらって考えていくということにさせていただきます。
センター 第三者からの問題に対応しないと、逆にパワハラを認めることになってしまいます。定義をどう変えるのかということになると、提言を再度提言することになりますが、そこに固執するのではなく、現に起きている問題があり、そこには責任者・管理者の問題も出てきますので、そういうことに関連付けて対応を変えることは出来るはずです。

全国安全センターと厚生労働省との交渉記録

5.日本における顧客や取引先、受付や窓口、保護者や住民からの暴行や暴言

世界的に職場の暴力は医療・看護現場で早くから問題にされてきました。職種ごとで被害が多いのは、警察官・消防士についで、医療・看護職です。
日本でも、医療看護労働、介護労働分野で早くに「感情労働」という概念が登場しました。職業上、笑顔、温かさ、優しさなどの適切な感情、そして、不適切な感情が決められています。医療看護における具体的対応はインターネットに掲載されています。
具体的に見てみます。
営業職です。
バブルが崩壊した頃から企業は労働者に売上高のノルマを課します。労働者は指示には無条件に従い、無理なノルマも了承します。

いま職場に生じつつある仕事の変化の重要な側面のひとつは、『販売・営業』以外の職種の担務にもセールスの要素が加えられていることだと思う。『全員セールス』の時代といわれる。セールスは心労の多い仕事だ。…セールスはいわゆる単純労働ではないかもしれない。しかし総じて、じっくり考えてことを進める創造的な仕事でもないだろう。ここでの多くの場合、一定の商品知識と面接技術を把握した上では、なによりも売りを押し込む意欲と体力が要求される。ときにはファナティックに自己を鼓舞することができなければ続けられるものではない。有名な『地獄の特訓』は、内心忸怩(じくじ)とせずそうした『鼓舞』のできる戦士をつくる人間工学であろう。どんなハイテク商品も、それが顧客の手に渡るまでには、このような野蛮な『男の舞』が不可欠であるとされている。セールス労働には不適応になる人が多く、定着率がなかなか高まらないのも無理はない。

熊沢誠著『日本的経営の明暗』1989年・岩波書店刊

営業やサービス業では、商品を売り付けるために低姿勢で、「笑顔はタダ」ということで作り笑顔を強制されます。自分を殺して営業活動を続けると労働者は傷つきます。逆に顧客は図に乗ってきます。その結果、売る側と買う側に上下関係ができます。「お客様は神様」です。
感情労働は、感情が一方通行になることが多くあります。自分が納得していない「偽りの自分」の感情で労働をすることになり、感情が「疎外」されます。価値観の違う相手との対面、やりとりが行われない感情は、精神的な疲労、ストレスが増し、「感情麻痺」に陥ります。そして感情が枯渇します。
このような行為は、商品の価格破壊ではなく、労働の価値を破壊しました。労働者の賃金、そして感情をバーゲンセールすることになってしまいました。労働者の精神状態は平常からかい離させられます。労働者は身体を壊しながら労働の安売りをしているのです。労働条件の悪循環と労働環境の悪化をもたらしています。社内にはストレスが蔓延しています。
労働者は他者と、他業種と差を設ける、差別することで自己の存在を確認します。共闘・連帯する基盤を喪失しています。1人ひとりの労働者が悲しい状況に置かれています。
顧客の多くも職場でストレスを抱えていて、その解消の対象を営業やサービス業労働者に向けています。労働者が労働者を攻撃しています。悲しいことです。
日本社会は個性を無視する傾向があります。感情を抑えるのが美徳と捉えられています。そのような中で、感情労働への対応は、低姿勢での対応と担当者個人のスキルアップで解決することがマニュアルになっているのがほとんどです。
トラフルが拡大すると、上司やほかの労働者が、最初に対応した労働者を悪者にして謝ります。顧客を逃がさないためです。最初に対応した労働者は二重に自己が否定され「二次被害」が発生します。

