香港におけるアスベスト禁止の歴史 Ignatius Tak-Sun Yu, et.al., IJERPH, 2017, 14, 1327

抄録:

最近数十年間に数百万の移住者が中国から香港に移動するなか、大量の住宅は早い時期に建てられたもので、それらの建物のかなりの割合がアスベスト含有製品を使用した。

1990年代以降、診断されるアスベスト関連疾患の新たな事例が毎年増加するにつれて、発症率の際立った上昇が、一般の人々、そして最も重要なことには香港政府の関心を引くようになった。それは、香港の歴史においてアスベスト禁止につながる引き金のひとつになった。相対的に香港政府よりも非政府組織(NGOs)、労働組合や患者の自助団体のほうがより積極的かつ先を見越した姿勢を示し、香港におけるアスベスト禁止方針の発展に主要な役割を果たした。過去10年間のそうした団体による政府代表に対する度重なる要請や会合を経て、香港政府はついにその姿勢を変え、政策を変更することによってアスベストによる無限の脅威を終わらせる検討を開始し、2014年4月4日にすべての種類のアスベストを禁止する法令の新たな条項が成立した。アスベスト使用の制限に加えて、同様に関係団体の努力によって、アスベスト関連疾患に関する補償制度にもいくつかの大きな進展があった。長い間を通じてわれわれが学んだ経験に基づき、進展の成功や香港における今日のアスベスト禁止の開発には、患者の自助組織、NGOs、立法会議員やメディアを含む、様々な関係者による努力が絶対不可欠であった。

1. はじめに

中国の南東に所在する都市、香港は、「1国2制度」政策のもとで設置された特別行政区(SAR)である。1997年7月1日に主権が中国に返還される前、香港は1842年以来、イギリスの植民地のひとつだった。イギリス政府によって提供された豊富な資源と支援によって、香港は世界でもっとも文明化された都市かつ最大の金融センターのひとつになった。

アジア太平洋地域における素晴らしい地理的位置と有名な香港島と九龍半島の間の深海港に恵まれて、香港は、中国本土とアジア、ヨーロッパやラテンアメリカの他の諸国の間を結びつける橋として機能する、世界最大の輸入・再輸出センターのひとつでもある。香港政府のデータによれば、香港の人口1人当たりGDPは2016年に43,500US$であり、輸入によるものが13.9US$及び再輸入から54.5US$であった。

一連の戦争の後、自然災害や社会政治的動向が、何百万人もの移住者の中国本土から香港への移動につながった。結果的に、最近数十年間に人口は劇的に増加した。香港の人口は、1911年の456,739人から1961年3,129,648人へ、2011年には7,071,576人へ、100年間に15倍以上と、急上昇した。人口爆発とならんで、ニーズを満たすために1940年代と1950年代に、大量の公共・民間住宅が建築された。世界の他の先進国と同様に、早い時期に建てられたこれらの建物のかなりの割合がアスベスト含有製品を使用し、大量のアスベスト建材を使用したピーク時は1960年代だった。これまでの研究によれば、人口1人当たりの年間アスベスト使用量は1960~63年に8.84kg/人/年であり、この数字は1986年には1kg/人/年未満に減少した。

香港にはアスベスト原鉱も国内で生産されるアスベスト含有製品もないことから、香港で使用されたアスベスト含有製品はすべて輸入されたものであった。香港におけるこれらアスベスト含有製品は、屋根用波型セメント板、壁板、セメント屋根タイル、ビニル床材やケーブルトレー内部の詰め物に一般的にみられた。2012年に香港政府環境局が公表した統計に基づけば、築20年超、すなわち1992年より前に建設された香港の約15,000の建物にアスベスト含有建材が使われているものと考えられた。

2. 材料及び方法

本論文は、香港におけるアスベスト全面禁止方針発展のプロセス及び過去数十年間に学んだ経験を明らかにすることを目的としている。

筆者らは、政府によって公表されたデータ、これまでの研究結果、様々な関係者によって提出されたポジションペーパーを含め、関係する文書及びソースをレビューするとともに、アスベスト禁止とアスベスト関連疾患の補償制度の確立につながった諸要因を検討した。

