SPC三立に民主労総の労組結成・・・「同僚が死んでも痛みを分かち合えなかった」/韓国の労災・安全衛生2025年9月18日

「人が死んだと聞いた時、びっくりしました。一面識もなかったお姉さんですが、思い出すほど憂鬱になります。それ以来、子供たちはそうです。お母さん、その会社に必ず行かなければならないのか」
SPC三立で2年目の生産職労働者のチョ・ウンヘさん(50)は5月19日の明け方、工場で仕事をしていて、機械に挟まれ亡くなった同僚について話し、苦しい気持ちを表わした。隣にいた12年目の労働者のキム・ソヨンさん(54)も「(2023年8月にSPC系列会社の)シャニーで事故が起きた時は、自分のことではないと感じたが、今回は違った。」「こういうことが(近いところで)起きるんだ、私もそうなるかも知れないんだ。それでも共に痛みを分かち合うことができず、心が痛かった」と話した。
韓国労総所属労組の組合員がほとんどのSPC三立で、民主労総所属労組を作ったキム・ソヨンさんとチョ・ウンヘさんに15日に会った。民主労総全国化学繊維食品産業労組の三立支会は18日にスタートした。
彼らが新しい労組を作ったのは、同僚の労災死亡が直接的な原因だった。SPCの労働者たちは同僚の死に衝撃を受けたが、管理者たちは事故の影響を減らすことに汲々としていた。キム・ソヨンさんは「同じ釜の飯を食べていた同僚の悲しみを知知らなければ間違ったことも直らないと思うが、会社の態度は『お前のことじゃない、忘れてしまえ』という感じだった」と話した。チョ・ソヨンさんも「管理者たちが子供の話をせず、群がるなと言った」と、当時の雰囲気を伝えた。
そ以上に理解できなかったのは労組の対応だった。三立には入社すれば全て労組に加入(ユニオンショップ)するSPC三立労組がある。労災が発生したのに労組には特別な動きがなかった。重大災害の発生で雇用労働部の作業中止命令が長くなると「労働者の生計のために作業中止を解除してくれ」という嘆願書を提出するための組合員の署名を受け取ったのが全てだった。
彼らは7月25日、大統領が工場を訪れた後、怒りは更に大きくなった。大統領は始華工場を訪れ、SPCグループのホ・ヨンイン会長をはじめとする経営陣、労組の代表者らと重大災害の原因を把握し、対策を議論する懇談会を行った。当時、大統領はSPCの続いた死亡事故の原因を「長時間・夜間勤労」と名指しして対策を要求した。労組は大統領の発言に共感するだけで、労働条件改善のための建議を積極的に行わなかった。ある労組の代議員は大統領に「私たちの会社をきれいに見て欲しい」と話した。キム労使合意は「大統領が私たちの話を聞くために来たはずなのに、(労組の幹部たちが)何の話もしないのでとてももどかしかった」と話した。現場にいた政府関係者さえ、ハンギョレ新聞に「労組が大統領に色々な建議をすることができるのに、特別な話もなく、疑問に思った」と話した。ハンギョレはSPC三立労働組合の意見を聞くために数回連絡をしたが、応答がなかった。
大統領が「昼夜二交代」等、夜間勤労が重大災害の原因だと指摘すると、会社は直ちに「8時間超過の夜間勤労を廃止する」と発表した。しかし、夜間の勤労時間が減ることは『賃金削減』を意味した。三立労働者の基本給は最低賃金水準である200万ウォン台の序盤で、週52時間をぎっしり埋めた延長・夜間勤労手当てが100万ウォンを遙かに越える賃金体系を持っている。
会社は『労使合意』によって勤務体系を変えながら、賃金補填方案も準備すると明らかにしたが、賃金と勤務時間がどのように変わるのか、労組も会社もすっきりと説明しなかった。キム・ソヨンさんは「会社の計画がマスコミに報道された8月27日朝の朝会でも、管理者らは『確定したことはない』と言った。」「会社と協議したという労組からも何の説明もなかった」ともどかしがった。チョ・ソヨンさんも「10人に尋ねると、10人全員が違うことを言った。労使が合意をしたとすれば、どのように施行されるのかを詳しく知らせるべきではないか」と声を強めた。
大統領の訪問に合わせて工場の前でピケットデモをしていた彼らを思い出した。民主労総化繊労組パリバゲット支会は「李在明大統領、徹底的に調査してパンを作って死なないようにしてください」というピケットを持っていて、その場面がメディアに報道された。キム・ソヨンさんは「うちの工場では誰もそんな話をできなかった。ピケットを持っていた人々が誰なのか調べてみたら、民主労総だった」とし、「あれこれ聞いてみようという気持ちで連絡した」と話した。
民主労総化繊労組と勤務体系改編などの内容を相談しながら『労組結成』にまで続いたのだ。支会長を引き受けたキム・ソヨンさんは「『卵で岩叩き』かもしれないが、会社に向かって一度は大声を挙げたい。仕事中にけがをしても『何でもない』と言う人がいないようにしたい」と話した。事務長を引き受けたチョ・ソヨンさんは「職員たちはみんな交代勤務をしながら『月給300(万ウォン)』という枠組みに閉じ込められ、他のものを見ることができずに生きている。」「会社が今後どのように出てくるか、私たちはどのように対応しなければならないのか、職員たちと直接議論して決めたい」と話した。
2025年9月18日 ハンギョレ新聞 パク・テウ記者