職業性胆管がん事件(その1)(オフセット校正印刷会社SANYO-CYP):発端、労災申請
片岡明彦(関西労働者安全センター事務局次長)
目次
はじめに
オフセット校正印刷会社「SANYO-CYP」(サンヨーシーワイピー)(以下S社。大阪市中央区龍造寺町8-15)の校正印刷部門に従事する労働者、元労働者のうち、14名(2012年9月現在。7月までは13名が確認されていたが、さらに1名が発症したとの情報がある。S社の公式発表はない。表1)が胆管がんを発症し、7名が死亡しているという事件が発覚した。うち12名について現在までに労災請求がなされている。
原因物質としては、大量に使用されていたブランケットローラー洗浄剤に含まれていたジクロロメタン(DCM)、1,2ジクロロプロパン(1,2DCP)が強く疑われ、長時間労働、換気不足などによる高濃度・長時間ばく露も発症要因となったとみられている。
本件は、熊谷信二産業医大准教授(写真右側)によって、5月31日の日本産業衛生学会で初めて報告された。この学会報告に関連してマスメディアが本件を取り上げ、5月18日以降、かなりの規模の報道がされてきた。
こうした事態を受けて、厚生労働省は同種の事業場の調査や業界団体への予防的通達の発出などで対応してきた。厚生労働省として2012年9月5日時点で、S社を含めて胆管がんに係る労災請求が、22事業所、34名について行われているとしている。厚生労働省は8月から大阪市立大学グループにS社の疫学調査をさせており、日本胆道学会による全国的な症例調査も行われつつある。また、労災請求事案についての判断を行うための検討会を発足させ9月6日に第1回会合が行われた。年度内が判断のめどと報じられている。
S社における校正印刷作業と胆管がんとの関連性は誰の目にも明らかで、すぐにでも労災認定されるべきであるが、胆管がん多発のほかに肝機能障害をきたしている労働者・元労働者がおり、健康障害の全体像の調査はこれからといえる。
さらに、S社以外でどのくらいの被害が発生しているか、今後の厚生労働省などの調査や労災請求の動向が注目される。
当センターとしては、相談が持ち込まれた2011年3月以降、関係者と協力して本件に取り組み、被災労働者や家族による労災請求を支援してきた。
時効になってしまっている分を含めた迅速な労災認定の実現、本件を教訓とした労災補償制度における時効撤廃、本件のような事件が今後発生しないようにするための化学物質対策の改善といった課題に、さらに積極的に取り組んでいくことにしている。全国センターとしても重要課題だ。
前代未聞のこの事件への読者、仲間の皆さんの注目と、被災労働者と家族に対するご支援を訴える。
友人の悔い
1969年生のGさんが胆管がんで亡くなったのは2010年2月だった(表1)。
Gさんは、1994年11月から2004年2月までS社で校正印刷に従事した。最初の3、4か月間はアルバイトで、その後は正社員として勤務している。
表1のとおり、在職期間中に実に4名が胆管がんを発症している。
1996年に古株のAさんが発症した。Aさんは切除手術を受けたのち職場復帰してきたが、1998年に退職して、別の校正印刷会社に勤務した。
次に発症したのは、最も古株で工場長だったBさん。お酒を飲まないBさんが「肝臓がん」で亡くなったのだった。ある元従業員は、告別式の棺のなかのBさんの顔が「まっきいろ」だったことを鮮明に記憶している。
実はこのころ、Kさんという社員が劇症肝炎になっており、また、1999年に急性肝炎になった新入社員もいた。
次に胆管がんを発症したのは、Gさんとは同い年で、社員としては先輩、1996年に退職した後、妻の実家の家業に就いていたCさんだった。Cさんは1999年に発病し、2000年に31歳の若さでこの世を去った。
当時、「胆管がん」という正確な病名が社員の間で認識されてはいなかったかもしれないが、肝臓がん、肝臓障害が発症していることは当然認識されていた。社員の中には「溶剤のせいではないか」と社内で発言する者もあったが、社長はまったく取り合わず、逆に、「そんなことを言うな」と強引に押さえつけたという。