3. 結果及び討論

3.1. 香港におけるアスベスト関連疾患の健康負荷及び立法システム

アスベスト関連疾患の潜伏期間が40年以上であり得ることから、1990年代以降、診断されたアスベスト関連疾患の新たな事例数は毎年増加してきた。以前の研究によって収集された香港がん登録のデータによれば、中皮腫の年齢標準化発症率は1976~1990年には人口百万人当たり0.5未満であった。しかし、この率は1990年代半ばに急激に上昇し、2006年には2.5に達した。2006~2015年に石綿肺と中皮腫の確認された新たな事例が各々36件と96件あり、それらの87%に建設業における雇用記録があった。Changらによる推計によれば、中皮腫の発症率は2010年と2020年の間にピークに達するだろう。発症率の際立った増加は、非政府組織(NGOs)、労働組合や患者の自助組織を含め、一般の人々、またもっとも重要なことに香港政府の関心を引いた。社会的関心の増大は、1970年代以来香港政府がとってきた「積極的非介入」政策(「自由市場」を確立するために、政府が一般的にビジネスの決定介入しないことを意味する、政策・行政戦略の定義に用いられる用語)に対し重大な影響を与え、香港の歴史においてアスベスト禁止につながる鍵のひとつになった。

人間に対する健康負荷のゆえに、アスベスト禁止に関する取り組みは、世界の他の諸国では50年近く前にはじまり、1972年にデンマークによって初めて導入された。アモサイト(茶石綿)とクロシドライト(青石綿)を含め、角閃石系の鉱物のほうが蛇紋石系、すなわちクリソタイル(白石綿)よりもはるかに有害だと主張する科学者らがいたことから、香港では環境保護署(EPD)により、1996年以降前者の種類のアスベストの使用が禁止された。空気汚染管制条例(香港法令第311章)第80条に基づき、いかなる者も、いかなる量のアモサイトまたはクロシドライトとして知られるアスベスト若しくはいずれかでつくられまたは含有する物を輸入または販売してはならない。実際には、香港のアスベスト禁止方針は、過去数十年間の間にいくつかの段階を通じて確立及び適用されてきた。クリソタイルなど、他の種類のアスベストは、1996年以降も輸入、製造及び輸出することができ、香港の住民の健康はアスベストの危険性にさらされ続けた。

第311章は香港の歴史においてアスベストに言及した最初の法律ではなかったが、アスベストの使用を制限した最初の法律だった。それ以前、1986年に工業経営で行われるアスベスト作業を監督するために工廠及工業経営(石綿)特別規例(第59X章)が香港の法制度に初めて導入されたが、1997年以降それは廃止されて、新たな工廠及工業経営(石綿)条例(第59AD章)に置き換えられた。しかし、第311章の導入は、政策立案者と一般の人々にとって前例となった。同様の原則に基づいて2008年には、化学物質、とりわけ国際貿易の対象となる特定の有害な化学物質及び駆除剤についての事前のかつ情報に基づく同意の手続に関するロッテルダム条約または残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約に含まれたものの製造、輸出、輸入及び使用を規制する、有毒化学品管制条例(第595章)の施行が導入された。上述した3つの条例に加えて、1992年以降、廃棄する前にアスベストを含めた化学廃棄物の不適切な梱包の禁止、ラベル表示及び保管を監督する、廃物処置(化学廃物)(一般)条例(第354C章)もある。香港では、アスベスト事業を規制する、合計4つの法令がある。

3.2. 香港におけるアスベスト問題に関心をもつ団体及びアスベスト禁止に対するそれらの取り組み

香港政府は、アスベスト問題に関心を払った唯一の関係者ではないが、そのとっていた「非介入」政策が、方針変更をなすうえで政府を相対的に受動的な立場にした。対照的に、NGOs、労働組合や患者の自助組織は政府よりもより積極的かつ先を見越した姿勢を示し、香港におけるアスベスト禁止方針の発展に主要な役割を果たした。とりわけ、香港工人健康中心(HKWHC)は、第一線の工業労働者、また一般の人々のための、よりよい保護と補償を提唱した、もっとも早くより積極的な組織のひとつであった。

HKWHCは1984年に、医師、労働衛生専門家、リハビリ療法士やソーシャルワーカーらによって設立された非営利組織である。他の関係団体と比較して、その学際的背景のゆえにHKWHCは常に、アスベスト問題を含めた様々な公衆衛生・労働衛生問題に積極的に関わってきた。石綿肺・中皮腫に罹患した人々に対する包括的な補償とリハビリ支援サービスの開発を政府に要求したことに加えて、HKWHCは一次予防を通じたアスベスト関連疾患の予防も強調した。

