事業主の否定で調査が長期化/東京●石綿肺がんの労災認定
Aさんから相談が寄せられたのは、2021年2月のことだった。お連れ合いのBさんからの相談で、「夫が肺がんの診断を受けた。医師から労災申請を勧められているが、どうしたらよいか、よくわからない」とのことだった。
おりしもコロナ禍の中で、肺がん治療のため入退院を繰り返すAさんとはなかなか面談も難しく、オンラインで面談するなどして職歴の確認などを進めていった。Aさんは若いころに上京し、東京などで鉄工関係の建設工事の仕事を長く続けてきた。自営で建築会社を経営していた時期もあり、その後も複数の建設業の会社に勤務してきた。こうした職歴から、複数の事業場での建設関係の業務で石綿にばく露していた可能性があるケースだった。
Aさんが書き出した職歴を基に調査を進めたところ、直近の数年間勤めていたC社が最後の石綿ばく露作業場である可能性が浮上した。しかし、C社の最寄りの労働基準監督署への労災申請を準備していた矢先、Aさんは肺がんのため亡くなられた。
Aさんの死後、お連れ合いのBさんが請求人になり、労災申請を行った。Aさんの肺がんは胸膜プラークも認められ、石綿による肺がんであることは明確だった。労災申請の焦点は、業務による石綿ばく露が一定期間確認できるかどうかだった。
Aさんが直近の数年間務めていたC社は、「Aさんには仕事を請け負ってもらっており、労働者ではなかった。石綿ばく露の作業もなかった」と主張し、否定的な反応を示した。また、過去にAさんが勤務していた別のD社という建設会社も「当社の業務で石綿ばく露はなかった」と主張した。さらに、Aさんが自ら経営していた建設会社について、労災の特別加入の記録を労働局に問い合わせたが、古い記録で確認できないという結果だった。それでも、ご本人が生前にまとめた職歴や業務内容の情報、Aさんの親族などの証言などを提出し、過去の業務での石綿ばく露を主張した。
労基署の調査の結果、申請から9か月たって、担当者より認定の方向性で調査しているとの連絡があり、労災認定に向けて大きく前進したかと思われた。しかし、そこから数か月たっても労災認定の連絡は来なかった。申請から1年以上たった今年1月に労災課の担当者と面談したところ、以前の話と一転して「結論が出る見通しがつかない」という不透明な説明に終始した。二転三転する労基署の回答に驚いたご遺族と当センターでは、この案件について労基署だけでなく上部の労働局に説明を求めるとともに、あらためてAさんの業務での石綿ばく露を主張する意見書を提出した。
その結果、申請から約1年半たって、ようやくAさんは、直近の数年間務めていたC社での作業で石綿ばく露したとして労災認定された。認定後に、なぜこんな長期にわたる調査となったのかについて労働局に説明を求めたところ、過去に勤務した事業主が業務での石綿ばく露を否定していたこともあり、かなり慎重に石綿ばく露について調査を進めたため、という回答だった。
そもそも、石綿関連疾患による労災は、石綿ばく露作業から数十年後に発症し労災申請に至る。その時点で、被災労働者の証言を裏付ける証人や証拠の確保はきわめて困難になっている。そのため、石綿ばく露作業があったかどうか厳密な客観的証拠がなければ認めない、となれば多くの被災者が労災補償から切り捨てられてしまう。そのため、厚生労働省も、証言・記録などから石綿ばく露作業が「推定」できるときは労災認定せよとの方針を示してきた。
Aさんのケースは、約1年半にわたる長期間の調査をせずとも、もっと早くに石綿ばく露を推定して労災認定できる事案だった。それなのに、労基署はいたずらに調査に時間をかけ、説明も二転三転し、ご遺族に無用な苦痛を与える結果となった。労基署と労働局に対しては、あらためて厚生労働省の方針に従い、石綿労災について迅速な労災認定を行うよう強く要請した。
文・問合せ:東京労働安全衛生センター