学校です。
モンスターペアレントは2007年頃から登場し、今、深刻な社会問題になっています。
父母が些細な問題や学校に関係ない問題について子どもを盾にストレス発散の対象にしてきます。自分の価値観を押し付けてきます。教職員は1人で過重な対応を迫られます。そもそも不可能な要求もたくさんあります。しかし、即応性を求められます。
学校は保護者や社会からさまざまな干渉を受け孤立します。その一方、学校は外部から閉鎖された社会です。
日本は、児童・生徒を国家の国民として育成する「国民教育」です。教師は、国家―文部省―教育委員会―学校―教師という「縦」の末端に位置し1人ひとり管理されます。管理には教師の人間管理と“思想管理”があります。国家による管理教育です。
保護者は「国民教育」に期待しているわけではありません。自分の子どもの進路が有利になるだけを気にしています。そして、日本の学校教育では保護者は保護者会として学校のサポート組織でしかありません。だからモンスターペアレント対策は、児童・生徒を経由した生徒指導の一環でしか捉えられていません。対等な関係が存在しないなかで学校と保護者との間で児童・生徒を巡ってトラブルが発生するのはいわば必然です。しかし、そのトラブルに対応するのは教師個人です。トラブルか拡大した時は、学校・教育委員会の「監督不行き届き」の問題となります。
モンスターペアレントは日本だけのことのようです。アメリカには「ヘリコプターペアレント」がいますが、子供が高校生や大学生になっても子離れできないで干渉をつづける過保護の親を指します。

行政窓口です。
ある市の精神疾患による休職者は窓口担当職員と人事担当者に偏っているといいます。
行政機関の窓口に住民は切実な、そして、複雑な問題を抱えて訪れます。どこが担当窓口かわからなかったり、制度の拡大解釈を要求するなどの無理難題を押し付けたりとさまざまです。
しかし、各地で起きている事件には多くの場合“前哨戦”があります。生活保護や福祉関連の申請においては住民にはゆとりがありません。その状況を理解して対応する必要があります。問題が発生しなくてもつっけんどんな対応と受け取られることがあります。職員が上げ足をとられないために必要以上のことをいわない姿勢は住民にとっては不親切に映ります。縦型組織のたらいまわしは拒否とも受け取れます。教員と公務員は“頭が高い”といわれますが、官と民(たみ)の距離への不満があります。しかし、実際は“民”から尊敬されていません。
非がなくても住民からストレス発散のための攻撃を受ける事態が続いています。「税金泥棒」の暴言などです。現在の政府の政策における制度の限界に対する不満を繰り広げます。現在の政府や行政機関トップからの公務員バッシングがそれに拍車をかけてもいます。
このような中にありながらほとんどの行政窓口は、業務に関する法律や条例は熟知させても、住民との対応が職務であるにもかかわらず、対応マニュアルを確立していません。
よく窓口担当者が住民から怒鳴られているのに上司も同僚も知らんぷりをしていたという不満を聞きます。担当者個人の対応スキルしか頼るものがありません。上手に対応するためのスキルの共有する機会もありません。穏便に解決すれば当然のように取り扱われ、トラブルが拡大すると後で個人の対応のまずさだけが問題にされます。サポートがないことは上司や同僚に対する不信感も発生します。

「駅員への暴力 加害7割酔客」です。
国土交通省は数年前から「鉄道係員に対する暴力行為の実態調査結果及びその対策について」を発表。分析と具体例をあげています。しかし、対策はとれていません。
加害者には酔っ払いが多くいます。酒を飲むと平常心を失い、強がりをいいながら乗り越しなど自分の失敗の憂さ晴らし方法を探します。労働者が失敗に遭遇した時やストレスがたまったても、回復、脱出方法を探るのではなく、「立ち往生」している姿です。支援者や解決策を探す行為に向かうことを思いつかない(つけない)、日常的に孤立して追い詰められ、脱出できない状況におかれている姿そのものです。酔った勢いでしか自己主張できないのです。日頃の鬱積した気持ちを抵抗しない他者への攻撃的行動で爆発させます。お金を払って不味い酒を飲んでいます。
酒を飲んでいなくても、ささいな出来事に因縁をつけ、職場や社会で発生したストレスの解消をする者がいます。憤懣をぶつけても無視をしない、そして、反論しないと思われる対象者を探して逃がしません。その対象がサービス業従事者です。利用者は鉄道職員より偉いと思いています。社会の私物化です。駅員こそ悪循環の最終的犠牲者です。
労働相談活動は感情労働です。
とくに体調不良の相談者とは、相談を受ける側がまさしく感情労働がかかえる心理状況になることがあります。

