特集/「パワハラ防止法」抜本改正の必要性:カスハラ対策は小手先ではなく抜本的法改正が必要~ILO条約採択、「パワハラ防止法」成立から5年

千葉 茂

目次

Ⅰ 世界におけるハラスメント防止対応

厚生労働省は、「パワハラ防止法」(「労働施策総合推進法」)を改正し、カスタマーハラスメント防止策を追加することを検討しているといわれます。
しかし、いわゆるカスハラ・「職場における第三者からの暴力」対策は、パワハラ防止法の小手先だけの改正では事足りません。

海外では、ハラスメントは、職場環境、企業の生産性向上、労働安全衛生、被害者当該労働者や家族、社会などに対して、ストレス、心身共の健康被害、経済的被害、将来設計、周囲の労働者に及ぶ影響、職場環境等悪化など多岐にわたって、なおかつ複合的に大きな影響をおよぼすという結論に達し、その予防・防止等に取り組んでいます。その根底にあるのは「人権」です。

その特徴は、ハラスメントを日本のように「〇〇ハラスメント」「△△ハラスメント」「××ハラスメント」のように部門ごとに分類して対策を進めたり、個人の問題に転嫁するのではなく、まず最初に「ハラスメントは許されない」という基本的立場を確認し、その上で部門ごとにも検討しています。
日本では、企業別労働組合によって成立している労使協調を基盤に、労使一体となって目先の企業組織・経営、社会的評価を意識し、発生した問題を個人的人間関係にすりかえて解消しようとします。

『モラルハラスメントが人も会社もダメにする』

世界的な取り組みです。

ハラスメント全体についてではなく、「職場における第三者からの暴力」を中心に、国際労働機関(ILO)報告、ILO資料・『世界の労働』、全国労働安全衛生センター連絡会議発行『安全センター情報』などから抜粋して紹介します。

労働者の「心の支配」は世界的にすすんでいましたが、その問題の指摘は20世紀末になって労働現場の外部から行なわれます。

1998年にフランスの精神科医マリー=フランス・イリゴイエンヌさんは、『モラルハラスメントが人も会社もダメにする』(紀伊国屋書店)を刊行し、「モラルハラスメント」の言葉を使用して問題を指摘しました。

モラルハラスメントとは「雇われている労働者の権利や尊厳が侵されるような労働条件の切り下げを目的にした、またはその効果を狙って繰り返される行為。労働者の身体的、精神的または職業上の将来の名誉を傷つけることを目的にして繰り返される行為」です。

それまでは、労働者は職場でさまざまないじめや嫌がらせのような現象・雰囲気に遭遇しても言葉で表現したり、主張することができませんでした。『本』を読んで初めて自分たちの周囲で起きている現象・雰囲気について捉えなおし、議論することができるようになります。同時に社会的に広範な議論が起こっていきました。

1992年7月22日、刑法の中で「セクハラ罪」が定義され、罰則規定が設けられます。これまでに何度かの法改正を経て、2012年8月6日には「セクハラ法」が制定され、セクハラ定義の一層の明確化に加えて、刑罰も「最長3年の拘禁刑」「最高4万5千ユーロの罰金」に重くなりました。

2001年、職場におけるモラルハラスメント防止策を盛り込んだ「社会近代化法」が成立し、モラルハラスメントによる補償も定められました。

さらに、「刑法」の中でハラスメントが定義され、「懲役2年と罰金4万5千ユーロ」の刑罰も定められています。

ILO「労働における暴力に関する報告書」

2009年6月15日付のILOの「労働における暴力の予防」です。

「長い間無視、否認、あるいは生活の一部として受け入れなければならない不快な現実としかみなされなかった労働における暴力が、被害者と企業のパフォーマンスに等しく大きなコストをもたらす。重要な安全衛生ハザードととらえるべきであると注意を払われるようになったのはごく最近のことである。」

1998年、ILOは「労働における暴力(Violence at work)に関する報告書」の初版を発行します。すると深い共感を呼び起こし、それ以来、世界中で関心と意識が高まっていきます。

「この労働における暴力の紹介は、多くの疑問に答えようとするものである。それには、労働における暴力とはどのような形態をとるのか?どのような部門及び職業が最も影響を受けやすいか?とりわけ女性がセクシュアルハラスメントにされやすいか?労働における暴力の個人、企業及び社会に対するコストは?労働における暴力が起こる理由をどのように理解するか?」

そして様々な調査をおこなって情報を提供していきます。ウエブサイトなどでも「職場暴力」が取り上げられていきます。

そこに至る流れです。

ILOは、2003年10月「サービス業における職場暴力及びこの現象を克服する対策についての実施基準案」を発表しています。

目的は「サービス業における職場暴力の問題に対処するための一般的な手引きを提供するものである。この基準は、特に異なる文化、状況及び必要性にそれぞれ適合するように、国際的地域、国家、業種、企業、団体、職場のそれぞれのレベルで同様の手引きを作成する際の参考資料として利用されることを意図したもの」です。

摘要の範囲は「この基準は、民間及び公的なサービス業における経済活動のすべての分野に適用される」です。

職場の暴力」を「妥当な対応を行っている者が業務の遂行及び直接的な結果に伴って攻撃され、嚇かされ、危害を加えられ、傷害を受けるすべての行動、出来事、行為」と定義したうえで、「部内職場暴力」と「部外職場暴力」双方を含めています。「部内職場暴力とは、管理者、監督者を含めた労働者間で発生したものを言う」「部外職場暴力とは、管理者、監督者を含めた労働者と職場に存在するその他の者との間で発生したものを言う」です。

サービス業の定義は「商業、教育業、金融関連業、医療業、ホテル業、飲食旅行業、放送娯楽業、郵便通信業、公的サービス業、運輸交通業を含み、第1次産業及び第2次産業を含まない」です。

職場暴力に対する方針です。

「政府、使用者、労働者及びそれらの代表は、職場暴力の撲滅に寄与する職場慣行を合理的に実行可能な範囲で促進すべきである。この目的を達成するため、政府、使用者、労働者及びそれらの代表は、職場暴力の危険性を最小限にするため適切な方針及び手続きを開発し実施することが肝要である。」

方針の重要性は

「ディーセントワーク、労働倫理、安全、相互尊重、寛容、機会均等、協力、サービスの質に基づいた建設的な職場文化が構築されることを優先しなければならない。これは次のものを含む。

  • 質の高いサービスを実現する人材が重要な役割を担う旨の明確な目的
  • 共通の目的を分かち合う組織及び構成員についての強調
  • 職場暴力防止の宣言
    職場暴力の撲滅への努力の重要性を認識した上で、経営トップによる明確な経営戦略の表明及び周知を行わなければならない」です。
    その中心課題は「方針には少なくとも次の事項を含むべきである。
  • 職場暴力の定義
  • 部内又は顧客取引先からの職場暴力いずれであっても職場暴力が容認され得ないことの表明
  • 職場暴力とその直接的な結果が発生しない環境の形成に主眼を置いた活動の支援への取組
  • 報復と批難から保護された適正な苦情システムの提供
  • 情報提供、教育、訓練及びその他関係したプログラム
  • 職場暴力の防止、管理、可能な場合には撲滅対策
  • 暴力事例の処理、管理対策
  • 方針についての効果的な意思疎通の表明
  • 守秘」

です。

「労働関連ストレスに関する枠組み」

2004年、欧州の社会パートナーは「労働関連ストレスに関する枠組み」について基本的合意を得て協定を締結。欧州の社会パートナーは「労働におけるハラスメント及び暴力に関する自主的枠組み協定」を締結します。

2008年3月14日および2009年10月22日、欧州委員会の支援者のもと多部門社会パートナーは会議を開催し、事例研究および共同の結論とともに、使用者および労働組合の第三者暴力に関する調査結果を発表します。

欧州社会対話の「労働に関連した第三者暴力及びハラスメントに対処するための多部門ガイドライン」は、このようなイニシアティブの上に構成されています。

そして、2010年9月30日、欧州社会対話は「労働に関連した第三者暴力およびハラスメントに対処するための多部門ガイドライン」を締結しました。そのなかで第三者暴力の形態を示しています。

