ベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤を用いた剥離作業に伴う急性の健康被害について~急性中毒8事例を紹介、問題の背景など【文献紹介】

8つの事例と問題の背景

本サイトで紹介したように、厚生労働省は2020年8月17日、未規制物質であるベンジルアルコールや特化則物質ジクロロメタンを含有する塗料等の剥離剤による火災や中毒事案が頻発していることから「剥離剤を使用した塗料の剥離作業における労働災害防止について」基安化発0817第1号令和2(2020)年8月17日を発出した。

この問題に関連して、日本中毒学会機関誌「中毒研究」33巻(2020年)に「ベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤を用いた剥離作業に伴う急性の健康被害について」と題する研究報告が掲載された。

同報告は、「近年,環境や労働者の健康に及ぼす影響を考慮した製品として,ジクロロメタンや1,2一ジクロロプロパンなどの塩素系有機溶剤や化学物質に関する法令などで危険有害性に関する規制対象である化学物質を含有する溶剤系塗膜剥離剤に代わり,これらを含まず,アルコール系溶剤を成分とする水系塗膜剥離剤が複数のメーカーから発売されている。2017年4月には塗膜剥離剤の製造事業者などにより「水系塗膜剥離剤工法等研究会」が設立され,また国土交通省が2019年3月に公開した「『土木鋼構造用塗膜剥離剤技術』の試験結果等」からも,水系塗膜剥離剤が多く使用されるようになったことがうかがえる。」と述べ、ベンジルアルコールによる中毒事例の発生が規制物質から未規制化学物質への転換に伴い発生したものであったということともに、そうした塗膜剥離剤の成分変更や健康障害発生に合わせた業界の動きも紹介している。

同報告によると、中毒情報センターの「中毒110番」が、ベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤を用いた剥離作業に伴う急性中毒を受信したのは2014年が最初であり、2019年7月に8例目を受信している。2015年、2016年と受信はなく、2017年の3例目からは毎年受信している。

厚生労働省の通達発出は本年8月であるので、行政対応としては遅れたと言わざるを得ない。

この報告はまとまったものとして重要であるので以下に全文を紹介する。

ベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤を用いた剥離作業に伴う急性の健康被害について【中毒情報センターから 】

中毒研究33:94-98,2020

今田優子1),波多野弥生1),飯田薫1),三瀬雅史1),高野博徳1),遠藤容子1),奥村徹1),水谷太郎1)2),吉岡敏治1)3)

1)公益財団法人日本中毒情報センター
2}地方独立行政法人茨城県西部医療機構
3)森ノ宮医療大学

著者連絡先:今田優子
公益財団法人日本中毒情報センター
〒562-0036大阪府箕面市船場西2-2-1ニューエリモビル5階

はじめに

日本中毒情報センター(以下,JPIC)はトキシコビジランス(Toxicovigilance)の観点で,日頃から「中毒110番」への問い合わせを通じて中毒事故の動向に注意を払っている。そのなかで,これまで知られていなかった新しい中毒事故に遭遇することがある。2014年以降,ベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤を用いた作業に伴う問い合わせを受信し,重篤な急性の健康被害を生じた症例を複数把握した。そこで本稿では,ベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤を用いた剥離作業に伴う急性の健康被害について,事故の発生状況,出現症状など,現在判明している実態を報告する。

