大規模産業災害の原点40年続く企業犯罪との闘い/古谷杉郎(全国安全センター事務局長)
目次
ILO等に与えた影響
ボパール惨事と言っても、安全センター関係者でもいまやほとんど知らないかもしれない。
国際労働機関(ILO)は創設100周年を迎えた2019年に、「仕事の未来の中心にある安全と健康:土台となる100年の経験」を公表している。
同書は、「1919年以降の重大災害」として9つ挙げられ、そのひとつが「ボパール 1984」で次のように紹介されている。
「1984年、インドのマディヤ・プラデシュ州のボパールにある農薬製造プラントにおいて30トンのイソシアン酸メチルガスが放出され総計60万人以上の労働者と付近住民が影響を受けた。インド政府は事故の結果としてこれまでに1万5千人が死亡したと推定している。現在でも有毒物質による汚染は続いており、数千人もの生存者と子孫が呼吸器疾患、内臓疾患、免疫疾患などに苦しんでいる。」
他の8つの重大産業災害は、「フリックボロー 1974」(イギリス、シクロヘキサンガス爆発)」、「セベソ 1976」(イタリア、ダイオキシン放出)、「チェルノブイリ 1986」(ロシア、原子力発電所爆発)、「フィリップス 1989」(アメリカ、化学コンビナート爆発・火災)、「チリ鉱山救出 2010」、「福島 2011」、(日本、原子力発電所爆発)、「ラナプラザ 2013」(バングラデシュ、ビル倒壊)、「ヴァーレ・ダム 2019」(ブラジル、鉄鉱滓ダム決壊)である。
とりわけ、セベソ、ボパール、チェルノブイリは労働安全衛生の新たな潮流を大きく促進させた。同書は、「1980年代に見られたさらなる進展は、労働安全衛生に関する政策をよりリスクに基づいたものへの移行であった」としている。筆者は個人的にも、小木和孝氏やユッカ・タカラ氏らから、ボパール事件の衝撃について聞いたことがある。
※日本語版:https://www.ilo.org/sites/default/files/wcmsp5/groups/public/@asia/@ro-bangkok/@ilo-tokyo/documents/publication/wcms_712511.pdf
ボパール事件30周年にあたる2014年の労働安全衛生世界デー(4月28日)に向けてILOが公表した「職場での化学物質の使用における安全衛生」も、ボパール惨事が世界の化学物質管理に与えた影響についてふれている。
直接的な結果のひとつが、「労働安全衛生マネジメントシステムに基づいた、大災害の潜在的リスクの調査、及び適切な予防措置と緊急対応の策定に重点」を置いた1993年のILO大規模産業災害条約・勧告であり、また、「(国際機関間の)化学物質の適正な管理のための継続的・協調的戦略の基盤が築かれた」ともしている。
※日本語版:
https://www.ilo.org/ja/media/449076/download
ILOの労働安全衛生エンサイクロペディアも様々な個所でボパールに言及しており、パートⅦ 環境の54.環境方針の「環境と仕事の世界:持続可能な開発、環境、労働環境への統合的アプローチ」は、「環境政策のもうひとつの原動力は、とりわけ1984年のボパール惨事以来、大規模な産業事故が劇的に増加し、その範囲も拡大していることである」としている。
※https://www.iloencyclopaedia.org/part-vii-86401/environmental-policy/item/742-environment-and-the-world-of-work-an-integrated-approach-to-sustainable-development-environment-and-the-working-environment
日本との関わり
日本でも惨事の半年後には現地を訪問するなど、直後から取り組みがあり、1986年にボパール事件を監視する会編集「ボパール死の都市:史上最大の化学ジェノサイド」(技術と人間臨増保存版)が出版されている。
筆者にとっては、1994年11月に惨事10周年に向けたキャンペーンの一環として、現地の代表-ボパール情報&行動グループのサティナス・サランギ(Satinath Sarangi、通称サテュー、男性)と女性被害者一人-が日本・韓国・台湾・香港を訪問したことが最初の出会いだった。