「(略)
4. 労働関連第三者暴力およびハラスメントは、多くの形態をもつ場合がある。それには以下である可能性がある。
a) 身体的、精神的、口頭によるもの及び/または性的なものである。
b) 個人または集団による一度限りの事象またはより系統的なふるまいのパターンである。
c) 依頼人、顧客、患者、サービス利用者、生徒または親、一般の人、またはサービス提供者の行動またはたちふるまいから生じる。
d) 失礼な事例から、より深刻な脅迫や身体的襲撃にまで及ぶ。
e) メンタルヘルス問題から感情的理由、個人的好き嫌い、性差、人種・民族、宗教や信念、障害、年齢、性的思考または身体のイメージにもとづく偏見に動機づけられて生じる。
f) 組織されたまたは機械的なものかもしれず、または公的機関による介入を必要とするかもしれない労働者及び彼・彼女の評判または労働者や顧客の財産を狙った刑事犯罪を構成する。
g) 被害者の個性、尊厳及び人格に深い影響を与える。
h) 職場、公共の場所または私的な環境で起こり、かつ、労働に関連している。
i) 幅広い情報及びコミュニケーション技術を通じたサイバーいじめ・サイバーハラスメントとして起こる。
9. 多部門社会パートナーは、使用者および労働者は、お互いはもちろん第三者に対しても職業上、倫理的法的義務を負っていることを理解している。」

「多部門ガイドライン」の目的は「第三者暴力及びその結果を予防、提言及び緩和するための使用者、労働者及び労働者代表・労働組合による取り組みを支援する」ことなどで、採ることができる現実的なステップを設定しています。

EU及び各国の法律は、使用者及び労働者双方は、安全衛生の領域における義務を負っていると謳っています。労働者も安全衛生の領域における義務を負います。

そして、「労働関連ハラスメント及び第三者による暴力を把握、予防、低減及び緩和するステップ」を提案します。

2012年、欧州上級監督官会議(SLIC)は、「労働における心理社会的リスクに関するキャンペーン」を開始しました。

キャンペーンに辿りつく経過です。

2004年、欧州社会パートナーは、労働関連ストレスに関する枠組みについて基本的合意を得て協定を締結します。

  • 協定4条の、労働関連ストレスの問題分析には
  • 労働編成及びプロセス
  • 労働条件および環境
  • コミュニケーション
  • 主体のファクター

のファクターが含まれ、それらが確認された場合にはそれを予防、除去及び低減するための行動がとられなければならない、適切な対策を決定する責任は、使用者に課せられると謳っています。

第6条の、対策には

  • 管理的及びコミュニケーションの対策
  • 管理者及び労働者のトレーニング
  • 情報の提供

が含まれると謳っています。

最良の防御のひとつはいかなる職場暴力も許さない方針

アメリカ合衆国の動きです。

1970年の労働安全衛生法で、使用者は労働者の安全かつ衛生的な職場を提供する責任を負っています。アメリカ労働安全衛生庁(OSHA)の役割は、基準を設定および執行し、またトレーニング、教育および支援を提供することによって労働者に労働安全衛生法が謳う状況を保障することです。

2011年9月8日、OSHAは「職場暴力事象の調査または監督の執行手順」のタイトルの指令を出します。

指令が出された背景には、「職場暴力は、いくつかの業種で職業ハザードと認識されており、また他の安全問題と同様に、使用者が適切な予防措置を講ずれば回避または最小化することができる。同時にそれは、アメリカの労働者に悪影響を与え続けている。職場暴力は、14年間以上、職場における死亡原因の上位4位に残っており、毎年数千人の労働者及びその家族に影響を与えている」という状況がありました。

労働統計局(BLS)の致死的労働災害センサス(CFOI)は、2000年から2009年を通じて年平均590人の殺人が発生し、労働関連死亡災害の4位になっています。2009年は、女性の職場死亡の1位の原因でした。2010年に発生した4,547件の死亡労災のうち、506件が職場殺人でした。

さらに、毎年平均15,000件以上の非致死的な障害が報告されています。

職場暴力被害者の19%は法執行機関、13%が小売業、10%が医療関係で働いていました。

「いくつかの調査研究は、予防計画が職場暴力の事象を減少させることができることを示している。職場を評価することによって、使用者は、発生しつつある事象の可能性を減少させる手法を確認することができる。」

1996年に出された「職場における暴力。リスクファクターと予防戦略」(NIOSH)は、職場暴力を「労働している、又は勤務時間中の者に向けられた暴力行為(身体的暴行及び暴行の脅迫を含む)」と定義しています。

指令と同時に開設された「職場暴力」のホームページには「職場の暴力とは、職場で起こる、身体的暴力のあらゆる行為または脅威、ハラスメント、脅迫、その他の脅威となる破壊的ふるまいのことである。それは、脅しや言葉の乱用から、身体的暴力や殺人にまでにもわたる。それは、労働者、利用者、顧客、訪問者にまで影響を与え、また巻き込む可能性がある」とあります。

加害者と対象者との関係を表現した職場暴力は

タイプ1-故意強盗その他の犯罪を働きに職場に入ったもの。または犯罪を働く意図を持って職場に入った現または元労働者による暴力行為
タイプ2-顧客/利用者/患者顧客、利用者、患者、学生、在院者、その他使用者がサービスを提供する者による、労働者に向けられた暴力
タイプ3-同僚労働者現または元労働者、監督者または管理者による、同僚労働者、監督者または管理者に対する暴力
タイプ4-個人そこで働いていないが、労働者に知られている、または労働者と個人的関係をもつだれかによる暴力

に分類されています。

ハイリスク業種としては

1 医療及び社会福祉施設。(保安要員、保守党員を含む)
2 深夜小売り施設

などが挙げられています。

OSHAは、実際に暴行により労働者が殺された施設を召還した事案について労働安全衛生担当の労働次官補は「これらの事象及び類似の事例は、使用者がその労働者を防護するために適切な予防措置を取っていれば、回避または減少できたものである」と語ったと紹介しています。

具体的対策としては、使用者がその労働者に提供することができる最良の防御のひとつは、職場暴力に対していかなるものも許さない(zero-tolerance)方針を確立することだといいます。そして、この方針は、すべての労働者、患者、利用者、訪問者、契約者、その他の社員と接触する可能性のあるすべての者をカバーしなければならない、職場を評価することによって、使用者は事象発生の可能性を低減する方法を確認することができる、といいます。

暴力・ハラスメントは労働と健康に否定的な影響

2014年のユーロファウンド/EU-OSHA報告書「欧州における心理社会的リスク:普及状況及び予防戦略」は、暴力およびハラスメントは労働及び健康に対する否定的な影響と関係していると強調しています。

各国の比較分析から引き出された結論の抜粋です。

「・ 社会文化的諸側面は、暴力及びハラスメントの出現と、それを報告するレベルの双方に影響を及ぼす。
・ 労働条件(労働の編制、労働強度の高さやストレスのレベル、管理のまずさ、ワークライフバランスのまずさ)は職場における暴力及びハラスメント行為を呼び起こす。
・ 暴力及びハラスメントの法的定義は、被害者が事件を成功裏に解決する可能性を高める。法的定義はまた、方針イニシアティブやよりよいコーディネーションを促進する。
・ 国における高いレベルの認識はしばしば、社会対話を通じて策定され、企業の手続きと国の方針を通じて実施される、長期的系統的方針をともなって進んでいる。」

具体的状況です。

「加盟諸国において暴力及びハラスメントが長期的に緩やかに増加しているという証拠は共有されており、それは主として、第三者による暴力の報告の増加と関連しているように思われる。これは主として、第三者と直接接触するサービス業務、おそらく情報通信技術(ICT)の利用の増加と結びついた労働を行う労働者の割合の増加によるもののようである。
さらに、暴力及びハラスメントと高いレベルの職務要求(時間圧力、労働負担、きつい締め切り)、不十分なワークライフバランス、不適切な労働編制(管理者の能力、衝突)、雇用不安及びストレスとの関係に関するはばひろい証拠が存在している。」
「EUレベルでは、臨時労働者、外国人労働者または保健部門で働く人々など、一定の雇用状態にあるいくらかの労働者が、より頻繁に暴力及びハラスメントの対象になっていると報告している。」

