「精神障害労災認定基準専門検討会」での議論に関する意見書-2022年9月15日 全国労働安全衛生センター連絡会議・同メンタルヘルス・ハラスメント対策局

私たち全国労働安全衛生センター連絡会議は、労働者の立場に立って、長年にわたり労働災害や職業病に関する相談・支援にあたってきた団体や個人の全国ネットワークです。

労災被災者の支援に長年取り組んできた立場から、「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会」にて現在行われている精神障害の労災認定基準見直しの議論につきまして、すでに本年4月に申し入れ意見書を提出しているところです(10月号参照)。

今回、専門検討会の第6回会議までの議論状況を踏まえ、各委員からの発言・議論において懸念すべき点があり、被災労働者の迅速かつ公正な保護という労働者災害補償保険法の趣旨を踏まえない発言などが見られることから、以下のとおり、当連絡会議としての意見を申し述べます。

1. 「労基署が労使紛争に巻き込まれる」との意見は、労働基準監督署の法的な責務を無視している

本年7月26日の第6回会議の席上、「総合評価における留意事項(たたき台)」に関する議論において、「職場のルールに基づいて一般的に行われている行為(賃金の決定や人事評価等)は原則として強い心理的負荷を生じさせる出来事とは評価されないが、当該行為が個人を対象に特別の不合理、不適切な対応として行われた場合には、強い心理的負荷と評価され得る。」との、たたき台が提案された。
この点に関する議論の中で、品田充儀委員が「この点について労基署が判断に踏み込むと、労基署が労使紛争に巻き込まれるおそれがある。この書きぶりには反対である。」との趣旨の発言を行った。さらに同委員は、この箇所に関するその後の議論においても、労基署の判断によって労使紛争に巻き込まれる恐れがあると重ねて指摘した。

しかし、このような発言は、労働基準監督署が果たすべき役割を誤って捉えている。

そもそも労働基準監督署は、労働者の生活と権利を保障する最低基準である労働基準法について、その法違反を取り締まるために、事業場に対し調査から刑事訴追まで幅広い権限を有している。賃金の未払い、長時間労働、差別的な待遇などにより労使紛争が起こっている事業場についても、労働者による申告などに基づいて調査し、是正指導や送検などを行うのが労働基準監督署の役割である。

また、労働基準監督署は、被災労働者の迅速かつ公正な保護を目的とする労災保険法に基づき、被災労働者からの請求により、事業場を調査し、労働者の傷病の業務上外について判断する権限と責任を負っている。

すなわち労働基準監督署は、当該事業場において労使紛争が起こっていようとも、労働者からの申告や請求に基づき、労働基準法や労災保険法に基づく調査や判断を下す必要がある。

また、労使紛争の背景には、事業主の労働関係法令の違反が存在していることがほとんどである。そのような現場で、労働基準監督署が「労使紛争が起こっているから」と逃げるのではなく、労働法に基づいて必要な対応を取ることこそが、労働基準法や労災保険法の求める責務である。そうでなければ、労働者の信頼に応えうる公正な労働行政など不可能である。

現実において、労働行政は日々、個々の労使紛争に接しながらその職務を遂行しているのが実態である。例えば、個別労働関係紛争解決促進法(2001年施行)に基づく個別労働相談紛争の相談件数は高止まりの状態が続いており、2021年度は全国で28万4139件にも上っている。しかも、精神障害の労災保険請求と同じように、いじめ嫌がらせや上司とのトラブルに関する相談が多いことが近年の特徴となっており、相談件数・助言指導の申し出件数・あっせんの申請件数の全項目で「いじめ・嫌がらせ」の件数が最多を占めている。具体的には相談件数86,034件(24.4%)、助言指導1,689件(18.0%)、あっせん1,172件(29.2%)である。

