ジアセチル職業病損害賠償裁判提訴/東京●労災認めぬ事業主に損害賠償求める

以前本誌でご紹介した、ジアチセルという化学物質による閉塞性細気管支炎の労災事案。6月19日に、事業主の安全配慮義務違反を問う民事賠償裁判を提訴した。化学物質による重い労災疾患をもたらした企業の責任を追及する裁判が始まる。

Aさんは、食品香料等を製造している理研香料工業株式会社(東京都港区)に2015年に入社した。
理研香料の羽田工場では、毎日数百種類の香料、化学物質、植物油などを使用して1000種類近い食品香料を製造しており、Aさんが勤務していた製造室も、1日約1トン、多い時は約2トンの香料を製造していたようである。そして、化学物質ジアセチルは、乳製品などに使うバター系香料の原料のひとつとして、製造室でほぼ毎日、多量に使用されていた。Aさんは、日々の食品香料の混合撹拌作業や、香料製造後に大型タンクに入って内部を清掃する作業などで、ジアチセルに曝露したと考えられる。

製造室内に局所排気装置は1か所しかなく、ほとんどの作業は局所排気装置のない場所で行われていた。さらに、防毒マスクも一部の化学物質を使用するときだけ使うようになっており、通常の作業では、サージカルマスクの支給しかなかった。
製造後の大型タンクを清掃する作業では、主に女性社員がタンクの内部に入り、内部に残った香料を拭きとり、洗剤と水で洗い流していたが、このときも防毒マスクの着用指示はなかった。不十分な安全対策しかない職場環境の中で、Aさんはジアチセルにさらされながら業務をしていたのである。

Aさんは2018年1月頃から咳が出て疾がひどくからむ症状に悩まされるようになった。3月に入ると咳が止まらなくなり、いくつかの医療機関を受診したものの症状は良くならず、5月にはさらに咳が悪化し、息苦しさのあまり日常生活すら困難になった。その後、医療機関で肺機能検査を行ったところ、息を吐きだす機能が通常の半分程度になっていることがわかり、同年6月上旬から休職に入った。Aさんは、同年12月に「閉塞性換気障害(閉塞性細気管支炎疑い)」との診断を受け、労災申請に踏み切った。

このケースでは、労働基準監督署だけでは判断できないとして、厚生労働省の職業病認定対策室が最終的な調査と検討を行った。厚生労働省は、2年に及んだ労災調査の中で、羽田工場の職場環境や使用物質を調査するだけでなく、ジアセチルに関する海外の研究文献を収集し、専門家3名に分析・検討を依頼。また、中央労働災害防止協会の専門家に、Aさんが曝露したジアチセルの濃度の推定値を計算させるなど、かなり綿密な調査を行った。
当センターも、産業衛生の専門家である熊谷信二先生(元・産業医科大学教授)に協力を依頼。熊谷先生は、海外で蓄積されていたジアチセルと肺疾患に関する疫学調査の論文などを分析し、労災認定を求める意見書を厚生労働省に提出した。
このような経緯をたどり、2020年12月中旬、厚生労働省は、Aさんの閉塞性総気管支炎について「業務におけるジアチセルの曝露が相対的に有力な原因」と認定し、ようやく労災認定が出された。

Aさんは労災認定後に、労働組合・下町ユニオンに加入し、理研香料に対して謝罪と再発防止を求めて団体交渉を申し入れた。2度ほど団体交渉を行ったものの、議論は残念ながら平行線で終わった。
理研香料は、その回答の中で、「厚生労働省は、ジアチセルが閉塞性細気管支炎の発症原因となると断定しているわけではないと理解している」、「本件疾病発症の原因は不明と考えております」として、Aさんの閉塞性細気管支炎を労災として認めず、謝罪はしないという姿勢を示した。そして、「そもそも当社には『予見可能性』自体がなく、『法的な責任』はない」と回答してきた。さらに、労災認定後に同社が行った安全対策についても、回答を拒否した。

理研香料のこうしたかたくなな対応を受け、Aさんは会社の安全配慮義務違反を問う民事賠償裁判を起こすことを決意した。東京共同法律事務所の小川隆太郎弁護士、木下徹郎弁護士が代理人となり、下町ユニオンと当センターが裁判支援に取り組むことになった。
6月19日に厚生労働省記者クラブで行った提訴記者会見(表紙写真)では、Aさんも療養中のご自宅からオンラインで参加し、ご自身の言葉で今回の提訴について語った。

「私は、入社以来約3年間、病欠も遅刻も早退もしたことなく、真面目に働いていました。それなのに、社員の健康管理に気を配ることなく、社員の命より会社の利益を優先する会社だと私は強く感じ、憤りをとどめることができません。
この裁判を通じて、会社には事の重大性をしっかり認識し、謝罪してほしいと思っています。また、これ以上被害者を増やさないために、社員のための安全管理や労働環境をしっかり整えてほしいです」。
「できることならば健康だった頃の身体に戻してほしいですがそれは不可能なので、今後私のように悲しむ人が二度と出ないよう、会社には労災を認め、しっかりとした対策を講じてほしいと思っています。
私はこのことを訴えたくて、この裁判を提訴しました。ご支援いただければ幸いです。どうぞよろしくお願い致します。」

Aさんは労災認定後、症状が徐々に悪化しており、現在は常に在宅酸素の状態で自宅療養となっている。会社の謝罪と賠償、再発防止を勝ち取るために、当センターも全力を挙げて支援に取り紐んでいきたいと考えている。今回の裁判にぜひご、関心をお寄せください。

文・問合せ:東京労働安全衛生センター

安全センター情報2024年11月号