参加型総合環境教育WINDY/インドネシア●高校生による取り組み

2020年4月地球環境基金は、基金助成を受けてベトナム・メコンデルタで開発し、100校の中学高校に導入された参加型総合環境教育WINDYの、インドネシア・バンドン市での展開計画を承認した。
しかし、新型コロナウイルスの世界的感染拡大で、国内外の往来は閉ざされ、展開予定であった学校での授業もオンラインが続き、厳しい出発となった。この計画の現地遂行はLIONというNGO。LIONはインドネシアのアスベスト禁止活動を推進するNGOネットワーク傘下にあり、代表のスルヤさんは、全国労働安全衛生連絡センター連絡会議の古谷事務局長(発音がよく似ている)とも連携があった。東京労働安全衛生センターの仲尾豊樹が代理人となった。
LIONは、約3年間で3つの学校にWINDYを紹介し、学校では改善活動を実施した。仲尾との連絡はすべてリモート環境で進められたので、実際を見ることはなかった。今回活動の最後にあたって、新型コロナ感染の中でどのような成果をあげたのかを直接訪問して確認することになった。
あわせて、2022年11月21日にインドネシア西ジャワ州チアンジュール市を襲い、死者300人以上を出した大地震の現場に行った。インドネシアのアスベスト禁止活動を進めるINABANは、2週間後に現地に入り、アスベスト飛散が危ぶまれる状態に警鐘を発している。今回、INABAN代表のダリスマンさんらとともに現地に赴いたので、その報告も合わせ2回に分けたレポートを作った。

■バンドン市SMAK高校で生徒と交流

インドネシアは赤道をはさんだ約17,000の島からなり、その面積は日本の5倍、人口は2億7千万人を超える大国。首都はジャカルタだが、現在カリマンタンに新しい首都が建設中である。2月5日夕方スカルノハッタ国際空港でカウンターパートのエンダーさんの出迎えを受け、郊外のホテルに一泊、翌早朝、エンダーさん、スルヤさんら4人で、バンドン市SMAKBPPK高校に向かった。バンドンまでの距離は150Km。高速道路を使ったが、従来のいささかゆっくり走る鉄道に加えて、中国資本の援助による高速鉄道もまもなく完成するとのことだった。
SMAK BPPK校はバンドン駅の近くにあるキリスト教の民間高校である。生徒数は約200名で1クラスが20名程度。生徒数は少数ながら有名校で、卒業生に閣僚経験者もいるとのこと。私はWINDY準備のためにこの学校を一度訪ねたことがあり、またZOOMワークショップで校長先生らとも親交があった。上級になると受験勉強で忙しいためWINDYは、1年生に対して行っているとのことだった。
校庭の樹々には、プラスチックボトルを再利用して作った水耕栽培がかけられている。各教室には教師用の手作りチョーク入れやテキスト入れがあり、壁には日々の活動スケジュールや目標が、きれいに飾りつけられていた。給食が出るが、給食の食器に学校のものを使わず、家からプラスチックボックスや使い古しのペットボトルを持参する生徒もいた。校庭にはWINDYの成果掲示板があり、改善前後の写真がたくさん掲示されていた。ある教室はWINDYの成果物展示場になっていた。
WINDYコンクールを行うとのことで、1年生約60人がプラスチックボトルや古新聞紙などを持ち込み、各クラスでさまざまなものを作っていた。その後校庭の一角で、グル-プでの制作物を完成させていた。WINDYコンクールでは、自分たちの制作物を各グループ個人が説明し、エンダーと私が賞を決めた。制作物で感心したのは、WINDYの日々の計画のための卓上型ダイアリーを作った女生徒だった。
WINDYを進めるために学校の生徒自治委員会(OSIS)がWINDY月間計画を決めて進めているそうだ。ベトナムでは教員のグループが活躍していたが、生徒自身が進めていく活動方法は素晴らしいと思った。