2009年に香港政府の資金提供を受けた建設修繕の大規模プロジェクトが開始され、築30年を超えメンテナンスのなされていない市街地に所在する建物がプロジェクトの対象にされた。プロジェクトが、屋上構造の除去や電線の交換などの修理・メンテナンス作業の費用も助成したことから、アスベスト材を含んだ古い民間の建物に修繕作業を提供するときに建設労働者がアスベストの危険性に直面することが予想された。民間建物の修繕に関する法令の執行はほとんど民間建物の施設所有者の法的要求事項の順守だけに頼っていて、建設労働者の保護と安全対策は不十分かもしれなかった。

建設労働者、また、予想される修繕建物や廃棄物収集業者近隣に住む人々に、アスベストの危険性と予防対策に関する注意を喚起するために、HKWHCは、最大の建設労働者組合である香港建造業総工会(HKCIEGU)と協力して、2011年11月から地域社会における教育的プロジェクトを開始した。この包括的な健康増進介入は、EPDによって確認されたアスベスト含有建物の集中する5つの地区、すなわち九龍城区、油尖旺区、深水土歩、中央及び西荃湾区で、リーフレットを配布するとともに数多くの健康講話、展示やイベントを開催した。HKCIEGUや区議会議員らと協力して古い建物の住民に対して度重なる合同健康講話やプロモーション活動を行ってから、住民、また区議会議員自身の認識も高まった。2011年以降、HKCIEGUと協力して、地域社会におけるさらなる取り組み、とりわけ、アスベスト含有製品の不適切な取り扱いを避けるための一次予防に関するメッセージが実施された。アスベスト含有製品の不適切な取り扱いに関するメディア報道やアスベストの危険性に関する記事が、香港におけるこの問題への関心を一層高めた。例えば、2014年の鉄道車両内部に使用された防音用アスベスト含有製品、2013年の荃湾の市街地におけるアスベスト廃棄物の不適切な廃棄、2011年の菜園村の建設現場周辺全体にまき散らされたアスベストセメント板のかけらは、香港政府ではなく、NGOsによって発見・報告されたもっとも目覚ましいニュースだった。

アスベスト禁止のための闘いのこの長い旅における主要な成果のひとつは、1996年以来、アモサイトとクロシドライトの使用を禁止したことで、香港におけるそれらの取り引きを監視する命令はあったものの、アスベストの全面禁止に向けた政府の最新のさらなる対応がないことはかなりがっかりすることだった。アスベストの全面禁止に向けて積極的に総合的なシステムを確立した他の先進国と比較すると、上述したように、この課題における香港政府の対応は回避的な態度をとっているように思えた。全面禁止に向けたいかなる意欲もみられず、1996年から2010年にかけて、クリソタイルまたはそれでつくられた物質は香港に輸入または香港から再輸出することが許されていた。そのためHKWHCを含めた活動的なグループは、香港におけるアスベストの全面禁止という考え方を広める活動を継続し、この問題について政府に圧力を加えるために、立法会議員らとネットワークをつくった。数年間にわたる政府代表とのコミュニケーション、ロビー活動、何回にも及ぶ請願や会合の後、EPDはついにその態度を変えて、政策を修正することによってアスベストによる終わりのない脅威と負荷を終わらせる検討を開始した。2011年4月20日にEPDは立法会環境問題員会に、すべての種類のアスベストを禁止するための行政文書を提出した。その提案のなかでEPDは、空気汚染管制条例を改正することによって、青石綿と茶石綿の輸入と販売を禁止している現行の禁止政策を、すべての種類のアスベストのの禁止、並びにすべての種類のアスベストの供給と新たな使用に拡張することを提案した。この提案は最終的に2014年4月4日に立法会を通過した。新しい法令の条文は、アスベスト含有物質の新たな使用を制限するだけで、社会に存在している既存のアスベスト含有物質の根絶に関するさらなる計画策定の必要性は無視していたものの、提案の成立の成功は、香港におけるアスベスト全面禁止の経過における偉大な動きであると考えられた。