6.解決の方向性-お互いに理解し合うために

感情労働における「感情規制」「感情管理」は職種によって違いますので対策もそうなります。
ケア労働です。
ノーベル経済賞を受賞したアマルティア・センは、ケア労働について

ケア労働とは、献身・責任・協力・感情というような動機と結びついた人間関係的労働であり、自分自身の利害のみに動機づけられて行動するものではなく、他利的要素を持っている。しかも、ケアする労働の中には、人間が持っている潜在的能力を培っていくという主要な側面がある。したがって、ケア労働における人間的側面をネガティブに、ただ“減らす”方向でのみ把握すべきではない。

『竹中恵美子が語る労働とジェンダー』ドメス出版

と述べています。
ケア労働を高く評価したうえでそこに含まれている問題点を指摘しています。そのうえで、竹中恵美子さんは別の章で問題点を指摘しています。
カナダのオンタリオ州では、1987年に10人以上を使用している公共・民営部門の企業に対して、「ペイ・エクイティ法」(Pey Equity Act、賃金衡平法)が制定されました。

ペイ・エクイティは、従来の女性職に対する低い評価を改め、平等賃金を実現するための有力な原則であり運動ですが、限界もあります。
1つには、従来の職務評価の技法(ヘイ・システム)は職場の複雑さと重要度を、ノウハウ・問題解決能力・説明責任の3つのファクターで評価する点ですが、ケアのような仕事の評価には適切ではないからです。1991年にオンタリオ看護協会がヘイ・システムに反対して、感情労働(emotional labor)の評価を導入する評価技法を聴聞審判所に認めさせました。このように、たえずジェンダーに中立な職務評価法を開発していくことが必要です。

『竹中恵美子が語る労働とジェンダー』 ドメス出版

聴聞審判所とは、労使の紛争が解決しない場合に、審査・調停をする労使の代表からなる機関です。ケア労働は他の労働と比べて感情労働による精神的負荷は大きいことを指摘して認めさせました。
遠藤公嗣明治大学教授は、自治労の職務評価制度作成に携わりました。

「『同一価値労働同一賃金』の考え方はどこに反映しているのか。それを2つ例示しよう。…
第二に、大ファクター『負担』のなかに、小ファクター『感情的負担』を特に設定することだ。『感情的負担』は、対人サービス労働で労働者に求められる『感情労働』の負担のことである。『感情労働』とは、顧客や住民の感情的な言動や理不尽な要求などにもかかわらず、労働者が自分の感情をコントロールしながら、顧客や住民に礼儀正しく適切に対応するという労働のことだ。古くからの肉体労働や頭脳労働とは違って、サービス経済化がすすむにつれて、この30年間で重視されるようになった労働の考え方だ。『同一価値労働同一賃金』の考え方による職務評価は、この考え方を取り入れている。」

遠藤公嗣明治大学教授

ドイツのサービスについてインターネットに載っている熊谷徹氏の「独断時評」です。

・ なぜドイツはサービス砂漠なのか?
…なぜドイツ人はサービスが不得意なのだろう。
ドイツ語でサービスはDienstまたはDienst-leistungだが、この言葉はdienen、つまり、誰かに仕えるという動詞からきている。dienenというドイツ語には、従属的な語感がある。自分が他者に対して、低い地位にいるような印象を与える。つまり、個人主義と独立性を重んじるドイツ人にとっては、イメージの悪い言葉だ。
したがって、ドイツではサービスが無料ではない。この国の企業や商店は、サービスを提供するためのコストを常に考慮する。サービスに掛かる費用が、収益に比べて高くなり過ぎると判断された場合には、サービスは提供しない。これは、日本とドイツの商習慣の最も大きな違いの1つだ。
もう1つ、サービス砂漠を象徴するものは、商店の営業時間の短さだ。これは『閉店法』という法律によるものだが、ドイツに初めてやって来た日本人の多くは、ほとんどの商店が日曜日や祝日に閉まっていることに戸惑う。…
日本人は、『休日は多くの市民が買い物をする時間があるのだから、店を開けておけば売り上げが増えるではないか』と思うだろう。しかしドイツでは、週末に店を開けて売り上げを伸ばすよりも、休みを優先させる。『オフィスで働くサラリーマンだけではなく、商店で働く人々にも、家族との時間を楽しむ権利を保証するべき』という意見が有力だ。
・ 価格を抑えるためにサービスを節約?
一方で、ドイツの物価は日本に比べると割安である。その理由には、サービスを省略しているということもあるだろう。ドイツの商店やホテルが、日本のような、かゆいところに手が届くようなサービスを提供できない背景には、人件費が高いゆえに効率的に仕事をさせなくてはならないという事情がある。もしも、ドイツのホテルや商店で日本並みの水準のサービスを要求したら、請求書の金額はより高くなるだろう。…
その代わり、この国の牛乳やヨーグルト、バター、パンなどの食料品の価格は、かなり安い。