ワンマン社長の号令のもと、昼夜2交代で猛烈な量の仕事をこなす職場ではあったが、職場はたいへん仲がよかったと、元労働者たちは口をそろえる。
次々に「肝臓がん」による死亡者や「肝炎」になる者が出るのを心配したGさんたちは、職場の改善を上司や社長に訴えたが、まったく聞き入れられなかった。そうした不満をGさんは知人や友人によく訴えていた。
そして、Gさんの危機感と怒りが頂点に達したのが、同じグループで働いていたDさんが2003年10月に発症したときだった。
Gさんより9歳も年下のDさんは、高校卒業後に入社したサッカー部出身の好青年だった。Dさんは、2002年2月から東京支社立ち上げのために東京勤務になったが、2003年10月頃、会社健診での肝機能異常から胆管がんがわかった。すでに手術のできない状態で、余命数か月だった。大阪の実家に戻り、2005年6月に27歳という若さで亡くなった。S社での胆管がん死亡者では最年少だ。
Dさんの胆管がん発病を目の当たりにしたGさん自身の大きな不安や、Gさんの健康を心配する友人たちや両親の勧めもあり、Gさんは2004年2月に退職したのだった。
周囲の人たち、そして、Gさん自身もひとまず安心し、介護関係の職場に再就職して新たな人生を歩みはじめた。
ところが、2009年3月に胸に痛みをおぼえ病院に行ったところ、胆管がんを発症していることがわかった。すでに手術のできない状態だった。約1年後の2010年2月、郷里の病院で家族に見守られながら息を引き取った。40歳だった。
生前、Gさんが会社の問題を訴えるのをしばしば聞かされていた友人のYさんは、GさんがS社を辞めてから半年くらいして、食欲も出て、顔もふっくらしてきて元気そうにしているのをみてほっとしていた。以前福祉関係の仕事をしていたYさんは、Gさんの再就職の相談にものった。
それだけに、Gさんが入院し、余命いくばくもないとの知らせが舞い込んだときには、大変ショックを受けたという。Gさんもやはり逃げ切れなかったのか、と。
2010年2月にGさんの訃報が届いた。Gさんの無念を思うと、悔やんでも悔やみきれない、実にやりきれない気持ちだった。
「あの会社をこのままにしてはいけない」。
Yさんは知り合いの医療ジャーナリストMさんに相談をもちかける決心をする。2010年5月、Yさんは、S社をよく知る知人とともに京都でMさんに会い、Mさんは知り合いのきょうとユニオンに話を持ち込んだ。
その後、いくつかのいきさつがあって、Yさんたちが関西労働者安全センターに相談に訪れたのは東日本大震災の5日後の2011年3月16日だった。
肝臓・胆管がんなど10名のリスト
Yさんらが、Mさん、京都ユニオンの玉井均委員長、奥田雅雄副委員長らとともに関西労働者安全センターに相談に訪れたとき、Yさんらはすでに元従業員ら関係者から情報を収集して、S社と被害者に関する調査資料を作成しており、それを持参された。
その資料には、次のような内容が記載されていた(表2)。
この日のミーティングに参加した筆者は、非常に驚いた。
表2中の「?氏」と記載された方が誰なのかについて、現在は判明している。また、表1と比べると発症や死亡の「年」や病名に事実誤認が含まれていたこともわかる。「胆管がん」だと確定的情報があったのは、表2の時点、つまり、2011年3月時点では3名だったのが、その後の調査であとの6名もすべて胆管がんだと判明することになる。
つまり、表2の情報は、その後の展開にとって決定的に重要だった。
胆管がんというのは、一般人にはなじみのない病名だ。
がんという病気の場合、周辺に正確な疾病情報は知らされないことが多い。
実際、各氏の同僚、知人レベルは、肝臓がん、肝臓の病気と認識している方が多かった。1998年8月に亡くなったB氏は、みんなに慕われた工場長で、肝臓がんであることを知らぬ者はいなかったが、死亡病名も胆管がんとはなっていなかったとみられている。
しかし、他のケースにおける告知された本人や配偶者は別だ。胆管がんであることを正確に認識していた。
では、会社側はどうか?
