不十分な規制のなかでの国境を越えたダイナミクス:台湾のアスベスト禁止の取り組みと経験/Ro-Ting Lin, et.al., IJERPH, 2017, 14, 1240

抄録:

本論文は、台湾におけるアスベスト使用規制の歴史と2018年の全面禁止につながった関連する諸要因を記述する。日本の植民地時代以来のアスベスト採掘・製造の長い歴史にもかかわらず、人々の健康に対するアスベストの影響を理解し、その使用を管理しようとする試みは、1980年代初めまであらわれなかった。われわれは、利用可能な公共の情報源と科学雑誌の記事をレビューするとともに、アスベストの規制と禁止の主要な主唱者にインタビューを実施することによって、アスベスト規制に関与した推進力と障害を調査しようと企てた。アスベスト曝露とアスベスト関連疾患の間の相互関係はすでに確立されている。しかし、当局は、1960年代以降経済成長を支えてきた様々な軽工業におけるアスベストの広範な利用を効果的に規制することができなかった。工業におけるアスベスト使用のより厳しい規制と最終的な禁止は、先見の明のある研究者や医療専門家によって間接的に、またアスベスト産業の衰退によって起こった。アスベストの規制と禁止に影響を及ぼした諸要因の解明とともに、無視されてきたアスベスト関連疾患の被害者のための徹底した長期的医療計画、及び、政策変更のための上流対策が開発されなければならない。

1. はじめに

2018年1月1日の台湾におけるアスベスト全面禁止につながる国の政策の実施は、この国の歴史的な瞬間を記した。かかる禁止は、公衆衛生科学者における国境を越えたダイナミクスに起因した健康政策決定プロセスを明らかにしている。アスベストは建設業や製造業で幅広く長年使用されてきた。台湾におけるアスベスト使用は、過去1世紀の間に変化した産業の種類に応じて多様であった。アスベスト利用とアスベスト曝露レベルの多様性は、人間の健康に対するその影響と関係している。アスベスト曝露とアスベスト関連疾患の間の関係を確立するために、台湾で細心の努力が行われてきた。しかし、アスベストに対する規制と最終的全面禁止は、環境への関心の成長、提唱者らの国境を超えたネットワーク、アスベスト関連産業の衰退に大きく依存した。その産業利用に対する今回の厳しい規制にもかかわらず、アスベストは依然として環境ハザーズである。

台湾におけるアスベストの工業利用は、1945年以前(日本統治下)、1945~1983年(基礎、軽及び重工業の発展)、1984~2017年(ハイテク産業の発展)の3つのステージに分けることができる。1917年にアスベスト鉱床が初めて台湾の東海岸で発見され、1937年から1944年の日本の工業開発計画を支えるために、大規模に採掘された。このアスベスト鉱山は、この期間に年105~820トンのアスベストを生産した。1945年以降、日本の統治と第2次世界大戦の終了とともに、台湾は経済成長の時代に入った。台湾は、南アフリカとカナダからアスベストを大々的に輸入した。製造されていないアスベストの大部分は、アスベストセメント、耐摩耗性製品、保温及び紡織の4つの部門で消費された。その一方で、台湾は、国内の工業発展を支えるための原料を抽出する世界的な船舶解撤業で優位に立った。しかし、解撤された船舶からのアスベスト関連物質に関するデータはない。

アスベストの消費量は1983年にピークに達し、アスベストの危険性に関する認識の増大、アスベスト規制の制定、製造業からハイテク製品への産業構造の転換、台湾の貿易パートナーのアスベスト製品需要の低下を受けて、次第に減少した。1986年に破壊的なウェイン台風の後の家屋再建のために、突然消費が再度ピークに達した。大部分のアスベストは1980年代半ばに消費されたが、1989年までアスベスト消費を禁止する規制は制定されなかった。