熊谷徹「独断時評」

ドイツでは、夜や日曜に店が開いていないことについて、労働者は「自分が休んでるのだからそこの労働者も休まなくちゃ」という感覚なのだそうです。
無料のサービスはありません。最初の犠牲は生産者や労働者の人件費です。日本ではそのために非正規労働者が拡大しています。その次に価格に付加されます。自分には特権があると思う利用者は、誰かを犠牲にしています。犠牲になった労働者はストレスを別のところで爆発します。

教員についてです。

200年10月5日のフランス国営テレビニュースによると、オワーズ県の軽罪裁判所で、子どもの非行のかどで両親が禁固1か月の判決を受け、収監されたとのことである。7歳から15歳までの8人の子供が村の秩序を乱し、うち1人に関しては、その学校での行状に憤った保護者たちが学校を封鎖してしまったほどであったらしい。学校を封鎖した保護者たちは、学校に抗議していたのではない。教師に対してさえ身体的な暴力や言葉の暴力を振るうような子供を放置している親に抗議していたのだ。当然のことながら、親権という権利を持つ者こそが、子供の教育に対して第一義的な義務と責任を負うからである。だから、フランスでは、暴力的な生徒がいた場合、職場の安全が確保されるまで教師たちが仕事を拒否することさえある。

『日本とフランス二つの民主主義不平等か、不自由か』薬師院仁志著光文社新書


フランスやイギリスの学校教育は「シチズンシップ教育」です。市民社会の構成員を育成しています。そこでは、教師と保護者は子どもの教育に「横」に連携して責任を負います。教育環境の整備は双方にとっての義務です。

自治体です。
2012年1月、全労働省労働組合は声明「理不尽な『公務員バッシング』に対して反論します」を発表しました。

多くのメディアが連日のように、『公務員バッシング』を続けています。日本社会が抱える諸問題は、すべて公務員のせいと言わんばかりの論調も少なくありません。
もとより、多様なメディアが公務や公務員を厳しく監視し、その問題点を広く発信(批判)していくことは、民主主義社会にとって重要な営みです。ですから、行政(公務)の側も情報公開に努めながら、多くの正当な批判を受け止めて、よりよい行政運営に努めるべきです。
しかしながら、昨今の批判の中には、20年前のことを取り上げてまるで昨日のことのように描いたり、統計や制度を意図的にねじまげて解説したりするなど、およそ公正とは言えないものもあります。…

2012年1月全労働省労働組合声明「理不尽な『公務員バッシング』に対して反論します」

政府は、行政改革を進める手法の1つとして公務員バッシングをあおっています。しかし、公務員労働者の労働条件や労働環境を厳しくすることはゆとりをなくし、住民サービスの低下につながることはあきらかです。逆に社会全体の労働条件や労働環境の低下につながっていきます。このことに早く気がつく必要があります。公務員労働者は政府の攻撃に対して全労働のような対応をしていく必要があります。
そして「地方自治体に窓口業務はつきものだ。住民票の発行から消費生活相談まで、とても多い。これら窓口業務を担当する職員は、全員が『感情労働』を求められ、その『感情的負担』が大きいはずだ。そして、あまり知られていないことだけれども、地方自治体の窓口業務は、その全部または相当部分が、非正規職員、とくに女性の非正規職員の担当だ。住民に応対する職員の多くは、実は、非正規職員なのだ。」(遠藤公嗣明治大学教授)という現実も直視する必要があります。

