【特集/労災保険のメリット制度】労災補償と経済的インセンティブ-欧州:OSH Wiki, 2017.5.4(最終更新日)

はじめに

1オンスの予防は1ポンドの治療に値する」(アメリカの諺)。労働安全衛生において、予防-望ましくない事象の発生を阻止する実践とは、通常、労働者の健康と安全を維持するために職場で講じられる諸対策のことを指す。災害保険提供者や公的機関、その他のOSH[労働安全衛生]関係者は、戦略的プログラムや経済的またはその他のインセンティブ、実際的な支援を提供することによって、そのような対策の効果を高めようとすることがよくある。そのような舵取り方法は、国の労災補償制度(WCS)によって設定された枠組みと状況に敏感でなければならない。

労災補償制度のモデル

[省略-ビスマルク型及びベヴァリッジ型の社会保険制度等の解説]

予防と労災補償

予防のための義務

予防は、もっとも基本的な意味で、望ましくない事象を阻止する、または不可能にする実践と定義することができる。労働安全衛生の場合、この事象は、労働に関連した健康障害(事故、病気休暇)につながる可能性のある何らかの状況であり得る。欧州の法的枠組みでは、職場レベルにおける予防の一般的責任は使用者に課されている。「使用者は、労働に関連するあらゆる側面において労働者の安全と健康を確保する義務を負う」(指令89/391/EEC第5条第1項)。この問題についてより詳しくは、OSH Wikiの記事「OSHマネジメントにおける法令の役割」でみることができる。現実には、予防は、ただ一人の責任者によって行われる単独の行為ではない。OSH予防対策を支援する義務は、国や地域の当局、また災害保険提供者にもある。義務は、明示的であることも、暗黙的であることもあり、一般的な加入資格や保険料でカバーされることもあれば、たんに保険提供者が「予防市場」でサービスを提供できるようにすることでもあり得る。

経済的インセンティブのモデルと予防

EUの様々な加盟国において、OSH政策立案者と災害保険機関は、経済的インセンティブを提供することによって、職場レベルにおける予防対策を改善しようと試みている。様々な方法があり、直接的及び間接的な経済的インセンティブに区別することができる。直接的な経済的インセンティブは、保険料の変動、税制上のインセンティブから、企業のOSHパフォーマンスを直ちに改善したり、新しい予防対策への投資を支援したりする資金提供制度にまで及んでいる。間接的な経済的インセンティブは、それによって企業が一定の労働サービス(例えばOSHマネジメントシステムの実施・認証)を市場価格以下で利用できるようになる、公的に助成されるサービスを提供する予防プログラムであるかもしれない。

経済的インセンティブ制度の中には、国の労災補償制度に依存するものもある。また、インセンティブが保険制度に関連し、保険提供者によって提供されるものか(例えば保険料の変動、資金提供制度)、または国の政策の一部なのか(例えば税制上のインセンティブ、公的補助金)など、異なる政策立案者によって提供されるインセンティブの範囲にも違いをみることができる。

企業における予防を刺激することを目的とした追加的なモデルは、政府または他のOSH関係者によって設定・実施される戦略、プログラムや予防キャンペーンである。

保険に関連した経済的インセンティブ

保険料の変動

保険料の変動は、保険料を財源とするまたは「ビスマルク型」社会保険制度をもついくつかの国で利用されている。例えばドイツでは企業がリスク階級[クラス]に分類されているなど、一部の国ではそれらがすでに一般的な保険料計算システムに組み込まれている。

真のインセンティブとみなされるためには、保険料の変動は個々の単位で機能しなければならない。すなわち、企業は自らの優れたOSHパフォーマンスから利益を受け、パフォーマンスの相対的に悪い企業よりも少ない保険料を支払う(ボーナス制度)。保険料を計算する際に、一般的に個々のパフォーマンスを考慮する保険制度もある(例えばフランス、ただし労働者200人超の大企業のみ)。

他の保険制度は、業種または事業に対しリスク階級を設定して機能している。それらは、個別アプローチを欠いているため、インセンティブに基づくものとみなすことはできない。個別のインセンティブを提供するためには、保険提供者は通常、一般的な保険料計算を調整するために、数年間にわたり企業のOSHパフォーマンスを監視する個別勘定を設定する。こうすることで、とくに中小企業(SMEs)に影響を及ぼす年次ごとの極端な変動が平準化される。これによって、全般的な進展をよりよく洞察することができる。

