いかにしてカナダはアスベスト輸出からアスベスト禁止に
変化したか:乗り越えなければならなかった課題
Kathleen Ruff1, IJERPH, 2017, 14, 1135

抄録:10年にも満たない前には、アスベスト産業はケベックとカナダのすべての政党の支持を享受していた。ともにケベックに所在した、クリソタイル研究所と国際クリソタイル協会は、科学的証拠はクリソタイル・アスベストは安全に使用することができることを示していると主張して、世界中で活発にアスベストを流通させた。この産業は脅迫の風土を作り出した。結果的に、この産業に挑戦して、アスベスト被害者のために、またはその全面禁止のためにキャンペーンを行う団体は、ケベックには存在しなかった。科学界に声を上げるよう動員するキャンペーンが開始された。世界中の科学者、アスベスト被害者らと協力して、ケベックの科学者の小さなグループが、アスベスト産業の誤った主張を暴露した。彼らは公けに繰り返し、政府の非科学的かつ非倫理的な政策に挑戦した。ケベックの価値をアピールするとともに、力のある者に責任をとらせるようにすることによって、キャンペーンを人々の支持をかちとり、アスベスト産業を打破するうえでのあらゆる困難に対して成功した。

1. はじめに

最近までカナダは、アスベスト産業のための主要な生産者、輸出者かつ伝道者であった。他の西側諸国は何年も前にアスベストを禁止しているのに、カナダ政府が最終的に2018年までにアスベストを禁止すると発表したのは2016年12月のことだった。

カナダにおけるアスベスト禁止を達成するためには、アスベストの採掘、使用及び輸出を支持するカナダの政策の根底にあった政治的、経済的、社会的、文化的及び歴史的要因を理解することが不可欠だった。主要な要因は、ケベックが1世紀以上にわたってアスベスト産業の力の心臓部であったということである。カナダのほかの部分ではアスベストの採掘は閉鎖されていたものの、ケベックではアスベストの採掘が続き、そこで操業していた最後の2つの鉱山-アスベスト町のジェフリー鉱山とセットフォートマインズ町のLABクリソタイル鉱山-は2012年に、次の20年間アスベストの採掘・輸出を拡大する計画をもって前進しようとしていた。彼らはケベック及びカナダ政府の全面的支援を得ていた。

2012年9月に新しいケベック党少数派内閣がケベックで選出された。それは、ジェフリー鉱山の拡張に資金提供するために前のジャン・シャレ政府が2012年6月に与えた5,800万ドルの融資を取り消した。これによって、何十年にもわたってケベック政府がアスベスト産業に与えてきた政治的及び経済的支援は終わった。両方のアスベスト鉱山が閉鎖した。すべてのアスベストの採掘及び輸出が終わった。

ケベックのアスベスト産業は歴史的に、州及び国レベルであらゆる政党の支援を享受してきた。1980年代までに、先進諸国でアスベストの危害に関する議論の余地のない科学的証拠及びアスベスト関連疾患の流行に直面して、アスベスト産業が危機に瀕していた。西側におけるその伝統的消費者たちが間もなくアスベストを禁止するか、購入をやめるだろうと見越していた。

アスベスト産業を救うために、1984年にカナダ及びケベック政府はケベックのアスベスト鉱山、ケベックの労働組合とともに、モントリオールにアスベスト研究所を設立及び資金提供した。その使命は、開発途上諸国にアスベストのための新たな市場を生み出すことであった。1997年に、そのディレクターがケベック、ロシア、カザフスタン、ブラジル、中国のアスベスト鉱山とインド、インドネシア、ベトナム、タイ、スリランカ、メキシコの産業家を代表する国際アスベスト協会は、アスベスト研究所と手をつないで働くためにフランスからモントリオールに移動した。2005年に、「アスベスト」という言葉を使うのを避けようとする広報活動のなかで、彼らはその名称をクリソタイル研究所及び国際クリソタイル協会に変更した。

