アスベスト相談会と講演会開催/新潟●アスベストユニオン総会も開催
1月27日、新潟市礎町のクロスパル新潟で中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会新潟支部とアスベストユニオン合同でアスベスト相談会と新潟支部の集いを開催した。
午前中開催したアスベスト相談会には、塗装業に従事していた弟が胸膜中皮腫で亡くなってしまったが、生前のアスベスト曝露歴がわからず、制度利用もしていないという男性や、かかりつけ医に石綿肺と言われ、新潟市内でじん肺健康診断を受けたところ、じん肺管理区分管理1相当と診断されたという元内装業の男性が相談に訪れた。
午後は、札幌の段林君子弁護士をお招きし、「アスベスト被害と損害賠償請求訴訟」というタイトルの講演を行っていただいた。段林氏は、2011年頃より北海道で建設アスベスト訴訟の活動を開始した後、2021年に東日本アスベスト被害救済弁護団での活動を開始した。2016年には、北海道で初めての工場型アスベスト被害国家賠償請求訴訟を担当し(後に元勤務先に対する賠償請求訴訟)、2019年には、道南バスの車両整備でのアスベスト被害に関する国家賠償請求訴訴訟を担当した(遅延損害金の発生日を死亡時から傷病発症時とする高裁判決を獲得し、国の上告不受理により確定)。2021年には、ホテルボイラーマンのアスベスト被害に関する国家賠償請求訴訟の提起を担当し、2023年に造船アスベスト被害の国家賠償請求訴訟の提起(大阪弁護団と同時提訴、全国初)を担当している。段林先生は、今年1月17日には、新潟市内にあった新潟鐵工所所・新潟造船工場元従業員で現在、胸膜中皮腫で療養している新潟市の男性と、根室市の水産会社で雇用されてドック内での船舶整備業務に従事したことから良性石綿胸水を患い死亡した元従業員の遺族らが札幌地裁に提訴した造船アスベスト訴訟第2次提訴も担当している。
段林氏は、造船アスベスト国家賠償請求訴訟について、「昨年2月10日に札幌地裁に原告被災者単位1名が提訴し、大阪地裁では被災者、遺族10名が初めて提訴した。1月17日にも、札幌地裁に被災者単位原告単位2名が提訴している。建設アスベスト訴訟のように救済制度を創設させるためには、できるだけ多くの原告に訴訟に参加していただけないと個別の解決で終わる可能性があることが今後のネックになる」と話した。
講演の後は、参加者全員で交流。1月17日に造船アスベスト国家賠償請求訴訟の提起をした元新潟鐵工所・新潟造船工場従業員の男性は、「造船の現場では、大工、電工、配管工、板金工、溶接工等がいて溶接工は、じん肺があるからマスクをしているけれど他の人はしていない。船の中でアスベスト吹き付け作業をしている人はマスクをしているけれど、まわりにいる人たちはしていないという状況でした」と話した。
患者と家族の会の小菅千恵子会長は、「能登半島地震以降、皆さんのことを心配しておりました。2022年より環境省の石綿救済法改正の小委員会で1年間にわたり委員として参加して、中皮腫を治せる病気にするための治療、研究に関する議論をしましたが、改正もなく終わってしまいました。厚生労働省が中皮腫の治療研究に1億円の予算を立てているのでそれに向けても頑張っていきたい」と挨拶しました。
アスベストユニオン執行委員の平方健一さんは、「患者と家族の会岡山支部の活動をお手伝いしている。自分自身は、溶接を使う職場で仕事をしていて石綿健康管理手帳を持っている」と話した。
19年間療養を続けてきた胸膜中皮種患者で新潟支部世話人の岡田伸吾さんは、「1日、1日をどう大事にして生きていくかの繰り返し。長く生きようとは考えてはおらず、行くところまで行ったら後はおまかせだと考えています。私が無治療ということで驚く人が多いですが、免疫力をあげるため歩くことで足の筋肉を作ってきました。歩ける隠は歩こうと毎日1キロ歩いています」と話してくれた。
よこはまシティユニオン執行委員長の日和田典之さんは、「神奈川の建設アスベスト訴訟を傍聴しています。訴訟は、証人尋問に入ってきていますが、ご遺族やご本人の切実な話を聞いています。私自身は、日本鋼管の造船部門にいました。入社したばかりの小僧っ子の頃は、先輩から日和田、石綿取ってこいと言われて、倉庫で巻いである石綿クロスをはさみやカッターで切っていました。居住区の造作工事では、大工さんが丸鋸でパネルを切る時の粉じんがすごかった」と話した。
燕市在住の複膜中皮腫の患者で医師の中島喜章さんは、「中皮腫サポートキャラバン隊に参加し運営委員をさせていただいています。2017年に診断され、その後化学療法、オブジーボの治験に参加し、昨年の4月からアリムタの単剤治療を受けています。31日に治療があるのですが、懇親会を楽しみに今日は越後線できました。段林先生のお話をうかがってとにかく大変なんだとわかりました。NHKの映像の世紀でアメリカの工揚でアスベストをローラーで巻いている様子を見たことがあります。日本もアスベストを使っていた国ですのでこれからも大変なことが起きてくると思う」と話した。
アスベストユニオン執行委員の青木直史さんは、「住友重機械工業の造船所で設計の仕事をしていました。最近、電装をしていた元同僚が中皮腫の宣告を受けてしまいました。この元同僚とは先日、組合の旗聞きで会いお酒を一緒に飲みました。そのほか、私と同じ設計をしていた元同僚も中皮腫を発症し治療を受けており、今後、組合にお世話になります。もう一人、設計をしていた元同僚もアスベスト疾患で亡くなっており、最近、住友重機械工業の関係者3人が発症する事例ができてしまった状況になっています」と話した。
長岡市から参加した胸膜中皮腫の男性患者は、「去年8月に右肺に胸水が溜まっているのがみつかり入院したところ上皮型中皮腫の診断を受けました。建築塗装の仕事をしてきましたが、鉄骨に塗装をする時に吹き付けを軍手やサンドペーパーでこすって取り除いていました。当時はアスベストが危険だという情報はありませんでした」と話した。
新潟での集会の後、夜は安兵衛古町店で懇親会を開いた。
翌1月28日には、朝からクロスバル新潟でアスベストユニオン第18回総会が行われたた。冒頭、文泰竜執行委員長は、「ここのところ、アスベストについて報道がされなくなってきている。組合としてどうとらえるか考えていかなければならない。環境曝露についてもそこのところを何とかできないか。今年も皆と頑張っていきたい」と挨拶した。
委員長挨拶の後、議長選出された土屋信三訟執行委員長により議事の進行が行われ、最後に、本総会に提出されたすべての議案が承認された。
安全センター情報2024年5月号