ILO:労働における有害な化学物質への曝露と結果としての健康影響:グローバルレビュー(2021.5.7) 知見の概要:溶剤
▶溶剤は、世界中で、また幅広い職種で、大量に使用されている有害物質である。それは、洗浄剤、塗料、接着剤、インクや洗面用品など、数多くの製品に含まれている。一般的な例は、イソプロパノール、ベンゼン、トルエン、キシレンや揮発油などの混合溶剤である。
▶溶剤曝露の多い職業には、塗装工、ラッカー工、印刷工、ドライクリーニング工、製靴業、グラフィックやプラスチックの生産が含まれる。
▶溶剤蒸気の吸入がもっとも一般的な職業曝露のかたちであるが、塗装などの業種では皮膚接触が多い可能性もある。
▶急性の高レベルの曝露はせん妄、呼吸障害や死亡につながる可能性がある。慢性の低レベル曝露は溶剤に特有のものであり、がん、生殖上の懸念や神経毒性影響と関連している。
▶世界的に多数の労働者がそれに曝露しており、深刻な健康影響が堅固な科学的証拠によって確認されていることから、溶剤は労働安全衛生上の優先事項と考えられるべきである。
主要な曝露業種:飲食料品・たばこ、機械・電子工業、化学産業、印刷、プラスチック、ゴム、繊維・衣料・皮革・製靴、製造業、ドライクリーニング
主要な健康影響:がん、「慢性溶剤誘発性脳症(CSE)」を含む神経毒性影響、生殖毒性
職業曝露の世界負荷:限定的データ
労働関連健康影響:限定的データ
ベンゼン
ベンゼンへの曝露は大きな労働衛生上の問題であり続けている。ガソリン中及び一般的な工業溶剤としてのベンゼンの存在は、大量の職業曝露と様々な急性・長期健康影響につながる可能性がある。現在、石油中のベンゼンの濃度は多くの地域で制限され、溶剤の使用も制限されているものの、ベンゼンへの曝露は、製靴、塗装、印刷やゴム製造など、一部の業種では高いレベルのままである。急性影響には、頭痛、めまい、錯乱、ふるえや目・皮膚・呼吸器の炎症などがある。慢性曝露は、白血病などのがん、再生不良性貧血、DNA損傷や免疫抑制影響などをもたらす可能性がある。
曝露
「溶剤」という言葉は一般的なものであり、何百もの異なる化学物質を含んでいるかもしれない。溶剤は、他の物質を溶かしたり、薄めたりするために使用され、洗浄剤、化石燃料、塗料、接着剤やワニスに使用され、また、染料、プラスチック、繊維、印刷インキ、農業製品や衣料品の生産に使用される。溶剤は揮発性物質であり、職業曝露は一般的に蒸気の吸入によって生じる。また、塗装や鉱業用脱脂剤など、一部の業種では経皮曝露も多くみられる。噴霧などの一定の作業は、非常に高い曝露レベルになる。
曝露後速やかに血中に吸収され、血中濃度は、大気中の溶剤濃度、部屋の換気や曝露時間など、環境要因によって左右される。溶剤はまた、脳のような脂質の高い臓器にも残留することがあり、健康に悪影響を及ぼす可能性がある。
健康影響
急性健康影響は溶剤の種類によらずほぼ一貫しているものの、慢性溶剤曝露の影響は一般的に溶剤特有のものであり、それゆえ個別に検討する必要がある。これは、溶剤の種類による本質的な違い、個人の影響の受けやすさや、化学物質曝露の量・期間などの変数の影響を受けるために、複雑な研究分野である。
がん
IARCは、ベンゼンとトリクロロエチレン(TCE)をヒトに対して発がん性(グループ1)、また、例えば塩化メチレンやテトラクロロエチレンなど、一部の溶剤を恐らく発がん性(グループ2A)として分類している。ベンゼンはとくに白血病と、塩素化炭化水素は腎臓がんと関連している。トルエンへの曝露によって様々な消化器系がんのリスクが高まることが示唆されており、また、塗装工としての職業が一貫して肺がんのリスクの40%増加と関連している。トリクロロエチレン曝露による肝臓がんと非ホジキンリンパ腫、テトラクロロエチレン曝露による食道・子宮頸がん、四塩化炭素曝露によるリンパ系悪性腫瘍のリスクを増加するという証拠がある。塩化メチレンへの曝露の多いコホートで、肝臓・胆管がんの過剰リスクが示唆されている。
その他の健康影響
がん以外で、有機溶剤曝露にもっとも典型的に関連した主な健康影響は、神経系の障害、腎臓・肝臓の障害、皮膚の損傷や、精子の変化や不妊などの生殖系への悪影響がある。事実上すべての溶剤はリプロダクティブヘルスに悪影響を及ぼす可能性がある。具体的には、口蓋裂、流産、新生児感染症や小児がんと関連している。急性健康影響には、皮膚・目・肺への刺激、頭痛、吐き気、めまいや軽い意識朦朧が含まれる。非常に高いレベル[の曝露]は、意識不明、痙攣をもたらし、例えば換気されていない空間では、死に至ることさえもある。
労働環境での慢性曝露は、頭痛、疲労、記憶力・集中力の低下、過敏、抑うつや性格の変化など、様々な神経毒性影響を生じさせる可能性がある。46の横断研究のメタアナリシスでは、溶剤への職業曝露が認知機能、とりわけ注意力と手続速度の低下と関連していることが示された。一部の溶剤は、感覚の変化、振動知覚の喪失、固有間隔の障害をもたらす、末梢神経障害を引きこす可能性があるという強力な証拠がある。末梢神経障害の、家具製造・印刷・製靴会社でのアウトブレイクと溶剤のn-ヘキサン、オハイオの捺染工場でのアウトブレイクとメチルn-ブチルケトンが関連していた。