カナダは良い国際的な評判をもち、化学的及び民主的に進んだ国とみられていたことから、カナダのイメージは世界のアスベスト貿易にとって重要な価値があった。

2. 状況分析

2.1. 主要な関係者

有名なケベックの小説の表題にあるように、カナダは2つの場所で構成されている-各々が独自の言語、文化及び司法制度をもったケベックと、カナダの残りの部分である。アスベスト産業に対する闘いはケベックで勝たなければならなかった。カナダの憲法上の取り決めのもとで、貿易問題は連邦の管轄下にあるものの、鉱業は州の管轄下で管理されている。しかし、この管轄権の区分を越えて、ケベックのアスベスト産業を打ち負かすことは、ケベックの価値と感受性を尊重しつつ、フランスで行われ、またケベック自体におけるリーダーシップや一般の支持を動員する、ケベックの政治的及び社会的現実を理解したキャンペーンを通じてのみ可能であったということが、深い文化的現実であった。

ケベックでアスベスト産業が打ち負かされるまで、カナダ政府がアスベストを禁止する可能性はなかった。

アスベストを禁止するキャンペーンの開始に指導的役割を果たす主要な関係者は、通常アスベスト被害者団体と労働組合だろう。ケベックのもっとも強力な労働組合指導者である、元ケベック労働組合連合会長クレマン・ゴトブーは、クリソタイル研究所と国際クリソタイル協会の会長になった。

アスベスト・ロビーは積極的であり、資金源をもち、政治的及び社会的力をもっていた。ケベックではアスベストを禁止するキャンペーンを開始するような者はいないという風潮があった。2008年にセットフォードマインズでアスベスト被害者団体を創設して、集会を開催する努力がなされたとき、彼らはひどい侮辱と脅迫に直面した。連邦、州及び地元の政治指導者らは、労働組合、ビジネスリーダーやアスベスト・ロビーとともに記者会見を開いて、「反クリソタイルの過激派」を非難して、彼らに近づかないかまたは「特別な受付委員会」が対応すべきだと警告した。

そのグループは集会をキャンセルして、アスベスト被害者団体を創設する努力をやめた。

したがって、状況は悲惨だった。アスベスト産業を打ち負かすキャンペーンを開始する緊急の必要性があった。ジェフリー鉱山とLABクリソタイルが、採掘活動を大きく拡張して、ケベックを世界第2位のアスベスト輸出にするというその計画に成功していたら、いったん労働者が雇われて、いったん生産と輸出が増加した、それら鉱山を閉鎖するのはより困難であったろう。

成功するためには、ケベックでキャンペーンが開始され、勝たなければならなかった。

2.2 克服しなければならなかった障害

困難な挑戦のなかで、とりわけ対処しなければならなかったことは、以下のとおりであった。

・アスベストに関して、ケベックに存在していた沈黙と脅迫の風潮

・2つのアスベスト鉱山の所有者は、もはや強力な、遠いアメリカやイギリスの企業ではなく、2つの地域社会に暮らし、働く地元のビジネスマンだった。労働者自身も、2002年に同鉱山を破産から救うために同社の35%の株を買った協同組合を通じて、ジェフリー鉱山有限会社の共同所有者だった。

・ケベックの鉱山労働者は、1949年のアメリカのジョンズ・マンビル社に対するアスベスト町での英雄的なストライキによって、歴史的及び文化的に高い評価を得ていた。ストライキを行った鉱山労働者はその要求を実現できなかったものの、恐ろしいほどの搾取に対して鉱山労働者とその妻、家族によって示された勇気は、ケベックにおける自己決定、正義及び誇りを求める運動の口火を切る転換点だった。