原田正純・全国安全センター議長(当時、以下同じ)、アジアと水俣を結ぶ会の谷洋一さん、市民エネルギー研究所の真下俊樹さん、国際医療協力市民の会(SHARE)の本田徹医師らで「ボパール事件を考える会」をつくって代表を受け入れ、1995年8月には谷・真下・本田の各氏と山岸素子さん(神奈川労災職業病センター、現在移住者と連帯する全国ネットワーク事務局長)らがボパールを訪問した(1996年1・2月号参照)。
また、1996年8月に名古屋で開催された第14回国際疫学会での発表のために来日されたドウィベディ医師から話をうかがう機会を横浜・名古屋・永野・京都・熊本などでもった。ドウィベディ医師からは、国際ボパール医療アピールがガーディアン紙に一面意見広告を掲載して集めた募金をもとに、ボパール診療・監視・研究センター(CMRC)を設立する計画も紹介された(1996年10月号参照)。
この計画は、1995年6月にサムバブナ・トラストが設立され(「Sambhavna」はヒンドゥー語で「可能性」を意味するSamaとBhavnaという2つの言葉を組み合わせたもの、https://sambhavnabhopal.org/)、1996年7月にクリニックが開設されるというかたちで実現した。韓国の源進緑色病院の話を合わせて、安全センター情報1999年10月号で「産業災害被害者のための医療機関の建設-アジア:韓国・源進とインド・ボパールから」という特集記事を組んだ。また、田尻宗昭記念基金から第8回田尻賞が「インド・ボパールの猛毒ガス流出事件被害者の救済に当たっているサムバブナ・トラスト」に贈られ、1999年7月4日の授賞式出席のためにドウィベディ医師が再来日された。
安全センター情報でボパール惨事を取り上げる機会はその後多くはなかったが、谷さんや菜の花プロジェクトネットワークの藤井綾子さん、リサイクルせっけん協会関係者など、日本からのボパール訪問は継続されてきた。
一方で筆者は、おそらく2004年以降、労災・公害被害者のためのアジア・ネットワーク(ANROEV)の会議等で、ボパール情報&行動グループの代表としてラチナ・ディングラ(Rachna Dhingra、女性)と会い、話も聞く機会が増えていた。
公害薬害職業病補償研究会でも会っていた谷さんにはしばらく前から、40周年の機会にボパールを初めてボパールを訪問したいと話していた。
惨事の概要と現状
惨事及び現状については、ボパールにおける正義のための国際キャンペーン(ICJB)のウエブサイトに掲載された「ボパール・ファクトシート」を紹介しよう。ちなみにICJBのリストには、「Bhopal Infor-mation Network Japan」として「ボパール事件を考える会」も掲載されている。
史上最悪の企業大虐殺
いつ:1984年12月3日
どこで:マディヤ・プラデーシュ州の州都ボパール市の16平方マイル。ガス雲は工場南側のスラム街にもっとも密集していた。
どのように:アメリカの多国籍企業ユニオン・カーバイド・コーポレーション(現在はダウ・ケミカルが所有)が過半数を所有・運営する殺虫剤工場から、シアン化水素の500倍の毒性を持つ化学物質、イソシアン酸メチル(MIC)27トンが漏えいした。
なぜ:ユニオン・カーバイドの工場の設計は、アメリカにある姉妹工場とは大きく異なり、(投資コストを30%削減するため)安全設備が大幅に削減され、建設資材も劣っていた。ユニオン・カーバイドは、MIC工場が操業を開始した1980年にグローバル・エコノミー・ドライブを実施した。このドライブの一環として、重要な安全システムが停止され、ほぼ半数の労働者、とくに労働衛生状態の悪化を訴える労働者が解雇され、企業独自の安全監査による警告は無視された。
なにが:MICはそれを吸い込んだ人々の血流に入り、目、肺、脳、免疫、生殖、筋骨格系、その他のシステム、そして精神衛生にダメージを与えた。
- 最初の3日間で8,000人が死亡した。合計で22,000人以上が、その夜のMICへの曝露が原因で死亡した。惨事当夜のMIC曝露に起因する死亡は現在も続いている。
- 50万人以上が一生残る重傷を負い、40年経った今もその影響を引きずっている。慢性的な健康問題、3世代にわたる先天性欠損症、永続的な経済的影響、現在も続く地下水汚染が含まれる。
現在のボパール
加害者たち
- ユニオン・カーバイドは、過失致死やその他の重大な犯罪で起訴されたにもかかわらず、インドの裁判所から逃亡を続け、現在は同じアメリカの多国籍企業であるダウ・ケミカルが所有している。
- ヘンリー・キッシンジャーを含む政治的影響力を利用して、ユニオン・カーバイドは、インド政府に保険で半分カバーされ、1株あたり43セントしかかからない和解金を受け入れさせることができた。