2003年11月、ILOは職場暴力とその直接的な悪影響を防止することに焦点を置いた「サービス業における職場暴力及びこの現象を克服する対策についての実施基準案」を発表します。

2011年10月27日、欧州社会パートナーの社会対話委員会が採択した「労働におけるハラスメント及び暴力に関する欧州的枠組み協定の実行」の「労働関連ハラスメント及び第三者による暴力を把握、予防、提言及び緩和するステップ」は、「3.使用者は、その一般的安全衛生方針に組み入れた、第三者によるハラスメント及び暴力の予防及び管理についての明瞭な方針の枠組みをもつべきである。その方針は、国の法令、労働協約、及び慣行にしたがって、労働者及び労働者代表と協議して、使用者が策定すべきである。とりわけ職場の安全衛生リスク・アセスメント及び個々人の職務権限を、第三者によって引き起こされるリスクの対策志向型アセスメントに含めるべきである」と謳っています。

この当然の認識が「職場における暴力とハラスメントの根絶に関する条約」の「Ⅱ 被害者・加害者の範囲」に盛り込まれていきます。

ILO「仕事の世界における暴力とハラスメント条約」採択

このようなことを踏まえた各国の取り組みをふまえ、2018年6月、スイス・ジュネーブで開催されたILO第107回総会で「仕事の世界における暴力とハラスメント」に関する条約案が議論されました。日本政府は反対の論陣をはりました。議論は継続になります。

2019年6月10日から21日、国際労働機関(ILO)第108回総会は、187加盟国から5.700人以上の政府、使用者、労働者の代表が参加して開催されました。主要議題は「仕事の世界における暴力およびハラスメントの撤廃に関する条約案」で前年からの継続です。政労使から327本の修正案が提出されました。

投票は、加盟国の政府に2票、労働組合と経営者団体に各1票が割り当てられます。

賛成439票、反対7票、棄権30票と圧倒的で、付随する勧告をあわせて採択されました。日本政府は、前年は反対の論陣をはりました。被害の対象者の限定など水準引き下げを要求し、その後ろ向きの姿勢に各国から失笑が漏れたといいます。2019年は直前まで態度を決めていませんでしたが、最終的に賛成しました。労働者を代表した連合は賛成、使用者を代表した経団連は棄権しました。

スウェーデンやイギリス、フランス、ベルギーなど、すでにハラスメント規制が法制化されているヨーロッパ諸国が賛成に回った一方で、アメリカやロシアは反対、棄権です。

条約案です。

前文は「暴力やハラスメントを受けることなく働くことはあらゆる人の権利であり、仕事の世界における暴力とハラスメントは人権侵害あるいは虐待の一形態」であると位置づけています。

「I. 定義
第1条(a)仕事の世界における『暴力とハラスメント』とは、一回性のものであれ繰り返されるものであれ、身体的、精神的、性的または経済的危害を目的とするか引き起こす、またはそれを引き起こす可能性のある、許容しがたい広範な行為と慣行、またはその脅威をいい、ジェンダーに基づく暴力とハラスメントを含む。
Ⅱ 被害者・加害者の範囲
第2条 この条約は、都市か地方にかかわらず、フォーマル経済およびインフォーマル経済の双方におけるあらゆるセクターの労働者、国内法および慣行で定義された被雇用者、契約上の地位にかかわらず労働する者、実習生および修習生を含む訓練中の者、雇用が終了した労働者、ボランティア、求職者および就職志望者を含むその他の者について適用する。
第4条 この条約の適用上、仕事の世界における暴力とハラスメントの被害者および加害者は、以下であり得る。
(a) 使用者および労働者、ならびにそれぞれの代表者、ならびに第2条で定めるその他の者、
(b) 国内法および慣行に即したクライアント、顧客、サービス事業者、利用者、患者、一般の人々を含む第三者」

第2条と第4条との重複が懸念されました。

第4条について、ニュージーランドから、「仕事の世界におけるハラスメントについて、誰が加害者か被害者かを言及する必要はない」として削除するよう提案があり、日本政府、EU、中東湾岸諸国、カナダ、アメリカ、ロシアなどの政府、使用者が賛成を表明しました。ニュージーランドやEUなどと日本政府の意図は真逆でしたが、削除の要求は一緒でした。

コスタリカは、削除されると条約にどのような影響があるかILO事務局に質問し、ナミビアもアフリカグループを代表して第三者が明示されないことによる影響を質問しました。

ILO事務局の法律顧問は、「第4条が削除されても、権利・責任関係に影響はなく、第三者は条約案の対象から除外されない」と明言しました。

採決では第4条は削除されました。

委員会終了後、連合の代表は日本政府と話し合いを行い、ILO事務局の法律顧問の発言も踏まえ、「第4条が削除されても、本条約案の対象には第三者も含まれている」との日本政府の認識を確認しました。

採択された条約です。

「仕事の世界」とは、普段仕事をしているオフィスや現場などの職場だけでなく、休憩場所、出張先、会社や事業主から支給される寮、通勤中、メールやSNSなどによるやり取りも含まれます。自宅で仕事をしている場合は、自宅も仕事の世界に含まれます。

いわゆる職場に限らず、広く仕事に関係する暴力やハラスメントを対象としています。

保護の対象者となるのは、国内法や慣行によるいわゆる労働者、契約形態の如何にかかわりなく働く人びと、インターンや見習いを含む訓練中の者、雇用が終了した労働者、ボランティア、休職中の者や仕事への応募者、そして、使用者側の権限・任務・責任を行使・遂行する個人も含まれます(2条1項)。

さらに、批准した加盟国がとるべき措置では、第三者である顧客や取引先、一般の人びと等に対する暴力とハラスメント、あるいはそれらの人びとによるものについての考慮も求めています(4条2項、勧告パラ8(b))。

加盟国の義務についてです。

仕事の世界における暴力とハラスメントの防止と撤廃のために、暴力とハラスメントの法的禁止、政策や戦略の策定、執行および監視機能の創設あるいは強化、被害者の救済と支援へのアクセスの確保、制裁の規定、教育訓練および意識啓発、効果的な査察および調査手段の確保などに、包摂的・統合的かつジェンダーに対応したアプローチによって取り組むことが求められています(4条2項)。

法的禁止とは、ジェンダーに基づくものを含め、仕事の世界における暴力とハラスメントを定義し、禁止する法律や規則を制定することが求められています(7条)。また、雇用や平等に関する法律だけでなく、必要であれば、刑法でも扱うべきとされています(勧告パラ2)。

Ⅱ 感情労働

アメリカ合衆国では、1970年代から「感情社会学」という分野が登場し、労働現場の外部から肉体労働、頭脳労働ともうひとつの形態として「感情労働」の概念が“発見”されました。

1983年、アメリカ合衆国の社会学者アーリー・ラッセル・ホックシールドは、航空会社の客室乗務員の心理状態の調査等をもとに、『The Managed Heart(管理される心)』を刊行し、そのなかで「Emotional Labor(感情労働)」を取り上げています。

日本では2000年、『管理される心感情が商品になるとき』(石川准・室伏亜希訳 世界思想社)のタイトルで出版されます。

ポスト工業社会におけるサービス部門の成長は「コミュニケーション」と「出会い」-他者に対する自己の反応と事故に対する他者からの反応-が現代における中心的な労働関係になっています。また、労働は全体的組織から離れて個人的になっています。そして、感情とは何か、どのように管理することができるかという時代を超えた論点があります。

ホックシールドは、「感情」を現実と自己の関係について教えてくれる感覚といい、「感情労働」を、公的に観察可能な表情と身体的表現をつくるために行う感情の管理と位置づけ、賃金と引き換えに売られ、〈交換価値〉を有する労働と位置づけます。