・アスベスト町は、アスベスト鉱山の周辺に成長した単一産業の町だった。セットフォートマインズは経済基盤の多様化に成功したものの、なお脆弱だった。労働者と地元の政治家、労働組合及びビジネス指導者は、彼らがみなしていたように、自らの職と自らの地域社会の存続のために闘っていた。労働者の窮状を無視するのではなく、代わりに、労働者が尊厳をもって引退またはほかの職に移行できるようにするとともに、ポスト-アスベスト時代に向けた持続可能な経済的多様性のためのイニシアティブを開始するために、カナダ及びケベック政府が資金を提供するよう要求することが重要だった。

・ケベックにおけるアスベスト産業の政治的、経済的及び社会的力は強大であった。アスベスト・ロビーは、アスベストに反対する者は誰でも、狂信者であり、隠れた利害関係者に雇われているとして、熱心に攻撃した。アスベスト産業に対するキャンペーンは、それがはじまったとき、いかなる資金源も、また明らかにケベックでのいかなる支援ももっていなかった。

・カナダ及び国際的なアスベスト・ロビー団体はモントリオールに本拠を置いていた。彼らは、アスベスト貿易を促進するために、資金源、従業員、コンサルタント、弁護士や広報会社をもっていた。彼らは、角閃石系アスベストは危険だが、クリソタイル・アスベストは安全に使用することができると主張するゆがめられた調査研究を出版するために、科学者たちに多額の金を支払った。クリソタイルアスベストは現在世界で貿易されている唯一の種類のアスベストである。それは過去1世紀に販売された全アスベストの95%を占めている。ケベックで生み出された、誤った「クリソタイルの安全使用論」はいまもなお、アスベストを流通させて、人間の命を犠牲にその利益を維持するために、アスベスト産業が使う主要な武器である。

2.3 利用することのできた積極的な要因

政治的、言語的、文化的、宗教的抑圧と差別についてのケベックの歴史的経験のゆえに、ケベックのアイデンティティ、国の誇りや国際的尊敬の享受の問題にはとりわけ共感がある。

・英語力の海に囲まれながらフランス語・文化を存続するために、ケベックではとりわけ連帯感と社会的正義が根付いてきた。

・ケベックの科学者や研究者は、彼らの仕事や彼らの研究所がファーストクラスの基準や国際的な尊敬を満たしていると信じることを、誇りに思っている。

・いくらかの政党、いくらかの個々の政治家、いくらかの労働組合組織やいくらかの個々の労働組合指導者は、国際連帯、人権、科学的完全性や労働者の健康についての進歩的な理想に対して公けに表明していた。彼らにとって、公けに問われたら、なぜ国外へのアスベストの輸出を支持しているのか、なぜ世界の労働組合運動のアピールを拒絶しているのか、なぜ社会的正義に対する責任を裏切っているのか、正当化するのは困難だったろう。

・ケベックの多くのジャーナリストやマスコミは、質の高いジャーナリズムを行うことに誇りをもっている。政府とアスベスト産業が誤りを広めていることを示す、明確な証拠が彼らの前に提示されれば、間違った行いを暴露して、人々の支持を獲得するためにメディアの報道を獲得できる可能性があった。メディアとケベックの人々にとってとりわけ関心があるのは、ケベックが国際的に注目を受けているかどうか、その行動が国際的に非難されているかどうかであったろう。

2.4 ケベックのアスベスト産業に対する闘いの開始

ケベックのアスベスト産業の主要な力は、それが科学的メッセージを支配しているという事実に根差している。それは、「クリソタイルの安全で管理された使用」を促進し、価値のある製品を供給することによって、開発途上国の支援において積極的な役割を果たしていると主張した。ケベックの人口の圧倒的多数は、クリソタイル・アスベストに関する科学的証拠を理解していなかった。それゆえ混乱や疑問を生み出すのは容易であった。アスベスト・ロビーは、カナダ及びケベック政府の公式のエンブレムをまとって、「最近の科学的調査研究」はクリソタイルが危険ではないことを示していると主張する、もっともらしいプロパガンダを発行した。彼らは、そうした「科学的調査研究」がアスベスト・ロビーの資金提供を受けていたことは公表しなかった。

