「間質性肺炎」死亡、再審査請求で逆転労災認定/長野●平和石綿工業元労働者の事例

《はじめに》

長野市川中島にあった平和石綿工業株式会社の工場で石綿反物の製造に従事し、アスベストによるじん肺(石綿肺)により、2015年11月12日に75歳で亡くなったAさんの労災を認めなかった長野労働基準監督署の不支給決定処分が、2021年4月16日、労働保険審査会により取り消され、一転、労災が認められた。

Aさんの死亡診断書の直接原因の記載が「間質性肺炎」であたことから、原処分庁の長野労基署では、死亡原因と石綿曝露との医学的因果関係は認められないとされて、2019年2月に遺族補償給惜の不支給決定処分がされていた。

《平和石綿工業での仕事》

Aさんは1966年8月22日から1982年7月1日までの15年10か月間、平和石綿に勤務した。Aさんの妻のBさんによると、Aさんの仕事は、機械を動かしながら石綿反物を織ることのほか、機械への糸の補充や掃除、製品の反物が30メートルになると切断し、ひもで縛って袋に入れる作業などだった。また、Aさんは、原料石綿の検査も担当していた。原料石綿はふわふわとした飛散しやすい素材だった。Aさんは忙しいときは作業の手を休めす、おにぎりを食べながら仕事をしていた。反物を織る機械が動いているときはものすごいほこりが飛び散っており、Aさんは全身真っ白だった。工揚の床にも沢山のほこりがたまっていた。

Aさんは長野市川中島町御厨にあった工場と長野市大岡にあった工揚で働いた。勤務時間は朝8時から夕方5時までだったが、だいだいいつも夜7時頃に帰宅していた。

Aさんと妻のBさんはお見合いを経て、1967年5月に結婚した。結婚式の仲人は平和石綿の社長だった。AさんとBさんは、結婚生活を工揚の近くにあった平和石綿の社宅ではじめた。長男のCさんが1969年9月に生まれたが、会社が長男を保育園に送迎してくれたことから、Bさんも1972年2月より平和石綿でパート社員として勤務しはじめ、1982年7月に夫のAさんとともに退職した。

平和石綿でのBさんの仕事内容は、石綿繊維を織物にした反物の検品(「検反」といっていた)だった。検反室で幅1メートル、長さ30メートルの石綿反物を台の上にかけて、反物を自動で巻き取りながら、目視により反物の表面を検査し、傷になっているところを見つけた揚合は機械を停止させ針で縫って修理をした。

普段は検反の仕事に従事していたが、忙しく人手が足りないときは、石綿の織物を平織りする機械の糸の補充作業に従事した。横糸がなくなったときはシャトルに石綿の糸を補充し、縦糸がなくなったときは補充をした。機械が動いているときはものすごいほこりが飛び散っていたので、床に積もった石綿のほこりを手で麻袋にかき集めていた。Bさんの労働時間は、毎日朝8時半から夕方4時くらいまでだった。

Aさんは結婚後、平和石綿の実質親会社だった横浜の朝日石綿工業(現在株式会社エーアンドエーマテリアル)に2か月くらい研修に行った。夫が研修から平和石綿に帰ってきてから、自動で反物を織る機械が入った。

息子のCさんにも平和石綿の工場の記憶がある。AさんとBさんが平和石綿に勤務していた当時、Cさんが通っていた保育園へは会社が送迎をしてくれた。夕方4時頃に保育園から平和石綿の工場に帰ってくると、母のBさんが仕事を終えるまで、平和石綿の工揚内で遊んでいた。Cさんは、工場でヤクルトをもらったことを憶えている。

Cさんによると、当時の工場の様子は、石綿の反物を織る、ところどころに糸が立った機械が4列ならんだラインのある工場内全体に綿が舞い、入り口から50メートル程先の工場一番端っこが粉じんで見えないほどだった。従業員は皆、仕事が終わると紺色の作業服が真っ白になるほど綿だらけになっていて、父親のAさんは、いつも粉じんで全身真っ白になっていた。