「感情労働」は、一般市場に登場されると「商品」の如く振る舞います。「仕事のうえでコミュニケーションを介した時に自分の感情を誘発したり抑圧したりしながら、相手の中に適切な精神状態を作り出すために、自分の外見を維持する労働」です。労働のなかで相手に迎合して本当の自分ではない自分を演じなければなりません。

感情労働が求められる職業には、3つの特徴があるといいます。

1 対面あるいは声による顧客との接触が不可欠
2 他人の中に何らかの感情変化を起こさせなければならない
3 雇用者は、研究や管理体制を通じて労働者の感情活動をある程度支配する

感情労働従事者の、勤務中の感情のコントロールは「演技」に例えられています。その“役割”を演じて、表情や声色、言葉遣い、姿勢や仕草を変化させています。

感情労働者における演技は、「表層演技」と「深層演技」の二つに分けられます。

表層演技は、本心はどう感じていても、相手から見ることができる表面的な表情や声などを操作する演じ方です(「ふりをする」イメージ本心はどう感じていてもよい)。

〔例〕笑顔を作る、丁寧なお辞儀をする、イライラを隠すなど

深層演技は、ひとつは感情に直接命じるものと、もうひとつは訓練されたイマジネーションを間接的に利用するという2つの方法があります。表面的な感情表現だけではなく、自分の感情や感じ方そのものを仕事に合わせて調整し、変化させようと試みる演じ方です。

〔例〕相手に本心から同情しようとする、気の持ちようを変えようとする、役割になり切ろうとするなど

感情労働は、どれだけ感情を使ったかは周囲から見えにくいです。一般的には、表層演技のほうがストレスになりやすい演じ方といわれます。

感情を抑制することを常に強いられると、無意識のうちにストレスを蓄積します。常に自分で感情をコントロールしなければならないという点で、すでに大きなエネルギーを使っています。

感情労働は精神的な変調をもたらす

客室乗務員への調査からわかったのは、感情労働は労働者に心理的負荷を与え,精神的な変調をもたらすということです。

「客室乗務員は、乗客をあたかも友人、あるいはそのようなものとして考え、仲のよい友人といるときのように、相手をよく理解するよう要求される。その〈あたかも〉が非個人的な関係を個人的な関係にする。その一方で訓練生は、その〈仮の〉友情には真の友人関係にあるような互酬性は含まれない、と注意されている。乗客には、乗務員に共感したり丁寧に接し返したりする義務は何もない。」

客室乗務員への調査などでは、接客労働は私的領域における正しい感情を模倣することを職務の重要な一部として求められますが、そのことが感情労働者に大きな負荷を与えているということでした。

「笑うこと」が、その通常の働きである個人個人の気持ちを表すことからかけ離れ、別の動き、会社の気持ちを表すことへと結び付けられていきます。

職務として求められる質の高い感情労働、深層演技を提供しようとするあまり仕事や会社への過度な同一化が起きていくと燃え尽きてしまう危険性がおきます。また深層演技の失敗により表層演技を多用せざるをえなくなると欺き装う自分を発見し、そのような自己への自尊感情を傷つけ、混乱したり、自己嫌悪に陥ってしまいます。

長期におよぶと自分をコントロールできなくなり人格が破壊されてしまいます。

実際に客室乗務員がそのようなことを回避ため、日頃にどういう方法を取っているかをインタビューしています。

「問題が乗客の側にあると思われたとき、彼らの人生に何かトラウマがあったのだ、というふうに考えるように努めます。」

「予防策にもかかわらず怒りが吹き出してしまったら、『彼といっしょに家に帰る必要はないのだから』と自分に言い聞かせる。」

「あなたが何も悪いことをしていないのに、お客様があなたにがみがみ言うことがあったら、その人が責めているのはあなた自身ではない、と思いなさい。」

「乗務員同士で抵抗力をつけ緩衝役になります。自分自身が正常な精神状態にとどまっていられるように、冷やかし合う。」

「腹が立った時は自分を落ち着かせてくれるような同僚のところに行く。怒りや不満の気持ちに賛成されることは、正当性を確認したり、憂さ晴らしを手助けしてくれる。なぜそれが引き起こされたのか、サービスにとっても会社にとっても知ることができることにもなる。」

「『何が起こっても、お気持ちはわかりますと言う』共感の表現は、乗客に、自分たちは非難するべきところを間違え、怒りをぶつける相手を間違えたということを納得させる。」

ちなみに、鎌田慧著の『空港〈25時間〉』(講談社文庫)には客室乗務員からの聞き取りが載っています。

「社長や会長らしい客は客室乗務員に多少ミスがあってもクレームを言わない、一方、ビジネスクラスに乗る日本人のビジネスマンはミスを探してクレームをつけてくるし、しつこい。」

感情管理の登場で労働現場が変わっていきました。

かつて私的なものであった感情管理の行為は、今では人と接する職業における労働として売られている。かつては私的に取り決められてきた感情規則や感情表現は、今では企業の業務規程部門によって定められている。かつては個人の特性であり、そこから逃げることも出来た感情交換は、今では一般化され、逃げることのできないものとなってしまっている。個人の生活ではめったになかった交換がビジネスの世界では常になされることになった。そして乗客たちは、お金をもらっている以上やり返す権利を持たない客室乗務員たちにむき出しの怒りをぶつけるのは当然の権利だと思い込んでいる。全体として、個人の感情システムは商業的な論理に従属させられ、そして変容させられてきたのである。

そうした感情管理社会への反作用として、ホックシールドは感情の商品化、つまり感情労働があらゆる場所で活用される社会においては管理されていない心への希求が生じると指摘します。

「私たちは今まで与えてこなかったような価値を、自発的で『自然な』感情に与え始めたのである。私たちは、管理されない心に、そして、それが私たちに語ってくれることに好奇心をそそられている。

ホックシールドの研究に触発されて接客労働者や援助職の労働者のメンタルヘルスに関する研究に感情社会学的アプローチからの参入が次第に増えていきます。

現代においては、多くの様々な職業・職種が感情労働を必要とされています。看護師などの医療職、介護士などの介護職、コールセンターのヘルプデスク、官公庁公務員なども含まれています。

感情労働の評価を

ホックシールドの『管理される心』は感情労働研究である前に感情管理社会論であり,感情管理社会がもたらす抑圧や女性への不平等な要求を問題にしました。

同一価値労働同一賃金は、賃金格差を克服する制度として主張される職務給に基づく賃金制度です。「労働環境」「負担」「責任」「知識技能」などのファクターと評価レベルで点数化して賃金を決定します。

遠藤公嗣著『これからの賃金』旬報社からの引用です。

「米国の賃金コンサルタント企業であるヘイ社は、独自の得点要素法を研究開発し、これが普及した。しかし1970年代後半になると、米国やカナダで、これが女性差別撤廃運動の批判の対象となった。ヘイ社の得点要素法は女性職務を低く評価するジェンダー・バイアスがあって、それが女性の低賃金の重要な理由となっているとの批判であった。そして、この批判の影響のもとに、1980年代以降、女性職務を低く評価しない考え方で得点要素法を研究開発することがすすんだ。その研究開発の重要なひとつが、『感情労働』にともなう労働者の負担を、4大ファクター『負担』のひとつに採用することであった。そして、女性職務を低く評価しない考え方が、女性差別撤廃運動のなかでComparable WorthやPay Equityと英語で呼ばれるようになり、その後に『同一価値労働同一賃金』と日本語訳された。」

カナダのオンタリオ州では、1987年に10人以上を使用している公共・民営部門の企業に対して「ペイ・エクイティ法」(Pey Equity Act、賃金衡平法)が制定されます。