Ⅰ 背景

1.塗膜剥離について

塗膜剥離剤は古くなった塗装(塗膜)を除去する薬剤で1),橋梁など,塗装の定期的な塗り替えが必要な土木鋼構造物の塗り替え工事の際に用いられる。塗膜剥離の方法は,研磨材を吹き付けて塗料を除去する乾式ブラストなどの物理的剥離と,塗膜剥離剤で塗膜を湿潤して除去する化学的剥離の大きく2つに分けられる2)。物理的剥離による鋼橋の塗り替え塗装工事において鉛粉じんによる鉛中毒事故が発生したことを受け3),2014年5月に厚生労働省から,塗装の剥離やかき落とし作業従事者が,塗膜に含まれる鉛やクロム,PCBなどの有害な化学物質に曝露して健康障害を引き起こさないための対策を講じるよう,通達が出された4)。この厚生労働省の通達以降粉じんが発生しやすい物理的剥離よりも,塗膜剥離剤を用いる化学的剥離が選択される傾向にある。
塗膜剥離剤には溶剤系と水系があり,いずれも主成分はアルコール系高沸点溶剤やエステル系有機溶剤,複素環状有機溶剤などの有機溶剤であるが,水系は水を35~50%程度含有する3)。近年,環境や労働者の健康に及ぼす影響を考慮した製品として,ジクロロメタンや1,2一ジクロロプロパンなどの塩素系有機溶剤や化学物質に関する法令などで危険有害性に関する規制対象である化学物質を含有する溶剤系塗膜剥離剤に代わり,これらを含まず,アルコール系溶剤を成分とする水系塗膜剥離剤が複数のメーカーから発売されている。2017年4月には塗膜剥離剤の製造事業者などにより「水系塗膜剥離剤工法等研究会」が設立され3),また国土交通省が2019年3月に公開した「『土木鋼構造用塗膜剥離剤技術』の試験結果等」5)からも,水系塗膜剥離剤が多く使用されるようになったことがうかがえる。

2.ベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤

JPICで把握している範囲では,現在販売されているベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤のベンジルアルコール含有量は,数%程度から50%弱である。スプレーやローラー,刷毛で土木鋼構造物の塗装面に薬剤を塗付し,一定時間放置して塗膜が膨潤・軟化したことを確認した後ヘラやスクレーパーで剥がす1)3)。ベンジルアルコールは2020年1月現在,化学物質に関する法令などで危険有害性に関する規制対象物質には該当しない。

3.JPICの受信状況

JPICがベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤の使用に伴う健康被害の問い合わせを初めて受信したのは,2014年3月であった。同年8月にさらに1件の問い合わせがあったものの,それ以降,2017年8月まではなく,注視はしていなかった。しかし2017年8月から2019年7月に6件の問い合わせがあり,近年,事故が散発していることが推察される。

Ⅱ JPICで受信したベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤による健康被害事例

ベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤による健康被害事例について,医療機関からJPICへの問い合わせは,2014年3月から2019年7月までに8件(8例)あった。Table1に,8例における事故の発生状況と症状,臨床経過を発生日順に示す。

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1.発生状況

発生年は2014年2例,2017年2例,2018年3例,2019年1例であった。発生月は夏季(6~8月)が5例であったが,11月2例,3月1例と比較的気温が低い時期にも発生していた。患者は10歳代後半から40歳代のいずれも男性で,既往症に特筆すべきものはなかった。使用された製品は6種類で,ベンジルアルコール濃度別に10%以下2種類(製品A,F),10~30%1種類(製品E),30%以上3種類(製品B,C,D)であり,製品Cによる事例は3例あった。作業環境として,屋外での使用と判明した5例のうち4例(症例3,4,5,7)は道路高架下などの換気状態の悪い閉鎖空間で,数時間にわたり剥離剤を用いた作業を行っていたことを確認している。保護具の着用状況は,把握し得た範囲で,マスクあり5例(うち3例はマスクの詳細不明),なし2例,不明1例であった。症例7は全面マスクおよび全身防護服を着用していたが,衣服に溶剤が染みてくるような作業状況で,来院時に両下腿全面に溶剤汚染と思われる黒色の付着物を認めた。そのほか,3例(症例1,3,4)では来院時に衣服の汚染があり,2例(症例3,7)は肩や殿部など,剥離剤が付着したと思われる部位に化学損傷を認めている。このような状況から,各症例における曝露経路の特定は難しく,吸入もしくは経皮,あるいはその両方の可能性が考えられた。

2.症状および臨床経過

重症と診断された4例(症例3,4,5,7)は,いずれもベンジルアルコールを30%以上含有する製品の使用に伴う事例であり,意識障害(昏睡,不穏会話の混乱など),アニオンギャップ開大を伴う代謝性アシドーシスがみられた。このうち3例(症例3,5,7)は,当初,昏睡状態で,挿管,人工呼吸のうえ,ICU管理が必要であった。いずれも翌日には意識は回復しているが,その後数日から数カ月に及ぶ高次脳機能障害を認めた。なお,症例3,5は,同僚が普段どおりの様子であることを確認した10分後,20分後に昏睡状態で見つかっている。そのほか3例でCK高値(数千U/L程度),2例で腎障害を認めた。入院が長かったのは症例3の24日間で,呼吸抑制,低血圧,体温低下を認め,19時間の人工呼吸管理が必要であった。また3例(症例3,5,7)において,ベンジルアルコールの最終代謝物である馬尿酸の尿中濃度が高値であったことが確認されている。

