アスベスト関連死でスイスの億万長者に実刑判決/The Guarrdian, 2023.6.7

ステファン・シュミットハイニーは、ピエモンテ州カサーレ・モンフェッラートで392人を死亡させたことに対して有罪とされた。
スイスの億万長者が、職場での死亡をめぐるイタリア最大の裁判と呼ばれている事件で、アスベスト曝露による数百人の死亡に関連した加重過失致死罪で懲役12年の判決を下された。
セメント製造会社エタ―ニト・イタリアの元主要株主で実業家のステファン・シュミットハイニーは、1986年までエタ―ニト・イタリアの6津野工場のうち最大の工場があったピエモンテ州カサーレ・モンフェッラートで392人を死亡させた罪で有罪とされ、ノヴァラの裁判所から判決を下された。
被害者のうち60人は元工場労働者で、残りは同町やその周辺の住民であった。
エタ―ニトの工場では、1970年代から1980年代にかけて、その耐久性と耐炎性から気積の鉱物と言われたアスベストが、セメントを強化するために使用されていた。73歳のステファン・シュミットハイニーは、1976年から閉鎖されるまでカサーレ・モンフェッラートの工場を管理していた。
さらに裁判官は彼に対して、カサーレ・モンフェッラートの地元当局に5千万ユーロの暫定損害賠償金を、またイタリア国家に3千万ユーロと地元のアスベスト被害者・家族協会に5億ユーロを支払うよう命じた。
イタリアの法律では、労働災害や死亡事故が発生した場合、会社の所有者に責任があるとみなされるため、会社ではなくシュミットハイニーが裁かれた。
シュミットハイニーの弁護士であるアストルフォ・ディ・アマトは、アドンクローノス通信社に対し、控訴するつもりであることを明らかにし、また、過失致死罪の評決は、依頼人が「故意の殺人者」とはみなされないことを意味するものであることは「非常に喜んでいる」と付け加えた。
終身刑を求刑していた検察官ジャンフランコ・コラーチェは、シュミットハイニーはアスベストによる死亡の原因であることに気づいていながら「その行為を続けた」と主張した。
392人の被害者のなかには、工場閉鎖から約20年後の2004年に76歳で亡くなったローザ・グランジアも含まれている。グランジアは、工場から約3.5km離れたカサーレ・モンフェッラート近くの集落に住んでいた。彼女はがんと診断されてから半年後に亡くなった。
彼女の息子マルコ・スカリオッティは、「私たちの集落とカサーレ・モンフェッラートの間には、人々が学校、仕事、買い物に行くために1日に何度も通る道がある」と語った。スカリオッティは、エターニトが町の誇りであった1970年代初頭を回想した。「人々はそこで働くためにコンテストに参加したものだ」と彼は言い、「友人や隣人も工場で働いていて、私たちの生活の大部分を占めていた。そこで働いていたことを知っている人たちのほとんどは、もう亡くなってしまった」。
工場の廃棄物は屋外で粉砕されたため、アスベストの粉じんが町中に舞い上がった。スカリオッティによれば、医師たちは1970年代後半から、アスベストへの曝露によって引き起こされるまれながんである胸膜中皮腫の頻度が増加していることに気づきはじめたという。この病気は何年も症状が現われないことが多い。カサーレ・モンフェッラートでは、毎年約50人の患者が新たに発見されている。
シュミットハイニーに率いられたエターニトSEGは、1986年に倒産するまでエターニト・イタリアの主要株主だった。ウェブサイトSicurezza e Lavoro(安全と労働)のディレクター、マッシミリアーノ・クイリコは、「イタリアの労働災害をめぐる最も重要な裁判がノヴァラで終結した。これは、他の職場に関連した裁判や、アスベストをめぐる継続的な救済に弾みをつける重要なシグナルである」と述べた。

※裁判所の外には「ステファン・シュミットハイニー、あなたの居場所は監獄だ」と書かれたポスター

https://www.theguardian.com/world/2023/jun/08/stephan-schmidheiny-swiss-billionaire-jailed-over-asbestos-related-deaths-piedmont-italy

安全センター情報2023年8月号