- ボパールのMIC工場の不安全な設計を自ら承認したUCC会長は保釈され、アメリカのビーチタウンで枷を外されたまま死亡した。
- UCCのインド子会社の8人の重役たちは、1984年以来一分たりとも刑務所に入ったことがなく、UCCのアジア子会社は登記を抹消して2つの会社に生まれ変わり、刑事責任を免れている。
- インドの裁判所からの6通の召喚状を無視した後、ボパールの生存者たちは12人のアメリカ下院議員を集め、アメリカ司法省とダウ・ケミカルに圧力をかけて対応させることができた。2023年10月、ダウ・ケミカルの代表者が、20年間の逃亡の末にボパールの裁判所に姿を現わした。それでもダウ・ケミカルは、裁判所には管轄権がなく、ボパールの浄化の費用を支払う責任もないとしている。
被災者及び生存者たち
- 惨事後数年間で22,000人以上が死亡し、重度の曝露者の死亡率は、いまも対照人口と比較して26%も高い。
- 15万人以上が、1984年12月の有毒曝露による慢性疾患と闘い続けている。
- 影響を受けた人々の大半は通常の職業を続けることができず、何万もの家族が栄養不足で空腹なままである。
- がん、結核、腎臓の致命的な病気の発生率は、全国発生率に比べ、ガスの影響を受けた人々の間で非常に高い状態が続いている。
- ガスに曝露した両親をもつ何万人もの子どもたちが、身体的成長障害や精神発達障害、先天性欠損症をもって生まれている。
- 惨事の生存者の93%は、人身傷害の補償として500ドルしか受け取っておらず、死亡者の家族は一人の死亡につき2,000ドル受け取っただけである。政府機関は、ユニオン・カーバイドが提示したわずかな和解金に合わせて被害全体を調整するため、死亡者数や健康被害の程度は政府諸機関によって軽視されてきた。
環境災害
- ガス惨事とは無関係に、ユニオン・カーバイドによる1969年からの工場敷地内での有毒廃棄物の安全でない処理、1977年からの誤った設計の池への有害廃棄物の汲み上げ、1996年の池の有毒汚泥の工場外への無謀な投棄の結果として、地下水の汚染による環境災害が市内で進行している。
- インド最高裁判所の記録によれば、工場から5km以内にある48のコミュニティーの10万人近い住民が現在、地下水汚染の影響を受けている。
- 公的科学機関による地下水の分析では、有毒化学物質、農薬、重金属の存在が報告されており、これらの物質は曝露者の体内に蓄積され、脳、肺、肝臓、腎臓、遺伝物質への障害を引き起こすことが知られている。
国際政治
- アメリカ国務長官兼国家安全保障アドバイザーのヘンリー・キッシンジャーが、ボパールMIC工場への資金調達と公的承認に積極的に関与したことを示す証拠が文書化されている。また、キッシンジャーの同僚がダウ・ケミカルの法的処罰を求めるロビー活動を続けていたことを示す証拠もある。
- この40年間、アメリカ政府は惨事に関する刑事事件の逃亡者を匿い、生存者の懸念に耳を貸そうとしなかった。アメリカ政府はインドとの相互法的支援条約に違反し続け、2023年10月まで、ダウ・ケミカルをボパール地方裁判所に召喚されないように保護してきた。
- 国連やWHOなどの国際機関は、自然災害の場合には救援に駆けつけるが、ボパールで現在進行中の人災の場合には、ほとんど指一本動かさない。国際司法裁判所は、法的・法律的問題に対応できないことを表明している。
国内政治
- 政権政党にかかわらず、インド政府と加害企業との間には、過去40年間、途切れることのない密接な結びつきがあった。歴代の首相は、ユニオン・カーバイドに対する公式の寛大さを、アメリカ資本のインドへの継続的な投資を確保するためにはそうした政策が必要だったという理由で正当化してきた。
- 政党が次々に明らかになる惨事に真剣に注意を払ったことはなく、共産党が与党の州政府は、ボパールでの責任を無視して、ダウ・ケミカルの投資を歓迎した。
生存者たちの闘い
- いくつかの生存者が主導する団体は、正義と尊厳ある生活(適切な医療、経済的・社会的復興、安全な生活環境)を求めて、40年以上にわたって闘ってきた。
- 生存者活動家の圧倒的多数は女性であり、もっとも貧しく、惨事の影響をもっとも大きく受けた人々である。
- 行動の指針として、生存者団体は一般的に「必要なあらゆる手段を講じる」という方針に従っており、その抗議方法には、水を飲まない断食、ラリー、ボパールからニューデリーへのマーチ、もっとも交通量の多い交差点や首相官邸でのダイイン、様々な裁判所への法的申し立てなど含まれる。
