ヨンギュン・ジハンの前で闘士になった二人の母親「共感が力になる…」子供たちのために連帯しよう 2023年1月28日 韓国の労災・安全衛生

28日に行われた韓国作家会議主催の行事で、故キム・ヨンギュンさんの母親キム・ミスク・金鎔均財団理事長(左)と故イ・ジハンさんの母親チョ・ミウンさん(右)が並んで座っている。/民衆の声

子供を亡くした二人の母親が出会った。二人の母親は無念にも子供を失ったが、その死に対する政府と政治家、企業の態度が苛酷だったと怒りを吐き出した。そしてその怒りを契機に、自分たちは闘士になるしかなかったと話した。

韓国作家会議・連帯活動委員会は28日、麻浦中央図書館で「ここに子供を失った二人の母親がいます」という特別な行事を行った。梨泰院惨事の犠牲者・故イ・ジハンさんの母親チョ・ミウンさんと、泰安火力発電所で夜間に一人で作業していて命を失った青年労働者・故キム・ヨンギュンさんの母親キム・ミスク金鎔均財団理事長が参加した。

進歩文人団体の韓国作家会議は、世越号惨事、国政壟断事態など、社会的な議題に関する文学作品を発表するなど、社会的な声を出してきた。キム・ヨンギュンさんの死亡事件と梨泰院惨事についても、政府の責任を問う声明を出した。この日は、青年たちが日常を送っていて命を失う韓国社会が、労働安全・市民安全の次元でこのままで大丈夫なのかを省察するべきだという問題意識を土台に、二人の母親の話を聞く場を用意した。

先ず、心に留めておいた事情を明らかにしたのはチョウ・ミウンさん。彼女は惨事の後の国会と政府の態度を見て感じた怒りをこの場で吐き出した。

28日、韓国作家会議主催の行事で、梨泰院惨事の犠牲者であるイ・ジハンさんの母親チョ・ミウンさん(左)が発言の準備している。右は進行役のイ・ヨンスク詩人。/民衆の声

チョ・ミウンさんは「面談の時、話を聞いていて席を離れて帰ってこない方もいれば、居眠りする方もいた。更に、携帯電話をしながら一度も遺族を見ない方もいた」と、惨事の後の与党「国民の力」との初めての面談を回想した。

その中でも、当時のチョン・ジンソク「国民の力」非常対策委員長の態度が最も記憶に残ると話した。チョ・ミウンさんは「あの方がそうだったよ『うちのジハンがとても好きでした。他人事のようではありません』と言って涙を流した。」「最後に手まで握って『方法、手段を選ばず最善を尽くす』と言ったのに、翌日の記者会見で、『その時に集まった方々が遺族全体を代弁しているわけではない』と話した」と、当時の状況を伝えた。

チョン・ジンソク「国民の力」非常対策委員長が、昨年11月21日に国会で行われた梨泰院惨事犠牲者遺族との非公開の面談を終えた後、遺族を慰めている。2022.11.21./ニューシス

続けて、「昨日私の手を握って流した涙は何の涙だったのだろうか、『共感する』ような音声はどんな音声だったろうかという気がした」として、「翌日、遺族協議会を創って正々堂々と話そうと思った」と、遺族協議体の結成に参加することになった契機を明かした。

その後の過程は容易ではなかった。政府からは、別の遺族の連絡先を教えてもらえなかった。チョ・ミウンさんは「遺族を一人ひとり訪ねて、私の電話番号を教えながら協議体を作った。」「今は犠牲者107人の遺族210人が集まった。私と夫が必死になって走り回った結果だ」と説明した。

国政調査の中でも、「国民の力」に対する失望は続いた。チョ・ミウンさんは「最後の公聴会でチョン・ジュヘ議員が、『これからきちんとする。とても悲しくて申し訳ない』と涙を流した。母親として頼んだ気持ちが伝わったと思ったが、バカな考えだった。」「翌日は国政調査の結果報告書が採択される日だったが、弁護士から電話が架かってきた。『報告書は採択されないようだ』と言っていた」と、当時を回想した。

その後、急いで駆け付けた国会は、遺族の目には大騒ぎだった。国民の力の議員たちが結果報告書の採択を拒否し、会議を空転させていた。 チョ・ミウンさんは「チョン・ジュヘ議員は『跛行させろ』とうわごとを言い、国民の力のチョ・スジン議員は『清潭洞での飲み会』の話をしていた」と話した。続けて「結局、夫は壁を叩きながら号泣して救急車で運ばれた。もともと持病のない人なのに、血圧が170だった」と胸を痛めた。彼女は「最初から最後まで、その過程に満足できない」とし、国政調査特委の時に感じた怒りを表現した。

結局、国政調査の結果報告書は、国民の力がボイコットしたので、三党だけの採択に終わった。

チョ・ミウンさんは惨事に対する政府の態度は『二次加害』だと表現した。彼女は「勇気を失わせて二次加害をする人たちが、大統領、国務総理、行政安全部長官などだ。」「尹錫悦大統領は、子供たちの四十九日の行事をする日にクリスマスツリーの点灯式を行い、餅を配った。何故、よりによって子供たちの冥福を祈るその日でなければならなかったのか」と怒った。梨泰院惨事犠牲者の四十九日が行われた昨年12月16日、大統領はある行事の開幕式に参加していた。また同日、ソウル瑞草区の自宅周辺の住民に餅のプレゼントをしたことも判った。

