マルチ危機:アスベストに関する3つの神話/Maurice Blackburn blog, 2024.8.14
夏に開通したばかりのロゼル・インターチェンジは、交通渋滞と怒号が飛び交うという大混乱に陥った。しかし、1月に「スパゲティ・ジャンクション」の上に新しく開設された遊び場から不審な物体の破片が見つかったことで、この騒動はすぐに影を潜めた。
すぐに行われた検査の結果、その物体はアスベストであることが判明し、さらに検査を進めたところ、ロゼル・パークランドの他の場所にあるマルチにもアスベストが含まれていることが確認された。それから6か月が経過し、アスベストに汚染されたマルチは、ニュー・サウス・ウェールズ州の75以上の公園、学校、病院で確認されており、さらに多くの場所で発見される可能性が高い。
ほとんどのオーストラリア人にとって今日、アスベストに汚染されたマルチなど考えられないことである。しかし、オーストラリアのアスベスト産業と激しく戦ってきた人々にとっては、この危機は避けられなかったものであり、われわれが話してきたアスベストに関する神話を暴くことになった。
神話1:アスベストは過去の問題である
2003年にオーストラリアはアスベストの全面禁止を法制化した。当時、オーストラリアはアスベストを全面的に禁止した数少ない国のひとつだった。
しかし実際には、献身的な労働組合、医師、ジャーナリスト、アスベスト関連疾患被害者とその支援者らによる世論の圧力により、1980年代と1990年代にはすでにアスベスト含有製品のほとんどがオーストラリア市場から姿を消していた。
多くの点で、オーストラリアは自らの成功の犠牲者であった-アスベスト禁止は徹底的で、その支持は全員一致であったため、われわれはアスベスト禍は歴史のゴミ箱に捨てられたと思い込んでいた。
しかし、アスベストの製造、輸入、販売、または一般的な使用を犯罪とする一方で、国内のアスベスト含有物質が一夜にしてすべて消え去るというわけではなかった。いわゆる「レガシー[遺産]アスベスト」は、家屋、工場、学校、病院、車両、建設現場、埋立地などにそのまま残され、その危険性を認識していない若い世代のオーストラリア人を危険にさらすことになった。結局のところ、アスベストがこれほどまでに普及した主な理由のひとつは、その耐久性だった。
この「レガシーアスベスト」が、都市部の公園や遊び場に現われたのである。 取り壊された建物の廃材がマルチに混入され、古いアスベストがそれとともに運ばれた可能性がある。
全国的なアスベスト禁止から25年近く経ったいまでも、オーストラリアではアスベスト関連疾患の患者数が記録的なペースで増え続けている。
神話2:アスベストは肉体労働者だけのリスクである
オーストラリア人に「アスベスト」と聞けば、ウィットヌーム[ウエスターン・オーストラリア州]の青アスベスト鉱山の鉱山労働者、アスベスト含有製品を製造する工場の労働者、あるいはフィブロハウスを建設する職人の姿が思い浮かぶだろう。
しかし、アスベストによる被害は肉体労働者だけに限られるという考えは誤りである。たしかに、採掘、製造、建設の労働者はアスベスト関連疾患の負担の大部分を担ってきた。しかし、あまり知られていない被害者としては、病院で勤務中に曝露した医師や看護師、学校で曝露した教師、オフィスビルで曝露したホワイトカラーの労働者や経営者、さらにはアスベスト関連疾患の被害者となったオーストラリアの政治家もいる。
アスベストに汚染されたマルチによる危機は、シドニーでも富裕層が住むロゼル地区で発生した。この危機でもっともリスクが高いのは、公園で遊ぶ子供たちであるという衝撃的な事実が明らかになったことで、アスベストがオーストラリアの特定の層にのみリスクをもたらすという先入観は完全に覆された。
神話3:アスベストは政府にとって優先事項である必要はない
2003年の全国禁止の実現により、政府がアスベスト問題を無視できると考える人がいても無理からぬことだろう。
しかし、現在のアスベスト・マルチ危機は、政府の統治の失敗の証拠である。つまり、この危機は、アスベストを含有する建設廃材や解体廃材を再利用したマルチの製造を許可した規制体制の甘さが原因であると思われる。
この危機は、規制当局の重大な失敗を浮き彫りにし、政府がアスベストの存在、除去、廃棄について引き続き調査、立法、厳格な施行を行う必要性を示している。この必要性は、オーストラリアがレガシー・アスベストの痕跡をすべて一掃するまで、数十年、あるいはそれ以上続くだろう。
安全センター情報2024年11月号