労働保険審査会の委員の経験を有する品田委員が、こうした事実を知らないのか、あえて無視しているのかはともかく、すでに労働局は、個別労働関係紛争の対応において、様々な労使紛争に巻き込まれているといってよい。そして、こうした個別労働関係紛争の相談者が健康を害している場合には、同時に労災保険請求をしている事例も少なくないのである。労災対応の現場において、労災保険の給付担当者は、労使関係についての理解を深め、労使紛争を伴う事案において心理的負荷の評価を適切に行うことこそ、いま求められているのである。

これらの点を踏まえれば、労使紛争に巻き込まれるとして労働基準監督署がその役割を放棄・回避することは、法律上許されない行政の不作為であり、責任放棄に他ならない。もし労働基準監督署が、労使紛争に巻き込まれることを恐れて必要な権限を行使しなければ、労働現場において法違反を繰り返す事業主が野放しになり、労災職業病に苦しむ労働者の保護は置き去りにされてしまう。

よって、「労使紛争に巻き込まれる恐れがある」ことを理由として、労働基準監督署が労働現場での賃金の決定や人事評価等が労働者にとって不合理・不適切であるかどうか判断すべきでない、という趣旨の委員の発言は、労働基準監督署の基本的かつ重要な職責をまったく無視しており、被災労働者の保護を目的とする労災保険法にも真っ向から反する暴論である。ただちにその発言を撤回するよう求めるものである。

2. 「労働者の自業自得ということもある」との意見は、労働現場の実態にも、労働者の過失を問わない労災保険法の趣旨にも真っ向から反する

同じく、本年7月26日の第6回会議での「総合評価における留意事項(たたき台)」に関する議論において、「労働者の行為により引き起こされた出来事については、労働者の行為の性質(故意によるものか否か等)や会社等(相手側)の対応の必要性・相当性等、当該出来事に至る経過等も総合的に考慮して、心理的負荷の程度を判断する。」との、たたき台が示された。

この点に関する議論の中で、三柴丈典委員が、このたたき台に賛意を示した上で、「労働者の自業自得ということもある」との趣旨の発言を行った。これは、事業主による労働者への懲戒処分などについて、労働者の故意や過失があれば妥当とみなすべきである、との趣旨と思われる。

しかし、労災保険法において、業務上外の判断は、労働者の過失に関係なく判断されることとなっている。もし労働者に何らかの過失があれば、それを考慮して事業主の行為による心理的負荷を判断するというのは、これまでの労災保険法の根本的なあり方に真っ向から反するやり方である。

そもそも労働現場においては、事業主による退職強要の手法として、労働者の過失を事細かに言い立て、時には労働者の故意による問題行為であると決めつけて、ことさらに懲戒処分を加えて精神的に追い込む、というやり口がしばしば行われている。

そして、このような事業主の手法により、強い精神的負荷を受け精神障害を発症した労働者からの相談が、これまでも当連絡会議に繰り返し寄せられているところである。「労働者の自業自得ということもある」という委員の発言は、こうした労働現場の実態を完全に無視し、「労働者の故意や過失」を根拠に、事業主の懲戒処分などの妥当性を安易に是認して、労働者の心理的負荷を不当に軽く判断しようとするものである。

よって、「労働者の自業自得ということもある」という発言は、労災保険法の趣旨にも労働現場の実態にも反しており、公正であるべき労災行政への労働者の信頼を失わせかねない暴言である。ただちにその発言を撤回すべきである。

労災事案において、仮に労働者の「自業自得」と思われる要因があったとしても、業務との因果関係があれば支給するのが労災保険制度の趣旨である。この制度の根本をまったく理解していない、あるいはあからさまに軽視するような発言を行う委員は、労災認定基準の在り方を左右する専門検討会の委員としての資格がないと言わざるを得ない。

また、この項目については、「労働者の行為の性質(故意によるものか否か等)」ではなく、懲戒処分などについて「会社等の対応の必要性・相当性」を厳しく精査して、労働者の心理的負荷を判断する方針を取るべきである。

以上