アスベスト規制の制定は、1980年代以降のアスベスト消費の減少の主な原因となった重要な要因であったが、アスベスト労働者にアスベストの危険性に関する認識を高める公衆衛生専門家の努力も、アスベスト使用激減に寄与したもうひとつの重要な要因であった。この期間に、アスベストを使用する公式に登録された工場がアスベスト規制の対象となり、公衆衛生研究者がそれらの工場に入り、アスベスト紡織、セメント、保温材やブレーキライニング製品を扱う労働者のアスベスト曝露に関する全国調査を実施することを可能にした。また、多くの労働者・使用者がアスベスト曝露による健康リスクに関する認識をもたないなかで、大気サンプリングを行うために最高レベルの個人保護具(PPE)を装備した調査者の存在は、調査された工場の多くの労働者・使用者を驚かせた。

2. 台湾におけるアスベスト関連規制

国際的には、1960年代にセリコフらが、保温労働者におけるほとんどがアスベストへの職業曝露によるものである中皮腫のリスクの上昇に対する懸念を提起した。それ以降、アスベスト曝露の健康影響に関する認識が、アスベスト消費国において出現及び成長した。台湾におけるアスベスト管理に関連する規制は最終的に、1981年に労働部(MOL、旧称労工委員会)及び1989年に環境保護署(EPA)によって各々発表された。台湾は、最初の1981年の許容曝露限界(PEL)設定から2018年の全面禁止政策まで、アスベストの規制に37年費やしたことになる。

台湾におけるアスベストの製造、販売、使用、貯蔵及び廃棄の規模を理解するために、EPAは1989年に、15重量%以上のアスベスト含有物質の取り扱い(すなわち製造、輸入、輸出、販売、輸送、使用、貯蔵または廃棄に関わる活動)に関わる施設に毒性化学物質管理法(TCSCA)に基づいて適用される規定を遵守することを求めるTCSCAの改正を通過させた。表1に、台湾EPAによるアスベストの許可及び禁止の歴史を要約している。

1990年代に、数件のアスベスト関連疾患、すなわち胸膜プラークと石綿肺、が職場における過去のアスベスト曝露と関連付けられた。アスベストを制限する政府の措置は、この期間に行われた。EPAはアスベストを許可リストに含め、それゆえ以降、アスベストは許可の対象となり、特定の用途について許可を受けない限り取り扱えなくなった。1997年にEPAは、研究、試験または教育の目的を除いて、クロシドライトとアモサイトの使用を禁止することを発表した。しかし、この禁止はたんに象徴的なもので、図1に示すように、1997年の前後でアスベスト消費量に明らかな変化はみられなかった。おそらく、ほとんどの消費されていたアスベストは、クロシドライトやアモサイトではなく、クリソタイルだった。

2000年代に、欧州連合(EU)の指令1999/77/ECや2005年の日本のクボタショックを含め、アスベストの販売・使用に関する国際的制限が、規制上の変化を促進する重要な推進力となった。EU指令は、2005年1月1日から、市場からのアスベスト含有製品と新たな利用を禁止した。フランスのクリソタイル禁止を支持した世界貿易機関の紛争解決は、アスベスト輸入国にとって全面禁止を実施する画期的出来事となった。2005年夏の日本のクボタショックは、あるアスベストセメント管工場の労働者だけでなく、製造施設近くに暮らす住民におけるアスベスト関連疾患の重大なアウトブレイクの発見だった。日本に対する歴史的及び地理的近さから、台湾は日本の重要な貿易パートナーのひとつであり、また、多くの日本の規制に追随してきた。クボタショックの後、国内の研究者や環境衛生活動家から圧力を受けた、台湾のEPAは、アスベスト板、管、セメント及びアスベスト繊維セメント板を2008年1月1日に禁止する通知を発出した。しかし、他のアスベスト含有製品の規制に関する政府の受動的な対応に満足しない、国内の公衆衛生研究者らは2009年以降、多く区の国際会議の場で政府に全面禁止を採用するよう要求した。それ以来、メディアの報道と人々の認識の成長が台湾EPAに、(10の許可事業から1の許可事業へと、表1参照)規制のスピードアップを推進させた。最終的に、台湾は、2018年1月1日より前に許可を入手した企業はその期限までアスベストを取り扱うことができるものの、2018年1月1日からはじまるアスベスト禁止を決定した。