『竹中恵美子が語る労働とジェンダー』ドメス出版からの引用です。

「ペイ・エクイティは、従来の女性職に対する低い評価を改め、平等賃金を実現するための有力な原則であり運動ですが、限界もあります。
ひとつには、従来の職務評価の技法(ヘイ・システム)は職場の複雑さと重要度を、ノウハウ・問題解決能力・説明責任の3つのファクターで評価する点ですが、ケアのような仕事の評価には適切ではないからです。
1991年にオンタリオ看護協会がヘイ・システムに反対して、感情労働(emotional labor)の評価を導入する評価技法を聴聞審判所に認めさせました。このように、たえずジェンダーに中立な職務評価法を開発していくことが必要です。」

Ⅲ 韓国の感情労働

「デパート職員たちのことも尊重して下さい」

「韓国における感情労働」については、全国労働安全衛生センター連絡会議『安全センター情報』2016年3月号で紹介しました。

韓国では、流通業・病院・銀行・公共交通・公共機関・電子製品修理業など、顧客と応対するサービス業の労働者などを感情労働者、そこでの暴言、脅し、暴力に襲われるいじめやパワハラを「感情労働」と呼んでいます。

韓国と日本は社会状況、組織機構・制度、法整備などで似たようなところが多くあり、労働者・感情労働が被る土壌、影響も似ています。しかし大きな違いは、韓国は日本に倣うだけでなく、国際社会の一員になろうとして労働者の人権・人格・尊厳の保障・保護に挑戦しようとしている姿勢がうかがえます。

日本は“孤立”を厭いません。韓国では感情労働、パワナラなどの対策を労働者・労働組合と消費者、研究者等が一つになって運動を盛り上げて政府を突き上げて達成させています。日本の政府は、ILO多額の分担金を支払い、アメリカに承認されたら馬耳東風です。まさに労働者の人権を金で買っています。

『安全センター情報』2016年3月号で紹介した闘いの進展について簡単に振り返ります。

2011年9月16日付けの「ハンギョレ新聞」に、17年間、ある外国有名化粧品ブランドの販売社員としてデパートを巡っている労働者の実態が切々と報告されました。最後に訴えます。

「最後に言いたいことがあります。お客さんの皆さん、皆さんが真に尊重されたいならば、デパート職員たちのことも尊重して下さい。自分の家族がそこで仕事をすると考えてみて下さい。心からお願い申し上げます。」

2011年11月10日、化粧品販売会社のロレアルコリア労組は、会社側に関連業界で初めて年次休暇とは別に、「年6回(有給)感情休暇を実施する」という内容の「感情休暇制度」の要求を盛り込んだ翌年度団体協約要求案を提出します。

ロレアルコリア労組委員長は、「感情休暇の推進背景には、2006年から感情労働にともなう手当てを受け取ったが、感情労働者のストレスを緩和・解消する実質的な方法としては限界がある」とその要求理由を説明します。販売・サービス業の競争が熾烈になる中で労働者に過度な親切を要求する傾向が増え関連業種従事者らのストレスとうつ病が激化していました。

ロレアルコリアをはじめとする一部販売・サービス会社では状況の深刻性を認め、すでに数年前から労働者らの感情労働価値を認め、「感情手当」を支給していました。民間サービス産業労組連盟の調査では、2006年にロレアルコリアが全国のデパートで化粧品を販売する職員に月10万ウォンの感情労働手当てを支給し、年間1日の休暇も別途付与したのが始まりです。11年までにシャネル、クラランス、エルカコリア、資生堂(月額4万ウォン)、クムビ・LVMH、ブルベルコリアの化粧品販売会社と、教保ホットレクス(レコード・DVDなど販売)、釜山パラダイス免税店(月額3万ウォン)などが月3万~10万ウォンずつの感情手当を支給しています。また、一部業者ではストレス緩和のための心理相談(ロレアルコリア)と文化公演費支援(シャネル)等もおこなっています。

民間サービス産業労組連盟女性局長は、「2006年には事業主が感情労働を認識すらできない状況であったし、労使共に適切な代案を見つけられないまま感情手当を導入した」「だが、連盟も手当支給が本質的な代案ではないと認識し、2012年から連盟傘下事業場に感情休暇制度が導入されるよう推進する計画」と明らかにしました。

しかし、感情労働問題を根本的に解決しようとするなら労働者に休暇や手当てで補償する次元を越え、社会的認識変化のための努力が必要だという提案が出されました。これにともない、国家人権委員会はサービス業事業主を対象に“感情労働ガイドライン勧告案”を用意して11年中に発表する計画を立てます。勧告案にはひざまずいて注文を受けるなどの行き過ぎたサービスを規制し、お客さんが悪口・暴行などを働いた場合、事業場で対処する基準などが盛り込まれます。

2013年6月、安全保健公団とロッテ百貨店、新世界デパート、ハンファガレリア、現代デパート、AKプラザデパートなどのデパート業界は、感情労働に苦しめられるデパート労働者、特に協力業者の労働者に被害が集中している状況のなかで、健康に働けるように支援に取り組む「安全なデパート造りの業務協約」を締結します。

公団は、感情労働に伴う職務ストレスを予防するための「自己保護マニュアル」を開発・普及させ、各デパートは協力会社と一緒に共同の安全保健プログラムを運営することに同意し、「安全誓約運動」共同キャンペーンも展開しました。

消費者が掲げた「過度な親切は止めましょう」「ただし私が買うときは正当な情報を伝えてください」のスローガンは労働者の要求と一致しました。「お客様は神様」ではない。労働者と消費者・利用者はお互いに人権と人格を認め合い、社会のパートナーとして共生を目指します。「顧客が王様なら、従業員も王様だ」です。

電話を先に切る権利を

2013年1月11日、労働環境健康研究所・仕事と健康は「2013労働者健康権フォーラム」を開催しました。

キム・テフン感情労働研究所所長は、調査結果をふまえ「感情労働をするテレマーケッターの場合には電話を先に切る権利を与え、無理な要求をする顧客には一方的に謝らない権利を与えなければならない」、さらに、「感情労働の強度が高い職種の場合、定期的に休息を取って精神的な配慮が受けられるように制度的な補完が必要だ」と訴えました。

サービス連盟は、感情労働者、消費者、政府、企業のそれぞれの役割を提案・要請しました。感情労働者は自分の自尊心を高める認識を持つ。消費者は感情労働者に対する認識を切り変える。政府は産業災害認定、企業は感情労働者を保護する。特に企業には、△安全保健専門担当部署の設置、△社内心理相談室の運営、△事業場内の悪口と暴言防止対策作り、△顧客によるセクハラ予防マニュアルの普及を要請しました。

感情労働を認めるための法制化に関する議論も続きました。シム・サンジョン進歩正義党議員は、2012年10月に感情労働による精神的疾病を労災と認定する内容の産業災害補償保険法改正案を代表発議したことを報告。イ・ソンジョン・サービス連盟政策室長は「感情労働が労働とキチンと認められるためには、労災法の改正と共に、勤労基準法と産業安全保健法も改正されなければならない」とし、「感情労働の実態を広く知らせ、法律改正案通過のための署名運動も進める計画」を話しました。

フォーラムでは、韓国道路公社が2012年10月に宣言した「感情労働者人権保護憲章」が注目されました。憲章には、△感情労働者が悪性の顧客から人格的な侮辱を受けないような対処対策の樹立、△心理治療プログラム支援、△標準化された顧客応対指針の提供、などが盛られていました。

キム・ミンジョン国家人権委員・差別調査課・女性人権チーム調査官は、「人権委員会は、各会社に感情労働者の人権保護憲章を作るように奨励している」とし、「今年中に女性感情労働者の人権向上の法制度改善勧告案を作る計画」と報告しました。

国家人権委員会は2011年、「女性感情労働者人権ガイド」を発行し、事業主に配布しました。そこには、△営業時間前、中、後にストレッチング体操導入、△立って働く女性感情労働者への椅子、マットレスなどの施設提供、△顧客応対基準の一貫性を維持するための標準指針、△自信を鼓吹する教育、権限と責任拡大、△心理相談室や苦情処理専門機構運営などの方案が提示されていました。

