原発の定期検査で働き、悪性リンパ腫で死亡:喜友名正さんの労災認定を勝ち取ろう/大阪

渡辺美紀子(原子力資料情報室)

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全国の原子力発電所の定期検査の現場で、放射能漏れの検査をしていた喜友名正(きゆなただし)さんが、2005年3月に、53歳の若さで悪性リンパ腫で亡くなった。遺族が労災を申請したが、大阪・淀川労働基準監督署は不支給の決定を下した。

お連れ合いの末子さんは、昨年9月に大阪で開催された「喜友名正さんの労災認定を支援する会」の立ち上げの集会で、「夫は退職直前には沖縄に帰って治療を受け、再び原発労働にもどり、ぎりぎりまで働いた。病気で苦しんで死んでいった夫の労災をぜひ認定してほしい。名前を明らかにして支援を求めたい」と訴えた。
支援する会では、認定を勝ち取るため厚生労働省への申し入れ・交渉、全国署名などに取り組んでいる。読者のみなさんのご支援、署名の拡大などにご協力をよろしくお願いします。

被曝労働が健康を奪った

喜友名正さんは、1951年、沖縄北部の宮城島生まれ。高校卒業後、約3年半川崎市の電機メーカーで働いた後、沖縄にもどり、沖縄シャープに23年間勤務し、1997年同社を退職。大阪市内の非破壊検査を行なう派遣会社サンエックスコーポレーション(現在、廃業)に登録し、原発の定期検査現場で放射能漏れの検査を担当した。

1997年9月の北海道電力泊原発を皮切りに、全国の加圧水型原発を中心に、定検現場に赴いた。泊、伊方(四国電力)、高浜(関西電力)、大飯(同)、美浜(同)、敦賀(日本原子力発電)、玄海(九州電力)、東北電力の秋田火力発電所、六ヶ所再処理工場へと、日本全国を駆けめぐり働いた。

喜友名正さん

末子さんによると、正さんは健康で働くことが大好きで、病気で仕事を休むことなどほとんどなかったそうだ。中学生のころからバスケットできたえ、釣りや海にもぐって漁をするなどスポーツ好きで活動的だった正さんが、原発で働き始めてからは、スポーツする気力もなくなり、おどろくほど手足が冷たくなり、食欲もなくなった。

2001年頃からひんぱんに鼻血が出るようになったが、病気とは思わず働き続けた。2004年1月、体調不良となり2月に退職。突然、顔の右半分が大きく腫れ上がり県立病院に入院。鼻に腫瘍が見つかり、緊急手術を受けた。同年5月、琉球大学医学部付属病院に転院し、血液のがんの一種である悪性リンパ腫と診断され、壮絶な闘病の末、2005年3月に亡くなった。

喜友名さんの過酷な労働

喜友名さんは、放射線漏れの疑いがある現場に真っ先に入り、短期間にきわめて高い線量をあびている。喜友名さんの外部被曝集積線量は、6年4か月間で99.76ミリシーベルト。

この被曝量は、「電離放射線に係る疾病の業務上外の認定基準」に規定された白血病の認定基準線量(5ミリシーベルト×従事年数)の3倍以上である。放射線業務従事者の年間平均被曝線量(約1.3ミリシーベルト)の10倍以上におよぶ被曝量が続いた。

非破壊検査は、機器や配管の内部の状態をエックス線の透過写真により判断する放射線透過検査をはじめ、超音波による探傷検査や減肉・腐食の程度を把握する肉厚測定、磁粉・浸透探傷、目視などによる検査など工業部門では広く利用されている。放射線機器を使うため職業被曝の分野では、被曝量の最も多い職種である。原子力施設では、さらに作業現場の放射能汚染による被曝が加わる。

喜友名さんの作業現場は、作業前に難易度にあわせて3日から3か月のトレーニングを要し、あらかじめ作業手順をすべて覚えてから現場に入るという、汚染のきびしいところで、計画線量すれすれや、超える場合もあった。被曝量が多いと仕事を休むよう会社から言われ、沖縄に帰った。しかし、休職中は給料の補償もないので、すぐに仕事を求め働きに出た。

喜友名さんは、日本非破壊検査協会の技術者技量認定試験を受けていなかったので、原発以外の製品検査等の仕事はできなかったという。喜友名さんが働いた1997年から2004年当時は、原発の老朽化に伴う大型機器の交換や各所にひび割れなどが発生し、その対応で労働者の被曝線量が増加している。2002年4月、ウィーンで開催された原子力の安全に関する条約会議で、日本の軽水炉1基あたりの年間被曝線量が先進国中で最大であることが指摘され、改善が求められた時期と一致している。その傾向は現在も続き、改善されないままである。

ずさんな労基署の対応

悪性リンパ腫は放射線起因喜友名さんの労災申請(2005年10月)を、大阪の淀川労働基準監督署は、労働現場の環境や労働状況の検証をしないまま、りん伺(資料を添えて上級機関に判断を求めること)も行なわず、2006年9月、不支給決定とした。
淀川労基署は、悪性リンパ腫が労災認定の対象疾病ではなく、ウイルスが原因と判断して決定を下した。この不当な不支給決定に対し、直ちに不服申し立てを申請した(2006年10月)。

悪性リンパ腫は白血病類縁の血液の悪性疾患で放射線起因性がある。
広島長崎原爆被爆者が原爆症補償、海外ではすでに英国の原子力産業の職業病補償、米国の核開発関連施設労
働者の補償、核実験に従事した兵士や被曝した住民らの被害補償の対象となっている。厚労省や放射線影響に関する専門家はこれらのすう勢をきちんと把握し、日本の原発被曝労働者の労災補償を改めなければならない。