原料・化学産業のドイツ企業に対するもののように、保険料を引き上げることによって、平均以下のOSHパフォーマンスについて、企業にペナルティを課すマルス制度もある。

資金提供制度

資金提供制度は、保険提供者の間ではあまり一般的ではないが、そのようなインセンティブ制度に関心をもつ保険提供者が増えてきている。加入企業は、予防対策の資金調達や資金補充を受けることができる。資金提供制度の中には、焦点となるリスクまたは典型的な業種特有のハザーズの予防に限定していたり、予防キャンペーンやさらなる一時的対策と連動させたものもある。また、資金提供制度がたんにインセンティブとしてのみ、または保険料変動モデルに追加して利用されている例もある。即時の資金提供の代わりに、保険提供者が、加入企業に対する補助サービスを利用する場合もある(例えばオーストリアの社会保険機関AUVA)。

保険に関連したインセンティブの適用方法に関する側面

保険料変動制度のすべてのモデルには共通点がある。すなわち、企業の拠出によって賄われる保険料に基づく補償制度のみに適用可能だということである。これは、単一の独占的な保険機関(または業種別保険機関)をもつ「古典的」ビスマルク型社会保険制度や、様々なプレーヤーが存在する民間市場ベースの保険制度に当てはまる。

しかし、自由市場に基づく制度では、競争相手は何らかの構造的調整を考慮しなければならない。独占的な非営利保険機関は通常、予防に投資する公的義務も負っているのに対して、民間の保険提供者は常に経済的利益を優先させる。さらに、安全と健康への投資は、長期的には利益を生むかもしれないが、自由市場の保険制度では、企業は短期的に保険提供者を変更することができる。とくに資金調達の仕組みに関して、これは、ある保険提供者がその加入者の安全に投資した場合に、企業が保険提供者を変更したら、別の保険提供者だけが利益を得るという事態につながりかねない。

そのため、民間保険制度をもつ一部の国は、民間保険会社に予防義務を設定している。さらに、すべての民間保険会社が共通に出資できる共通の資金提供制度を設立している。ひとつの例が、フィンランドの労働環境基金(Tyosuojelurahasto)である。この基金は、使用者の保険料の1.7%を受け取っている。この予算で基金は、研究開発プロジェクトやフィンランド企業内の異動を支援している。

イギリスでは安全衛生庁(HSE)が、大企業のため(CHaPSI)だけでなく中小企業のための安全衛生パフォーマンスのインデックス(SMEインデックス)を開発している。一方では企業の自己評価のためのツールであり、他方では保険提供者にとって、企業のパフォーマンスを透明化するものでもある。このようにして、パフォーマンスの良い企業は、保険料が下がることから利益を得ることができる。

公的に資金提供される予防インセンティブ

税制上の変動

税制上の変動は、OSHパフォーマンスが平均より上の企業、または予防を促進するために投資をする企業に対して与えられる何らかの種類の減税であり得る。保険に関連したインセンティブとは対照的に、税制上のインセンティブは、政府によって提供される。理論的に、それらは、ベヴァリッジ型の伝統に基づく税金を財源とする社会保障制度において利用される可能性がある。
実際には、労働における安全と健康に投資する企業のためのインセンティブとして、税制上のインセンティブが用いられることはまれである。2010年現在、税制上のインセンティブを活用しているEU加盟国はドイツとラトビアだけである。ドイツは、職場の健康(WH)促進対策を導入する企業に対して、労働者1人当たり年間500ユーロの免税を与えている。ラトビアは、OSH対策への投資に対して免税を与えている。他の加盟国では、税制上のインセンティブが検討されたものの導入されなかったり(フランス)、廃止されて補助制度に変更されたり(オランダ)している。

興味深いことに、上記のすべての国は、ビスマルク型の伝統を受け継ぐと考えられている社会保障制度をもっている。

公的プログラム、資金提供及び補助

政府の対策としては、予防のための戦略的プログラムを設定することがより典型的である。2009年現在、27のEU加盟国のうちの20か国が、災害率及び労働関連健康傷害の件数と重症度を低減させることを目的とした、労働における安全と健康のための国の戦略をもっている。他の研究は、27のEU加盟国のうちの26か国が、戦略的要素をもった国のOSH政策のかじ取りのために、少なくとも何らかの種類のプログラムをもっていたことを示している。

国の状況と政治制度に応じて、戦略はシングルアクターまたはマルチアクターの戦略であるかもしれない。独占的な保健機関をもつ制度(典型的にはビスマルク型制度)では、そうした機関が戦略立案と戦略に基づく計画の運営に参加することが多い。現在の例は、保険機関が対等のパートナーとして戦略運営委員会である「全国OSH会議」(NAK)に加わっている、ドイツの共同OSH戦略(GDA)である。さらに社会パートナーが頻繁に意思決定プロセスに含まれている。