慢性溶剤性脳症(CSE)は、例えば慢性的に曝露した労働者など、溶剤に長期間曝露した後に発生する可能性がある。この症候群は、疲労感、イライラ感や物忘れなどの症状に加え、運動能力や情報処理能力の低下などの神経行動障害を特徴としている。CSE患者のコホートについての最近の研究では、37%が永久的労働障害年金を受けていることがわかった。世界でCSEの影響を受けている労働者の潜在的な数を考慮すれば、公衆衛生への影響は著しいものと思われる。
地域的傾向
溶剤への曝露は、ガスや粉じんに次いで、職場におけるもっとも一般的な化学物質曝露のひとつである。欧州とアメリカでは、溶剤曝露の危険性に対する認識が高まるにつれて、法令や技術進歩が、危険性の高い溶剤の使用の減少につながった。例えば、1987年のモントリオール議定書により多くのオゾン層を破壊する溶剤が制限または廃絶され、水性塗料が従来の溶剤系塗料に取って代わった。例えばドライクリーニングなどの一部の業種では、機器やプロセスの改善が溶剤使用量を減少させた。しかし、低中所得諸国(LMICs)では、標準化された規制は最小限であり、溶剤の使用は十分に管理されていない可能性が高い。
事例研究:溶剤への職業曝露と認知能力との関連性
フランスのCONSTANCES研究は、年齢45~69歳の4万人を超す参加者のコホートにおける溶剤への職業曝露と認知能力との関連性を評価した。認知機能検査の標準化されたバッテリーを用いて、認知機能、エピソード性言語記憶、言語能力、実行機能が評価された。その結果、ガソリン、揮発油またはセルロース系シンナーに職業曝露した男性が認知障害のリスクがもっとも高かった一方で、揮発油に曝露または20年以上曝露した女性の認知能力が相対的に低いことが示され、使用した溶剤の数と累積曝露時間について、曝露-影響関係が認められた。具体的には、認知能力は、個々人が職業曝露した溶剤の数及び累積曝露時間によって低下した。
選択された優先行動:溶剤
国の政策措置の例
▶溶剤による職業ハザーズの予防・管理・保護のために講じるべき措置を規定した国の法律または規則を策定する。
▶代替手段が存在する一定の作業プロセスにおける有毒溶剤の使用を段階的に廃止し、可能な場合には相対的に有害性の少ない代替製品によって溶剤を置き換える。有害な溶剤の多くについては、同じ特性をもちながら、健康への影響が相対的に少ない代替品をみつけることが可能である。
▶ジクロロメタンをベースにした塗料剥離剤や塗料や洗浄剤に広く使用されているN-メチル-2-ピロリドンなど、数多くの有害な溶剤を禁止または制限している、EUなど、他国の事例を参照する。
政策決定者のための追加的行動
▶溶剤への労働者の曝露を低減させるための、予防措置を確認及び優先付けする、目標を絞った調査研究プログラムを開発する。
職業曝露限界(OELs)
▶様々な種類の溶剤に対するOELsを更新・実施・施行するとともに、それらOELsの国際的調和を確保する。
▶EUやACGIHなど、一定の国・機関によって設定されてきた個々のOELsを参照する。
現実的な職場介入の例
▶可能な場合には、職場レベルで、有害な溶剤の使用を廃止・代替化する。
▶ドアや窓を開けて排気をよくするが、場所によっては機械的換気が必要かもしれない。密封システムも曝露の低減に役立ち得る。限られた空間内で溶剤はすぐに高濃度の蒸気を発生させることから、換気は重要である。
▶溶剤は、蒸発を最小限に保ち、漏出を減らすために、可能な場合には、ディスペンサーを使用して、適切なラベル表示がされた容器に保管する。
▶溶剤に浸した布は、密閉した容器に入れて廃棄する。
▶溶剤の具体的な取り扱いや使用方法について労働者を訓練する。訓練には、物理的特性、健康影響、曝露経路、曝露を最小限にする方法、PPE、応急措置、漏出や廃棄を含めるべきであるが、以上に限定されない。
▶実施されている対策が労働者の健康を守るのに十分であるかを理解するために、溶剤の蒸気への曝露を測定するうえで、グッドプラクティスを適用する。
▶漏出や緊急事態のような状況に備えて、消化器や吸収剤などの適切な安全装備を提供する。
▶有害な溶剤を取り扱っているときには、飲食・喫煙を禁止する。
▶保護オーバーロール、手袋やフィルター付きます区などのPPEを無料で利用できるようにするとともに、勧告にしたがって使用されるようにすべきである。
ベンゼンに対する優先的行動のスポットライト
溶剤としてのベンゼンは、有害性の低い様々なもので代替することができる。多くの溶剤がベンゼンと同様の特性をもちつつも、有害性は相対的に低い。
▶密閉または排気装置を用いる工学的対策が効果的であり得、作業の隔離も曝露を低減することができる。
▶ベンゼンは、換気のよい涼しい場所で、密閉した容器に入れて保管すべきである。
▶静電気による火花で発火しないように、アースをとる必要がある。ベンゼンは、過マンガン酸塩、硝酸塩、過酸化物、塩素酸塩や塩化物などの酸化剤と激しく反応する。
▶ボトルや容器のラベルには、GHSにしたがって、健康リスクを示すシンボルを表示する。
▶例えば呼吸保護などのPPEは最後の手段であるが、状況によっては必要になることもある。
▶それらのベンゼンへの耐性は限られているものの、適切な機器、すなわちマスクとフィルター・タイプAまたはポリビニルアルコール(PVA)製手袋を使用することが不可欠である。