3.3. 香港におけるアスベスト関連疾患補償制度の進展

上述したアスベスト禁止に関連した法令の最終的変更以外に、HKWHC、じん肺互助会(PMAA)や工業傷亡権益会(ARIAV)の努力により、ARDsに関する補償制度もいくつかの変更を経てきた。

まず、英領香港政府が、1956年に石綿肺や他のじん肺罹患者についての自主的な報告制度を確立し、1974年には症例の登録の実施と医療評価・治療を提供するためのじん肺診療所を設立した。

その後1978年4月20日に政府は、労働法を改正して、じん肺を診断された労働者のための補償基金を設立することを提案した。この提案は立法会で成立して、1978年6月7日に施行されたじん肺補償条例(第360章)になった。しかし、建設労働者の不安定な雇用記録のために、基金の運営は予測されたほどうまくいかなかった。政府は結果的に基金を停止して、建設業労働組合、患者の自助団体、非政府組織(NPOs)や専門家を含めすべての関係者と協議の後に大きな改正を行った。改良された基金は1980年に再開した。それ以来、じん肺補償基金委員会(PCFB)が、香港における建設業及び採石産業からの課徴金を財源として、じん肺及び/または中皮腫に罹患した者からの補償請求を処理するこの基金の運営に責任を負う法定機関となった。補償以外にPCFBは、じん肺・中皮腫のy棒プログラムやそれらの疾患にり患した者のリハビリテーションのためのプログラムに資金提供も行わなければならない。

補償制度が改良されてから多くのARDs事例の報告があったが、基金の対象範囲は十分に包括的ではなく、1980年には多額の余剰金が発生するに至った。この政策の限界から、例えばPMAAなど、HKWHCは他の患者のネットワークと結び付いて、再び第360章の改正を要求した。関係者は、治療費に関する補償額の引き上げや、予防・リハビリテーション活動も対象とするよう政策の拡張を提案した。ARIAVや香港キリスト教労工事務委員会によって設立された活動的な団体である香港石綿禁用連盟(NMAHKA)も政策の改革を支援し、とりわけARDsに罹患した患者や労働者のための包括的な補償プロセスを問題にした。積極な諸団体による取り組みは立法会、労働組合やメディアの関心を引き付けた。彼らはその後、政府に改正を求めるこのキャンペーンに加わった。

最終的に政府は補償制度全体を再度レビューしはじめ、その後数年間に、1973年以降一時金支払いではなく患者への月額補償への変更、1994年の障害等級の再分類、1996年の補償項目への「痛み、苦しみや快適な暮らしの洲室に対する月額補償」の追加を含め、何回かの改正を行った。

2007年にHKWHCは、政府に、補償対象に中皮腫を追加するじん肺補償条例の改正を支持させるロビー活動に成功した。新たな条例は「じん肺及び中皮腫(補償)条例」という名称になった。2008年4月18日のこの改正の制定は、アスベストの吸入によって引き起こされたものとして、中皮腫と診断された患者が、珪肺や石綿肺と診断された患者が受け取るものと同じ補償及び給付を受け取れるようにした。

4. 結論

香港におけるアスベスト全面禁止のための闘いは、すべての関係者にとって容易な旅ではなかった。長年にわたるこのアスベスト闘争からわれわれが学んだ教訓に基づいて、今日のアスベスト禁止に至る前進と発展の成功には、専門家団体、患者の自助団体、NGOs、労働組合や政治家を含め、様々な関係者が絶対に不可欠であった。他方で、メディアの関心と社会的力が、政策変更のアドボカシーと迅速化を促進するのに役立った。

アスベストの輸入と新たな使用の禁止は、香港におけるアスベスト曝露を予防するための最初のステップである。しかし、改正規則は、古い建築構造における既存のアスベスト含有物質には適用されない。既存アスベストを監視及び管理するために、現行の法令にはまだ改正と改善の余地がある。本論でふれた関係者らは、ARDs根絶のために香港を真にアスベスト・フリーにするために、既存アスベストを根絶するためのよりよい改正を求めて努力し続けるだろう。

※原文:https://www.mdpi.com/1660-4601/14/11/1327

筆者は、Chun-Kwan Wong1, Sabrina Hei-ManWan1 and Ignatius Tak-Sun Yu1,2、*
1 香港工人健康中心(HKWHC)
2 香港職業及環境健康学院(HOEHA)

安全センター情報2021年5月号