3. 規制上の変化とアスベストの全面禁止の推進力

台湾において規制の進行的変化と最終的なアスベスト禁止を促進した要因は多種多様であった。1980年代に公害問題に対する認識の成長が、1982年に国レベルでの環境保護局(BEP、1987年に環境保護署(EPA)になった)の設立につながり、数年後に労働部(MOL)によって、アスベストについて5繊維/ccのPELが義務付けられた。PELの設定は学術研究のガイドラインを提供した。1980年代末にかけて、MOLは公衆衛生研究者に、アスベスト労働者の労働環境を調査及び改善する計画への参加を呼びかけた。1990年代半ば以降、環境及び労働医学に関する専門家団体の設立とともに、研究者はアスベスト曝露とアスベスト関連疾患の関連性を体系的に開始しはじめた。しかし、入手可能な疫学的証拠と症例報告が不足していたために、労働衛生研究者は、アスベスト禁止を促進するための彼らのアドボカシーを強化するために、国際的ネットワークを頼らなければならなかった。不幸なことに、台湾におけるアスベスト全面禁止政策の有効性を加速させたのは、アスベスト関連産業の衰退だった。

3.1. 学術研究

台湾におけるアスベスト曝露と病気との因果関係を証明するための学術的研究はなくてはならないものだった。アスベスト曝露とアスベスト関連疾患の因果関係はアメリカでは1960年代には確立されていたが、その当時台湾では、全国規模の曝露評価もPEL規制も生じなかった。PELが設定されたのち、PELを超えた職場アスベスト曝露に焦点をあてたいくつかの報告が、1980年代に実施された。労働衛生研究者が1980年代に工場を訪れ、工場の所有者や労働者にアスベストによる潜在的危害を教育するために、彼らは意図的に完全なPPEを装着した。1990年代に、環境・労働医学の制度化とともに、仕事の性質やアスベスト曝露に関連したアスベスト関連疾患の散発的な症例報告が現われはじめた。しかし、研究者にとって労働保険・健康データベースへのアクセス可能性が乏しかったことから、2000年代初めは、アスベスト労働者の疫学的証拠は限られたままだった。ある歴史的調査は、台湾では、労働保険だけが、珪肺や石綿肺などの職業病に関する統計的情報を保有し、こうしたデータは学術研究にオープンではなかったことを示唆している。2010年代に疫学的証拠の増加が、職業アスベスト曝露を伴う労働者における呼吸器がんの高いリスクを示した。台湾では、石綿肺、胸膜プラークや中皮腫を含め、アスベスト関連疾患は過少認定のままだった。証拠の不足は、30~40年のラグ期間が必要というアスベスト関連疾患の性質から生じたかもしれない。それにしても、台湾の公衆衛生研究者がアスベスト全面禁止の要求をリードすることをとめはしなかった。

