韓国最大の石綿被害地域、忠清南道…終わらない苦痛 2022年3月9日 韓国の労災・安全衛生
先月7日、イ・ナモクさん(76)が苦しそうな息づかいで忠清南道洪城(ホンソン)郡にある智箕山(324m)に登った。山の中腹に着くと、一時アジアで最大規模の石綿鉱山だった鉱泉鉱山跡が姿を見せた。1938年から1986年まで運営された鉱泉鉱山からは、年間約19万トンの石綿が生産された。復元作業によって平坦に埋められた広い鉱山跡には、太陽光発電の施設が設置されていた。
鉱山跡の内部に入ると、まだ埋められていない洞窟が残っていた。残っているかも知れない石綿岩を探していたイ・ナモクさんは「この石綿のせいで、こんなに苦しめられている。状態は悪くなる一方だ」と目頭を赤くした。
イ・ナモクが生まれた洪城郡結城面の近くにも石綿鉱山があった。5歳まで石綿が飛ぶ鉱山の近くに住んで、鉱泉邑に引っ越したが、そこにも石綿鉱山があった。洪城の至る所で生産された石綿が山のように積まれていた廣川駅前で、友達と一緒に遊びながら少年時代を過ごした。
イ・ナモクさんは2011年に1級石綿肺の診断を受けた。石綿肺は石綿肺が肺の中に入って肺を堅くする疾患で、息が切れて、乾いた咳をするようになり、症状が悪化すると心臓疾患や肺がんに発展する恐れがある。一度肺に刺さった石綿は外に出ず、どんどん深く入り込む。
イ・ナモクさんの友人のキム・サンベさん(76)は、洪城郡九項面で生まれ育った。幼い頃、キム・サンベさんの村では、近くの鉱山で生産された石綿で糸を紡ぐ家内手工業が盛んだった。キム・サンベさんの母親も、家でろくろで石綿糸を撚った。2級アスベスト肺と診断されたキム・サンベさんは、「石綿の粉で母の顔と眉毛がいつも真っ白だった。私はそのような母親の乳を飲んで成長したんだ。国民学校に通っていた時、村の道端には石綿が散らばっていた。それでこんな肺の病気になったのだろう」と話した。
キム・サンベさんと兄弟のように過ごしたパク・コンスンさん(79)の故郷の保寧市チュポ面には石綿製粉工場があった。パク・コンスンさんは18歳の時から2年間、自宅前の製粉工場で働いた。石綿の原石が背負子で運ばれると、製粉工場で粉に砕き、粉を篩にかけて袋に詰める仕事をした。
2011年に2級石綿肺と診断されたパク・コンスンさんは、「村中がいつもぼやけていた。その時は石綿がこんなに危険なものだとは全然知らなかったよ。いたずらで石綿を噛んだり食べたりもしたから」と話した。パク・コンスンさんの母親も亡くなる前に3級石綿肺の診断を受け、妹2人も2級石綿肺患者だ。
1級発がん性物質『石綿』・・・・沈黙の殺人者
石綿は世界保健機関(WHO)が指定する1級発ガン物質だ。超微細粒子物質のような、小さなナノ単位の石綿繊維が空中に漂い、人の呼吸器に入って肺に刺されると、10~40年の長い潜伏期を経て、悪性中皮腫、肺がん、石綿肺、びまん性胸膜肥厚、喉頭がん、卵巣がんなどの疾患を引き起こす。
石綿は柔らかく、1200℃の高温にもよく耐え、建築資材、船舶・自動車部品など、様々な用途に使われてきた。鉱山で原石を掘り、砕いて石綿繊維の形の原料にして使う過程で、多くの鉱山労働者、工場労働者、消費者が石綿に曝露した。
韓国での石綿鉱山は、1930年代に日本帝国によって開発され始めた。特に、太平洋戦争が起きて、戦争物資に指定された石綿の輸入が難しくなったことから、朝鮮でこれを調達するために、集中的に石綿鉱山の開発に乗り出した。
石綿の有害性が知られた後も、石綿を扱う一部の労働者の職業病の要因として扱われた。2005年以降、再建築・再開発地域の構造物撤去の過程で、一般人が石綿に曝露する問題が次々に浮上して環境問題と見られ始めた。2007年、釜山市内の石綿紡織工場の周辺の住民から石綿疾患が集団で確認され、石綿の使用が全面禁止となり始めた2009年には、忠清南の洪城や保寧(ポリョン)の石綿鉱山の周辺の村で、集団的な石綿疾患が観察された。
