じん肺診査ハンドブック改訂作業に注視を/厚生労働省●被告企業側証人になる専門家は外せ

じん肺法の要

粉じんを吸入することによって発症する職業病「じん肺」は、炭鉱や鉱山、隧道工事などで多くの労働者が罹患した。最近ではじん肺の一種である石綿肺が建設労働者を中心に大きな問題となっている。このじん肺の診断に重要な役割を果たすのがじん肺診査ハンドブックである。じん肺の診断は、職場における健康管理や労災補償につながるため、じん肺法により診断の手法が決められている。じん肺法は、戦後、日本炭鉱労働組合や全日本金属鉱山労働組合連合会等の労働組合の闘いで1960年に制定されたものである。じん肺法は1978年に改訂され、それにともなってハンドブックも改訂され、現在のじん肺診査ハンドブックが刊行された。そのじん肺診査ハンドブックの改訂が厚生労働省によって検討されている。とりわけ、じん肺診断の要であるエックス線写真の読影の基礎となる標準エックス線写真集の改訂も同時に検討されている。

じん肺診査ハンドブックと標準エックス線写真集

じん肺の診療と健康診断は、じん肺診査ハンドブックに記載されている臨床検査、肺機能検査、画像診断を柱として行なわれる。とりわけ画像診断と肺機能検査は重要で、下表のように両者の所見によって管理区分が決定される。まず重要なのは、胸部エックス線写真のじん肺所見の有無である。診断に際して使用されるのが標準エックス線写真集で、胸部単純写真が使われている。じん肺のエックス線像は1型から4型まで、その陰影の程度により分類されている。患者あるいは労働者の胸部エックス線写真を標準写真と比べながら診断する。有所見者の診断は、各都道府県の労働局のじん肺診査医がエックス線写真と肺機能検査の結果を見て審査し管理区分を決定する。そして、管理区分に応じて健康管理の内容が指示されることになっている。管理区分4と管理2、3イ、3ロで合併症があり治療を要するものについては療養費と休業を要すれば休業補償が労災保険で支給される。

主治医や健康診断医の診断と診査医の診断が異なることがしばしば起きる。とくに問題になるのは、じん肺所見があって咳、疾、呼吸困難などの自覚症状がある患者のじん肺の診断である。じん肺所見があると認められれば労災補償を受けられるが、じん肺診査医によって否定されれば症状が重篤でも補償は受けられないのである。したがって、診断の規準となる標準エックス線写真が非常に重要になる。

標準エックス写真集は、1978年のハンドブックの改訂に際して作成された。その後、デジタル写真の普及に伴い、2011年にデジタル版の写真集が刊行され両者の併用で管理区分の決定を行なうとされてきた。最近では、主にデジタル版が使われているのが現状と思われる。デジタル写真集は、けい肺、石綿肺、その他のじん肺について、0型(所見なし)から4型までの写真21枚(それぞれ作業歴が記載されている)とけい肺と石綿肺それぞれの0型から3型までの組み合わせ写真2枚から成っている。参考にするという趣旨で14枚のCT写真が添えられている。

じん肺診査ハンドブックと標準写真集の改訂

じん肺診査ハンドブックの改訂に向けて厚生労働省は、2022年に労災疾病臨床研究事業として長崎大学の芦澤和人教授を研究代表者として「じん肺健康診断とじん肺管理区分決定の適切な実施に関する研究」を立ち上げた。目的は、刊行から45年を経過したじん肺診査ハンドブックの問題点を提起し、現状にあったハンドブックヘ改訂を進めるというものである。2023年3月に2022年度の総括・分担研究報告書が出された。主な改訂点は、合併症のひとつである続発性気管支炎の診断基準となる膿性痰の客観的な評価、肺機能検査の評価法、エックス線写真の読影などである。いずれも重要な問題で、改悪されないように見ていかなければならないが、研究2年目の2023年度中に検討内容を反映した改訂版じん肺診査ハンドブックを作成するとしている。拙速ではないか。

さらに大きな問題は、標準エックス線写真集の改訂である。こちらは、「じん肺標準エックス線写真集の改定等に関する検討会」が別途、2023年11月から開催されている。検討会の構成員は、大塚義紀氏(北海道中央労災病院院長)を座長として7名からなっており、ハンドブックの改訂に向けた研究会の芦澤和人氏も入っている。第2回が2023年12月27目、第3回が2024年1月29日に開催され年度内に検討結果をとりまとめることになっている。

改訂にあたっての考え方では、新たな症例のエックス線写真を追加するにあたって、(1)じん肺として典型的な所見を示し…、(2)同一人における胸部エックス線写真以外の情報(粉じん作業歴、胸部CT写真等)を勘案し、じん肺の程度として妥当と認められること、などが挙げられ、2018年度の芦澤氏を座長とする厚生労働省の厚生労働科学研究費補助金を受けた「じん肺エックス線写真による診断精度向上に関する研究」で芦澤班が提出した追加症例の検討が行なわれた。第2回までの検討会で、9症例の採用が決まっているが、いずれもCT写真が添付されている。