3.2. 全面禁止の国際動向

アスベスト規制に関する国際動向も、台湾における同様の取り組みに間接的に影響を与えた。1977年に国際がん研究機関(IARC)は、アスベストを発がん物質に分類するのに十分な証拠があると結論づけた。そのタイミングは、台湾と他の諸国との間のアスベスト関連製品の貿易に影響を与えた分岐点となった。しかし、国の経済成長に必要だった軽工業が、アスベスト規制にとってのもっとも重要な障害物のひとつになった。1980年代にアメリカが台湾からの未加工アスベストの輸入を削減したものの、アスベストを含有した製品はなお貿易市場で多く求められた。有名な2005年の日本のクボタショックは、日本政府がアスベスト関連疾患における国の責任を再認識する画期となった。アスベスト使用の根絶とアスベスト関連疾患の予防に関する協力のための国際的提案が、2003年の第13回労働衛生に関するILO/WHO合同委員会で国際労働機関(ILO)と世界保健機関(WHO)によって宣言され、それはその後2006年のアスベストに関するILO総会決議で承認された。2006年に世界保健機関(WHO)は、アスベスト関連疾患を根絶するために公式な呼びかけを行った。この呼びかけは、関連する産業に関連した国際的緊張のなかで行われた。台湾はWHOの加盟国リストから外されてはいたが、この世界動向に対応する努力がなされた。しかし、政府はときには、アスベスト使用の促進にアスベスト産業と連携することもあった。例えば、2007年にカナダは工業用アスベストの最大の供給源のひとつだったために、台湾EPAは、アスベストを禁止するのではなく、アスベストの安全使用を促進するために、台北のカナダ貿易事務所とともに「クリソタイル国際科学的ワークショップ」を主催した。そのような試みは公衆衛生研究者から、アスベスト使用を維持する既得権益に当局が共謀した危険な動きとみなされた。カナダはかつては台湾がアスベスト含有製品を製造するための原料アスベストの主要供給源だったが、2012年以降、中国がカナダに代わって、台湾への原料アスベストの最大供給国になった。それどころか、台湾は、主として中国やASEAN諸国にアスベスト含有製品を輸出した。

3.3. 不完全な規制と台湾のアドボカシー

疫学的証拠の不足により制約されて、台湾当局は工業におけるアスベスト規制を効果的に実施してこなかった。フランスや日本と違って、長い潜伏期間をもつ職業病のための役立つ補償の仕組みを確立するために、使用者または政府部門を訴える訴訟も行われてこなかった。そのような気乗りのなさが当時の要因だった。台湾では、1970年代と1980年代に、建設業と造船業で労働者の大規模アスベスト曝露が生じた。彼らの症状の出現のほとんどは2000年代以降になるまで生じなかった。1980年代におけるEPA及び労働医学の制度化にもかかわらず、疫学的研究の対象は散発的なままだった。また、1958年から労働保険制度を通じて労災被害者に対して労災補償給付が可能だったものの、被害者はほとんど補償給付を申請しようとしなかったか、する資格がなかったことを、口述歴史による証拠が示している。労働者が補償請求をしなかった直接の原因は、病気の原因に関する知識がなかったことと職業病の補償に対する労働者の権利を知らなかったことである。間接的な原因は、請求手続が困難だと思っていたこと、使用者から敵対される可能性へのおそれ、規制上の障害だった。現行の労働保険制度の規制上の障害は、例えば、自営業者や小規模企業の従業員、退職者を含め、資格のない労働者には補償給付が提供されないことである。これは、対象範囲が不十分で、アスベスト関連疾患の性質や職業病について補償を請求する困難を考慮しない、現行の保険の設計の不備を明らかにしている。