駅員への暴行についてです。
鉄道労働者への暴力行為に対する解決に取り組んだオランダの例が『朝日新聞』2009年11月17日から3回にわたる岡崎明子記者の取材による『欧州の安心心を癒やす』で紹介されました。
オランダでは2004年に労働環境法が改正され、2010年までに全事業所を国の労働環境局の職員、日本でいうと厚生労働省の職員が査察することになりました。
2005年2月に労働環境法が改正され、査察は職場環境改善を優先課題として取り組むことを決定しました。職場環境については、メンタルヘルスケアにとっていい職場環境を作ろうということで4つの優先事項を決定しました。1つ目は労働災害、2つ目は心理的職場環境、3つ目が騒音、4つ目が「筋骨格系障害」です。
日本のJRに当たる国鉄DSBコペンハーゲン中央駅を管轄するサービス部門への査察がありました。
2007年10月の査察は、2人の査察官が約4時間にわたって従業員に職場の状況を質問し、その結果、とくに駅員の心のケアのあり方に問題があると判断しました。心理社会的職場環境として何が悪かったのか。その後2回の査察で、日本でも同じですが、駅は酔っ払いや薬物中毒者が多く、駅員が注意すると殴られたり暴言を吐かれることが絶えないという実態が明らかになりました。そのために職員は年間平均18日間の病気休暇を取るという劣悪な職場環境でした。
2008年3月、改善通知を受け取りました。DSBは、まず80人の全従業員にどんな心理的負荷を受けたか、どうやったら解決すると思うかとインタビュー調査をしました。それをもとに2008年6月から行動計画書を作成して実行に移しました。
行動計画書の内容は、今までは駅で寝ている人に「駅が閉まるからでて行け」と言うと頭をバンと殴られたりしていたのを、「ここで寝ていると危ないですよ」と対処方法を学んでソフト路線に変えました。酔っ払いや薬物常習者らのいざこざを仲裁しようとして暴力や暴言が吐かれた場合は仲間同士で慰めあう、話を聞く機会を設けるというように、痒いところに手が届くような約20項目の綿密な行動計画を作って実行したそうです。
その結果、それまで暴力事件が年間約約30件起きていたのが3分の1になり、病気休暇が9日間に半減したという効果がすぐ出たそうです。
ヨーロッパ、とくにドイツは、サービス業務の労働者の社会的地位は日本と比べて高いです。というより、それぞれの労働者は対等です。それぞれの職能にプライドを持っていてお互い尊重し合います。だから、営業活動でも“押し売り”、“押し付け”はしません。
労働者同士、お互いへの感謝といたわりと連帯が必要です

7.具体的対応

対策には、ILOや韓国のサービス連盟が具体的に提案しているように、労働者・消費者・政府・企業それぞれの役割があります。解決方法としては、クレームや攻撃は起こることを前提に対策を取る必要があります。
まず、企業・使用者は、トップから職員を守る姿勢をはっきりさせる必要があります。最終的責任はトップが負うというアピールが必要です。そのうえで、トラブルが発生した時のサポーター体制を確立しておくことが必要です。「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」と同じです。さらに、トラブルを評価の対象にしないことが必要です。そうすると労働者は少しは安心して対応できます。
しつこいクレーマーにははっきりと「業務妨害」、「暴力」であると提示し、企業・使用者は労働者に、顧客との対応を拒否する決定権限を与えることが必要です。クレーマーは一歩譲歩すると二歩付け込んできます。クレーマーの顧客が減っても企業の売上高は大きく減少しません。むしろ、クレーマーに対応している時間はチャンスロスが発生しています。
そのうえで労働者は、心構えが必要です。

  • 自分に向けられたものだとは思い過ぎない。
  • 相手の社会に対する不満がたまたま自分に向けられていると理解する。
  • 相手の感情に巻き込まれない。弁解しない。その方が早く終了する。
  • 後で誰かにその時の状況を、感情を含めて話して聞いてもらう。
  • 終了したら休息をとる。
  • 体験を共有化する。

職場のトラブルが治まったからといって解決したということではありません。対応した職員へのいわれのない攻撃、正義感、価値観、自尊心への攻撃は放置したら傷は癒えません。労働者としての誇り、労働の誇り、喜びを奪われます。身体的打撃を受けた場合はトラウマに襲われて労働が恐怖になることもあります。有能な労働者を失うことになります。
人格の回復のための心のケア、同僚等の支援が必要です。労働者の言い分を聞き直し、対応の正当性を共有しあって回復に向かわせる必要があります。そして、休養を保障する必要があります。各職場に他からは干渉されない休憩室が必要です。
「感情労働者に不当要求拒絶、謝らない権利を付与せよ」を遂行することの一番の効果は、労働者の尊厳を守り、心身の安全を守り、労働環境が改善されることです。

