アスベスト(石綿)被害、企業との団体交渉。裁判によらず損害賠償ーアスベストユニオン/大阪・神奈川

アスベストユニオン機関紙No.32(2021年1月8日)から、3つの報告を転載させていただきます。

セキスイファミエス

組合員のMさんは悪性胸膜中皮腫に罹患し、現在も闘病中です。1975年にセキスイハイム建設に入社し、何度か会社の名前が変わって現在はセキスイファミエス近畿という名称になったものの、1994年まで一貫して同じ会社で働いていました。

2年ほど前から息切れを覚え、看護師をしている娘さんの勧めで診てもらったととろ、胸水が認められたことから、精密検査で中皮腫が確認されました。同年7月に胸膜摘出手術を受けましたが、昨年の6月に再発が認められました。

積水と言えば、建材としてアスベールが主力商品であり、この建材はキッチンや浴室の壁に使われてきました。積水ハウスのウェブサイトを見ると、1994年9月まで石綿含有製造時期として公表されており、ちょうどMさんが働いていた時期と重なります。

Mさんの仕事は現場監督で、セキスイハイムは当時から、ユニットという工場で作られた資材を組み立てて住宅を建設していました。各ユニットを組み合わせて家を建てているのですが、組み立てられる様子をただ見ているだけではなく、現場では職人さんの手伝いもしましたし、他の作業をする下請けの職人さんもいますから、そとでは建材の切断や削孔などの加工も行われています。当時は防じんマスクをすることもなく、埃の中で監督をされてきたのです。

Mさんがとくに覚えていることは、品質保証部に配属されていたころ、住宅に対するクレーム対応のために、床下を這いまわったことです。断熱材から発生する埃の中、問題個所を探して応急処置をするのですが、真っ黒になって作業をしたそうです。

この部門はのちに独立し、セキスイハイムサービスというメンテナンスとリフォームの専門の会社になりました。Mさんの職種は営業でしたが、現場監督として、施行開始から建物の引き渡しまで施工管理をしましたし、入金処理も行っていました。当然、リフォームには解体や取り外しも伴いますから、その際には、先述のアスベールが破砕され、石綿が混じった粉じんにさらされることになりました。

このようなことを、現在の会社名、セキスイファミエス近畿に伝えて労災請求を行いましたが、会社は事業主証明を拒否しました。その理由は、前述のとおりセキスイハイムはユニットを組み立てるだけだから、「作業を通じて発生する石綿粉じんは微々たるもの」というものです。この拒否理由には異議を唱えざるをえません。一回一回の工事で発生する石綿粉じんが少量であっても、約20年働いてきて、多くの時間を工事現場で過ごされてきたのです。また、実際の作業は先にも述べたように、ただ見ているだけではありません。Mさんの中皮腫の発症に仕事を通じて曝露してきた石綿が影響しないとは言えないはずなので、私たちも会社に証明するよう説得しました。しかし、結局事業者印が押されないまま、労災の請求様式が返ってきてしまったのです。

たとえ事業主が認めなくても、事実として現場で石綿粉じんに曝露したととは事実ですし、業務上疾病として認められましたので、会社には認識をあらためてもらわなくてはなりません。

団体交渉を通じてわかったことですが、現在の幹部は、Mさんが働いていた当時の作業環境についてまったく分かっていません。事業の拡大に伴い、分社化してそれぞれの会社は発展していったのかもしれませんが、事業所の名前を変えるたびに石綿曝露の実態や、損なわれてきた従業員の健康についてどこかに置いてきてしまったに違いありません。セキスイファミエス近畿としては初めて石綿関連疾患に関する被災者を出したということですが、2021年の12月には認定事業場として公開されます。そのときまでに会社からOBにアプローチし、石綿に関する啓発や退職後の健康診断の実施などに取り組んでほしい、とMさんは考えています。

三菱重工横浜造船所

Hさんは1966年から約30年間、三菱横浜造船所に務め外国船係に配属された時期、通訳をかねて外国人船主を案内して建造中の船の中へ頻繁に出入りしていました。2019年に胸膜中皮腫を発症。2020年7月に労災認定されました。三菱の担当者は自宅に出向き、Hさんに会社の補償内容を伝えました。

三菱の退職者へのアスベスト補償規定は1999年に作られています。死亡の場合、見舞金を含めて2,200万円で、他社よりも高くなっています。しかし、この制度は在職者のじん肺補償制度が土台となっていて、療養中の中皮腫は、在職者のじん肺管理区分2の合併症療養者と同じ1,200万円です。

これでいくと中皮腫の場合で、もし労災以外の原因で亡くなった場合はそれっきりとなります。じん肺療養中の人と中皮腫の人の病状の重さ軽さはあるとしても、日々感じる深刻度を考えると、このレベルのあてはめには納得できません。中皮腫の深刻度がまだ十分理解されていなかったこの時期の制度のままで、いまだ改善されていません。

患者と家族の会に参加したHさんは、神奈川労災職業病センターを通じてアスベストユニオンに2020年8月に加入し、三菱との交渉に入りました。

過去、私たちは同じような事例を支援しています。三菱高砂製作所の退職者の件です。ごく若い時に三菱を退職。労災給付額が低いことなども理由にして存命中に内金として2,000万円を支払うということで終結させました。

この事例をもとに9月に交渉を開始。前例に沿った内容で11月に合意。Hさんのご自宅で双方が調印して解決。その19日後にHさんは旅立たれました。

かつて長崎では、「三菱(造船)のお方、県庁の人、市役所のやつ」と言ったとか。その勢いはいまの三菱にはまったくありません。それどころか造船部門を分社化して切り離すところまで来ているとか。団体交渉でも名刺も出さずそそくさと決着しました。

住友重機械工業

住友重機械工業の造船部内で働き、アスベストによるじん肺(石綿肺)となった退職者8人が会社を相手取って裁判提訴したのは1988年。以来、9年かかって勝利和解。日本で最初のアスベスト集団訴訟でした。

このとき8人が所属する全造船浦賀分会は解決するにあたって、謝罪と退職者のアスベスト被害の補償制度の制定などを求めました。60歳以下の死亡は1,600万円、70歳までが1,000万円。それ以上では1,000万円。これが当時、全国初のアスベスト補償制度でした。

その後、さらに引き上げを続け、2006年のクボタショックや多くの事例が明るみになるにつれ水準が上がり、造船大手では死亡は現在、ほぼ年齢制限なしの2,000万円になっています。

2003年に提訴した住友第二次裁判は原告12名全員が第2組合員、原告の一人だったMさんは、ボイラーの仕事をする製缶工で定年まで働き中皮腫で亡くなっています。この裁判、会社の反論をことごとく覆して原告が完全勝利しました。住友は控訴せず確定。死亡者に対し2,500万円が認められました。

その原告だったMさんの息子Iさんは、父と同じ職場で製缶工として一緒に7年働き、50年後に同じく中皮腫でお亡くなりになられました。住友にしかるべき責任をとれ!と要求し、第1回の交渉は2019年11月、2回目は2020年3月に実施しました。

その後はコロナで中断。電話でのやりとりではラチがあきません。住友の担当は「他社就労がある。在職期間が短い。会社への貢献度が低い」との主張。これは裁判でやるしかないと腹を決めていたととろ、一応、制度を上回る水準となり、解決することになりました。

それにしても親子そろって同じ仕事で中皮腫死亡。ご遺族の無念はいかばかりかと思います。

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