アスベスト産業の成功の基盤であった、彼らによって流布される誤った情報に挑戦することがきわめて重要であった。一般的な要約した挑戦を提示するよりも、生じつつある具体的な現実の絵r機事がある問題に挑戦することのほうが、ほとんど常に効果的である。
2006年に、国連のロッテルダム条約のもとでクリソタイル・アスベストを有害物質としてリストに掲載することに対して反対するのに、カナダ政府は指導的役割を果たした。同条約は禁止を課すものではなく、たんにある国が有害物質を有害物質を輸出することを望む国から、事前の情報提供に基づく同意を得ることを、すべての輸出国に求めるものである。

次のロッテルダム条約の会議は2008年9月に行われることになった。これは、クリソタイル・アスベストを条約の有害物質リストに掲載するという条約の専門家学機関による勧告を妨害するのに、カナダが果たしている科学的及び倫理的に弁解の余地のない役割にスポットライトをあてる機会を提供した。

会議に向けて、ブリティッシュコロンビアに本拠を置くインターネットアドボカシー団体であるRightOnCanada.caは、フランス語と英語で、ロッテルダム条約の妨害をやめるよう求めるカナダ首相スティ-ヴン・ハーパーに対する良心の世界的呼びかけを起草した。この良心の呼びかけは、同条約によって提供される基本的人権についてのカナダの妨害は同条約を危うくし、カナダの価値観に反し、カナダの国際的尊敬に対するひどい汚れであると述べた。
ケベックの科学者に働きかける努力がなされてきた。結果的に、良心の呼びかけに署名した世界の百人を超す科学者のうち、26人がケベック大学、モントリオール市保健機関及びケベック州政府保健機関の保健専門家であった。ケベックの指導的人権団体であるケベック人権・自由同盟の会長も署名者のひとりだった。

このようにケベックにおける沈黙と脅迫の風潮にはひびが入った。ケベックの科学者やケベックの人権指導者は公けに、国連におけるカナダ政府のアスベスト政策に挑戦するようになった。科学者の知識と書簡署名者らのステータスは、アスベスト・ロビーが署名者を狂信者として非難することを不可能にした。

良心の世界的呼びかけは多くのメディアの関心を集めた。クリソタイル研究所は、2008年のロッテルダム条約締約国会議でクリソタイルアスベストのリスト搭載に反対するのに、カナダ政府が再び指導的役割を果たすよう説得するのに激しくロビー活動を行った。代わりに、カナダ政府は沈黙し、メディアのいかなる質問に答えることも拒んだために、信頼を失った。

書簡は、公けに政府のアスベスト政策に挑戦する、ケベックの保健科学者による最初の勇敢な一歩だった。声明は、ケベックではとりわけ共感を呼ぶ価値である、科学的完全性、人類の連帯及び国際的尊敬に訴えたものだった。

次の行動も、再び具体的な現在の出来事-カナダ政府が発表した、クリソタイル研究所に与えられるであろう75万ドルの資金提供に挑戦することだった。ハーパー首相の保守党政府は、産業界のロビー団体への補助金に反対する、自由企業資本主義への思想的信念を促進していたから、この問題にとりわけ弱かった。

2009年1月に、2人のケベックの保健専門家が5人の英語圏カナダの署名者とともに、クリソタイル研究所のための75万ドルの資金提供を取り消すよう求める書簡をハーパー首相に送った。この書簡は、クリソタイル研究所によって広められた「誤解を招く真実ではない情報」に挑戦し、「世界におけるカナダの科学的及び道徳的評判を傷つけ、罪のない人々をアスベストによる危害にさらす、公的資金の無駄遣い」をやめるよう要求した。それは、資金は、アスベスト労働者を支援し、アスベスト社会に持続可能な経済発展を提供するために使われるべきだと求めた。