- ボパール生存者の長い闘いにおける主な勝利には、以下のようなものがある。
ユニオン・カーバイドに認められていた刑事免責の正式な取り消し、各請求者の賠償金に対する利息を請求する権利の主張の成功、ボパール生存者の医療を受ける権利が憲法の基本的権利であるとの司法判断の下での承認、インド政府にアンダーソンの身柄引き渡しを求めるよう迫ったこと、ダウ・ケミカルに対する司法召喚状、汚染された地下水の影響を受けた地域に住む2万世帯への清潔な飲料水の提供、汚染の広がりを裸足で監視することの司法的容認、ダウ・ケミカルのインドでの事業拡大を困難にしたことなどである。 - 世界各地の団体や個人は、ボパール生存者の闘いに積極的に連帯し、彼らの成功に重要な役割を果たしてきた。ボパールにおける正義のための国際キャンペーン(ICJB)は、環境と環境正義、人権、企業犯罪その他の問題で活動する世界的な団体の連合体である。
40周年迎えたボパール
2024年11月29日から12月4日、インドを訪問した。日本からは、筆者のほか、谷洋一さん、藤井綾子さん、NPO法人愛のまちエコ倶楽部の藤澤加奈子さんの4人である。
11月29日はデリーに一泊して、翌日ボパールに移動したが、11月30日午前中にデリーでILOデリー事務所の南アジア・ディーセントワーク技術支援チームの労働安全衛生・労働監督シニアスペシャリストの川上剛さんと会うことができた。
11月30日夕方ボパールで、11月21日から(元工場の壁にペイントされた)壁画とテント内で写真やポスター等を展示しているユニオン・カーバイド工場跡地前を訪問して、ラチナらにあいさつ。
12月1日は日曜日で、開院していないことは承知しながら、サムバブナ・トラスト/クリニックを訪問。いまはトラストのコンサルタント役に専念しているらしいサテューがわざわざ出てきてくれるのを待って、説明等を受ける。

午後、ユニオン・カーバイド工場跡地を再訪問。壁に穴が開いていて工場跡地に入ることができ、人々がピクニックやスポーツをしている。少し探索するが、警察官等が現われて不法侵入等とされると面倒なので、長居はせず。その後、湖の方にも出かけて、市内を見てまわった。
12月2日午前中、サムバブナ・トラストを再訪問して、クリニックがオープン中の様子にも触れることができた。続いて、チンガリ(Chingari)トラストが運営するリハビリテーションセンターを訪問。この日はイスラムの祭日の関係で子どもたちが来るのは午後からとのことだったが、説明を聞いて見学(33頁写真)。

次に、ボパール駅に寄った。2023年に映画「鉄道人:知られざるボパール1984の物語」が公開され、2024年末時点でNETFLIXで視聴することができる。11月30日夜に寄ったテントでも、ちょうどこの映画のヒンドゥー語版を上映していたところだった。
その後、前日寄った湖の公園で行われた生存者団体による集会に参加。私以外の日本人は途中でリハビリセンターに戻り、実際の活動を体験した。私は最後まで集会に参加(34頁写真)。

グジャラート州アフマダバードから参加したインド労働環境衛生ネットワーク(OEHNI)代表も務める民衆訓練調査センター(PTRC)のジャグデシュ・パテルも合流してあいさつを行ったが、参加者に私も紹介してくれた。集会の最後は、「有名」な、人形を経営者たちに見立てて火で燃やす「Effigy Burning」だった。
夜は、ラチナたちが組織した、ユニオン・カーバイド工場跡地までのたいまつラリーに参加した。

12月3日午前中は、イスラム教礼拝堂である「タージ・ウル・マスジット」を見学。
午後は、生存者団体共同の大規模な40周年記念ラリーで、やはりユニオン・カーバイド工場跡地が終点だったが、約2時間?かけて練り歩いた。韓国からアジア環境保健市民センターのチェ・エヨン及びアーンドラ・プラディシュ州ビシャーカパトナム(バイザック)から4年前に起きた、「ボパール惨事の再現」とも言われるLGポリマーズのスチレンガス漏えい事故(2020年7月号等参照)の被害者団体の代表4人も、大きなプラカードとバナーを持ち込んでラリーに合流した。

12月4日日本勢はボパールを離れ、帰途についた。
現地では、30回以上ボパールを訪れている谷さんに頼りっぱなしだった。同行していただいた皆さんにあらためて感謝したい。
40年目にしてようやくボパールを訪問できたことに、個人的には長年の宿題をひとつ果たせた気もしているものの、50周年も日本からも誰かに見届けてもらいたい。谷さんによれば、ラリー参加の生存者の数はやはり減ってきているとは言うものの、次世代、次々世代に基づいている被害とそれに対する取り組みも、今回実際に見てきたひとつである。
