毎日新聞社大阪本社 労災隠し取材班/(2004.11.15)web版

あとがき

私たち新聞記者にとって、「労災事故」を取材するのは、被災者が亡くなられたケースがほとんどだ。そういう場合は、警察や消防署への取材などでキャッチすることが多い。

しかし、幸いにして死亡事故や重体事故に至らないケースについては情報網にひっかかることは少ない。反省も込めて言うならば、死亡事故でなければ、新聞記者として注目することは少なかった。むしろ、大きな死亡事故を取材することによって、労災というものが分かったような気になっていた側面も否定できなかった。

労災事故について「分かったつもり」でいた私たちは、最初、「労災隠しが横行している」という当初の断片的な情報に耳を疑った。「それは本当だろうか」と取材を重ねるうちに、ふだんは新聞記事、ましてやテレビ報道には出ない無数の労災事故があることが分かった。そのひとつひとつに、治療費や休業の補償というとても深刻な問題が横たわっていることに初めて気づき、実感した。労災隠しにあうと、国が定める労災保険による補償を受けられなくなり、被災者のみならず、その家族を含めて、苦しい生活を強いられることになる。労災、そして労災隠しは、一見、地味だが、とても深刻だ。

しかも、従来の「工事現場でのけが」というイメージをはるかに超えている。オフィスでは、コンピューターを扱う人に出る頸肩腕症候群、複雑な労働体系がもたらしたストレスなどによる過労自殺、職場の改装などによるシックハゥス症候群・・・。労災に関係する取材テーマは尽きない。こうした問題の1端を取材した結果、本書が出来上がった。

いま、労災保険を民営化しようという動きがある。政府・厚生労働省が現在運営している労災保険制度は確かに、取材を通じて情報公開という点や受給するべき人に保険の給付がされているかという点で疑問を抱いた。しかし、交通事故をめぐる損害保険の支給実態を垣間見ると、労災保険が民営化された場合に果たして被災者が今以上に適切な給付を受けられるだろうかという疑念が出てくる。むしろ、給付が少ないほど保険会社の業績がよくなり、給付抑制をしたくなる誘惑が出てくるだろう。さらに、事業所によるかけ金が少ない保険会社ほど売り上げを伸ばすということが給付抑制の傾向を加速させるという懸念を強く持たざるを得ない。労災の発生の認知が前提となる労災隠しや虚偽報告に対する司法処分も激減し、現在も横行している労災隠しがさらに勢いを増すかも知れない。損害保険の不支給根拠や保険会社などのお金の出入りなどの情報公開も後退しないだろうか。

安全に働き、仮に仕事中に事故にあっても損害が補償されるというこの基本的人権にかかわることは安易に経済性原理にゆだねるべきではない。

ただ、だからといって今の労働関係行政、とりわけ労災保険をめぐる行政を全面的に肯定するわけではけしてない。「行政がやっても、民間がやっても所詮は、労働者の人権が守られやしない」そういったシニカルな批判が出てこないよう民営化論議されている今こそ、行政の人々はえりをただし、被災者から信頼される仕事をしていただきたいと思う。行政がやっているからこそ、労災隠しという人権侵害が防げているのだ、と胸を張れる厚生労働省、労働基準監督署の職員が増えることを切に願いたい。

私たち労災隠し取材班は、大阪本社の特別報道部(当時、森山三雄部長)に結成された。デスクワークは当時の若菜英晴・大阪特別報道部デスク(後に東京社会部、大阪社会部両デスクを経て阪神支局長)が担当した。取材はキャツプの大島秀利(後に社会部編集委員)、亀井正明(後に社会部)、清水勝(後に社会部を経て鳥取支局次長)が当たった。

取材や執筆に当たっては、「関西労働者安全センター」の西野方庸氏、片岡明彦氏、田島陽子氏、「全国労働安全衛生センター」の古谷杉郎氏から、多大な示唆やアドバイスをいただいた。アットワークスの塩見誠さんは、私たちの記事を理解してくださったうえで、異動や忙しさにかまけて出版化作業が進まない私たちに対し激励したり、尻をたたいたりして、出版にこぎつけさせてくださった。何よりも、快く取材に応じたり、情報提供してくださった被災者のみなさんやご家族、その関係者に感謝したい。

2004年10月1日  大島 秀利

<全国労働安全衛生センター連絡会議と各地の労働安全衛生センター>

<都道府県労働局>

なくせ!労災隠し(書籍版)
2004年11月15日発行
著者  毎日新聞大阪本社労災隠し取材班
発行  塩見誠
発行所 有限会社アットワークス

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