ハッピーコールで人民裁判

ハンギョレ新聞は2013年11月から12月に「監視統制、崖っぷちの感情労働者」を連載しました。その1回目です。

三星(サムスン)電子サービスセンターは、サービスマンに各種の評価制度で親切を強要します。顧客応対・マニュアル(MOT)は、外勤エンジニアの場合、名刺の渡し方、服装、謙虚な姿勢、原因結果の説明、徹底した時間遵守、目のあわせかた、挨拶など、12~18種類あります。技師らはマニュアルを熟知して、その通りに働かなければなりません。

センターは通常、1人の技師について月に20回程度、顧客にサービス満足度を確認するハッピーコールを行います。評価が、顧客が「とても不満」と答えれば1点、「とても満足」と言えば10点です。労働者たちは8点以下がひとつでもあれば今後どのようにサービスを改善するかを明らかにする「対策書」を書かなければなりません。5点ならば「人民裁判」を覚悟しなければなりません。

その「人民裁判」です。

シャッターが下ろされた三星電子サービスセンター内では会社が「CSロールプレイ」と呼ぶ役割劇が始まります。1人はサービス技師の役割を受け持ち、他の1人は「普通」以下の評価を受けたサービス技師で「問題となった」サービスを再演します。

「人民裁判」は、1人の点数が低ければ同じ組のサービス技師12~13人が全員残らなければなりません。朝8時に出勤してから通常夜11時まで続きます。
蔚山市(ウルサンシ)のあるセンターには、数台のTVカメラが設置された役割劇用の部屋が別にあって、独房に入って再演する同僚を外から他の人々が映像で見守ることもありました。

「CSロールプレイ」は、2013年6月金属労働組合三星電子サービス支会がスタートすると何の説明もなくほとんど暫定的に中断されました。しかし、対策書の慣行は相変わらず続いています。慶尚南道(キョンサンナムド)地域のあるセンターでは、対策書を朝礼の時に全職員の前で読み「自己批判」をしなければなりません。

会社は、「役割劇は一部のセンターでしていることが確認されたが、本社が指針を下したことはない」と釈明しています。

調査指針の改正でなく審査対象と承認基準の制度改善を

2014年10月22日の「毎日労働ニュース」は、「政府は感情労働・精神疾患を労災と認定せよ野党議員が福祉公団の国政監査で」の見出し記事を載せました。

「ソウルの江南(カンナム)のあるアパートで発生した警備労働者の焼身事件と関連して、国会・環境労働委員会の野党議員は、「感情労働の被害を減らすために、精神疾患を積極的に労災に含ませなければならない」と声を揃えた。
ハン・ジョンエ新政治民主連合議員は勤労福祉公団の国政監査で、『最近5年間の精神疾患による労災申請承認現況』を公開した。資料によると2010年から今年の6月まで、精神疾患に関連した労災申請件数は517件で、労災が承認されたのは167件に過ぎなかった。
ハン・ジョンエ議員は、『精神疾患に関連した労災審査に対する制度的な規定が不備なため』と指摘した。特に『精神疾患の労災処理に関する社会的な議論を疎かにした雇用労働部に責任がある』と批判した。
実際に公団は、昨年『精神疾病の業務関連性の判断と療養方案研究』で、『うつ病や不安障害などは業務関連性を証明しにくく、外傷後ストレス障害以外の精神疾患は労災認定基準に含ませにくい』という消極的な結論を出していた。
公団は最近、精神疾患に対して別途の災害調査シートを作るように調査指針を改正したが、根本的な対策にはなっていないというのがハン議員の指摘だ。『調査指針の改正でなく、労災の審査対象と承認基準を拡げるような制度改善が必要』と強調した。
同党のチャン・ハナ議員は『安全保健公団は2011年から『感情労働による職務ストレス予防指針』を作って対策を立てているが、労災との関連性を判定する勤労福祉公団は消極的な対処しかしていない』『労働者の感情労働を含む業務上のストレスを、労災として受け容れる必要がある』と主張した。
イ・ジェガプ公団理事長は『精神疾患の労災認定基準を拡げるより、調査指針の改正に力を入れている』『精神疾患の労災認定可否を統合的に審理するソウル疾病判定委員会に、精神疾患専門医を増やす』と答えた。」

この警備員たちは、改善要求を掲げて労働組合を結成しました。

企業が感情労働者人権保護協約

2014年10月6日の毎日労働ニュースに「タサン・コールセンター、公共機関で初めて『有給感情休暇』保障年に1回保障、経歴5年越えれば2回」の見出し記事が載りました。

「タサン・コールセンターが公共機関で初めて有給の感情休暇を導入する。希望連帯労組タサン・コールセンター支部は、暫定合意案について組合員の賛否投票を行う。
希望連帯労組によれば、タサン・コールセンター支部と委託業者の交渉権を委任された経済人総連は、9月30日に集中交渉を行った結果、暫定合意案を作った。合意案によれば、組合員は年1回「感情馴化の有給安息休暇」を取れるようになる。勤続年数が5年を超えれば更に1回追加して使用することができる。暴言とセクハラなどに苦しめられるコールセンター労働者の心を治癒するための措置だ。
ソウル市は、8~9月に2回の労組との面談を通じて交渉を仲裁し、委託業者が解決しにくい福祉問題の解決対策を約束した。
感情労働が社会的な争点に浮上したが、未だ感情労働保護対策や補償は一部の私企業のサービス事業場に限定されている状況で、今回の事例は他の公共機関にも影響を及ぼすものと見られる。」

2014年10月14日付の「ハンギョレ新聞」に、「『感情労働』から社員を守る企業が増える兆し」の見出し記事が載りました。

「顧客に応対した社員が悪口や暴言を浴びせられた時、会社はどのように対処しなければならないか?『お客様は神様』だから我慢しろと命じるか、あるいは、たとえ顧客を失うことになってもまず職員を保護しなければならないか?今後、イーマート(韓国の代表的大型マート)の顧客応対社員はそんなことが起こった場合『相談が困難です』と了解を求めた上で、通話を切った後に部署長に報告すればすむようになる。
心に傷を受けた職員に対しては、休息が必要と判断されれば部署長は早退などの勤務調整措置を取り、最高の先任者や自分自身が代わりに顧客と通話することになる。」

イーマートでは職員が労働組合を中心に2013年から顧客に応対するときに受けるストレスによる感情労働の価値を認めてほしいと訴えてきました。労組は2013年4月から2014年4月まで「感情労働の価値認定と顧客応対マニュアル作成」を団体協約に反映させることを要求します。
この要求に対し、会社は、顧客に応対する時に発生しうるストレスを予防し、社員を保護するための代案プログラム・「イーケア(E-Care)」を用意します。

イーマート150全店舗に店長らが参加する内部苦情処理委員会の力量を強化するために相談教育を実施し、業務関連ストレス相談だけでなく家庭、子供の問題など個人的な問題についても心理相談を行います。感情労働により職員に心理的安静が必要だと判断されれば、早退させ休憩室も改善する。極端な悪口などを言う顧客に対しては、顧客の了解を求めて電話を切れという初期対応マニュアルを製作し配布しました。また、各店舗ごとに顧客応対が優秀な職員を選抜し、消費者専門相談士資格証の取得を支援します。

2014年10月23日付けの「毎日労働ニュース」に「イーマート・CJ第一製糖など、ソウル市と『感情労働者人権保護協約』締結サービス連盟『協約履行を見守る』」の見出し記事が載りました。

「ソウル市が7月から主導している感情労働者人権保護協約に、イーマートなど3企業が追加で参加した。協約締結式にはイーマート、CJ第一製糖、アジア洲キャピタルが参加し、緑色消費者連帯・企業消費者専門家協会も同席した。ソウル市は韓国ヤクルト、LG電子、愛景産業など6企業と1次協約を結んでいる。
ソウル市は、『1・2次に参加した9企業は、業務の特性上、顧客を直接相手にしたり電話応対が多い大型流通業者やショッピングモールで、感情労働者が多く働く企業』であり、『感情労働者の人権保護の観点から、他の企業の実践を誘導できると期待する』とした。
協約を締結した企業は、『企業の10大実践約束』を基に、感情労働者の勤務環境改善のために努力することになる。10大実践約束は、△感情労働者の基本的人権の保障・支持、△安全な勤務環境の造成、△適正な休憩時間・休日の保障、などが内容。
イ・ソンジョン・サービス連盟政策室長は、『イーマートが最近「社員保護応対マニュアル」を作って全職員に配布したが、その趣旨と内容は悪くない』ので、『このような感情労働者保護のための試みがキチンと作動するかどうか、もう少し見守らなければならないだろう』と話した。」