その前の2008年7月には、石綿被害者、環境団体、専門家たちが集まって韓国石綿追放ネットワークが作られ、石綿被害特別法の制定に向けた全国民署名運動が展開された。その結果、2010年に石綿被害救済法が制定され、2011年から施行された。
忠清南道は、全国で石綿被害者が最も多い地域だ。石綿被害救済法が施行された2011年1月から2021年7月までに、全国で5295人が石綿被害者として認定されたが、このうち忠清南道地域の被害者が1943人(36.7%)で最も多かった。釜山の851人、京畿の770人、ソウルの571人がその後に続いた。
忠清南道地域の被害者の80%以上は、洪城(957人)と保寧(642人)に集中している。この地域に石綿鉱山が集中しているからだ。今年1月に環境保健市民センターが出した報告書によると、全国の石綿鉱山42カ所のうち、28カ所が忠清南道地域にあった。
2008年、環境部は廃石綿鉱山が密集している忠清南道の洪城や保寧の村の5ヵ所を調査し、住民215人を検査した結果、142人から石綿疾患の症状が見られた。以後、忠清南道地域の廃鉱山周辺の住民に限られていた健康診断が、全国の石綿鉱山周辺に徐々に拡大された。
現地の医療機関・記録館設立の注文も
洪城郡のトクジョン村に住むパク・ジェトゥクさん(78)は、1968年から1986年までの18年間、村の裏山にある光川鉱山で働いた。彼もやはり石綿肺3級と診断された。彼の疾患は石綿鉱山での職業歴が原因だが、労働災害補償保険の適用対象ではない。石綿鉱山の労働者は労災保険に加入しておらず、鉱山が廃業した状況では、働いていた履歴を証明するのも容易ではないためだ。石綿被害救済法による支援は、労災保険の20~30%の水準にすぎない。
環境保健市民センターの崔禮鎔(チェ・イェヨン)所長は「政府は1980年代、石綿鉱山が廃鉱となった後、そのまま放置した。その結果、住民が石綿に曝露し続けたため、石綿鉱山地域の住民の健康被害には国の責任も大きい」とし、「被害救済法は企業が出した基金で運営されるが、国が責任を持って、石綿被害者の救済・支援のレベルを労災保険と差がないように高めるべきだ」と指摘した。彼はまた「石綿疾患は10~40年の長い潜伏期を経た後に発病するため、今後、石綿鉱山の周辺でより多くの被害者が出る可能性がある」とし、「石綿疾患のモニタリングと被害者の発見に、もっと力を入れるべきだ」と強調した。
被害者の多くが集まっている忠清南道の洪城や保寧地域で、専門の診療を受けられるようにするべきだという指摘もある。礼山(イェサン)洪城環境運動連合のシン・ウンミ事務局長は「忠清南道地域の石綿被害者が診療を受けるには、指定病院の天安(チョナン)のスンチョンヒャン大病院まで行かなければならないが、大部分が歳のために行動が難しい。」「医療院に呼吸器専門医を配置するなど、該当地域の石綿被害者を治療し、健康管理をする医療システムを整える必要がある」と話した。
忠清南道地域に石綿被害記録館を建てようという議論も進行中だ。崔禮鎔所長は「経済的な被害を憂慮して、地域では石綿問題をもみ消そうとする傾向もあるが、むしろ『私たちの地域で、石綿のせいでこうした被害があり、こんなに危険だ』ということを、記録として残して教育する必要がある」とし、「既に、イギリス・オーストラリア・日本などでは記録館を建てて、石綿被害の教訓を噛み締めている」と説明した。
これに関して、忠清南道のプルンハヌル企画課のパク・ミファ主務官は「洪城医療院と呼吸器専門医を配置する案を論議しているが、地域に来るという医師が見つからずに困っている。」「石綿被害記録館については、環境部に記録館が必要だという意見を伝えている状態」と話した。
2022年3月9日 ハンギョレ新聞 チェ・イェリン記者