AさんとBさんは1982年7月、平和石綿を自主退職した。退職の理由は、会社の業績が低下してきたのがわかり、会社には先がないと思ったからだった。

平和石綿工業は1987年4月10日、株主総会の決議により解散し、同年9月17日に精算が結了して閉鎖された。

《長野じん肺訴訟》

1977年、平和石綿で働きじん肺に罹患した元従業員3人と死亡した元従業員7人の遺族21人が、勤務先だった平和石綿と実質親会社の朝日石綿工業、国に対して損害賠償を求めた長野じん肺訴訟を提訴した。

長野じん肺訴訟は従業員に対する安全配慮義務を負う会社だけでなく、国の監督行政の責任をわが国において最初に問うた裁判で、また、アスベストによるじん肺訴訟で初めて判決の言い渡された裁判だった。

判決は、1986年6月27日に言い渡された。秋元隆男裁判長は、平和石綿と朝日石綿工業の過失責任を認め、時効で請求権がなくなった死亡患者1人(遺族1人)を除く原告23人への総額約1億9千万円の支払いを命じた。しかし、国の監督責任については認めなかった。

判決後、朝日石綿は、長野地裁判決を不服として東京高裁に控訴したものの、同年7月10日、控訴を取り下げ、損害賠償について子会社の平和石綿と連帯して原告側に支払うことを決め、原告側もこれを受け入れ、和解が成立した。このとき平和石綿の慰謝料については、朝日石綿が実質的親会社の連帯責任を負い、平和石綿に1億円の融資を行って原告に支払うことを決めた。

平和石綿は、長野じん肺訴訟判決から1年2か月後に閉鎖されたことになる。AさんとBさんの平和石綿就労期間は、長野じん肺訴訟が提訴され、裁判が行われていた時期と重なっていた。平和石綿がじん肺訴訟で訴えられていた当時も、両社の工場内部は、相変わらず、粉じんまみれであったことがBさんやCさんの証言で知ることができる。

長野じん肺訴訟判決後、司法がアスベスト規制を怠った国に対する責任を認めるのは、2014年10月9日に最高裁判所で言い渡された、泉南アスベスト訴訟の判決まで待たなければならなかった。

《石綿肺の悪化》

Aさんと妻のBさんは、平和石綿を退職した後、二度とアスベストに曝露する仕事には従事しなかった。Aさんは退職するまでベンダーで金属加工を行う会社で働いた。

Aさんは平和石綿在職中に肺炎を起こしたことがあった。くしゃみやせき、たんは平和石綿在職中からひどく、とくにたんは毎朝でている状態だった。せきやたんは生涯続き、息子のCさんも、一緒にテレビを見ていてもイライラするくらいせきとたんがひどく、ティッシュペーパーも大量に使っていたと言う。ただ、Aさんがたんで医者にかかることはなかった。

Aさんは、血圧の関係で自宅近くの医院をかかりつけにしていた。主治医は2008年頃から肺繊維症の診断をしていたが、2014年9月中旬にAさんのレントゲン写真を撮影したところ、両側下肺野の網状影がそれまでに撮影したレントゲンと比較して拡大し、右下肺野には胸水を疑わせる所見を認めたことから総合病院にAさんを紹介した。紹介された総合病院でのCT検査の結果、Aさんには、間質性肺炎の急性増悪を疑うとの診断がされた。

総合病院での最初のCT検査から4日後の9月下旬にも胸腹部CT検査が行われた。右下葉の周囲気管支の拡張が見え、腫瘤影も確認されるとともに、蜂窩肺(蜂巣肺)の変化も医師により確認され、Aさんの肺繊維症が増悪し続けていたことが確認された。そして、同じ日の呼吸機能検査の努力性肺活量(FVC)の測定値は1950ml(%予測値58.7%)で、男性基準備の3500mlどころか、男性で低下が認められる数値の2500mlを下回り、Aさんが、療養が必要なほどの著しい肺機能障害をかかえていたことがわかった。

CTで腫瘤影が確認されたことから原発性肺がんも疑われ、11月下旬に気管支鏡検査が行われたが、悪性所見は見つからなかった。PET検査も行われたが、肺がん疑いの結果で、発症までは指摘されなかった。