生存者団体の要求
最後に、ICJBのウエブサイトに掲載されている、40周年にあたって4つの生存者団体が連名で公表した要求を紹介しておきたい。

ボパールにおけるユニオン・カーバイド惨事の生存者とダウ・ケミカルにより汚染された者の惨事40周年にあたっての要求
1. 刑事司法
中央政府及び州政府は以下のことをしなければならない。
- 中央捜査局(CBI)の検察官が、ガス惨事に関連した刑事事件において、アメリカのダウ・ケミカルに対してもっとも厳しい措置を追求することを確保すること。
- 検察当局が、ユニオン・カーバイドのインド子会社とその幹部に対する刑事手続を迅速化するための特別部門を設置することを確保すること。
- CBIが、Gas Authority India Limited(GAIL)、ONGC、Indian Oil Corporation、Gujarat Alkalies Chlorides Limited、Tamil Nadu Indian Additives Limited、Madhya Pradesh Vindhya Telelinks Ltdなど、ボパールの刑事司法マジストレート(CJM)から販売禁止処分を受けた後も、ユニオン・カーバイドの製品を販売し続けているインド企業や国営部門事業所(PSU)を追及することを確保すること。
2. 補償
ユニオン・カーバイド/ダウ・ケミカルは、以下を支払わなければならない。
- ガスに曝露した両親をもつ子どもたちの先天奇形、発育遅延や免疫系障害を含めた、健康被害に対する補償
- ユニオン・カーバイド工場跡地及びその周辺の土壌と地下水の汚染による健被害に対する補償
中央政府及び州政府は、以下を行なわなければならない。
- 病院記録及び科学的調査に基づいてガスに曝露した両親の子どもたちへの損害賠償を支払うよう、ユニオン・カーバイドとダウ・ケミカルを提訴すること。
- 最高裁の1991年の和解命令を尊重し、521,232人のガス被害者一人ひとりに生涯にわたる傷害に対して50万ルピーを支払うことによって、補償の不足分を補うこと。
3. 医療及び研究
中央政府及び州政府は、以下のこと行わなければならない。
- ボパール生存者の医療、社会、経済及び環境リハビリテー ションのために10億ルピーの基金を設けて、2008年6月に中央政府によって承認されたボパールに関するエンパワード委員会の設置を確保すること。
- 生存者の医療に損害をもたらすであろう、ボパールの全インド医科大学(AIIMS)とボパール記念病院&研究センター(BMHRC)の合併計画を破棄すること。
- 最高裁が任命した、生存者とその扶養家族の医療リハビリテーションに関する監視委員会のすべての勧告の実施を確保すること。
- ユニオン・カーバイド工場からの有害廃棄物によって汚染された地下水に慢性的に曝露している住民に対して無料の医療を確保すること。
- 生存者団体の要求に応じて設置された国立環境衛生研究所(NIREH)がその本来の任務を守り、ユニオン・カーバイドの汚染への曝露によって引き起こされた長期的な健康被害に関する研究を再開すること。
4. 経済的・社会的リハビリテーション
州政府は、以下のことを行わなければならない。
- 過去14年間未使用となっている、雇用の創出及び惨事の生存とその子どもたちへの年金支給のために割り当てられた1,290万ルピーをただちに活用すること。
- 2023年1月に地区行政機関によって住居が取り壊された、地下水汚染の影響を受けたコミュニティに住むすべての住民に住居が提供されるよう確保すること。
- ガス惨事で未亡人となった女性に支給される月額1,000ルピーの年金が月額3,000ルピーに増額されるよう確保すること。惨事によって未亡人となったと公式に認められながら、これまで不当に年金を受け取らなかった530人の女性も受給者に加えられなければならない。
5. 環境修復
ダウ・ケミカルは、以下のことをしなければならない。
- ダウ・ケミカルは、インド及びアメリカの法律に従い、その子会社のユニオン・カーバイドによる有害廃棄物の無謀な投棄により汚染された土壌と地下水を浄化しなければならない。
- ダウ・ケミカルは、ユニオン・カーバイド社によって引き起こされた環境被害の補償を支払わなければならない。
インド政府は、以下のことを行わなければならない。