戦略的な施策だけでなく、公的機関が個々の活動に対してさらなる資金や補助を提供することも多い。OSH及びWHマネジメントシステムの導入及び認証を提供する補助金付きの公的サービスは、訓練措置または個別のマネジメント相談と同様に非常に一般的である。そのような対策は、公的監督サービスによって、その一般的なポートフォリオの一部として提供されている。

戦略的立案と労災補償制度との関係

公的に資金提供された予防活動や保健サービスの戦略的立案は、統計的な主要な数値及び社会制度に対する費用負担の正確な分析に依存する。典型的な主要指標は、災害の絶対数、災害率、労働関連疾患の発生及び一定の診断による病気休業日数である。費用負担は、統計上の数字に起因して、保険機関または社会制度が労働者を補償するために負担しなければならない補償額の合計を表す。
職場レベルにおいて効果的な予防を提供するためには、サービスは正確な統計的分析に依存する。しかし、実際には、各EU加盟国における統計的な分析と証拠は、補償制度自体に大きく影響されている。一部の加盟国では報告率が他国と比べて悪名高くも低いことがよく知られている。いくつかの欧州諸国では、労働関連災害の30%しか当局に報告されていないと考えられている。この現象には様々な原因がある。

・一般的に、災害が労働監督機関に報告される国(過少報告のレベルが相対的に多い)と保険提供者に報告される国(過少報告のレベルがが相対的に少ない)の間に違いをみる著者もいる。また、データ収集における国の慣行も大きな影響を与える可能性がある。

・著しい過少報告のその他の理由としては、補償の可能性の低いことによる使用者や医師が災害や病気に関する報告をする動機を欠くこと、特定の文化的慣習や業種の風習(「タフガイ」)、または社会的関心の低さなどが見受けられる。

・支給される給付が労働関連災害の報告を促しまたは妨げる場合もある。スウェーデンとオランダでは、労働災害と指摘災害が同じ治療と補償を受けることができる事実が、労働災害の登録は追加的な事務負担につながるために、著しい過少報告につながってきたと考えられている。対照的にドイツでは、労働・通勤災害が(公的健康保険で対象とされる給付と比較して)災害保険によるより良い治療や追加のリハビリテーション措置が受けられれる。このようにして、労働者と医師の双方が、労働災害の登録に関心をもつようになっている。より詳しくは、OSH Wikiの記事「労働災害保険制度の国際比較」に示されている。

職業病の効果的な予防は、実際には、職業病により社会保障制度に対してもたらされる費用負担によって影響を受けている。負担は、①(もしあれば)各国における職業病のリスト、②保険機関によって実行される認定慣行と法学に依存する(OSH Wikiの記事「労働災害保険制度の国際比較」参照)。2つの要因、国の職業病リストと認定制度によって設定された法的枠組みが大きな影響を与え、労働関連疾病の実状の分析を妨げることさえあり得る。統計の不正確さ、職業病認定の国の慣行とその結果としての国の社会制度に対する費用負担は、戦略的立案における優先順位設定の政治的決定に影響を与える可能性がある。しかし、ドイツは欧州でもっともMSD[筋骨格系障害]の認定率が低いという事実にもかかわらず、MSDの予防が第1期及び第2期のドイツOSH戦略(GDA)の戦略的に目標になっている。

予防に対するインセンティブ・モデルの寄与と測定可能性の側面

保険に基づくインセンティブ制度

保険に基づくインセンティブ措置を推進する中心的な議論は、それらが規制と比較して、より柔軟でより費用効果的な手段であるということである。そのため、職場レベルにおける予防活動に対するインセンティブの効果が、様々な評価研究の対象となってきた。一般的に、保険に基づいた予防プログラムが、災害率や病気休業率の低減に有効であることを示す研究がある。費用対効果計算では、インセンティブ制度が保険提供者と加入企業の双方にとって有益であることを示したものまである。しかし、方法論的な障壁や、場合によっては、インセンティブ制度の効果が科学的に評価されるのを妨げる政治的利害が存在している。

保険に基づく資金提供制度と保険料変動制度に関しては、効果の高い可能性を示す一定の制度についての指標が存在している。ドイツの旧精肉業社会災害保険機関(Fleischerei-BG、現在はドイツの食品・飲食業社会災害保険機関BGNに統合)は、(例えば交通災害災害予防のための)特定の資金提供制度に頻繁に参加した企業が災害件数の着実な減少を示した、独自に資金提供した制度の分析を実施した。また、様々な資金提供制度のある総合的分析が、災害件数と償還率の間の正の相関関係を明らかにした。しかし、共通の問題は、結果と資金提供の間の直接的な関連性の特定である。