台湾における経験は一定程度、珪肺についての病気の認定と補償の歴史を調査した学際的チームの知見と重なっている。南アフリカを例にとって、彼らは、半植民地という状況のもとで、職業ハザーズに関する不完全な規制の否定的側面が、アドボカシー活動の国境を超えたダイナミクスによって緩和されるることを見出した。産業が労働者の安全と健康に関して全力で行動しなかった場合、職業病の認定と対応する職場ハザーズへの曝露は相対的に容易になる。それゆえ、病気の認定と補償の仕事は、通常職業曝露と病気との間の強い因果関係を要求される、科学の制約を回避し得る。台湾では、アスベスト曝露についてのPELが設定された年から、アスベストの使用はいくつかの産業カテゴリーで選択的に許されることになり、それはアスベスト関連商取引のほぼ主要な分野を対象にしていた。2000年代初めから、公衆衛生・労働医学の研究者と国内のNGOsは、台湾におけるアスベストの有害な健康影響に関連する問題の可視性を改善しようとしていた。2009年5月15日、台北で開催された産業リスク、労働と公衆衛生に関する国際会議で、5か国からの参加者が台北宣言に署名した。2011年11月22日、台湾、フランスと日本から専門家が参加した、台湾における第10回アジア太平洋NGO会議で、アジア地域の政府にアスベストの全面禁止のために行動をとるよう要求した、台北宣言の第2ラウンドが発表された。2015年12月には国内のNGOである台湾職業安全健康連線が(本論文の著者であるJ.D.ワンとY.チェンを含め)公衆衛生研究者とともに、キャンペーンワークショップを開催した。ワークショップは政府に対して、アスベスト含有製品とアスベスト含有廃棄物を規制すること、アスベスト関連疾患の監視制度を確立すること、労災補償制度を改革すること、アスベストとその健康影響に対する人々の意識を高めることを要求した。ソーシャルメディア報道と人々の認識の成長は立法者の関心を引いた。2016年6月23日、立法会で丸一日かけた会議が開かれ、多くの立法会議員が政府部局にアスベスト問題について質問した。公衆衛生の強力な教育的背景をもち、アスベストを禁止する問題の緊急性と重要性をよく知っている、新たに指名された台湾EPA[環境保護行政]大臣(李英元)が、2018年についにアスベストの全面禁止の計画を発表した。

4. 討論

多くの先進国が、アスベストの経済活動に対する優れた貢献のゆえに、是面禁止の実施に困難を経験してきた。人々の関心の増加と科学的証拠の蓄積が、この鉱物と重大な健康影響との間の関連性を指し示すようになり、、アスベスト関連疾患を根絶するためにすべての種類のアスベストを禁止する国際動向に向けて、多くの国が国の政策に新しい方向を与えた。台湾はアスベストの全面禁止に関する国の政策を実施した62番目の国であろう。

アスベストへの曝露は今後何年も、何十年も続くだろう。アスベストはいまもなお古い建築構造の屋根タイルや板のなかに存在している。都市の再開発はなかでも近年の政府の優先課題であり、アスベスト含有廃棄物の増加が予想されている。しかし、残存アスベストや既存アスベスト含有物質の管理に関する台湾の規制は不完全なままである。政府はいまだ、とりわけ建設業における、残存アスベストや既存アスベスト含有物質を監視、ラベル表示及び管理するための全国的な制度を確立していない。このことは、建設、解体及び廃棄物処理に従事する労働者や、そうした活動が行われる付近に暮らす住民に、アスベスト関連疾患を押し付けるリスクをもたらしている。また、アスベストを禁止していない国から輸入した建材がアスベストを含んでいたオーストラリアの事例は、大きな関心とアスベスト含有製品の信頼できるチェック制度に向けた努力の必要性をひきつけている。

国際的な証拠は、歴史的なアスベストの量とアスベスト関連疾患による死亡数との間の明らか関連性を示してきた。世界的モデルは、アスベスト対中皮腫の比率が1件当たり170~330トン、また、アスベスト関連肺がん対中皮腫の比率が6.77と予測している。こうした数字が累積アスベスト消費量、潜伏期間、調査期間や報告年数によって多様であることを指摘しておくべきである。例えば、アスベスト[消費量]対中皮腫の比率は、1970~1990年の間の世界のアスベスト消費量の平均、すなわち418万トンを、最新の世界の中皮腫死亡推計、すなわち38,400件の年間死亡によって割ることによって、109トンまで下げることも可能である。しかし、曝露と労働者の健康検査に関する規制は、それらの労働者が請負業者または自営業者であり、それゆえ規制の対象ではないということから、家屋解体やボイラー・メンテナンスなどのいくつかのハイリスク・グループを対象にしていない。正規労働者についてさえ、規制は使用者に30年以上健康関連記録を保存するよう求めているが、大部分の工場はもはや存在していないか、曝露と健康検査に関する歴史的記録を保存していない。また、1980年代に公式に登録され、国の規制の対象だった、アスベスト使用工場は33だけであり、台湾で、少数の「地下工場」が安全衛生のための公的な監督に含まれていなかったことを示している。曝露の規模を補足するために、地理的情報システム、アスベスト消費データと作業歴を結びつけた全国的監視システムが確立されるべきである。さらに、そのようなシステムは、残存アスベスト含有物質や近隣住民に対処する、現在の建設及び/またはメンテナンス労働者もカバーしなければならない。

