九宜駅惨事八周忌・・・「8年経ったが、その時も今も変わらない」/韓国の労災・安全衛生 2024年05月20日

ソウル地下鉄2号線九宜駅9-4乗り場に、2016年5月28日に九宜駅でスクリーンドアを整備中に亡くなったキム君の八周忌を追慕するメモ帳が貼られている。/チョン・ジユン専任記者

20日午前11時37分、ソウルの九宜駅9-4プラットホーム。到着した電車から「スクリーンドアが開きます」という案内の音声が流れた。ドアが開くと、ホームのドアの間から風が吹き上がった。貼ってあったメモ用紙11枚がパラパラと揺れた。メモ用紙には、2016年5月に亡くなったキム君(当時19歳)への『願い』も貼られていた。「故人が願った正規職、二度と非正規職にはなりません」という内容だった。

現場実習生であり、下請けの非正規職労働者だったキム君は、2016年5月28日、九宜駅で一人でスクリーンドアを整備していて、入ってくる列車に轢かれて亡くなった。当時、キム君は二人一組でしなければならない作業を一人でしていた。真相調査団は、当時、公共部門の経営効率化という名目で強行された無理な人員削減と外注化を根本原因に挙げた。当時、キム君のカバンからは、食べられていないカップラーメンが発見された。

民主労総公共運輸労組とソウル交通公社労組など、市民社会団体の関係者たちが、ソウル地下鉄2号線九宜駅で行われた『九宜駅労災死亡惨事八周忌追慕週間』を宣言する記者会見で、「危険の外注化」中断を要求している。/チョン・ジユン専任記者

九宜駅惨事八周忌を8日前にした20日、民主労総公共運輸労組など市民社会団体は、ソウル地下鉄2号線九宜駅で『九宜駅惨事八周忌追慕週間』を宣言する記者会見を行い、『危険の外注化』が依然として繰り返されるなど、苦労して勝ち取った労働条件が却って後退しているとし、「ソウル交通公社が生命安全人員を増員し、公共機関の子会社や下請けに危険が外注化される状況を改善せよ」と要求した。

ソウル交通公社労組のパク・ヒョヌ労働安全保健委員長は「安全人員の補充と管理所の増設など、(労働環境は)改善されておらず、今もスクリーンドアに故障が発生すると『いつ来るのか。早く出動せよ』と言うのは、その時も今も変わらない。」「安全設備は増えるのに人員は減り、外注化とリストラの話が出てくる」と話した。

キム君の死亡後、苦労して獲得した安全業務職の正規職化が後退しているという声も出てきた。クォン・ヨングク弁護士(当時、九宜駅惨事真相調査団長)は、「ソウル交通公社が、呉世勲ソウル市長の政策で、2026年までに公社の職員2200人余りを縮小して外注化を推進している。」とし、「既に今年383人が減員されたが、彼らは当時、調査団の是正勧告で正規職化された構内運転・特殊車・厚生支援など、安全業務職の人たちだ」と話した。

京畿特性化高校労働組合のシン・スヨン京畿支部長も「(キム君が亡くなって)8年が過ぎた今も、特性化高校の卒業生と青年たちの働き方は全く変わっていない。」「社会に足を踏み入れる青少年・青年労働者をこれ以上殺すな」と話した。

20日、ソウル地下鉄2号線九宜駅9-4乗り場に、2016年5月28日、九宜駅でスクリーンドアを整備していて亡くなったキム君の八周忌を追悼する菊の花が置かれている。/チョン・ジユン専任記者

参加者たちは記者会見の後、キム君の死亡事故現場である9-4乗り場のスクリーンドアに設置された「追慕の壁」の前で献花をして故人を追悼した。追悼の壁にはキム君を追悼するメモと共に「安全な100年を作るための労働者・市民アンケート調査」がある。追悼の壁は、キム君の誕生日の29日まで運営される。

2024年5月20日 京郷新聞 オ・ドンウク記者

https://www.khan.co.kr/national/labor/article/202405201430001