隠れ労災“58万件”過去10年健保扱いで処理:毎日新聞労災隠しキャンペーン報道2000年11月11日夕刊から
社会保険庁がレセプトの調査によって、 労災保険で処理すべきものが政府管掌健保扱いになっていたとしたものが、 1999年までの10年間で58万件、医療費総額で207億円あったことが判明していたということを毎日新聞が第1面で報道した。
この報道から、毎日新聞大阪本社は労災隠し取材班による労災隠しキャンペーンを展開した。労災隠し問題が、社会的に大きくクローズアップされ、厚生労働省もいくつかの対策を打つことになった。
毎日新聞大阪本社夕刊 1面 2000年11月11日
“隠れ労災”58万件 過去10年
健保扱いで処理 社会保険庁調べ
仕事上の理由で負傷し治療するなどの際、本来は労災保険の適用を申請すべきなのに、健康保険扱いになっていたケースが、過去10年間に約58万件あることが11日、社会保険庁の調べで分かった。健康保険で支払われた医療費総額は約207億円、労災なら患者本人が支払う必要がないのに自己負担していた治療費(健保の2割)は約40億円にのぼる。同庁からの指摘を受けた患者は自己負担分の変換を受けることができるが、労災問題の専門家らは「実際の労災はもっと多い。労働者や事業主に労災手続きの徹底を図るべきだ」と訴えている。膨大な“労災隠し”の疑いが、数字で浮かび上がった。(9面に関連記事)<大島秀利、清水勝>
患者負担40億円にも
全国の社会保険事務所では、医療機関への支払後に回ってくる年間約3億枚の診療報酬明細書(レセプト)の中から、平日に初診を受けたり頸椎損傷などの労災の疑いのあるものをチェック。患者本人に照会し、労災の事実が確認されると、医療機関から診療報酬を回収。医療機関が労働基準監督署に診療報酬を請求し、患者の申請で労災認定されると、患者は自己負担分の変換を労災保険から受ける。
こうした事例を社会保険庁が1990年土から昨年度まで調査したところ、毎年約6万件あり、昨年度は過去10年間で最高の約6万7000件にのぼった。
労働省は原因を調査していないが、労働者本人が労災保険制度について知らないほか、▷仕事の受注資格に影響する無災害記録を無理に伸ばそうとする業者の存在▷超過滞在の外国人労働者の発覚を恐れるーなどの理由で、事業主が労災を届けないことが多いためとみられる。社会保険庁は「制度が周知徹底されていれば毎年6万件も起きないのではないか」と話している。
労災保険を使わなかった場合、労働者は、労災による休業期間プラス30日間は解雇されないという身分保障がない▷障害が残った場合は労災で補償される分を受け取れないーなどの不利益をこうむる。
労働省は行政指導を
井上浩・全国労働安全衛生センター連絡会議議長の話 労災事故を起こすと、元請け会社の入札資格が一定期間はく奪されたり、労災保険料が高くなることが背景にある。労働省は実態をもっと調べて、行政指導するべきだ。
<ことば>労災保険 すべての事業主に加入が義務付けられている。業務上の理由や通勤中の負傷、病気などの場合に、労災保険から症状の程度に応じたさまざまな給付金が支払われる。事業主は賃金総額の一定割合の保険料を国に納める。事故に遭った労働者は、事業主が証明した給付請求書を医療機関や労基署に提出。労災と認定されれば、療養給付や休業給付、障害給付などを受けることができる。
毎日新聞大阪本社夕刊 9面 2000年11月11日
仕事にも事業所にも傷つけられー
結局泣くのは労働者「隠れ労災」58万件
家でけがしたことにしろ
別の仕事探したらどうや
「救急車は呼ぶな」の鉄則も
ぎっしり積まれた健康保険のレセプト(診療報酬明細書)に、大量の労災が隠れていた。レセプトの中から社会保険庁が「労災扱いすべきだ」としたのは、10年間で58万件。だが、労働現場や医師からは「自宅でけがしたことにしてくれ、と会社に言われた」「労災を勧めると患者が姿を見せなくなった」など、労災隠しの横行を裏付ける証言が出る。労働省は「実態は分からない」と話すが、制度を知らずに仕事で傷ついた労働者、泣き寝入りだ。
労働省「実態は不明」
全国の社会保険事務所に来るレセプトは年間約3億枚。「人海戦術による紙との格闘」(職員)で不審なものを見つけては本人に照会し、初めて労災と分かる。だが、「本格調査をする人手もないし、本人が会社との関係悪化を恐れてうそを言えばどうしようもない」といい、実際の労災はもっと多いとみられる。
大阪府内の建設会社に勤務する男性(37)。昨年夏、仕事で腰を痛め、健保で治療を受けた。しかし、腰痛が悪化して休職、「椎間板ヘルニア」と診断された。会社に労災申請の相談に行くと、会社幹部は「元請けに迷惑がかかる。家でけがをしたことにしてくれ」と言い放った。
家族の勧めもあり、男性は会社を説得して労災申請し認定され、健保扱いで恣意払った自己負担分数万円は療養給付として戻り、休業補償として給料の8割(健保は6割)を手にした。男性は会社に職場復帰を申し出ているが、会社は「別の仕事をさがしたらどうや」と解雇をちらつかせる。男性は「会社側は最初から労災の手続きを取ろうとしなかった」と話す。
大阪府内の元現場監督は「無事故記録を続けているときに、下請労働者が事故でけがをすると「やってくれたね」とか言うと、たいがい労災にはならない」と明かす。労災を隠すために「救急車を呼ぶな」という“鉄則”もあるという。
労災問題に詳しい大阪の整形外科医は「患者に労災を勧めると、「くびにされた」と言ってくることがある」と証言する。「健保扱いはおかしい」と指摘すると、姿を現さなくなる患者も。
労働省は7年前に「いわゆる労災かくしの排除について」という通達を出したが、以後、特別の対策はなく「今は通達を徹底させるとしか言いようがない」(労働基準局)。同省が「労災隠し」と公式に認めているのは、労災のときに死傷病報告をしなかったために労働安全衛生法違反で摘発したケースだけ。その数は年間約70件に過ぎない。(大島秀利、清水勝>
<視点>個人の努力に限界 関係機関連携を
膨大な「隠れ労災」を生む第一の要因は、労働者に労災保険制度が十分伝わらず、使いなれば健康保険を使ってしまうことだ。
第二に、事業主には「無事故記録」のノルマがあったり、労災事故で事業への入札資格を失ってしまうため、労災を隠したいという傾向がある。そのために、健康保険の自己負担分を肩代わりしたり,示談金を支払う場合もあるという。
第三に、医療機関が患者である労働者に労災申請を勧めても、労災申請したために患者が解雇されるといった例もある。このため医師はやむを得ず健保扱いにしてしまう。
労働省の姿勢にも疑問はぬぐえない。社会保険庁の今回の「摘発」に対して、同省は本格的な追跡調査は「やったことがない」という。下請けや孫請けといった弱い立場であればあるほど、労災が隠されやすい。個人の努力や一部の労災申請支援組織に任されるのではなく、関係機関が連携して真剣に対策を考えるべきだろう。(大島秀利)