■学校上げての大歓迎を受ける

2月7日は、バンドン市郊外にあるMajaraya1 BPPK校を訪問した(写真:校長先生と筆者)。この学校は高等専門高校で、様々な工業技術を教える公立高校。LIONはWINDYを学んだ卒業生が、その改善方法を就職先の企業で活用できることが大切と考え、2022年にこの高校にWINDYを紹介した。生徒数は1500名だが、今回仲尾の訪問に合わせて初めてのWINDYフェスティバルを計画、1年生500名が参加した。
校長先生との懇談の後校庭にしつらえられたステージへと案内された。左右には500名の生徒が並び、大歓迎を受けた。生徒たちの歌や踊りの催しがあり、手を取られて伝統的な踊りの輪に入れられた。また、日本から持参した紅白の細木で作られた「南京たますだれ」を披露した。気が付かなかったが、インドネシア国旗は上が赤、下が白なので、紅白の南京たますだれを使えば、国旗をお目にかけることができる。このハプニングに生徒たちは大興奮した。その後左右のテントに展示された各クラスがグループで作った成果物を見学した。さすが技術系の高校生のため、古い電子部品で作った授業用の器材や、太陽光で光る電灯などが展示されていた。セレモニーの最後にWINDY実行委員会が結成され、環境保護を推進する50名の生徒の胸にWINDYバッチを付けた。彼らが今後Majaraya校の第一線でWINDYを推進することを願っている。
セレモニーの後、各クラスや実習場に案内され改善状況を見学した。学校のいたるところに改善活動を前後で写した写真掲示板がある。高等専門学校なので、中小企業の改善に役立つものがたくさんあった。通路標示、危険有害物の標示、ごみの分別容器を使い古しの缶で色を塗って作成していること、有機肥料の使用などである。これらの成果は各生徒が持っているWINDYダイアリーと呼ばれる手帳に写真とともに記載されている。いくつかのWINDYダイアリーを拝見させていただいたが、WINDY導入後生徒たちが積極的に改善活動を行い記録していることがわかった。
その日の夕方、国営FMラジオ生番組に、Majaraya校の先生、エンダーとともに出演した。30分のトークショーだったが、音楽の合間キャスター2名の案内に導かれてWINDYの話をした。このトークショーはユーチューブでも見られるようだ。

■イスラム教の私立学校はWINDYで生徒が増加

2月8日はイスラム教宗教学校Assruur校を訪ねた。学校はバンドン市郊外にあり、WINDYを始める前に一度訪問した。ヌルバヤン校長先生が親しく迎えてくれたこと。300名の中高生が共同生活を行い、早朝の祈りから夜9時就寝までの規則正しい生活学習がイスラム教の信徒の寄付によって進められていることに感激を覚えたものだった。
今回訪ねて驚いたことは、この学校が新型コロナの中にあっても校舎を改修拡大し、現在学生数が800名になっていること。「WINDYのおかげですべてが変わった」と多くの先生がおっしゃっていたことだ。
学校には、「Friendly visit of LION WINDY and Mr. Toyoki Nakao」という大きな幕が貼られ、歓迎の歌や踊りが行われた。会場に入りきれない生徒たちは横のモスクで待機し、モニターに映し出される式に参加していた。ヌルバヤン校長先生は、私たちを笑顔で迎えてくれ、学校の変化をていねいに話してくれた。800名の生徒の共同寄宿生活の管理は大変だが、私財を投げ打って学校教育につぎこんでいるとのことだった。ただ、トイレの少なさが大きな問題であるといっていた。
学校を案内してもらったが、自然光のみの教室、食堂の天窓や手作りの調理棚、新寄宿舎の換気などに工夫が見られた。新型コロナの中で授業はどのように行われたのか、と聞いたところ、貧しい家庭が多く、また、家もジャワだけではなくスマトラなど遠くからきている生徒もあり、新型コロナ下でも帰すことができなかったそうだ。「神の加護によって乗り切り、前進することができた」とおっしゃったのには返す言葉がなかった。
WINDYを導いてくれた感謝と称して、美術の先生が描かれた肖像画を贈呈されたのに、大変驚き感激しました。この絵は一生大切にしたいと思う。

■生徒によりWINDYを進める

インドネシアWINDYの旅は、大きな成果があった。各学校がそれぞれの特徴を生かして、新型コロナの中でも活動を前進させていた。それを支えたのは何といってもLIONのこまめな学校とのコンタクトだと思う。この活動のためにスタッフになったディッチさんは今年26歳だが、WINDYファシリテーターとして育ち、ジャカルタ在住のため常に現地へ行けないエンダーさんの代わりになって活動している。
とくに生徒自身の手によって実行委員会が作られていることは、新しい発見だった。先生たちが彼らを励まし、生徒たちが計画を作って実行していくことは、参加型改善活動の基本的な方法である。その成果を、WINDYダイアリーに記載し、WhatsApp、Instagram、Facebook、Lineなどで広く発信していくことが望まれる。現在計画されているWINDYブックレットは、その拡大の手助けになると思った。
3年間の活動は、この3月でいったん終止符を打つ。LIONは、新たにバンドン市に100校ある高等専門学校へのWINDY普及を計画している。この新しい計画が実現できるよう祈るとともに、実現できた暁にはぜひ協力を続けたいと思う。

文・東京労働安全衛生センター・仲尾豊樹

安全センター情報2024年6月号