病休時に会社に提出されたであろう診断書などにどのような記載があったのだろうか。本人は会社にどう話していたのだろうか。肝臓障害を引き起こすことが多い有機溶剤が多用される職場の安全衛生の観点からは、胆管がんも肝臓がんも、それほどの違いがあるとはあまり考えられない。
いまだ、社長はじめ責任者たちは口をつぐんだままだ。あとで紹介するように、7月31日のS社顧問弁護士の説明では、会社が胆管がん発生を認識したのは2003年だという。2003年は、表1のDさんが発症した年にあたる。「胆管がんを」認識したのは2003年、ということにどれほどの意味があるというのか。
胆管がんであることの確認
2011年3月当時、胆管がんと有機溶剤をキーワードにしてインターネットで検索しても、ヒット情報はまったくなかった。
校正印刷とは何なのか、使用された材料は?、含まれる成分は?、商標名は?
ほとんどがわからないところからのスタートだった。2011年3月16日の最初のミーティングのあと、熊谷信二産業医科大学准教授に相談をし、調査を依頼することにした。
熊谷准教授は、有機溶剤を含む職場環境測定の実務経験が豊富な上、アスベストはじめ様々な作業関連疾患の疫学調査を手がけてきた実績をもつ。
近いところでは、尼崎のクボタ旧神崎工場周辺の中皮腫被害に関する疫学調査を車谷典男奈良医大教授と共同で行い、工場と被害の因果関係を証明したことで有名だ。
熊谷准教授には、調査方法から結論に至るまでのすべてを委ねるという条件で協力をお願いし承諾を得た。お願いした側が、結論などに意見を差し挟むことはしない。調査の結果、関連が見いだせない、ということであれば、当然、それでかまわないということだ。
熊谷調査では、原因物質や使用材料の追究などとともに、まず重要とされたのは、胆管がん、肝臓がんなどで死亡あるいは罹患しているとみられる方々についての確認だった。
Gさんに関する療養経過に関する資料をGさんのご両親から提供してもらうことから始まった調査は、2011年初冬までに、表1の3,4,6,8,9番の方について、本人、ご遺族に連絡を取り、直接会って調査の趣旨を説明し、調査への同意を文書でいただいた上で、関係病院での診療情報開示を経て、病理組織検査を経た上で確定診断された胆管がんであることが確認されていった。
労災補償の時効を止める
Gさんが発症したのが2009年春頃とみられたため、休業補償請求の時効を停止するため、2011年4月7日に、S社を管轄する大阪中央労働基準監督署に請求用紙を提出し、記載事項不備のためとして返戻してもらった。
ある休業日の休業補償の請求権は、2年後の同一日の午後12時に消滅するとの趣旨の規定が労災保険法第42条にあるからだ。(2年時効)
熊谷准教授による文献調査、使用溶剤などのメーカーへの問い合わせ、S社関係者への聴き取りが進められた。とくに、S社社長の超ワンマンで傲慢で狡猾な性格に注意を払う必要があり、S社に調査を行っていることが極力伝わらないようにするために、S社関係者への調査は慎重を期した。
2011年9月22日、Gさんのご両親を熊谷准教授が訪問し、Gさんの生前の様子について詳しい聴き取りが行われた。S社在職中、Gさんは職場環境のことで会社の上司に掛け合ったがらちがあかず、結局、それが原因となって退職したということだった。ご両親もそれを勧めたのだがこのような結果になってしまったと、無念な気持ち、苦渋に満ちたお話だった。医師には、仕事と関係があるのではないかと質問したことがあるが反応はなかったそうだ。
このとき元気な頃のGさんの写真を初めて見ることができた。元気な頃の本当に幸せそうな笑顔。彼がたどった人生の悲しみが胸にしみた。
ご両親は、職場環境が改善され、Gさんの後輩のために少しでも役に立つならばと、熊谷調査への協力と労災請求を行うことを承諾されたのだった。
Gさん宅に残されていた遺品やご両親の記録にS社の同僚の連絡先が残されていた。ご両親の承諾を得て、表2の元同僚などが関係するとみられる連絡先に、熊谷准教授が調査協力の依頼状を発送することになった。
27歳の若さで
Dさんのご両親を大阪市内の自宅に訪ねたのが、2011年10月10日だった。