一方,軽症と診断された2例(症例1,8)では悪心・嘔吐,咽頭痛,眼の痛みなどが出現したが,1,2日の通院で経過をみることができる程度であった。なお,症例2,6は問い合わせ時点で意識障害を認めたが,追跡調査ができず,臨床経過や転帰は不明である。

Ⅲ 考察

医中誌webによると,2020年1月現在,日本におけるベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤による急性中毒の症例報告は,伊藤らによる1報6)のみであり,今回紹介したJPIC受信8例のうちの症例3と同一である。ベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤による急性中毒は,まだ知られていない新しい中毒といえる。実際に医療機関から問い合わせを受けたわれわれJPICも,海外の資料を含め,情報提供において参考にできる類似症例が乏しく,対応に苦慮した。今回の8例では,転帰を把握し得たかぎりにおいて死亡例はなかったが,重症例では重度の中枢神経抑制症状がみられ,数日から数カ月に及ぶ高次脳機能障害を認めた例が複数あるなど,注意が必要であると考える。

ベンジルアルコール(示性式:C6H5CH2OH)は芳香族アルコールで,特徴的な臭気のある無色の液体である。蒸気圧は13.2Pa(20℃)であり,メチルアルコール12.9kPa(20℃),エチルァルコール5.8kPa(20℃)の1/1,000程度と,比較的気化しにくい。他のアルコール類と同様化粧品,塗料,インキなど,多くの製品に溶剤として使用されるほか,医薬品に添加されるなど,用途は多岐にわたる。医薬品としては,ベンジルアルコールに局所麻酔作用と殺菌作用があることから,止痒目的に10%軟膏や30%程度のローションとして用いられることがあり,過去には,注射液を皮下もしくは筋肉内に注射したときに起こる疹痛緩和を目的に1~4%の割合で注射剤に添加されていた7)。現在も添加物として1%程度含有する注射剤が多く存在するが,海外において,低出生体重児に静脈内大量投与(99~234mg/kg)し,あえぎ呼吸、アシドーシス,痙攣などの中毒症状が出現したことを受けて,これまでに厚生労働省(旧厚生省)から,とくに新生児への使用に対して複数回の注意喚起が通知されている8)9)。

ベンジルアルコールは中枢神経の抑制作用をもち,代謝物である安息香酸の蓄積により代謝性アシドーシスを生じる6)10)。JPICで受信した8例において,少なくとも5例(症例3~7)は換気状態の悪い環境下での事例であった。また,5例(症例2,3,5,6,8)は気温の高い夏季であった。ベンジルアルコールは,メチルアルコールやエチルアルコールに比べて気化しにくいが,このような状況下では徐々に気化して作業環境が汚染され,吸入した可能性がある。また,皮膚からの吸収もよく,少なくとも2例(症例3,7)は剥離剤が付着したと思われる部位に化学損傷を認めていることから,経皮吸収の可能性も考慮しなければならない。

曝露防止のためには保護具の着用が必要であり,前出の「水系塗膜剥離剤工法等研究会」は,水系塗膜剥離剤の塗付および剥離除去作業において,国家検定に合格した吸収缶付きの呼吸用保護具,全身化学防護服などの使用を勧めている3)。とくに吸入については,研究会名や所属する会員企業名で,吸入防止のために推奨する安全衛生保護具(電動ファン付き呼吸用保護具・防じん機能付き有機ガス用吸収缶)の製品名や型番を紹介した文書を作成,webなどで公開し,注意喚起を行っている3)11)。JPICで受信した8例のうち少なくとも4例は,マスクや防護服を着用していたにもかかわらず症状が出現しており,保護具の種類もしくは使用方法が不適切であった可能性がある。使用にあたっては製品のSDS(安全データシート)に記載された曝露防止に関する情報なども確認する必要がある。