じん肺診断におけるCT写真の位置づけ

じん肺の診断は、前述したようにじん肺標準写真を規準にして胸部エックス線写真を読影して行なわれる。標準写真は胸部の単純写真が使われている。厚生労働省は、じん肺健診における胸部CT写真の導入を検討するにあたって、「じん肺法におけるじん肺健康診断等に関する検討会」の2010年5月の報告書に則り、CT写真について「すでに撮影された胸部CT写真がある場合、じん肺にかかる診断の参考にとどめることが適当」とした。その後2014年度から、厚生労働科学研究費補助金を受けた芦澤氏を研究代表とする「じん肺の診断基準及び手法に関する調査研究」がはじまり、胸部CT検査の有用性の検証が行なわれた。2016年度までCT写真によるじん肺の診断基準の設定を追究したが、研究班において研究者の読影が一致せず客観性のある基準はできなかった。引き続き2017年度からはじまった前述の「じん肺エックス線写真による診断精度向上に関する研究」でも、CT写真はじん肺と他疾患との鑑別診断には有用であるが、じん肺の診断基準の確立はできなかった。そもそも病理所見との対比がない限り、CT写真でじん肺の診断基準を作るのは時期尚早である。じん肺診断におけるCT写真の有用性が明らかになっていないにもかかわらず、標準写真に新たな写真が追加され、しかもすべての単純写真にCT写真が添付されることになると、あくまで参考という建前だが、それらがCT写真の規準として裁判に使われる可能性があり危険である。

この間の芦澤氏を中心とした研究で、CT写真の診断以外に明らかになった大きな問題がある。2018年度の「じん肺エックス線写真による診断精度向上に関する研究」で、研究班で標準エックス線写真集を読影したところ、粒状影の0/1(写真番号3)は1/0、1/0(同5)は1/1、組み合わせ写真の1/1は1/2と結論された。問題は、0/1と1/0の違いである。0/1は管理区分Iでじん脈と診断されず、自覚症状があって治療を要する場合でも労災補償は受けられない。1/0は管理区分2で補償が受けられる。大きな遠いである。これまで多くの被災者が管理区分1とされ補償を受けられなかった可能性がある。過去に遡ることは困難であるが、新たな症例の追加やCT写真の導入の前に、これらの標準写真を差し替えるのが先であろう。

裁判におけるCT写真

職業性疾患であるじん肺は、当然労災保険で療養補償と休業補償が支給される。また、労災補償とは別に、企業責任を問う損害賠償訴訟も闘われている。過去には炭鉱や隧道工事でじん肺になった被災者がゼネコンや北海道、福島、九州の炭鉱を相手取って訴訟を起こした。近年では石綿肺を中心とするじん肺被災者により、三菱長崎造船やニチアスなどの石綿企業に対して企業責任を問う訴訟が起こされている。原告は、すでにじん肺(石綿肺)で管理区分2や3の決定を受け続発性気管支炎などの合併症で労災補償を受けている被災者である。石綿の曝露歴ももちろん明らかである。にもかかわらず被告石綿企業は、法廷で研究者を証人に立て、原告のじん肺(石綿肺)を否定するのである。その際に使われるのがCT写真である。原告のCT写真を読影して、粒状影や不整型陰影が認められない、石綿肺特有の所見がないと主張するのである。原告も証人の意見書を提出して石綿肺がある旨の主張をし、法廷で医学論争になる。過去の炭鉱などの裁判では、CT写真は重要視されず、あくまで行政による管理区分決定が尊重され、じん姉所見の有無は争いにはならなかったが、近年CT写真の普及に伴い裁判所も無視しなくなった。複数の訴訟で、CT写真の所見を理由に敗訴する原告も出てきた。しかし、2024年1月31日に岐阜地裁で出された石綿企業ニチアスを被告とする訴訟では、芦澤氏がCT写真の所見を根拠として管理2の決定を否定した意見書を退け、原告勝訴の判決が出された。

前述したようにじん肺(石綿肺)の診断におけるCT写真の位置づけは確立されておらず、専門家の間でも意見の一致を見ていない。にもかかわらず、CT写真の所見を根拠に行政が決定した管理区分を否定するのは間違いである。さらに問題なのは、前述した厚生労働省の委託研究の座長をしている芦澤氏が、損害賠償裁判の被告企業の証人として登場していることである。厚生労働省の政策に関し中立の立場であるべき研究者が、損害賠償裁判の被告企業の証人に立ち、厚生労働省が決定したじん肺管理区分を否定することは断じて許されるべきではない。l月23日に行なわれた全国労働安全衛生センター連絡会議の厚生労働省交渉で、委託研究から芦澤氏を外すように強く要求するとともに、今後のじん肺診査ハンドブックと標準写真集の改訂に際して産業衛生学会の専門家の意見を聞くように要請した。「産業衛生学会業性呼吸器疾患医師有志の会」でも要請をしていく予定である。

全国安全センター議長・平野敏夫

・ じん肺の診断基準及び手法に関する調査研究
https://mhlw-grants.niph.go.jp/project/26211
・ じん肺エックス線写真による診断精度向上に関する研究
https://mhlw-grants.niph.go.jp/project/28077
・ じん肺健康診断とじん姉管理区分決定の適切な実施に関する研究
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/rousai/hojokin_00083.html
・ じん肺標準エックス線写真集の改定等に関する検討会
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/other-roudou_128910_00001.html

安全センター情報2024年5月号