熊谷調査への協力を承諾されたご両親、とくにお母さんが、「いままでは、丈夫に生んでやれなかった自分が悪かった、かわいそうだったという思いだった。でも、熊谷先生の手紙を読んで、そうではなかったのではないかと思い、話を聞かせてもらう気持ちになりました。」とおっしゃったのが印象的だった。
このとき、「Dさんの件は労災請求についてすべて時効になってしまっているのですが、あえて申請するべきではないかと考えています、どうしますか?」とお聞きすると、「会社には生前も亡くなったときもたいへんお世話になりました。それはしません」というお話だった。
S社への就職は高校時代の同窓だった社長の息子の誘いによるもので、いい同僚にも恵まれて一生懸命仕事をしたDさんは、社長を強く信頼し、自分の病気の原因がS社にあるとはまったく疑っていなかったのではないか、ということだった。医師から仕事と関係があるのではないかと言われたこともなかった。
実は兄も胆管がんでした
熊谷准教授からの依頼状を受け取って、すぐに電話をかけてこられた一人が、Cさんのお母さん、岡田俊子さんだった(上の写真中央)。
実はCさんの連絡先がわからなかったため、Cさんの実家の住所に手紙を送ったところ、Cさんのお母さんが電話をかけてこられたのだった。
「Cと同じ病気で、兄の浩が亡くなっています」という驚くべき話だった。
2011年11月4日に大阪市内の自宅を訪問して詳しくお聞きすると、まちがいなく、胆管がんで死亡されていた。表1の6番Fが浩さんだ。
浩さんは、大学を卒業後、他の会社に勤めた後、求人広告をきっかけに1988年からアルバイトとしてS社に入社、1989年4月から正社員となり1998年まで校正部に所属し、校正印刷機のオペレータではなく、印刷前の段取りを担当していた。ただし、頻繁に印刷室に出入りし、道具類の洗浄などの補助作業を行っていた(弟のCさんは、浩さんの誘いで同じ頃S社に入った)。
退職から8年後の2006年7月、突然、黄疸を発症し、入院。検査の結果、胆管がんと診断され、1年間の闘病の末、2007年7月14日に亡くなった。
俊子さんは、看病疲れで胃潰瘍になり、浩さんが亡くなったときには、同じ病院に入院中だったそうだ。
弟のCさんも胆管がんで死亡したことを知った主治医に「きょうだい3人のうち男二人が同じ病気で亡くなっているのはおかしい。妹さんも気をつけて検査した方がいい」と言われたという。医師から仕事のせいではないかとは、まったく言われなかったそうだ。
止まった時間
Cさんは、1969年8月生まれで、高校卒業後、1988年にアルバイトとしてS社で働きはじめ、1989年4月から1996年2月の退職まで校正印刷作業に従事した。S社は現在の社屋の前に、大阪市中央区粉川町に工場があり、その時代から勤務した。
1993年10月にS社元事務員のTさんと結婚して、1996年2月に退社した。その後、Tさんの実家の仕事をするようになった。
ところが、幸せな生活が暗転する。
1999年2月22日、突然黄疸症状が出たため近くの医院を受診すると、「いのちにかかわる」と言われて、翌日からT病院に入院。検査、切除手術の後、胆管がんで「余命半年」と宣告されたのだ。
本人には告知しなかった。厳しい療養生活を余儀なくされ、2000年9月24日に永眠された。31歳の若さだった。
残された奥さんのTさんによると、「幼いころに実父を亡くし、在職中に「自分をほんとうのおやじだと思え」と言われていたせいか、S社社長の人間性に信頼を置いていた。「西日本一の空調」「社員は家族」などと言う社長の言葉を、辞職後も信頼していたように思う。本人には胆管がんという病気であったことは最期まで知らせなかったが、薄々「ガン」であることには気づいていたように思う」という。
2011年11月、熊谷准教授から突然手紙が届いた。不信に思ったが、思い切って面会することにした。
面会のとき、何人かの方が同じ病気で亡くなられたことを知らされ、調査に協力することを決意したが、自分自身、S社に原因があるかもしれないこと、何らかの有機溶剤等が原因かもしれないことを、その日まで思いもしなかったという。
「夫が亡くなったときに時間が止まったままです」とTさんは話す。