「ナッツ・リターン事件」で世論に変化

このような中で、「ナッツ・リターン事件」が起きます。

2014年12月5日午前0時50分、アメリカ・ジョン・F・ケネディ国際空港から韓国・仁川国際空港に向かう大韓航空86便が滑走路へ向けてプッシュバックしているときです。客室乗務員(CA)がファーストクラスに搭乗していた大韓航空の副社長チョ・ヒョナにマカダミアナッツを袋に入れたまま提供するとヒョナは「機内サービスがなっていない」と激怒し、CAに「今すぐ飛行機から降りろ」と指示します。CAが「マニュアルに従った行動」と説明すると怒りはエスカレートし、ひどい暴言をなげつけ、暴力をふるいました。叫び声を聞いたチーフパーサーのパク・チャンジンがCAの代わりにマニュアルを見せようとタブレット端末を持ってきましたがログインできませんでした。ヒョナは一方的に怒鳴りつけるだけで会話はできません。さらにチャンジンを跪かせて叱責し、「CAの代わりに飛行機から降りろ」と指示します。

チョは機長にチャンジンを降ろすために機体を搭乗ゲートへ戻すよう指示。機長は、搭乗ゲートへ引き返します。

「原因報告書は副社長には誤りはないと書くように」

事件が発覚するとメディアで大きく報道され、批判が集まります。しかし大韓航空は紡言と暴力があったことを否定。チャンジンに、原因報告書は副社長には誤りはないと書くように指示します。大韓航空は自社のホームページに謝罪文を掲載します。そして、「副社長が機内サービスの責任を負う役員として問題提起と指摘をしたことは当然のことです」と記します。

こうした態度に批判の声はさらに高まり、チョ・ヒョナの父の韓進グループ会長がカメラの前で謝罪することに。会長は長男に会長の座を譲ります。

会社側の見解ばかりが報じられるなか、沈黙を続けていたチャンジンは危機感をいだき、意を決した彼はテレビ番組に出演して真実を訴えます。放送後、視聴者からの反響はとても大きく、「彼の勇気に感銘を受けた」「自分の勇気をもって立ち向かいたい」などの応援の声が数多く寄せられました。

その後チョ・ヒョナは副社長を辞任。航空機を戻したことが航空保安法違反などで起訴されます。

ナッツ・リターン事件は、韓国社会に潜在していた「カプチル」の問題を浮き彫りにしていきます。韓国社会で契約書で使われる「甲・乙」という言葉から立場が上の「甲」が立場が下の人に対して横暴に振る舞うことを意味する造語です。このカプチルの問題が、ナッツ・リターン事件の後、映画やドラマの題材として、数多く取り上げられていきます。

2015年1月8日の「中央日報」の社説のタイトルは、「『デパート母娘事件』…他人に対する配慮が消えた韓国社会」です。韓国ソウル近郊のデパートで、客の母娘が駐車場のアルバイト生をひざまずかせて頬を殴ったという話がネット上に流れた事件を取り上げています。

「事実関係を確かめてみると、特権層の権力乱用というよりは客の我が物顔の振る舞いといえるだろう。だが、多くの人はこの事件を起こした母娘の単なる逸脱行為とは見ていない雰囲気だ。私たちの周辺でよく目撃する後進的な実状だからだ。ネット上には我が物顔の客による暴言で心を傷つけられた「感情労働者」らの怒りがあふれ返っている。一部の非常識な暴力は感情労働者を病や死に追いやることもある。
昨年11月、入居者の暴言に耐えられず焼身自殺をしたソウル江南(カンナム)のあるアパート警備員Lさんの家族は、入居者と警備企業を相手取り、最近、民事訴訟を起こした。原告側の弁護人は、『Lさんの死に謝罪して責任を全うしなければならない管理会社と入居者が責任を回避している』とし、『彼らはLさんを死に追い込みあたたかい家庭を破綻に追いやった直接的な原因だ』と主張した。
われわれ韓国社会は、経済的に相当な水準に到達した。ところが自身の権利を主張する一方で他人の権利も尊重しなければならないという市民意識はまだまだ身についていないようだ。甲乙関係の「甲」でないなら詐称してでも損を回避しようとする浅はかな身分社会の残骸が今も残っている。まだ一部の企業オーナーは職員を作男(雇い人)だと思い込み、一部の我が物顔の顧客は従業員を召使のように冷遇する。『お客様は神様』は、企業が利益を最大化するためにつくり出したただのスローガンに過ぎない。
客は支払った分に対する待遇を受ける権利はあるが、従業員の人格まで侵害する権利はない。一部は感情労働者に対する法的保護を強化しなければなければならないと主張する。だがこれは法で解決するような問題ではない。自身の行動が他人に害を及ぼしていないか振り返る成熟した市民意識が先に定着してこそ解決される問題ではないか。」

「ソウル特別市感情労働従事者の権利保護などに関する条例」

2014年3月20日、ソウル市は感情労働者を保護する「ソウル特別市感情労働従事者の権利保護などに関する条例」を制定し、ただちに施行されます。

条例の目的は、「第1条(目的)この条例は、ソウル特別市(以下『ソウル市』という)感情労働従事者に対するソウル市および傘下機関の義務並びに感情労働従事者の権利を規定することによって感情労働従事者の人権を積極的に保護することを目的とする」です。

そして、「ソウル市の義務」「ソウル市感情労働使用者の義務およびソウル市民の責任」などをうたうなかで

「第15条(禁止行為)
顧客は、ソウル市感情労働従事者に次の各号のいずれか一に該当する行為をしてはならない。
1. 暴言、暴行、無理で過度な要求等を通したいじめ
2. 性的屈辱感・羞恥心を生じさせる行為
3. 感情労働従事者の業務を偽計若しくは威力で妨害する行為
第16条(保護措置)
① 第15条の禁止行為が発生した場合、ソウル市感情労働使用者は、感情労働従事者の状態および状況によって直ちに各号の保護措置を段階別に取らなければならない。
1. 感情労働従事者の該当顧客からの分離、十分な休息権保障。ただし、顧客の生命身体、重大財産に関連した業務の場合業務が中断されないように上司の即刻業務担当者交替措置
2. 感情労働従事者に対する治療および相談支援
3. 刑事告発若しくは損害賠償訴訟など必要な法的措置
4. その他に感情労働従事者の保護のために必要な措置
② 感情労働従事者はソウル市感情労働使用者に対し第1項各号の措置を要求することができる。
③ ソウル市感情労働使用者は、感情労働従事者が第2項の措置を要求したことを理由に解雇、懲戒など不利益を与えることはできない。
④ 禁止行為該当の有無・ソウル市感情労働使用者保護措置存否など禁止行為と関連した紛争が発生した場合、ソウル市感情労働従事者若しくはソウル市感情労働使用者は「ソウル特別市人権基本条例」第20条により市民人権保護官に調査を申請することができる。この場合、調査手続きおよび市民人権保護官の権限など必要な事項については「ソウル特別市人権基本条例」の関連規定による。」