8.韓国の取り組みから学ぶこと

韓国では2010年ころから感情労働への取り組みを始めました。感情労働を「職業上の接客時において、たとえ自分の感情が良いとか悲しいとか腹立たつ状況にあっても、会社が要求する感情と表現を顧客に見せることができるなどの顧客応対業務」と定義しています。ILOの職場の暴力を「感情労働」と呼んでいます。
感情労働にたずさわる化粧品の販売員の労働組合は、最初は「手当」を要求します。それでは解決しないということがわかると「休暇」を要求します。ゆとりの保障です。
コールセンターなどでは一方的に謝らない権利、電話を一方的に切る権利を要求して獲得します。人間性の再獲得です。
デパートの下請会社とデパートで対応について業務協定を結びます。企業が労働者を守る対策を開始し、労使、関連会社間で取り組みます。
コールセンター労働者のビラまきをして社会に呼びかけ、社会的問題にします。問題の可視化です。
光州では、市民が「デパートには人がいます」のビラまきをします。「ともに生きよう」の呼びかけです。
ソウルのコーヒーショップの労働者がメーデーにミニステッカーで連帯を訴え、社会全体での取り組みの課題にしました。
「あたりまえの日常に対する感謝と
互いの労働に対する尊重を
私たちから始めましょう
たった今から」
(具体取り組みについては「韓国の感情労働/ 労働環境健康研究所を訪問」『安全センター情報』2016年3月号を参照)

9.まとめ

2013.3.29号のILO駐日事務所のメールマガジン「トピック解説」のテーマは「職場の暴力」です。

職場における暴力は、確立した行動様式や固定観念、作業組織の変化、労働強化、変わりやすい賃金や職種、経済危機の影響などと結びついた大きな問題です。…
仕事の世界における暴力は健康、教育、法、社会・経済上の問題であるだけでなく、人権問題でもあります。企業には欠勤の増大、従業員定着率の低下、業務成績や生産性の低下、マイナスの企業イメージ、訴訟関連費用や罰金、高い和解費用の発生、保険料の上昇などのコストが発生する可能性があるため、職場における暴力の撤廃には企業経営上の強い論拠が存在します。労働者にとっては、ストレス上昇、勤労意欲の喪失、労働災害や障害の発生につながる可能性があり、時には命を失う危険性もあります。こういった事態が保健、福祉、社会保障制度にもたらすかもしれない負荷は、性差に配慮した総合的な労働安全衛生方針と仕事の世界における予防文化の促進を通じて、回避できる可能性があります。

2013.3.29号ILO駐日事務所メールマガジン「トピック解説 職場の暴力」

感情労働・職場の暴力の発生は、労働者が現在かかえている問題の別の表現です。加害者は、本心は差別・格差、孤立状態から脱皮できないでもがいています。ノルマ、長時間労働等でのストレス、苦痛を発散するための手段を失っています。ですから実は“被害者”でもあります。くり返しますが、労働現場が抱えている問題と一体のものとして対応しないと本質的解決には至りません。
この“被害者”からどうやって脱出するか。我慢、あきらめ、服従、自己の喪失から人間性の回復、人権獲得に向かう必要があります。残念ながら多くの労働組合は機能していません。小さくても自分で新しい人間関係をつくり機能させなければなりません。不満だけでは何も解決しません。
「現在は社会が病んでいます」。その治療に社会精神医学の概念である「治療共同体」の6つの原則を適用してみます。①情報伝達の解放、②出来事のその都度の分析、③新しい行動様式を体験する場を豊富に作る、④特権階級を平板化する、⑤成員すべての役割の検討、⑥成員すべてが参加する会合を規則的にもつ、です。
共同作業は自己の再発見、自己表現につながります。お互いを尊重し、認め合う関係性づくりに挑戦できたら、現状態の分析と問題提起、原因追及、そして、社会(職場)づくりに挑戦します。
感情労働・職場の暴力の解消は、労働者が孤立・分断、競争から脱出した管理支配に対峙する運動、そして差別・格差を可視化して社会に問う運動を展開していくことで可能となります。

安全センター情報2017年4月号