- ユニオン・カーバイド工場跡地内及び周辺の土壌・地下水汚染による環境・健康被害に対する補償をダウ・ケミカルに請求すること。
- 土壌と地下水の汚染に関する包括的な科学的評価のために、国連環境計画の支援を求めること。
- きわめて多くの人々を有害化学物質に曝露させるだけの、ユニオン・カーバイドの337トンもの有害廃棄物をピサンプールの施設で焼却処分する計画を廃止すること。
州政府は、以下のことを行わなければならない。
- 汚染された工場跡地にコンクリートを打設して、ダウ・ケミカルを隠蔽する計画を破棄すること。
- ユニオン・カーバイド工場跡地から4.5km以内のすべてのコミュニティに、清潔な飲料水を供給すること。
- マデヤプラデシュ(MP)高裁の指示に従い、工場敷地と太陽熱蒸発池の区域を確保すること。
ラシダ・ビー(Rashida Bee)
Bhopal Gas Peedit Mahila Stationery Karmchari Sangathan
ナワブ・カーン&ナスリーン・ビー(Nawab Khan & Nasreen Bee)
Bhopal Gas Peedit Mahila Purush Sangharsh Morcha
バルクリシュナ・ナムデオ(Balkrishna Namdeo)
Bhopal Gas Peedit Nirashrit Pensionbhogee Sangharsh Morcha
ラチナ・ディングラ(Rachna Dhingra)
ボパール情報&行動グループ(Bhopal Group for Information & Action)
※https://www.bhopal.net/our-demands/
クリニックの閉鎖と再開
サムバブナ・トラストでサテューは、彼らが直面している財政問題について、次のように説明した。
1996年から2019年に45か国から合計3万の寄付者が少額の寄付を通じてクリニックを支援してくれた。しかし、2019年10月に、外国からの寄付を認める内務省への外国貢献規制法(FCRA)登録が突然キャンセルされた。3年間は再登録申請を禁じられ、2023年2月にFCRA登録を申請したものの、いまだに決定を待たされ続けているということだった。
インド国内で運営に必要な寄付を集めることは困難であり、過去3年間はアジム・プレムジ慈善イニシアティブによる支援でかろうじて生き延びてきたが、同年12月31日についにクリニック閉鎖に追い込まれた。2025年1月1日から、ユニオン・カーバイド汚染被害者ヘルスケア権利戦線がクリニックの前庭で、クリニックを閉鎖させるわけにはいかないと、内務省によるFCRA登録の早期承認を求めて無期限の座り込みに突入したと知らされた。同戦線のLinkdInアカウント「Alert Bhopal」に、1日目と2日目の報告があった後、3日目に以下の投稿があった。
「素晴らしいニュースです!サムバブナ・トラストを支援するユニオン・カーバイド汚染被害者ヘルスケア権利戦線は、FCRA登録の承認を獲得し、コミュニティの強化に向けた継続的な活動の道筋を確保しました。われわれの最近のストライキは、この旅における大きな勝利です。これは、集団的努力と粘り強さの勝利です。」
続いて、承認を祝う人々の写真とともに、1月6日からクリニックを再開するというトラストのプレスステートメントも届けられた。

「茶番」の有害廃棄物撤去
2025年1月2日英ガーディアン紙は、「1984年のボパール惨事現場からの廃棄物撤去は『茶番』と退けられる」という見出しで、以下のように報じた。
「世界最悪の産業災害のひとつがインドの都市ボパールを襲ってから40年が経ち、ようやく現場から何百トンもの有毒廃棄物を撤去する清掃作業がはじまった。
しかし、地元の活動家らは、インド政府のグリーンウォッシング[みせかけの環境保護]と非難している。今週除去された337トンの廃棄物は、事故後に残された100万トン以上の有害物質の1%にも満たない量であり、また、この浄化作業は地域の化学汚染への対策には何ら役立っていないと主張している。
また、廃棄物の焼却は、他の地域でのさらなる汚染と有毒物質への曝露につながるだけだという懸念から、抗議の声も上がっている。 [中略]
この産業災害の規模にもかかわらず、当時工場の過半を所有していた米企業ユニオン・カーバイド(現在はダウ・ケミカルが所有)、あるいは工場があった土地の管理権をもつインド政府のいずれも、ボパールからすべての有害廃棄物を除去する適切な作業を一度も実施したことがない。」
安全センター情報2025年3月号