斫り(はつり)作業、アスベストばく露作業歴のある元電工のじん肺管理区分決定/愛知●肺気腫の診断から一転労災申請へ

アイスクリーム工場の倉庫係としてフォークリフトの運転や工場にを毎日届く砂糖や塩、その他の原料のトラックからの積み降ろし、25kgパックに入った原料をパレットに手積みし製造工場の荷受け揚まで持っていき準備する作業に従事していた豊橋市のMさん(68歳)は、仕事中に走ったり、重い荷物を持ったりすると呼吸がフウフウいい、身体が重たく感じるようになったが、歳だし仕方ないかと思っていた。

呼吸困難の症状は、まだトラックドライバーだった5年ほど前から感じるようになっていた。2019年12月、呼吸苦が強くなりどうもおかしいと思ったことから、近くの内科クリニックを受診した。診断は肺気腫で、医師からは「無理しちゃいかんよ」と言われた。その後、重たいものがだんだん持てなくなっていった。

就業時の呼吸苦症状が強くなり、不安があったことと、胸部レントゲン写真やCT画像でも増悪が認められたことから、医師の勧めもあり、呼吸機能障害で身体障がい者手帳を申請することにし、2020年8月に交付を受けた。クリニックでの医療費は支払わなくてよいようになった。

手帳の交付後、すぐに在宅酸素療法がはじまった。慢性呼吸不全や慢性心不全などの患者さんで、動脈の血液中の酸素濃度が一定レベル以下に低下している方に対して酸素を吸入で投与する治療法である。入院中だけでなく、患者さんが自宅で暮らしている時にも酸素を吸入する。在宅時は酸素濃縮装置を使用して酸素を吸入し、外出時も携帯用酸素ボンベを使用して酸素を吸入する。

在宅酸素療法がはじまった当初、アイスクリーム工揚での勤務を続けていたMさんは、携帯用酸素ボンベを通動に使っていた自身の車の中に載せておき、フォークリフトに何度も乗ったり、降りたりして仕事をし、えらく(しんどく)なった時に、酸素を吸入することにしていた。車に酸素ボンベを載せておいたのは、酸素ボンベを見ると皆が心配すると考えたからだった。しかし、階段を上る時もフウフウと息をするようになっていた。1日3回の休憩時間のたびに階段を上り行っていた2階の社員食堂に行く時も途中で疲れてしまい、休憩しなければ行けなくなった。会社からは「なんでもやってくれるからおってくれ」と言われたものの、Mさんは「ボンベ持ってまでおれんわ」と言って、昨年4月に会社を辞めた。

Mさんが相談するきっかけは、昨年の初夏に建設アスベスト訴訟に関するテレビニュースを見たことだった。

弁護団に電話をし、愛知県在住であることを対応してくれた弁護士に話したところ、名古屋労災職業病研究会に電話をすることを勧められた。弁護団に電話をしてみようと思ったのは、過去にアスベストのある揚所で働いた経験があることと、自身のあまりにも酷い息切れに納得がいかなかったからだった。

1969年3月に中学校を卒業したMさんは、2人の兄が就職していた、当時、豊橋で一番大きかった電気工事会社に電工として入社した。勤務時間は午前8時から午後5時までだったが、毎月100時間ほどの残業があった。第1、第3日曜日が休みで、初任給は22,000円くらいだった。給料から毎月5,000円天引きされ、退職する時に返すという約束で貯金をすることを会社から命じられていた。電気工事会社の従業員数は22、3人だった。社長は中部電力の下請け業者の頭のような役職についていた。Mさんは入社後、会社の寮に入り生活した。

電気工事会社での作業は、粉じんにさらされる機会が多くあった。公立小学校の新築現場では、電線を通すパイプをコンクリー卜部分に埋め込むため、コンクリートを研る部分に最初にサンダーで切り込みを入れた後、斫り機でコンクリートを斫る作業があった。サンダーや斫り機で、コンクリー卜をカッ卜したり、斫ったりしている間は、たくさんの粉じんが飛散した。当時は、マスクを着用することをうるさく言われなかったことから、マスクをせずに斫り作業を行っていた。電気工事会社では、三竹さんが年少者であったことから、あらゆる現場でこのような斫り作業を行うことを命じられた。斫り作業を行った記憶のある現場は、豊橋市内の小学校建設工事の現揚や農協の建設現場などだった。会社は当時、豊橋市や愛知県からの仕事をたくさん受注していて、児童、生徒数が毎年増え続けていた時期であったことから、新設される小中学校の建設工事に伴う電気工事が多くあった。

鉄骨に吹き付けられたアスベストを手で搔き落として除去し、電線を通すパイプを金具で取り付けける作業を行い、アスベスト粉じんに曝露する現揚もあった。また、アスベストが吹き付けられた鉄骨のある天井裏にもぐり、電気工事を行うこともあった。Mさんは身長が低く、体が小さかったことから、よく吹き付けアスベストのある天井裏にもぐって行う作業を命じられた。かつて豊橋にあった丸物百貨店のアスベストが吹き付けられた鉄骨のある天井裏にもぐって作業をしたり、駅前のホテル近くの駐車場の鉄骨に吹き付けられたアスベストを手で落として照明器具を取り付けたりしたことが記憶に残っている。

1974年8月にMさんは電気工事会社を退職し、お兄さんと電気工事の仕事をするようになったが、途中からMさん自身で電気工事を請け負うようになり、1986年にトラックドライパーになるまで電工として働いた。トラックドライバーに転職した理由は、東映製作で菅原文太主演の映画「トラック野郎」シリーズに、仲の良かった友人が4トン車で出演していてカッコいいなあと思ったからだった。最初に就職した運送会社では、花と緑を4トン車で運ぶ仕事をしていたが、その後、大型免許取得が必要な10トン車を運転し全国を走ることになった。Mさんは、2018年までトラックドライバーとして働いた。

筆者がMさんからの最初の電話を受けたのは昨年6月下旬だった。

肺気腫の診断を受けているが、過去に電工として働いてアスベストも吸っていたので、自身の呼吸困難は仕事が原困ではないかという相談だった。7月中旬に面談を行い職歴の聞き取りなどを行って、8月中旬にS診療所を受診し、M医師と所長医師の診察を受けてもらった。胸部レントゲン写真にはじん肺所見があり、スパイロメーターを使用した肺機能検査の結果も著しい肺機能障害と判断してよいものだった。量のある膿性たんも出ていたことから、CT検査も行ったうえで、M医師にじん肺健康診断結果証明書を作成してもらい、愛知労働局にじん肺管理区分決定申請を行うことになった。

申請は、中学校卒業後に就職した電気工事会社の職歴で行うことにしたが、この会社は1997年に倒産しており、かつての社長にも連絡が取れなかったことから、一緒に働いていた2人のお兄さんに同僚証明をしてもらった。厚生活働省が公表している、石綿曝露作業による労災認定等事業場一覧表を見ると、三竹さんが勤務していた電気工事会社では、中皮腫による労災認定が1件されていることが確認できた。

三竹さんは、11月初旬に愛知治働局にじん肺管理区分決定申請を行い、12月17日付けで管理2、かかっている合併症の名称:続発性気管支炎、療養の要否:要の決定を受けた。

自身がじん肺症に罹患していることを知ったMさんは、「びっくりした。ここまで悪くなっているとは思わなかった」と話した。Mさんは現在、豊橋労働基準監督署に労災請求を行っている。

文/問合せ:名古屋労災職業病研究会

安全センター情報2022年6月号