不思議なことに、この検査結果でも主治医から、息子のCさん同席でAさんに肺がんの告知が行われたが、Aさんは肺がんの治療を望まず、かかりつけ医で血圧の治療のみを受けることを決めた。

Aさんは、2015年11月12日に亡くなられた。早朝、自宅のトイレで倒れているところを発見され、息子のCさんがAさんを抱きかかえて布団まで連れて行った。Aさんが背中の痛みを訴えていたので、妻のBさんが夫Aさんの背中をさすっていたが、Bさんが洗濯をしようと少し目を離し、Aさんのところに戻ったときには意識がなくなっていたことから、あわてて救急車を呼んだ。

Aさんは受診していた総合病院に搬送され、蘇生処置が行われたものの、死亡が確認された。死亡後、総合病院でAさんの全身のCTが撮影される死後画像診断(Ai:Autopsy imaging)が行われ、死亡診断書の直接原因の欄に「間質性肺炎」と記載された。

《労災申請》

筆者はBさん、Cさん親子と2018年2月に面談した。面談時、CさんはすでにAさんの胸部画像やカルテなどを病院に請求して入手していた。

面談の後、みずしま内科クリニック院長水嶋潔医師にAさんの胸部画像の読影を依頼したところ、「2014年9月29日の胸部CTで両側1/2以上の広範囲な胸膜ブラークを認め、間質の線維化が著しく石綿肺でじん肺管理区分でPR2相当であると考える」との意見をもらうことができた。

必要な書類をそろえ、同年7月に長野労基署に遺族補償年金の請求を行ったが、2019年2月19日に死亡原因と石綿曝露との医学的因果関係は認められないとされ、不支給決定処分となった。

筆者と息子のCさんが代理人になり、長野労災保険審査官に審査請求を行った。

《労基署の不支給決定理由》

長野労働局に保有個人情報の開示請求を行い、長野労基署のAさんに関する調査書類一式を入手した。

労基署の調査復命書を見て、Aさんが生前に一度だけ、平和石綿在職中の1980年12月にじん肺管理区分管理2の決定を受けていることがわかった。
しかし、長野労働局地方労災医員の意見書は、「胸CTで両肺底部に間質影肺炎を認める。肺機能検査がなく管理4の石綿肺には該当しない。中皮腫、肺がんは組織学的にも診断できていない。良性石綿胸水とびまん性胸膜肥厚所見も検査上支援できる所見はなく、該当しない。以上診断します」という内容で、石綿肺について詳細に検討していないものだった。

Aさんの請求は最終的に厚生労働省との協議に上げられており、2019年1月30日付けの厚生労働省労働基準局補償課職業病認定対策室長からの回答は、「業務上の疾病には該当しないものとして取り扱われたい」。判断理由については、「死亡診断書上の直接死因は『間質性肺炎』とされているところ、死亡労働者は、じん肺管理区分管理2の決定を受けているが、療養の経過において呼吸機能の増悪の所見は認められないこと、また、画像所見上、肺がんを示唆する腫瘍影は認められず、その他の石綿関連疾患の発症も認められないことから、当該死亡原因と石綿ばく露作業との医学的因果関係は認められない」というものだった。労基署はこの協議結果から、労災を認めなかった。

Aさんの肺機能検査の測定値は努力性肺活量だけ残っており、パーセント肺活量など、じん肺管理区分決定で用いられる測定結果は残っていなかった。

《Aさんの死亡原因は何か》

Aさんが亡くなった2015年11月12日、総合病院ではCTスキャンによる死後画像診断が行われた。長野労基署に提出された、2018年8月15日付けの総合病院医師意見書を見ると、「脳梗塞、脳出血、大動脈瘤の破裂や解離を積極的に疑う変化は認められず、肺野には広範なスリガラス影が、また、下肺野には浸潤影が広がっており、左右主気管支から比較的抹消の気管支にかけて、内部には液体貯留が充満していだ」とあり、肺水腫が起きていたことがわかった。肺水腫は、酸素の取り込みが障害されて、呼吸不全に陥ることがある疾患である。Aさんは心臓疾患には罹患しておらず、肺水腫の原因は、以前より罹患し、増悪し続けていた石綿肺以外ないと言うことができそうだった。Aさんは、総合病院では間質性肺炎と診断されていた。Aさん死亡当時の総合病院の医師は、Aさんが石綿肺に罹患しているとは考えていなかったから、死亡診断書に死亡の直接原因として間質性肺炎と診断名を記入したことが推察された。総合病院ではあまりAさんの職歴には関心が払われていなかった。