さらに、(資金提供制度と保険料引き下げを含む)様々な形態のボーナス制度には限界があるように思われる。いわゆる「フリーライダー」は、ボーナスを受け取るものの、いずれにせよ投資していたであろう。天井効果が起こる-一定のポイントで、企業への投資が利益を上回り、資金提供、ボーナスや補助の効率が減少する。
加えて、「ブラックシープ[黒い羊]」現象とは、悪名高い過少報告企業には正の方向のインセンティブは効かないようだという、一部の関係者により観察されている事象のことである。この考え方は、罰を課すことによって、彼らの予防活動を促進することである。ひとつの例が、ドイツの原料・化学産業社会災害保険機関(BG RCI)によって出版されている。そのようなマルス制度の効果はまだ評価されていない。

税制上のインセンティブ制度

税制上のインセンティブ制度に関する調査や評価研究は、そのようなインセンティブの効果に疑問を投げかけている。現在は廃止されているFARBOの税制上のインセンティブ制度に関する評価の中で、オランダの研究機関TNOは、この制度が費用対効果に優れていなかったという事実と、83%の企業が税制上のインセンティブがなくてもいずれにせよ予防に投資しただろうと述べた事実を強調した。しかし、この回答は、社会的望ましさの効果、すなわちほとんどの使用者が、経済的インセンティブに関係なく、労働者の福祉に配慮していることを示すことを望んでいることに影響されたあのウエイがある。この評価はまた、OSHに配慮した新しい機械設備への投資に対するオランダの補助プログラムが、76%の企業で労働条件の改善につながったことも示した。

ドイツの税制上のインセンティブ制度は、企業と健康保険労働者を対象としたある調査の中で、IGA(健康と労働イニシアティブ)によって評価された。一方で、主な批判は、この制度は企業に節税のための実質的な新しい可能性を提供しておらず、そのため労働における安全と健康に投資するための真のインセンティブを設定していないというものだった。他方で、税制上のインセンティブは、職場の健康増進の重要性を高めることから、多くの企業にとってポジティブなシグナルとみなされている。一般的に、健康増進対策を税額から控除する可能性は、企業によってかなり肯定的に評価されている。

明らかにそのような措置の成功は、対象とするグループのニーズにどう合わせて設計されるかの程度に大きく依存する。イギリスの使用者のある調査が示すように、多くの経営者は税制控除は自らのビジネスに利益になると考えており、労働者に対してより多くの健康関連サポートを提供するよう促している。

真の効果とは関係なく、いかなる種類の経済的インセンティブ制度においても、一定の死荷重[dead weight]損失(「フリーライダー」)はおそらく受け入れなければならないが、それは他の政策分野、例えば経済的補助プラグラムでも一般的に受け入れられているように思われる。最近の例は、一部の人々がいずれにせよ車を買ったかどうかわからないまま、経済危機に対抗するために新車の個人購入を促進することを目的としたいわゆる「スクラップ・プログラム」であった。フリーライダー効果を低減するためには、法的基準を上回る予防対策のみにインセンティブが与えられることを確保すべきである。企業が、法的OSH要求事項を満たしているということだけで報酬を与えられるべきではない。

公的に資金提供された予防プログラム

ほぼすべてのEU加盟国が戦略やプログラムを活用しているという事実だけでも、労災補償制度に関係なく、予防のためのそのような措置が重要であることを示している。評価は、慣習的に戦略的立案の一部である。既存の戦略については、数多くの指標が設定され、評価研究が実施されてきている。研究はしばしば、プログラムやキャンペーンの有効性を示している。しかし、デンマークの戦略の評価研究が示すように、結果は曖昧であると考えなければならなかったり、想定されたプラスの効果が文脈的要因によって過剰に補われていると考えざるを得ない場合もある。

経済的インセンティブに関する方法論的障壁と政治的利害についてすでに述べたことが、戦略的及び公的予防プログラムにも当てはまることを述べておくべきである。それらが絶対に必要であるという事実にもかかわらず、公的な義務と政治的な利害に直面すると、それらの研究が方法論的な正しさのテストに耐えることはめったにない。公的機関の倫理的行動の義務による概念的な擁壁や社会的望ましさによる参加者の偏りが存在している。こうした困難のために、統計的な効果が必ずしも政治的または戦略的措置に起因するものとは限らない。

原文:https://oshwiki.eu/wiki/Workers%E2%80%99_compensation_and_economic_incentives

安全センター情報2023年3月号