書簡はメディアで広く取り上げられた。ケベックの保健専門家がクリソタイル研究所に対する攻撃を先導していることは、クリソタイル研究所、政府とケベックの人々にとって衝撃であった。ハーパー首相もクリソタイル研究所も、書簡が記録した科学的及び道徳的悪行を弁護することはできなかった。どちらも世論という裁判所で深刻な打撃を受けた。

ケベックの大学・研究機関の15人の著名な科学者が、ケベック最大の新聞ラ・プレッセに、ケベック政府に科学的証拠を尊重し、海外の労働者の命を尊重して、アスベストの採掘・輸出をやめるよう求めた公開書簡を発表した2009年9月に、勢いが増した。この声明は、クリソタイル・アスベストは、ケベックのアスベストが海外で引き起こしている、致死的な疾患を引き起こすという、圧倒的な科学的コンセンサスを明確に示した。この行動の呼びかけは人々の感情と関心の両方に訴えた。

これはきわめて重要な転換点を記すものだった。科学的証拠はクリソタイル・アスベストの「安全使用」を支持しているというアスベスト産業の主張は、ケベック自身の保健専門家によって、可能なもっとも公的なやり方で嘘であると暴露された。科学者らの主張は科学的完全性と人類の連帯に焦点をあてていた。「この恥ずべき行いはもはや正当化できない」と科学者らは言った。「われわれ自身を真実と一致させるべき時である」。

初めてケベックの人々は、真実にしたがい尊敬されるように行動し、ケベックのアスベストの採掘・輸入を中止するよう、尊敬されるケベックの人々から迫られたのである。

アスベスト・ロビーは、資金、弁護士、広報コンサルタント、そして政治的影響力をもっていた。声を上げた保健専門家たちはそれらのいずれももっていなかった。代わりに、彼らは力に対して真実を話すことで、誠実さと勇気を示したのであった。彼らのアピールはケベックの価値観と文化に共鳴していた。世論という領域で、彼らは、お金では買うことのできない信頼をもたらした。

何度も何度もキャンペーンは、声をあげて、公的な政策が、独立した信頼できる科学的証拠に基づき、人々の命を守るよう、要求するために科学者たちを動員した。これは抽象的なやり方で行われたのではなく、現実の問題に関連して、名前を挙げて、人々に責任をもたせることによって行われた。

ケベック政府がケベックの鉱業立法に関する議会の公聴会を開催したとき、ケベックの保健専門家は力強い発表を行って、ケベックのアスベスト輸出はケベックに不名誉をもたらしており、中止しなければならないと述べた。

ケベック保健大臣イブ・ボルダックは、クリソタイル・アスベストの使用を支持して、医師としての倫理規定に違反しているとする申し立てが、ケベック医師会に提出された。

ケベックの公共放送委員会であるカナダ放送協会がアスベストに関する偏った不正確なニュースを流したとき、カナダ放送協会のオンブズマンに苦情が申し立てられた。この苦情は支持された。アスベスト産業の誤った情報を促進したジャーナリストは、挑戦を受け、また公けに信用を落とすだろうことを学んだ。

初めて沈黙を打ち破ってアスベスト産業に挑戦した科学者の小さなグループは、次第に他の専門家団体の支持を得ていった。ケベック医師会、ケベック公衆衛生学会、ケベック対がん協会、地域保健を専門とするケベック医師会、ケベック胸部医学会、ケベック労働衛生協会、ケベック家庭医協会のすべてが、アスベスト禁止を公けに要求するようになった。ひとつの保険団体またはひとりの信頼できる科学者もアスベスト産業が支援しなくなった。

リーダーシップの並外れた行動のなかで、ケベック政府の16人の公衆衛生局長全員が、もし政府が5,800万ドルの融資をジェフリー鉱山に与えたら、ケベックにおけるクリソタイル・アスベスト採掘・使用の結果的拡張は労働者と一般の人々にアスベスト関連疾患の増加を引き起こし、社会的及び金銭的費用をもたらすだろうと述べた書簡を送った。局長らはプレスリリースを出すとともに、書簡をケベック政府のウエブサイトに投稿した。

