ジュエリー(貴金属)加工(金属研磨、タルク・パウダーの粉じんばく露)を常時粉じん作業と認定、じん肺管理区分4と決定し労災認定

貴金属加工会社で12年、37歳で発症

Yさん(37歳)は、高校中退後、父の貴金属加工の手伝いなどを経て、紹介されたジュエリー(貴金属)加工会社に、1989年から勤めていた。主に、ジュエリー一般(ネックレス、ペンダント、ピアス、指輪などの金属部分)の鋳込み作業、研磨作業をやっていた。
2001年の秋頃、右胸に圧迫感を覚え、平塚共済病院に受診するが、気胸と診断され入院。主治医には、労災と言われたが、肺の組織を検査しても、因果関係がわからないといわれ、手続には至らなかった。病状は悪く、そのうちに左胸にも気胸を発症、11月には手術を受ける。退院後も勤務することが困難になり、12月に退職を余儀なくされた。

繰り返す気胸、肺炎

その後、中古車販売会社の営業職に就くが、気胸を発症する前の症状が出たのでやはり退職。
次の訪問販売会社では事務職を勤めたが、気胸を再発し、2003年秋に平塚共済病院に入院する。退院後も仕事を続けてはいたが、翌2004年2月にも、息苦しさを感じたので、セカンド・オピニオンも兼ねて東海大付属病院に転院した。肺炎を発症していたので即入院。勤務できる状態ではないということで、3月末で退職したが、経済的なこともあり病院の総合相談室に相談。医療ソーシャルワーカーから、5月頃神奈川労災職業病センターを紹介された。

面談、聴き取りも困難な呼吸器症状

センターでは、入院中の本人と面談したが、本人がすぐ息苦しくなってしまうので、仕事内容の詳細を聴き取ることができない。宝石販売員の資格の「ジュエリー検定」の教科書に、加工関係の細かい作業内容が掲載されていることがわかったので、それを元にお話を伺い、同じく貴金属加工に従事していたYさんの両親からもお話を聴いた。

タルク、アスベストばく露も。
まずは労災請求

Yさんの仕事内容としては、貴金属を鋳込む作業全体を任されていた。
ジュエリーの原型となるパターンをワックスで作り(キャスティング)、大量生産をするため、同じパターンをつなぎあわせたツリーを作る。そのツリーを円筒に入れ、筒の周りに石綿布を貼り、中に埋没剤を流し込み、焼成。その後、鋳込みをして、でき上がると製品にするために、研磨をしていた。

粉じん作業であったことは間違いないが、事業主は証明拒否。当該貴金属加工が「常時粉じん作業」とみなされるかどうか、判断が難しいため、じん肺管理区分申請の準備をした上で、「業務による呼吸障害」として、休業補償を所轄の厚木労働基準監督署に2004年8月10日に請求した。

労災申請に至るまでも困難な道のりをたどった。東海大学病院の主治医は、「じん肺・もしくは呼吸障害」における労災関係の協力が難しいとのことで、やむなくYさんは、労災申請のためだけに港町診療所を受診することに。ところが直前に病状が悪化、自宅安静を強いられ、やむなく斎藤竜太医師が往診。検査もできなくなったため、以前の肺機能検査や胸部レントゲンを借りて、じん肺管理区分申請健診結果証明書を作成した。厚木労働基準監督署で書類は受理されたが、「常時粉じん作業の可能性がある」として、8月27日に労働局にじん肺管理区分申請することに。まず労働局の衛生課が事業所を調査し、常時粉じん作業か否かの判断をすることになった。

じん肺管理区分申請で管理4と決定

局は、請求時に提出した「ジュエリー検定」の教科書をもとに作業状況をチェックし、材料の調査などを行った。
ワックスパターンを作る時にゴム型の原形を作るが、その際にワックスが入りやすいようタルクパウダーをはけで塗り、余計な粉を吹き飛ばす作業があることが判明。この作業が一日どのくらいあったのかをセンターで再確認して意見書を作成し、署と局に提出した。

同年11月、局と署の合同で、Yさんの聴き取りが、入院中の東海大学付属病院で行われた。この時期になったのは、本人の病状や、肺移植手術登録のため岡山大付属病院に検査入院していたためである。
その直後、局からセンターに連絡があり、タルクパウダーを扱う仕事と金属の研磨作業が一日のある一定以上の時間を費やしていたことで「常時粉じん作業がある」と認定、すぐにじん肺管理区分決定手続をするということであった。局では、かなりの論議があったようだ。まずは37歳という若さである。つまり10年くらいの粉じん作業で、彼のようにすぐに症状が出るのか。Yさんには喘息の既往歴があったが、今回の呼吸器疾患の症状が出るまでは発作などは起こっていなかった。金属に対するアレルギーも考えられたが、結局はそれに業務の負荷があったことを認めたということであろう。12月には、じん肺管理区分4と決定。「著しい肺機能障害」と認められたため、じん肺による労災として支給手続も進められた。

労災認定も容体急変、死亡

2005年2月に、やっと労災が決定。しかし、Yさんは常時酸素吸入を余儀なくされて入退院を繰り返し、労災決定を喜んだのもつかの間、3月5日に容体が急変し、亡くなられた。
貴金属加工の仕事は中小や零細企業が多く、会社を辞めて独立する方も多いそうだ。Yさんが勤めていた会社は、彼が退職する数年前に工場を別に移し、外国人労働者に研磨作業をさせていたらしい。Yさんがじん肺になったのだから、他の同業種の労働者もじん肺になっている可能性が充分にある。これを機会に被災者の掘り起こしが進められたらと思う。

Yさんのご遺族は、現在、遺族補償申請のため準備中である。若くしてお連れ合いと二人の子供を残して職業病で亡くなられたYさんの思いは、想像に余りある。「センターがなければ今ごろどうなっていたか」と、お連れ合い。Yさんの遺志を継ぎ、経済的負担がないように、早期の認定を望むところである。

神奈川労災職業病センター

安全センター情報2005年6月号