Tさんに会えたとき、Cさんの死亡からすでに12年近くが経過していて労災請求権は時効で消滅していた。あえて労災申請するつもりはありますかとお聞きすると、「したい」という答えが返ってきた。
学会抄録提出
ほかに療養中の男性②さんに会い、発症からの詳しい経過をお聞きしたところ、胆管がんであることに間違いなかった。現在は治癒状態だが、慎重に経過観察を続けているところだという。
S社で校正印刷作業に就いていたのは30名から40名と推定され、このうち、5名が胆管がんを発症し、うち、4名が死亡しているという数字の意味はきわめて重大だった。
問題の重大性、労災時効の問題(岡田浩さんの件は遺族補償の時効が迫りつつあった)の点からは、できるだけ早く社会的に明らかにすること、労災請求して労基署の徹底した調査を求めることが必須だ。
確認患者数はさらに増えることが予想され、熊谷調査はさらに進めなければならないが、そのためには、会社の妨害をできるだけ避けなければならない。
熊谷准教授は熟慮の末、2012年5月末の日本産業衛生学会で5名の胆管がんについて症例報告を行うことを決め、学会抄録を12月に学会事務局宛て提出した。
この抄録原稿が抄録集発行によってオープンになるのが2012年5月上旬頃。その時期に向けて、5名のうち時効になっていない3名についての労災請求を行うことになった。
日本産業衛生学会抄録・オフセット校正印刷労働者に多発している肝内・肝外胆管癌
Intrahepatlc and extrahepatic bile duct cancers among offset proof printing workers
熊谷信二(産業医科大学・安全衛生マネジメント学)
車谷典男(奈良県立医科大学・地域健康医学)
【目的】オフセット校正印刷会社(以下、A社)の元従業員から「肝臓がん」「胆管がん」が複数発生しているが職業関連性のものではないか、との相談を受けた。その後、現時点までに合計5人の患者が確認できたので報告する。
【症例】いずれもA社の校正印刷部門の元男性従業員(勤務歴8~11年)であり、肝内胆管癌あるいは肝外胆管癌を発症しており、うち4人が死亡していた。発症年齢は25~45歳と若く、入社から発症までの期間は7~19年であった。
【仕事】校正印刷は、刷り上がりの確認のために、本印刷の前に少数枚の印刷を行う工程である。校正印刷では版交換を頻繁に行うので、インクロールやブランケットの洗浄剤の使用頻度が非常に高い。A社には6台の校正印刷機が設置されていたが、常時どこかの印刷機で版交換が行われている状態であったという。5人の勤務時期に使用していたインクロール洗浄剤は灯油であり、ブランケット洗浄剤は1,2一ジクロロプロパン、ジクロロメタン、1,1,1一トリクロロエタンを含む溶剤であった。その他に使用した化学物質としてインクおよび光沢剤などがある。作業場からの排気は、印刷機下部の床に設けられた排気口から行われていたとのことである。呼吸保護具は支給されていなかった。
【考察】肝内・肝外胆管癌のリスク因子には、原発性硬化性胆管炎、胆管の奇形、ウイルス性肝炎、肝吸虫の寄生、肝管結石、化学物質などがあるが、最初の4疾患についてはいずれの者も既往歴がない。胆管結石については、胆管癌発症時の画像検査で初めて指摘されている者もいるが、それ以前に臨床症状を呈した者はいなかった。リスク因子となる化学物質としてはトロトラストがあり、ニトロソアミンなども疑われているが、今回の症例ではこれらの物質に高濃度に曝露される機会は認められない。またアルコール摂取もリスク因子として報告されているが、いずれの者も大量飲酒の習慣はなかった。
肝内胆管癌および肝外胆管癌による死亡率はいずれも低く(2005年男性,肝内2.61人110万人,肝外7.85人110万人)、年齢とともに上昇する。元従業員の記憶によれば、A社校正印刷部門に1990年代および2000年代前半に1年以上在籍していた男性従業員は約40人であるという。そのうち、演者らは少なくとも5人が胆管癌を発症し、4人が死亡していることを確認したことになる。発症年齢も若い。この事実は、仕事で使用した化学物質が胆管癌発症に関与していることを強く推測させるものである。