審査請求において、名古屋労災職業病研究会の筆者と森医師、息子のCさんらで、Aさんはじん肺管理区分管理2の決定を受けており石綿肺に罹患していたこと、残されているかかりつけ医及び総合病院の画録、カルテからAさんの石綿肺が進行していたこと、唯一残されていた努力性肺活量の測定値からAさんが著しい肺機能障害を抱えていたこと、総合病院での死後画像診断結果から、Aさんを死にいたらしめた肺水腫の原因は以前より罹患し、増悪し続けていた石綿肺以外にないことを主張した。

しかし、長野労災保険審査官は、原処分時の長野労働局地方労災医員の意見と、厚生労働省での本省協議の結果を支持するのみならず、「『間質性肺炎』は、石綿曝露作業と石綿による疾病との医学的因果関係があると認めることはできない」という誤った理由で、2019年11月19日に審査請求棄却の決定を下した。なぜこの決定が誤っているのかというと、後述するが、アスベスト疾患の専門家たちの間では、石綿肺とはアスベスト高濃度曝露によって発生するびまん性間質性肺炎で、石綿肺と特発性肺線維症などの慢性型の間質性肺炎との鑑別は容易でないという認識が常識になっているからである。間質性肺炎は石綿曝露作業と石綿による疾病との医学的因果関係がないという審査官の認識は間違いである。

《石綿肺は間質性肺炎》

再審査請求でも、筆者と息子のCさんが代理人を務めた。

再審査請求では、審査請求で主張したことに加え、岸本卓己医師らの「アスベスト肺(石綿肺)とはアスベスト高濃度曝露によって発生するびまん性間質性肺炎」という内容が書かれ、日本内科学会雑話に掲載された論文「教育講演14. アスベスト肺の診断」を参考にし、石綿肺と原因のわからない特質性間質性肺炎の病態が似通っており、Aさんの職歴、石綿曝露歴、管理2のじん肺管理区分決定などから石綿肺に罹患していたことは間違いないことなどを主張した。岸本医師は、他に書著『アスベスト関連疾患日常診療ガイド』の中で、アスベスト肺はアスベスト高濃度曝露によって発生するじん肺で、病理組織学的には細気管支周辺から始まるびまん性間質性肺炎とも述べていた。

資料として、岸本医師の論文、著書の他、筆者の尊敬する故海老原勇医師が、159例のじん肺の自験及び剖検例について肉眼所見と組織所見を合わせて検討した結果を報告した著書「各種じん肺の病理組織学的所見」も参考にした。この著書において海老原医師は、間質性肺炎、肺線維症、蜂窩肺は、じん肺症のそのものの主要な病態のひとつであると結論付けている。

この他、佐賀医科大学内科呼吸器科の青木洋介医師らによる論文「アスベスト曝露歴を有し剥奪性間質性肺炎および種々の自己免疫異常を認めた1症例」や奈良県立医科大学第2内科の塩谷直久医師らによる論文「高熱、間質性肺炎、両側胸膜炎を呈したRA合併石綿肺の1例」、東京逓信病院呼吸器内科のホームページの間質性肺炎のページなどを参考にした。

調査の過程でよくわかったのは、間質性肺炎は、じん肺症そのものの主要な病態のひとつと多くの専門家が認めていることだった。

《労働保険審査会の裁決》

2021年4月16日、労働保険審査会は、長野労基署長がBさんに対してなした遺族補償給付を支給しない旨の処分を取り消す裁決を行った。労災申請してから2年9か月、ようやくAさんの石綿肺による死亡が認められた。