アスベスト産業への挑戦は公けで透明なやり方でなされた。激しい持続的なメディアの報道はアスベスト産業にスポットライトをあてた。日光は強力な消毒剤である。アスベスト産業の主張は信頼性を欠き、科学界によってナンセンスと拒否されることが明らかになってきた。政府の保健科学者らを「タリバンの小さな楽団」と呼び、アスベスト産業に反対する者を買収された嘘つきと呼ぶ、産業界のひどい侮辱の使用は、誰かを威圧するのにもはや成功せず、やけくそになった信用を失った産業の汚い戦術と認識された。
アスベスト産業を非難して、政府にそれに対する支持をやめるよう求める論説がケベックで次々と公表された。

2.5 カナダ保健大臣に対する挑戦

2009年12月にケベックとカナダの保健専門家は、カナダ対がん協会を含めた指導的な環境・保険団体とともに、カナダの保健大臣レオナ・ヤグルックに対して書簡を書き、科学的証拠を尊重し、カナダ人の健康を守る彼女の義務を果たし、アスベスト禁止を支持するよう求めた。

アスベストの批判は「かなり長い間ケベックではタブーだった。われわれはそれを打ち破ろうと試みている」と、書簡に署名した、ラヴァル大学医学部教授でケベック州立公衆衛生研究所の研究者でもあるピエール・ゴセリンは述べた。連邦の保健大臣がアスベストに対して行動をとるよう求められたのはこれが初めてであり、彼女の対応は公衆衛生対策に対する彼女の支持のリトマス試験とみなされるだろう、とこの保健専門家はメディアに対して語った。

同大臣は保健専門家と会うことを拒否し、彼らののっぴきならぬ証拠に回答することができなかった。彼女は、公衆衛生を守るという彼女の義務を果たすことに失敗していることを公けに暴露された。

2.6 国際的に挑戦されたケベック

2010年1月に世界中の科学者がケベック首相シャレに書簡を書き、アスベストの採掘・輸入を中止するよう求めた。この書簡は、ケベックのアスベスト政策がいかに科学的及び倫理的に防御不可能で、ケベックに国際的不名誉をもたらしているか書き記した。
シャレは、ケベックのアスベスト輸出業者バルジット・シン・チャンドラ、ケベックの労働安全局長ノルマン・ポーリンが同行する、インドへの貿易ミッションを送り出そうとしているときだった。

インドでは、アスベスト被害者、労働組合活動家や保健活動家らがシャレに面会して、いかにケベックがインドで労働者とその家族、地域社会に危害を与えているか直接学ぶよう求めた。シャレは面会を拒否したが、シャレに同行したケベックのジャーナリストがアスベスト被害者と会った。労働組合活動家らはポーリンに会い、いかにクリソタイル・アスベストの「安全使用」がインドで実行するのが不可能か知らせ、彼に、倫理的に行動して、インドへのアスベスト輸出を支持するのをやめるよう要求した。

ケベックにアスベストの輸出と海外の人々の命に危害を加え続けるのをやめるよう求めた、インドのアスベスト被害者、労働組合活動家、活動家らのアピールは、国際的科学界によるシャレ首相に対する挑戦として、ケベックのテレビ、ラジオや印刷メディアで大きく取り上げられた。

こうしてケベックの人々は、国際的科学界が、世界中でケベックに不名誉をもたらしているものとして、ケベックのアスベスト輸出を非難したという力強いメッセージを受けとった。インドにおけるアスベスト被害者活動家による抗議の報道は、アスベストによって引き起こされている人々の苦しみの現実を持ち帰った。この報道は世論に対して大きな影響をあてた。

