日立造船が謝罪し補償制度適用/神奈川●補償が下がる年齢格差解消を

2022年3月11日、アスベストによる中皮腫で亡くなられたY・Uさんの御子息の研究場所である大阪大学に、日立造船の人事部長他2名の計3名が訪れた。

Y・Uさんの中皮腫が労災認定され、御子息に謝罪し、補償制度を説明するためである。アスベストユニオン側からは、中村副委員長他2名が立ち会った。

謝罪の後、日立造船全体の被害状況(死亡126名、療養中26名)などに続き、補償制度についての説明が行われたが、67歳を境に金額が大きく下がる制度に変更はなかった。68歳で亡くなられたY・Uさんの補償は、数か月の違いで2,100万円から1,100万円に引き下げられることになる。理不尽な制度だが、妻のT子さん(北海道在住)も御子息も、「公平にみんなに適用されている制度なら、そのまま受け入れます」と態度表明され、団体交渉拒否、神奈川県労委に救済申し立てと続いてきた日立造船との問題は、解決することになった。

Y・Uさんは、1974年に日立造船神奈川工場に入社、溶接やガス切断の訓練や現場研修などでアスベストに曝露した。2020年に悪性胸膜中皮腫を発症、川崎南労働基準監督署に労災申請を行った。2021年3月にアスベストユニオンに加入。ユニオンは団体交渉を申し入れたが、日立造船は「退職後50年経っている」ことなどを理由に、これを拒否。残念ながらY・Uさんは、同年4月に亡くならた。

ご遺族のT子さんがユニオンに加入し交渉を申し入れても、日立造船は遺族であることを理由にまたも拒否。ユニオンは、神奈川県労働委員会に不当労働行為だとして、救済を申し立てた。

労災の申請は、在職期間が1年に満たなかったために本省での判断になっていたが、2021年11月に労災と認定。日立造船もようやく動き出した。県労委の「調査」の席上で、交渉ではないが、補償内容を説明する席にユニオンが同席するのはかまわない、という妥協案を提示。ユニオンも受け入れ、冒頭のシーンになった。

実は、日立造船は15年前にも、当時の「全造船日本鋼管分会」との間で同じ方法で問題を解決したととがある。実質的な団体交渉を受け入れるなら、理屈や面子にこだわらずに初めから交渉に応じていれば、労働委員会をわずらわせることもなかった。

そして問題は、年齢による補償の格差である。1日でも長く、と頑張って生きると補償が大きく下がる制度は、被害者の命に格差をつけることであり、療養の期間が長くなることに対する補償にも逆行する。格差をなくす企業も増えているが、まだまだ改善が必要である。

文/問合せ アスベストユニオン

安全センター情報2022年10月号