代理人だった筆者に届いた労働保険審査会の裁決書を見て、労働保険審査会が自治医科大学名誉教授・日本呼吸学会専門医指導医杉山幸比古医師に鑑定を依頼し、裁決にあたって杉山医師が提出した、Aさんが石綿肺によって死亡したとの内容の意見書を採用したことがわかった。

まず、Aさんが石綿肺であったか否かについての杉山医師の意見は、「本例では、石綿布の製造過程に長年従事し、全身が白くなるほどの大量の曝露を受けていたことが病歴から明らかである。一方、画像所見においては、明らかな両側の胸膜プラークに加え、特に左肺底部に顕著な蜂巣肺を含む間質性陰影も認めており、これらのことから本例が『石綿肺』であったことは明らかである」というものだった。

そして、Aさんのじん肺管理区分についての杉山医師の意見は、「本例では、肺機能は1点のみの記録であり、当該データでは、FVC(努力性肺活量)1.95L(58.7%)である。じん肺法の肺機能検査結果の判定では肺活量(VC)が用いられ、%VC60%未満で「著しい肺機能障害あり」と判定される。健常人では、VCとFVCはほとんど同じと考えてよいが、気流閉塞のあるCOPD患者においては、努力呼出時に気道が閉塞するため、FVCがVCより低値となることが知られている。本例のような間質性肺炎+COPDの患者でどの程度差がでるのかを、実例で調査すると、年齢、性及び病態を本例と合わせた2例の呼吸機能では、VCがFVCを上回っていたが、その差はそれぞれ10ml及び20mlにすぎなかった。しだがって、本例では測定されていないVCは、おそらくFVCを上回っていたと考えられるが、その差はわずかであり、数値に直せば、%VCで60%を少し切っていた数値ではなかったかと考えられた。本例では以前から咳、痰、特に痰がみられるとの記載があり、合併症として続発性気管支炎であった可能性もある。じん肺としての『石綿肺』は、高度な蜂巣肺の存在からみて、かなり進展していたものと考えられる。以上を総合し、被災者の肺機能障害はF(++)(じん師法による著しい肺機能障害がある)と判定し、じん肺管理区分は『管理4』が妥当である」というものだった。

杉山医師のこのAさんのじん肺管理区分に関する意見について労働保験審査会は、「杉山医師の上記意見は、具体的かつ精緻なものであるから、信頼性は高いと判断しうるものであり、肺機能検査の結果の判定について、『じん肺法における肺機能検査及び検査結果の判定等について』(平成22年6月28日付け基発0628第6号)は、肺機能検査の結果の判定に当たつては、検査によって得られた数値を判定基準に機械的に当てはめて判定することなく、粉じん作業の職歴、X線写真像、既往歴及び過去の健康診断結果、自覚症状及び臨床所見、その他の検査を含めて総合的に判断することとされており、杉山医師は当該通達に沿った総合的な判断を行っており、この点からも同医師の意見は妥当なものと判断でき、長野労働局地方労災医員意見は採用できない。

したがって、被災者に発症しだ石綿肺の程度は『じん肺管理区分管理4』に相当するものであり、認定基準に該当するから、業務上の疾病として取り扱うべきものと判断する」という評価をくだしている。

さらに、Aさんの死亡の業務起因性についての杉山医師の意見は、「死後AIの胸部CT画像について、死亡後の画像であるが、左肺底部に明らかな蜂巣肺が認められ、間質性肺炎の診断が可能である」というもので、この意見を受け、労働保険審査会も被災者は間質性肺炎により死亡したものと認められると認定した。

労働保険審査会は最終的に、「間質性肺炎は、肺の間質を中心に炎症を来す疾患の総称であり、肺繊維症もその病型のひとつであるが、その原因に石綿肺も含まれているところ、被災者は、報告書によれば1年程度の曝露でも石綿肺の所見がみられるとされる石綿紡織における作業に15年を超えて従事しており、被災者の石綿肺の原因は、石綿の高濃度曝露と特定できるから、原因不明の特発性間質性肺炎は否定され、本件一件記録を精査しても、自己免疫疾患、アレルギー、薬剤性疾患等他の原因は認めることはできず、被災者の間質性肺炎に伴う呼吸不全により、死亡したものであると判断するのが相当であるから、被災者の石綿肺と死亡の間に相当因果関係があるということができる。しだがって、同人の死亡は業務上の事由によるものといえる」との裁決を下した。