挑戦はケベック及びカナダ政府に対してのみなされたのではなかったが、ケベック及びカナダの全政党に対して繰り返しなされた。社会的正義と国際連帯への関与を表明した政党は、アスベスト産業に対するその支持をやめることによって価値を示すよう求められた。結果的に2009年4月、カナダの左翼政党である新民主党がアスベストの採掘・輸出の中止を要求して、[カナダ連邦]庶民院でそれを行った最初の政党になった。2010年2月、ケベック連帯の指導者アミール・カディアがアスベストの採掘・輸出の中止を要求して、ケベック州議会でそれを行った最初の政党になった。

持続的なきわめて公けなアドボカシー活動とアスベスト輸出に対する人々の反対の増大の結果として、徐々に、この問題で最初に分岐した他の政党もその後結局、アスベスト禁止を弑する側にきた。最終的に2012年までに、オタワの保守党とケベックの自由党が、アスベスト産業を支持する唯一の政党として区分された。シャレはアスベスト採掘地域を代表していた。ハーパーは思想的に採掘の利益のために献身した。不幸なことにこの2つの政党はケベックとカナダの政権党であった。

2.7 アジア-ケベック連帯代表団のケベック訪問

2010年12月、アスベスト被害者、保健活動家及び労働組合活動家からなるアジアからの代表団が、アスベスト産業に今後20年間アスベストの採掘・輸出を大きく拡大できるようにするために5,800万ドルの融資を与えるという提案を拒否するよう、ケベックに直接訴えかけるために、ケベックに来た。

ケベック連帯の指導者と新民主党の国会議員やケベックの保健専門家らに支援されて、代表団はケベック州議会と[カナダ連邦]庶民院で記者会見を行った。彼らは、政治家や労働組合指導者と面会し、メディアのインタビューを受け、また公開イベントを開催した。ケベックの人権・保健活動家らとともに彼らは、ジャン・シャレ首相事務所の外側でデモンストレーションを行った。

科学的及び人間レベルではアスベスト産業はますます信用を失い、人々の支援を得る闘いで負けつつあった。

2011年1月に環境のためのカナダ医師会によって委託された世論調査は、ケベックの人々の76%が、政府のジェフリー鉱山に対する資金提供に反対した。

2011年3月に初めて、あるケベックの労働組合連合体(CNTU)がアスベスト産業を支持することをやめた。政党、労働組合やメディアに対してアスベスト産業があまりにも長い間保持してきた力の独占がついにひび割れ始めた。

2012年初頭までに、人々のプレッシャーに直面して、カナダ政府は24年間に及ぶクリソタイル研究所に対するその資金提供を中止した。政府の支援を失い、同研究所は閉鎖された。

2012年6月29日の金曜日、長い特別な休日の週末の直前、また州選挙のちょうど2か月前、シャレ政府はジェフリー鉱山に5,800万ドルの融資を与えた。同政府はニュースを埋めようと試みたものの、それは抗議の嵐にあった。アスベスト産業はそれまでにケベック自体で人々の支持をほぼ失っていた。

選挙のわずか数日前、ケベック党は、当選したら融資を取り消すと発表した。同党は2012年9月4日に当選し、融資の取り消しを進め、ケベックにおけるアスベスト採掘は終わった。

2015年10月、権力についてからおよそ10年後に、スティ-ヴン・ハーパーの保守党政府は敗れ、自由党のジャスティン・トルドーが権力についた。アスベスト産業はすでにケベックでは閉鎖され、アスベスト問題に関するケベックにおける政治的及び公的態度は完全に向きを変えた。2016年6月、ケベック州議会の4政党のすべてが、ケベックにおけるアスベスト採掘の中止、アスベスト禁止、及びケベック市民の健康保護のために行われてきたキャンペーンを称えるために、キャスリーン・ラフにケベック州議会のメダルを授与するという動議を支持した。