アスベスト関連疾患の長い潜伏期間は、とりわけ現役労働者にしか労働衛生検査への参加を求めていない台湾の現在のシステムのもとでは、職業病の確認を著しく困難にしている。台湾政府は、アスベストへの職業曝露歴をもつ労働者を含めるとともに、中皮腫その他のアスベスト関連疾患の定期的監視制度を確立するために、労働衛生検査プログラムの対象を拡張すべきである。さらに、労働者の補償制度は、職業病の被害者を適切に認定及び補償するために、大きな改革を必要とすべきである。

本論文においてわれわれは、台湾におけるアスベスト規制と最終的全面禁止に関する障害及び促進要因を示した。現行の法的及び保険制度、またアスベスト関連疾患がその性質から職業病から環境病にもなるという展望を踏まえて、アスベスト関連疾患の認定は困難なままであり、それゆえ政府は、転職、退職や引退を経験した労働者に、補償の対象を拡張すべきである。アスベスト関連疾患の認定及び補償は生涯認められるべきである。患者への長期的ケアの提供に加えて、アスベスト曝露とアスベスト関連疾患を調査する全国的システムの確立を含め、政策変更に関する上流の機会も見逃されてはならない。市民の意識を高めるとともに、職場内外でのアスベスト飛散の防止に関する企業の責任を促進する措置がとられるべきである。

5. 主なメッセージ

  • 台湾では1980年代にアスベストの健康に対する影響が確認されたが、2018年1月1日から開始された全面禁止政策を実施するまでに国は37年費やした。
  • われわれの研究は、環境・労働医学の制度化、公衆衛生研究者によってなされたアピール、国境を超えたアドボカシー活動、及び産業の転換を含め、台湾におけるアスベスト規制に関わった4つの重要な推進力に焦点を与えている。
  • 残存アスベストの長期的健康影響と影響を受けた人々の長期的ケアが認識され、アスベスト政策の改革に含められるべきである。

6. 結論

本研究は、台湾におけるアスベストの全面禁止を妨げ、また促進した社会的、経済的、及び科学的諸要因を概述した。アスベストとアスベスト関連疾患との関連性は確立されてきたが、アスベスト関連疾患の潜行性の発現と不明確な症状、疾病のハザード曝露に対する個人的帰属、軽工業におけるアスベストの広範なニーズがアスベスト規制の進展を妨げた。台湾におけるアスベストの全面禁止は、環境・労働医学の制度化、公衆衛生研究者によってなされたアピール、健康活動家による国境を超えたアドボカシー活動、及び台湾の経済改革期間中の関連産業の沈滞を含め、多種多様な要因の結果である。アスベスト禁止は、アスベスト曝露を予防するための最初の一歩である。長期化した消費と遅い禁止の結果として、影響を受けた患者に対する長期的ケアと政策改革のための上流における措置に関する取り組みがなされるべきである。

※原文:https://www.mdpi.com/1660-4601/14/10/1240
筆者は、Harry Yi-JuiWu1, Ro-Ting Lin2、*, Jung-Der Wang3 and Yawen Cheng4
1 香港大学医学部医学倫理及人文学部、香港
2 中国医薬大学公共衛生学院職業安全衛生学系、台湾
3 国立成功大学医学院公共衛生学科、台湾
4 国立台湾大学公共衛生学院健康政策與管理研究所、台湾
*責任著者

安全センター情報2021年8月号