《もう一つの不支給取り消し》

2017年2月10日、労働保険審査会が、じん肺の増悪で亡くなったタイル工だった被災者の労災を認めない名古屋西労働基準監督署の不支給処分を取り消す裁決を行った。

このときの国側鑑定人も、自治医科大学名誉教授・日本呼吸器学会専門医指導医杉山幸比古医師で、今回のAさんの事案の再審査請求の国側鑑定人と同じだった。なお、タイル工だった被災者の再審査請求時の代理人も筆者だった。

この事案は、ベビーサンダーを用いたタイル加工作業やタイル貼り作業に従事し粉じんに曝露したことからじん肺に罹患し、2014年4月3日にじん肺が悪化したため呼吸不全で亡くなった男性の死亡の業務起因性が、労基署での原処分でも、審査請求でも認められず、労働保険審査会ヘ再審査請求をしたところ、労災が認められたというものだった。男性は生前、じん肺管理区分決定は受けていなかったが、労基署の調査によりじん肺管理区分管理2相当とされたものの、死亡との因果関係は否定された。

このときの杉山医師の意見は、タイル切断やセメン卜加工時の粉じん吸入により、肺気腫、肺の線維化を生じ、続発性気管支炎、続発性気管支拡張症を合併し、その後、肺の線維化が進行し、胸膜肥厚などが混合したうえに、感染症も加わり、呼吸不全で最終的に死亡したものと考えるというもので、愛知労働局地方労災医員が合併症の検査結果がなかったことから否定した、じん肺の合併症を認める内容を含んだものだった。

《おわりに》

筆者は名古屋労災職業病研究会という市民団体で、じん肺患者の相談を受け支援を行ってきた。日々の相談の中で、建設現揚等でアスベスト粉じんに曝露し、じん肺に罹患していても、じん肺管理区分決定を受けたことがないという理由で間質性肺炎と診断されている患者や、仕事でアスベストに曝露していても、退職後、従事歴が医師にうまく伝わらないという理由で、間質性肺炎と診断されている患者に出会うことがあった。アスベスト粉じんに曝露し、石綿肺に罹患していても、間質性肺炎とされてしまう患者は想像以上に多いのではと推察する。

今回、労働保険審査会がAさんの石綿肺による死亡を認定したことに加え、間質性肺炎は、肺の間質を中心に炎症を来す疾患の総称であり、肺繊維症もその病型のひとつであるが、その原因に石綿肺も含まれているとの裁決を下したことは大変意義深いことだった。間質性肺炎は石綿肺の病態の一部であることが労働保瞭審査会において認められたのである。

筆者らは本件の審査請求において、Aさんの唯一残されていた努力性肺活量(FVC)の測定値を用いて、Aさんが著しい肺機能障害を抱えていたことを主張したが、この意見は審査請求では労働保険審査官に採用されなかった。労働保険審査会は、今回の裁決において、過去の厚生労働省通達「じん肺法における肺機能検査及び検査結果の判定等について」に、肺機能検査の結果の判定に当たっては、検査によって得られた数値を判断基準に当てはめて判定することなく、粉じん作業の職歴、X線尊真像、既往歴及び過去の健康診断結果、自覚症状及び臨床所寛、その他の検査を含めて総合的に判断することとされていると指摘しているが、労災適用調査などを行う労基署等の現揚では、検査によって得られた数値を判断基準に当てはめて判定していることのみ行っていると考えるので、この労働保険審査会の指摘は重要である。

審査請求、再審査請求において筆者らは、Aさんの死後画像診断において肺水腫が起きていたことが確認されていたことも論じたが、労働保険審査会では、死亡後の画像に、左肺底部に明らかな蜂巣肺が認められ、間質性肺炎の診断が可能であると判断され、肺水腫についてはふれられなかった。

文/問合せ:名古屋労災職業病研究会 事務局 成田博厚

安全センター情報2021年12月号