なお,ベンジルアルコールの許容濃度については,日本産業衛生学会が作成した「許容濃度等の勧告(2019年度)」に,暫定の許容濃度として「最大許容濃度25mg/m3」が掲載された。最大許容濃度は「その物質の毒性が,短時間で発現する刺激,中枢神経抑制等の生態影響を主とするため」に設定されたもので,「作業中のどの時間をとっても曝露濃度がこの数値以下であれば,ほとんどすべての労働者に健康上の悪い影響が見られないと判断される濃度」であると定義されている12)。

おわりに

工業用の化学製品にかぎらず,あらゆる化学製品において,新しいタイプの製品の発売に伴って新しい中毒事故が起こる可能性があり,ベンジルアルコールを含有する塗膜剥離剤による健康被害の事故はその一つといえる。JPICではトキシコビジランスの役割を果たすため,引き続き,症例収集に努め,中毒情報の整備,情報発信につなげたい。
そのためには,まず事故情報および症例情報の把握と集約が必要であり,一般からの問い合わせはもちろん,医療機関からの問い合わせと症例情報が不可欠である。医療機関の先生方におかれては,これまでに経験したことのない中毒患者の診療に遭遇した場合,JPICにぜひお問い合わせをいただきたい。なお中毒情報の問い合わせを行わない場合も,JPICに症例情報のみを登録することが可能である。各学会誌への症例投稿とともに,JPICの症例収集にもご協力をお願いしたい。

【文献】

1)国立研究開発法人土木研究所先端材料資源研究センター材料資源研究グループ:土木研究所資料;土木鋼構造物用塗膜剥離剤ガイドライン(案),改訂第2版,土木研究所資料第4354号,平成29年3月.

2)三彩化工株式会社:他の剥離工法との比較表.http://www.sansai.com/basic/comparison.html(2020年1月15日参照)

3)水系塗膜剥離剤工法等研究会:技術資料-1塗膜剥離剤の組成・成分と安全性,技術資料-2塗膜剥離剤による塗膜剥離のメカニズムと橋梁塗膜,技術資料-3塗膜剥離剤による塗膜除去工の施工,技術資料-5塗料,塗装系に関係する法令,基準の変遷と塗膜剥離剤の適用理由,技術資料-7エァレス吹き付け施工時に発生する塗膜剥離剤成分(ミスト)の吸引防止;推奨:安全衛生保護具(電動ファン付き呼吸用保護具・防じん機能付き有機ガス用吸収缶).https://www.c-wra.jp/(2020年1月15日参照)

4)厚生労働省労働基準局安全衛生部労働衛生課,化学物質対策課:鉛等有害物を含有する塗料の剥離やかき落とし作業における労働者の健康障害防止について(基安労発0530第1号,第2号,基安化発0530第1号,第2号,平成26年5月30日).

5)国土交通省:別紙-2テーマ設定型「土木鋼構造用塗膜剥離剤技術」比較表(暫定版).https://www.mlit.go.jp/report/press/kanbo08_hh_000571.html(2020年1月15日参照)

6)伊藤史生,山田栄里,糟谷美有紀,他:塗膜剥離剤の吸入により急性ベンジルアルコール中毒を来した1例。日救急医会誌2018;29:254-9.

7)ベンジルアルコール.日本薬局方解説書編集委員会編,第十五改正日本薬局方解説書,廣川書店,東京,2006,ppC-4019-25.

8)厚生労働省医薬・生活衛生局安全対策課:添加剤としてベンジルアルコールを含有する注射剤に係る添付文書の改訂について(薬生安発1013第1号,平成27年10月13日).

9)厚生労働省医薬食品局安全対策課:「使用上の注意」の改訂について(薬食安発0319第1号,平成24年3月19日);別紙22.

10)Gershanik J,Boecler B,Ensley H,eta1:The gasping syndrome and benzylalcohol poisoning.N Engl J Med 1982;307:1384-8.

11)山一化学工業株式会社:エアレス吹き付け施工時に発生する塗膜剥離剤成分(ミスト)の吸引防止;推奨:安全衛生保護具(電動ファン付き呼吸用保護具・防じん機能付き有機ガス用吸収缶),平成30年12月18日.

12)日本産業衛生学会:許容濃度等の勧告(2019年度).産業衛誌2019;61:170-202.