労災事故捏造(虚偽報告)摘発できず、労災も早期に打ち切られ/神奈川

下請けの別現場の事故だとねつ造

Hさんが神奈川労災職業病センターに相談に来たのは、昨年3月末。話は2年前、1999年1月にさかのぼる。
横浜市鶴見区にあるK社に雇用されたHさんは、埼玉県の建設現場に行った。もともと、彼はコンビナートなどで働く腕の立つ溶接工。たまたま仕事が減ったために建設作業に従事したのだが、鉄板の上で転倒して頭を強く打った。痛かったが大したことはないだろうと、そのまま帰った。週末だったので家で様子を見ていたが、月曜日になってもあまりに痛いので仕事を休んだ。病院に行くと、きちんと治療をしなければならないと言われた。現場に作業服など荷物もあったので、取りに行き、その時に現場事務所に報告した。

本来ならば、この時点で元請会社がきちんと調査し、労災を適用するのが筋。ところが、元請とK社との間でどのようなやりとりがあったのか、結局、鶴見にあるK社の作業場で転倒したということにして労災申請することになった。Hさんは、建設業の労災の仕組みに詳し鎗いし、それほど大したケガではないと思ったこともあって、そのまま治療を続けてきた。
診断名は、「頭部打撲兼脳震塗、頭痛及び嘔吐、頚椎捻挫、末梢神経障害、外傷性頚椎椎間板障害」。

打ち切り迫る会社と冷たい医師

Hさんは、その後も治療を続けたが、なかなか改善しない。腕もしびれ、溶接工としての仕事ができない。こういうケガの場合、医師により対応が異なることも少なくない。2000年春に労働基準監督署からの調査があり、主治医は、「まだ治療が必要だ」と、担当者に面談で伝えたと言う。ところが、その医師が転勤になった。後任の医師は、非常に冷淡な人で、「これはもう治らない。そんなに腕が痛いのなら切ってしまえ」とまで言い放った。
この状態で治療が打ち切りになっては困ると考えたHさんは、2000年9月に、労基署に相談に行った。それが「やぶへび」となったのか、労基署が、主治医に症状の確認を行なった結果、「症状固定」、打ち切りになってしまった。

K社は、何度も病院に来ては、そろそろ打ち切りではないかと言っていたようだ。「会社も労働基準監督署も医者も『ぐる』に違いない」、Hさんは不信感を募らせる。12月には、障害等級の決定が行なわれたが、なぜか彼には決定通知書が届かなかった。実際には別の病院にかかりながら、働くこともままならないHさんは、2001年2月に駅頭で行なわれていた労働相談にやって来て実状を訴えた。それから、ようやくセンターにたどりついた。

労基署に再調査要求

センターは、Hさんと共に、まず、労基署に事故の事実関係を再調査するように求めた。
労災担当者は、Hさんに、「どうして障害認定の際にでも、本当のことを言わなかったのか」とあからさまに不快そうであったが、Hさんにしてみれば、「ぐる」だと感じている人に、本当のことを言う気が起きるはずがない。
いずれにせよ、事故を捏造した疑いがあるということで、監督官が会社を調査することになった。また、障害等級について、すでに不服審査請求の期限である60日をはるかに経過しているが、そもそも通知書が届いていないのだから、知った日は2001年3月だとして審査請求することにした。

明るく、前向きに

監督官が半年間、元請会社やK社、中請会社などを調査した結果、K社が事故を捏造したことは確認したが、本来の事故状況は確認できなかったとのこと。それが明らかになれば、労災隠し、死傷病報告の未提出、虚偽報告として書類送検になるが、そこまでの証拠が得られなかったらしい。もちろん一定の指導はするとのことだった。
Hさんも、何度も労基署の聴き取り調査を受けたが、「まあ、自分も始めから本当のことを言わなかったのも悪かったのです。幸いだいぶ良くなったので、働けるようになりました。まあ、しょうがないです」と話す。
表情もずいぶん明るい。以前と同じようには動けないが「それでもぜひ来てくれ」と別の会社に言われるあたり、さすが職人さんである。
審査請求の結果は、やはり却下。正式に受け付けすらしないということだ。当然、すぐ再審査請求を行った。

神奈川労災職業病センター

安全センター情報2002年3月号