顧問弁護士からの内容証明
3名(表1の6,8,9)について労災請求を準備する最終段階で、安全センター事務局・片岡名で、S社に事業主証明のお願いと熊谷調査への協力依頼のために、次の内容の書状を送付した。
2012年3月7日
株式会社SANYO-CYP御中
代表者様
片岡明彦(関西労働者安全センター事務局次長)
御社元従業員3名の労災請求にかかる事業主証明等と疫学調査へのご協力のお願い
拝啓、時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
当職は、労働災害・職業病の被災労働者・家族の支援活動をしておりますNGOであります関西労働者安全センターの専従事務局を担当しております。
過日、御社元従業員であるG氏のご両親から当センターに対しまして、G氏の死亡疾病について御社における業務が原因なのではないかとのご相談がありました。
その後の確認調査によりまして、G氏は胆管がんで死亡されていることが確認されるとともに、G氏の遺品から得た元同僚関係への調査によって、さらに、ほかに元従業員2名が胆管がんに罹患、死亡されていることが確認されました。
一方、胆管がんの若年での発症は客観的に見てきわめて珍しいことや御社工程において有機溶剤を多用されておられたということでもあります。
以上の状況を受け当職としましては、この際、労働基準監督署に3名についての労災請求を行い当局のご判断を仰ぐとともに、御社従業員(元職を含む)にかかる疫学調査の実施にご協力をいただきたいと考えるに至りました。
たいへん不躾とは存じますが、事がきわめて重大でありますので、御社代表者様に直接、事情をお話しし、ご協力を賜りたく、まずは本書状を差し上げた次第です。
つきましては、ご面談をいただける日程を調整させていただきたく存じますので、3月14日までに当職までご連絡をいただけますようお願い申し上げます。
なお、ご面談をいただける場合は、当職、上記3名の関係者(ご遺族含む)ならびに疫学調査を担当していただく予定の熊谷信二先生(産業医科大学准教授)でお願いに参ろうと考えておりますことを申し添えます。
敬具
電話なり、書面の回答を心待ちにしていたところ、回答期限になってS社の委任を受けたとする弁護士から次の文書が内容証明で届いた。
平成24年3月14日
事務局次長 片岡明彦殿
大阪市中央区北久宝寺町
1丁目4番11号LaSuite101
鈴木俊生法律事務所
弁護士 宝本美穂
通知書
拝啓時下益々ご隆盛のこととお慶び申し上げます。
1 当職は、株式会社ANYO-CYP(以下「通知人」といいます。)から委嘱を受けた代理人として、本書を呈します。
2 貴殿からの平成24年3月7日付書面には、G氏がお亡くなりになられていること、G氏のご両親から御センタ一に相談があり、労働基準監督署に「労災請求」を行うと記載がありました。
3 しかしながら、そもそも貴殿及び御センターが、G氏のご両親の代理人となられているのかを含め、いかなる地位に基づき通知人に書面を送付され、面談を希望されているのかまったく不明です。
通知人は、G氏のみならず、従業員の情報に関しては、個人情報保護の観点から、第三者に開示することは致しておりません。
また、法的紛争に至るような法律事務について代理人となられることは、弁護士法に反する恐れもあります。
4 したがいまして、通知人は、貴殿及び御センターとは、本件に関して面談等をいたしかねますので、悪しからずご承知おき下さい。
なお、本件につきましては、当職が通知人から全権の委任を受けましたので、通知人本人へのご連絡はお控えください。御用の際には当職宛にご連絡賜りますようお願いいたします。
敬具
そこで、3月16日午前と3月19日午後の2度、宝本弁護士の所属する事務所に電話をしたが「不在だ」とのことだったため、筆者まで電話をくれるよう携帯番号を含めて伝言をしたが、宝本弁護士からはまったく連絡がなかった。
Gさんのご両親のところにも、S社からの連絡はなかった。
これまで関係者から聞かされていたとおりの傲慢、不誠実な会社であった。
(その2)につづく
安全センター情報2012年10月号