17日、国会で行われた「国会・龍山梨泰院惨事真相究明と再発防止のための国政調査特別委員会」の第9回全体会議で、故イ・ジハンさんの母親のチョ・ミウンさんが、チョ・スジン国民の力議員の発言に抗議をしている。2023.1.17. /ニュース1

ある母親の決心「息子よ、お前の悔しさを晴らすために闘士になるよ」

チョ・ミウンさんは息子のジハンさんの死に接した瞬間の切ない心情も吐露した。チョ・ミウンさんは「応急室に到着すると、何があったのかも分からない状態で死亡宣告を受けた。」「(息子の)体に温もりが感じられた。生かすことができるかもと思って人工呼吸をしたが、がらんとした管から空気の抜ける音がした。その時になって『天国に行ったのか』という気がして泣き崩れた」と涙声で話した。

惨事の後、チョ・ミウンさんと夫は二度も極端な選択を試みた。しかし最後の瞬間の度に「私の息子の最後の瞬間はどうだっただろうか」という気がしたと言う。チョ・ミウンさんは「ジハンを始め158人のその瞬間はどれほど苦しかっただろうか。その瞬間、ジハンは誰のことを考えたのかを考えてみると、ふと母親である私なのだろうという気がした」と言った。

チョ・ミウンさんは息子の死に至った真相を明らかにし、責任者を処罰するために闘士になることを決心した。彼女は「私がその路地で、理由も解らないまま死んだら、ジハンも同じようにそうしただろう」と話した。

惨事に関して、政府と与党に抗議するチョ・ミウンさんの姿がマスコミに多く報道されると、極右性向のユーチューバーと悪質のコメンターは彼女を標的にしている。チョ・ミウンさんは「ノクサピョン駅の焼香所のテントにいるが、新自由連帯というところが『死体を売る俳優○○ママ』と言っていた。到底我慢できず、『お前らは人間なのか』と抗議して、救急車に乗せられた」と、苦痛を体験した話も打ち明けた。

しかし、支持し、共感する人たちから力を得ている」と話した。チョ・ミウンさんは「あるタクシー運転手の方が私のことを調べて、大韓民国が半分に分かれているが、それでも正しいか悪いかを考えられる人の方がもっと多い」と言い、支持する国民はもっと多いから頑張れと言ってくれた言葉が、大きな勇気になった」と話した。

チョ・ミウンさんは最後に「お願いしたいことがある」と、連帯を訴えた。彼女は「知識人たち、教授たち、詩人、作家、宗教界、弁護士、検事、判事たちを訪ねて回りながら、お願いしたい。」「共感もできない大統領をムチ打つことはできないので、言葉と文章でするしかないと思う。その人が感じられるかどうかに拘わらず、正しいことを言って欲しい」と話した。

28日の韓国作家会議主催行事で、故キム・ヨンギュンさんの母親のキム・ミスク金鎔均財団理事長が発言を準備している。右は進行役のチャン・ウウォン詩人。/民衆の声

別のお母さんの声「息子よ、あなたによって世の中がこんなに変わった」

もう一人の母親、キム・ミスク金鎔均財団理事長も、未だ息子の死の痛みを胸に抱いていた。キム理事長は「祝祭日になれば帰ってくる子供がいないので、ダラダラした気持ちでいる。何もしたくないという気がする。」「4年経ったが、トラウマが良くなると思ったことはない。トラウマと一緒に生きていると表現したい」と話した。

非正規職の労働災害現場を訪れるキム理事長は、現場に行けば息子を失った当時の悲しみが再び蘇ってくると話した。昨年SPCの系列会社SPLの製パン工場で発生した青年労働者の死亡事件に接した時もそうだった。キム理事長は「SPC事件はヨンギュン事件と余りにもそっくりで、行きたくないという気がした。その時、その感情がそのまま感じられた。」「(キム・ヨンギュン事件以後に)人々の認識が変わったかと思ったが、世の中は一つも変わっていないようで、悲惨な思いだった」と話した。

キム理事長は、「先に亡くなった子どもに対して、堂々とするためにも、社会を変える活動を続ける」と話した。彼女は「先に行った子供に対し、私たちは罪人のようだ。少なくとも、『お前の死によって多くのことを解決してきた。 私がしたのではなく、あなたの死によってしたのだ』と言いたい」と淡々と話した。

そう言いながら「私たちすべてが、子供たちや自分たちのために、理事会を見ているばかりではなく、何かをするという誓いをして欲しい。」「一人は弱いが、色々な心が集まればできないことはない」と、社会問題への市民の参加を訴えた。

この席に参加した韓国作家会議の会員40人余りは、二人の母親の話を聞きながら涙を流したり、涙ぐんだ表情で頭を下げたりした。詩人の会員たちは、二人の青年の幼い死に対する哀悼の詩を朗読したりもした。チュ・ソンミ詩人は「あの布団の中に君がうごめくようで、しきりに覗いてみる」という、梨泰院惨事の哀悼時『公正な社会』の一節を震える声で朗読した。

この日の行事で、パク・グァンソ韓国作家会議事務総長は二人の母親に、「詩人として母親に申し訳ない。」「詩を書くことは美しさを語ることだ。しかし、同時に良くないことを予見し、再び起きないように先頭に立たなければならないことでもあるのに、そうできなくて申し訳ない」と話した。

2023年1月28日 民衆の声 キム・ベクギョム記者

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