2016年12月、トルドー連邦政府は、2018年までにアスベストを禁止する立法を成立させ、効果的な規則及び実施を開発するためのコンサルテーションを行うと発表した。

3. 学んだ教訓

アスベスト産業に効果的に挑戦するためには、その政治的及び社会的基盤を理解することが重要だった。これには、ケベックにおける世論の闘いに勝つことが必要だった。キャンペーンは可能な限り開かれた公けのやり方で戦われた。メディアの報道を得るとともに、人々の感情と関心に到達するように、あらゆる機会をつかんだ。

キャンペーンは健全な科学的証拠に基づいたが、証拠を通常のやり方で提示するだけでは不十分だった。人々の関心を引き付け、ケベックの価値に共鳴し、政治的及び社会的力をもつ人々に責任を負わせる、具体的な現実の出来事にスポットライトをあてるアドボカシー活動を繰り返し行うことが不可欠だった。

アスベスト産業、シャレ首相やハーパー首相などその主要な支援者はおそらく変わらなかったろう。これは大部分の社会的正義のための闘いにおいて同じである。重要な不正行為者が既得権を放棄することはめったにない。しかし、独裁政権でない限り、不正行為者は社会的共犯に依拠している。多くの不正行為は社会が沈黙によってそれを許した場合にのみ成功する。

不正行為は、とりわけ、公益を守る責任をもっているのに、そうしない者によって行われ得る。目を閉じることによって、彼らは不正行為を隠す。キャンペーンは指導者が隠すことを許さなかった。それは、政治指導者、労働組合指導者、権威のある保健機関、健康に責任を有する公務員のトップ、ケベックの上位2つの英語を話す大学、ジャーナリスト、研究者や学生たちにスポットライトをあてた。それは彼らに、不正行為に加担するのをやめ、科学的欺瞞とアスベスト産業によって引き起こされる人間に対する危害を公けに非難するよう迫った。

多くが勇気と誠実さを示し、加担していることをやめた。まさに少数のメンバー-ほんの一握りの科学者、わずか1人か2人の大学人、たった1人の政治的指導者、1人の労働組合指導者、1人のジャーナリスト-ではじめて、彼らは止めることのできなくなった運動を開始した。

何度もわれわれは、いかに既得権益者-アスベスト、タバコ、化石燃料産業、有害化学物質、砂糖産業であろうとなかろうと-が公益ではなく産業の利益に奉仕するために、科学的証拠をねじ曲げ、公共政策を堕落させるかみている。産業界のロビーグループは、その仕事が産業の利益に不都合な独立的科学者を脅かし、黙らせようと試みる。

科学者が沈黙させられることなく、科学的完全性と証拠に基づく公共政策を守るためにその責任を果たすことがきわめて重要である。

4. 結 論

ケベックにおけるアスベストをめぐる闘いは、国際連帯、科学界、活動家やアスベスト被害者が関与した断固たるアドボカシーが、ケベックとカナダで、アスベスト産業を打ち負かし、公衆衛生政策を変えさせるのに、どのようにして成功したかを示している。結果的に、計画されたアスベスト採掘・輸入の拡大の代わりに、カナダはいまやアスベストの採掘、使用及び輸出の禁止を立法化するプロセスにいる。アスベスト産業のための宣伝者でいる代わりに、カナダはいまや世界的アスベスト禁止を実現する努力における同盟者でいる。

※原文:https://www.mdpi.com/1660-4601/14/10/1135
筆者は、キャスリーン・ラフ(リドー研究所上級人権アドバイザー)

2010年12月のアジアからのケベック連隊代表団には、日本と韓国から2人ずつ、インド、インドネシア、香港から各1人が参加した。2011年1・2月号及びhttp://ibasecretariat.org/quebec_mission_2010_arch_list.phpに詳しい報告あり。

(安全センター情報2022年3月号)

本ウエブサイト上の「アスベスト禁止をめぐる世界の動き」関連情報