欠かせない労働現場と被曝実態の調査

2007年6月8日、原発問題に取り組む私たち市民団体は、さまざまな被曝問題に対して政府への申し入れ・交渉を行なった。その中で、喜友名さんの労災申請を「りん伺に戻し、再検討する」ことを、厚生労働省に認めさせることができた。

9月には、「喜友名正さんの労災認定を支援する会」が立ち上げの集会を大阪で開催し、全国署名がスタートした。支援する会は、9月26日と12月13日、厚生労働省交渉を行なった。12月13日には認定を求める全国署名第1次集約分として1万2,411筆を提出し、厚生労働省と電離放射線障害の業務上外に関する検討会に、検討するにあたって下記の4項目を申し入れ、関連資料とともに提出した。

  1. 労働現場や被曝実態の追加調査を行なうこと
  2. 喜友名正さんの被曝労働の特徴を十分に把握・考慮して検討すること
  3. 私たちが提出した喜友名正さんの悪性リンパ腫を労災認定すべきとした調査資料を、参考資料として尊重すること
  4. 検討会のメンバーの公開、検討会開催日程と審議事項の事前発表、毎回の議事録と関係資料等を公開すること

第1回目の検討会が2007年11月22日に開催され、開催要綱や議事録概要は、暮れになってようやく厚生労働省のホームページに公開された。開催目的を、「今般、電離放射線業務に従事する労働者に発症した造血器の腫瘍の業務上外に関し、認定基準により判断が困難であるとして、大阪労働局長より本省労働基準局長に対し、意見を求められたところである。ついては、当該事案に係る業務起因性の判断について専門的な見地から検討するた
め、厚生労働省労働基準局労災補償部長が、電離放射線障害に精通した専門家に参集を求め、医学上の意見を徴し、当該事案への的確な対応を図ることとする」としている。

委員は、明石真言(放射線医学総合研究所緊急被ばく医療研究センター)、草間朋子(大分県立看護科学大学理事長)、酒井邦夫(新潟労災病院院長)、別所正美(埼玉医科大学血液内科教授)の4人で、長尾光明さ
んの多発性骨髄腫を検討した同じメンバーである。
第2回検討会は3月の開催とされているが、支援する会では、2回目の検討会が開催される前、3月6日に喜友名末子さんの参加のもとに厚生労働省への働きかけ、院内集会、記者会見などを行なうことを予定している。

厚生労働省HP:電離放射線障害の業務上外に関する検討会

置き去りにされた日本の被曝労働者に救済の道すじを

今回の淀川労基署のずさんな対応の一因は、2004年1月、厚生労働省が長尾光明さんの多発性骨髄腫を労災と認定した後、同年2月に行なった交渉で、「多発性骨髄腫を例示疾患リストに加えることを、次に開かれる検討会の課題にする」ことになっていたのが、未だに果たされないままでいることにある。

白血病類似疾患など放射線被曝と関連ある疾患の扱いについて、労基署をはじめとする関連機関に周知徹底
してこなかった監督官庁としての同省の責任を厳しく問いたい。

日本の原発労働者は30万人規模に達し、1970~06年度までの総被曝線量は約3000人・シーベルトとなったが、その労災補償は、申請・認定数および疾病の種類は極めて少なく、被害は放置されている。これまでに労災認定されたのは、長尾光明さんの多発性骨髄腫を除けば、いずれも白血病(5件)のみだ。
日本では総被曝線量の96%を下請け労働者が被っている。私たちは離職後の労働者への健康管理手帳の制度などを設けるよう働きかけているが、厚生労働省は「線量限度を超えない程度の被曝線量では、健康への深刻な影響はない」として、離職後の健康管理とそのための健康管理手帳の交付の必要性を認めようとしない。また、労災申請は、あくまでも個人的なできごととして、プライバシーを尊重するという誤った認識のもとに、被曝労働者の救済のために必要な労災申請と認定の結果などの基礎資料の開示を拒否してきた。

英国では、原子力施設での深刻な事故トラブルが多数発生するなかで、労働者の訴訟が相次いだ。英国核燃料公社と労働組合との協議により、訴訟によらない補償システムとして、1982年に放射線労働者賠償機構(Radiation Workers Compen-sation Scheme)が導入された。当初は死亡だけが対象だったが、1987年からは病気に対する補償も行なわれるようになり、23年間に約1,200件の申請中、106件が補償されており、日本との差は歴然としている。

米国でも2001年1月、政府が核兵器開発施設の労働者に発症したがんが被曝によるものと認め、米国エネルギー省雇用者職業病補償により、原子力開発関連施設の労働者の補償制度ができた。

日本にも労働者の立場に立った補償システムが求められている。喜友名さんの悪性リンパ腫の労災認定を勝ち取るとともに、置き去りにされたままの日本の原発労働者の補償を、前進させる大きな動きを作っていくことが急務である。

(参考)

  • 渡辺美紀子「平均値からは視えない被曝労働の実態―6年4か月間に99.76mSv被曝し、悪性リンパ腫で死亡したKさんの労働」2006.12.1『原子力資料情報室通信』390号
  • 渡辺美紀子「困難な日本の被曝労働者の実態―喜友名さんの労災と結審を迎える長尾裁判」2007.11.1『原子力資料情報室通信』401号
  • 放射線影響協会「被ばく線量登録管理制度における統計資料」(2006年度)など

安全センター情報2008年3月号