大量発汗作業による脳梗塞/愛知●ブラジル人労働者の労災認定

ブラジル出身のTさん(62歳)は、愛知県東海市の派遣会社から同市内の高吸水樹脂製造工場に派遣され、紙おむつや生理用ナプキンの吸収材として使用されている高吸水樹脂(高吸水性高分子)をフレコンパックに詰める作業に従事していた。高吸水樹脂は、とくに高い水分保持性能を有するように設計された高分子素材である。Tさんのこの工場での勤続年数は23年になっていた。

2020年7月9日は、午後8時の始業とともに作業をはじめ、800kgのフレコンパックヘ粉末状素材を投入した後、フレコンパックの投入口をひもで縛り、全体をラップする作業を行った。投入口をひもで縛る作業は、後でほどくときにほどけやすいように縛る必要があった。粉体が投入された800kgのフレコンの口のひもを縛り、ラップをする作業はTさん一人で行い、1時間に10個、この作業を行う。フレコンのひもを縛るときに、後で会社に提出するサンプルを取る作業も同時に行った。

作業時の服装は、長袖の作業着に普通のマスクをし、髪の毛が製品に入らないよう頭に白い帽子をかぶり、その上にヘルメットをかぶっていた。作業場に入るときは、靴を履き替えていた。

作業場は室温が高く設定してあった。Tさんによると30度くらいあったのではいないかというが、吸収材に使用される高吸水性高分子素材が、冷たくなると固まる性質があることから、機械の樹脂投入部には、製品である粉末状素材が詰まらないよう、温かい空気がいつもあてられていたからだった。また、作業場内の室温を高く保つために、外気が中に入らないよう、作業場入口はビニール製のシャッターで遮蔽されていたために、熱が常に室内にこもっていた。

作業場の室温が高く、作業中lこ大量に汗をかくことと、粉末状素材がべたべたになりシャツに付くことから、Tさんはいつも複数枚の着替え用のシャツを持って作業場に入り、休憩時や作業途中に着替えていた。夏は4、5枚の着替え用のシャツを持ち、冬場は3枚の着替え用シャツを持って作業場に入っていた。

Tさんはいつも職場に入るよきに、容器に氷を入れた2リットルのお茶を持ち込んでいた。7月9日から10日にかけての夜勤時は、お茶は休憩室に置いてあった。しかし、仕事中にお茶を飲むことは、作業場に粉末状素材の粉じんが飛散し、ほこりがひどかったのでできなかった。

午前12時に休憩に入ったとき、Tさんはまず、汗で湿ったシャツを着替えた。気分が少し悪く、食欲がなく弁当をほとんど食べることができなかったことから、お茶だけ飲んで休憩をした。この夜は、10時と3時の休憩でも汗で湿ったシャツを着替えたが、シャツは汗でびちゃびちゃに湿っていた。

12時の休憩が終わり、Tさんは作業に戻ったが、自身の足がうまく動かないことに気がついた。フレコンパックの投入口のひもを縛ったり、ラップを巻いたりする作業時に使用する2段の階段を上がるときに、足が上がらなくなっていたが、作業を続けていた。午前7時頃、Tさんは、ロットごとの作業について記入し、サンプルとともに工場に提出をする用紙の記入をしようとしたが、右手がうまく動かず、変な文字しか書けなくなっていた。用紙はTさんに代わり、日本人の同僚が記入を行った。

仕事が終わり休憩室に行くとき、Tさんはふらふらとびっこを引きながら歩いた。その姿を見た人からは、まるでお酒を飲んで酔っ払って歩いているようだと言われた。日勤者の出動を確認するために休憩案に来ていた、普段は事務所で仕事をしている現場リーダーが、Tさんに一人で帰ってはいけないと言ったことから、派遣会社の日本人男性に自宅まで送ってもらうことになった。

自家用車を工場に置いたまま、派遣会社の男性の運転する自動車で自宅のある団地に戻った。妻に連絡して、健康保険証とかかりつけの内科クリニックの診察券を持ってくるよう頼み、そのまま内科クリニックに向かった。

内科クリニックには午後12時半くらいまでいて、点滴を受けたりした。看護師が妻に、着替えをもってくるよう電話をした。Tさんのズボンなどは汗でべたべたになっていた。妻が着替えを持って迎えに行ったとき、Tさんはしっかり歩くことができす、口が少し歪んでいたということだった。Tさんは、タクシーで帰宅した。

自宅に戻って休んだ後、友人に自動車の置いてある工場の駐車場まで車に乗せていってもらうことを頼み、1階までエレベーターで降りていたものの、ふらふらしてきちんと歩けず、同居する娘の肩につかまって歩き、1階まで行った。友人の息子さんがTさんの異常に気づき「おじさん口が変だよ」と言った。息子さんは、自身が選手として所属するフットサルクラブ、名古屋オーシャンズの医師に電話で問い合わせてくれた。医師はすぐにTさんを病院に連れてくるよう指示したということで、内科クリニックの医師に電話をしてどの病院にいくか相談した。

午後6時にM病院に行き、頭部画像を撮影されたが、検査のために必要な機械がないため、M病院の救急車でF医科大学病院に行った。この間は友人の息子さんが付き添ってくれた。脳梗塞の診断を受け、入院した。翌日、Tさんはしゃべることができず、手も足も動かない状態になっていた。F医科大学には12日間入院した。

Tさんの右上肢と右下肢には重篤な麻痺が残った。退院後、リハビリテーション病院に転院し3か月間入院しながら、歩行訓練や装具療法等のリハビリに取り組んだが、現在のTさんの状態は、杖と妻の介助でようやく歩ける状態である。

働くことが困難になってしまったことから、昨年6月にTさんご夫妻は名古屋ふれあいユニオンから紹介され、名古屋労災職業病研究会に相談に来た。筆者は、愛知県図書館で脳梗塞関係の書籍を調べたり、大量発汗を伴う深礎掘り作業に従事したことから脳梗塞を発症し、1989年に労災認定された55歳の男性深礎工のケースについての関西労働者安全センタ一機関紙の記事等を読んだりして、脱水症状が脳梗塞の原因になることを知った。脱水症状になると、血液中の水分が少なくなり、血液の濃度が濃くなって、血栓ができやすくなり、梗塞を起こす確率が高まるのである。Tさんのケースも労災請求できるのではと考え、Tさんに請求を勧めた。労災請求に際して、派遣会社に労災保険請求書ヘ在籍の証明を求めたが拒否された。

昨年9月に半田労働基準監督署に労災請求したところ、2022年4月8日付けで業務上災害と認定された。脳梗塞を発症してから1年9か月が経過していた。

Tさんは、現在でも懸命にリハビリに励んでいる。

文/問合せ 名古屋労災職業病研究会

安全センター情報2022年10月号