『感情労働』が最も深刻な職業はテレフォンオペレーター

2015年4月23日の「ハンギョレ新聞」に、「韓国で『感情労働』に対する労災認定が大幅に増加クレーマー客、セクハラなどでうつ病」の見出し記事が載りました。

「働く過程で『感情労働』に悩まされたり、暴言・ストレスによるうつ病、パニック障害などの精神疾患が、労災として認められる割合が最近大きく増えたことが分かった。シム・サンジョン正義党議員が勤労福祉公団から提出してもらって22日に公開した『精神疾患労災申請と判定件数』資料によると、様々な精神疾患を理由に労災を申請した労働者は、2010年89人から昨年137人に増え、これが認められる比率も23.6%(21人)から34.3%(47人)に増加した。
産業構造の高度化に伴い、サービス業の比重が徐々に高まる傾向と関連して、物理的な被害だけでなく、精神疾患も働く過程で生じる可能性があるという認識が広がったことによる変化だ。最近は、職場内のセクハラ被害者やお客様の暴言・暴行被害を受けた労働者に対し、使用者の不適切な対応によってうつ病が発症した場合なども、労災として認められる傾向にある。
しかし、労働環境と健康関連の社会団体である『仕事と健康』のハン・イニム事務局長は『労働者が、仕事が原因で落ち込んでたり、不安を感じているのに、労災かどうかわからない場合や、精神科的問題は隠そうとする韓国社会の特性が、(労災申請を躊躇する)背景にあると思われる』と指摘した。
精神疾患の予防対策を強化する一方、精神疾患は労災と認められるのが困難な国内の制度を改善しなければならないという声も高まっている。シム・サンジョン議員は『まだ仕事上の精神疾患を事前に予防し、発症した場合、加害者を処罰するようにする方法が用意されていない』とし、『業務上の精神的なストレスが原因となって発生した病気も労災として認められるように、具体化した法律改正案を真剣に検討しなければならない』と語った。」

2015年10月13日の「ハンギョレ新聞」は、「『感情労働』が最も深刻な職業はテレフォンオペレーターホテル管理者やネイリストが後を次ぐ」の見出し記事を載せました。

「韓国雇用情報院は14年6月から4カ月間、韓国内730種の主要職種で働く労働者35人ずつ、計2万5550人を対象に感情労働の強度を調査した結果、テレフォンオペレーターの感情労働が最も強度が高いことが明らかになったと13日明らかにした。雇用情報院は業務時間のうち他人との接触頻度、業務の中で請願人に対応する仕事の重要度、怒ったり無礼な人に接する頻度などをそれぞれ5点標準で調査したが、テレフォンオペレーターは12.51点(15点満点)で1位だった。これは多くの電話通話をしなければならない業務であることに加え、顔を合わせずに対話する業務の特性上、セクハラ、悪口などの言語暴力に露出しやすい現実があるためと分析される。
ホテル管理者とネイリストが並んで12.26点で共同2位を占め、中毒治療師(11.97点)、創業コンサルタント・給油員(11.94点)が4、5位だった。警察官や保健衛生および環境検査員は怒ったり無礼な人に接する頻度では電話通信販売員と同じ3.46点で共同1位を占めたが、他人との接触頻度と請願人対応の重要度では相対的に点数が小さく、総合順位では44位と100位圏外になった。
研究を遂行したパク・サンヒョン雇用情報院研究委員は『自身の感情を隠して笑顔で顧客に接しなければならない感情労働職業人のための関心と配慮、政策的支援や防護策が必要だ』と話した。
政府と労働界は深刻な感情労働により発生した疾患を労災認定する対策について労使政府委員会で議論する予定だ。」

2018年7月10日付けの「ハンギョレ新聞」の記事は韓国・保健福祉部の『2017年自殺予防白書』について触れています。

2015年の自殺者は1万3513人(統計庁集計)で、死亡原因全体の5位を占めます。自殺者の中に就業者と非就業者が占める比重は、学生(生徒)・家事・無職が57.6%(7,784人)、就業者は42.4%(5,729人)です。2011年の統計で自殺者中非就業者の割合が61%(9,706人)、就業者割合が39%(6,200人)だったことから見れば、極端な選択をした人々のうち就業者が占める割合が増えている傾向にあると言えます。
就業者がこのような選択をした原因を把握できるような統計はありません。ただし「自殺の動機」が記録された警察庁統計数値によれば、2015年の死亡者1万3,436人中559人(4.2%)の動機が「職場や業務上の問題のため」となっています。2012年には577人、2013年には561人、2014年には552人と記録されています。「職場及び業務」から生じるストレスが年に500人ほどの犠牲者を出していることになります。自殺にまで至らなくても「職場及び業務」による精神疾患被害者の規模も相当なものと思われますが、これも正確な統計はありません。

「感情労働労働者保護に関する産業安全保健法改正」

2017年11月、雇用労働部は「感情労働従事者健康保護ハンドブック」を発行して、政府・公共機関335カ所と全国50人以上のサービス業種の事業場1万9000カ所に配布します。政府次元で、顧客の暴言と暴力、セクハラ被害から感情労働者を保護するために体系的なガイドラインとマニュアルを作って積極的に対応します。

ハンドブックには感情労働者の健康保護のための10種類の措置がとり入れられています。顧客の不当な要求が繰り返された場合、サービス中断の警告と作業中断権の付与と相談・治療など業務処理裁量権の付与、労働者に不利益な処分の禁止、休息権の保障、職務ストレス緩和と予防教育、顧客対応マニュアルの準備、苦境処理委員会の配置と建議制度の運営などです。

特に業務の中断権は暴力・暴言などの危険状況が発生した場合、感情労働の身体的な安全と精神的な安定のために、業務を一時中断して、適正な休息・休暇を与えたり勤務場所を変えるようにします。それだけでなく、労働者が、暴言、暴行などの極端な横暴を行った顧客に対して告訴、告発、損害賠償請求など、民事・刑事上の措置をする場合には、事業主が適切な支援をするようにしています。

2018年4月17日、「産業安全保健法」に(顧客の暴言等による健康障害予防措置)を新設した「感情労働労働者保護に関する産業安全保健法改正」が成立し、10月16日から施行されます。

条文です。

産業安全保健法第26条の2(顧客の暴言等による健康障害予防措置)

  • 事業主は、主に顧客に直接対面するか、「情報通信網利用促進及び情報保護等に関する法律」による情報通信網を通し商品を販売したりサービスを提供する業務に従事する勤労者(以下、「顧客応対勤労者」という)に対し、顧客の暴言、暴行、その他適正範囲を超える身体的・精神的苦痛を誘発する行為(以下、「暴言等」という)による健康障害を予防するため、雇用労働部令で定めるところにより必要な措置を取らねばならない。
  • 事業主は、顧客の暴言等により顧客応対勤労者に健康障害が発生または発生する著しいおそれがある場合には、業務の一時的中断又は転換等、大統領令で定める必要な措置を取らねばならない。
  • 顧客応対勤労者は、事業主に第2項による措置を要求でき、事業主は顧客応対勤労者の要求を理由に解雇その他不利な処遇をしてはならない。

それに向けて施行規則と施行令の改正もおこなわれました。

「産業安全保健法施行規則」
第26条の2(顧客の暴言等による健康障害予防措置)
事業主は、法第26条の2第1項により健康障害を予防するため次の各号の措置を取らねばならない。

  1. 法第26条の2第1項による暴言等を行わないよう要請する文言の掲示又は音声案内
  2. 顧客との問題状況発生時の対処方法等を含む顧客応対業務マニュアルの作成
  3. 第2号による顧客応対業務マニュアルの内容及び健康障害予防関連教育の実施
  4. その他、法第26条の2第1項による顧客応対勤労者の健康障害予防するために必要な措置


「産業安全保健法施行令」
第25条の7(顧客の暴言等による健康障害の発生等に対する措置)第26条の2第2項において「業務の一時的中断又は転換等、大統領令で定める必要な措置」とは,次の各号の措置のうち必要な措置をいう。

  1. 業務の一時的中断又は転換
  2. 「勤労基準法」第54条第1項による休憩時間の延長
  3. 法第26条の2第1項による暴言等による健康障害関連治療及び相談支援
  4. 管轄捜査機関又は裁判所に証拠物・証拠書類を提出する等、法第26条の2第1項による顧客応対勤労者等が同項による暴言等により告訴、告発又は損害賠償請求等を行うのに必要な支援

産業安全保健法は、事後措置義務に違反した場合は、罰則として、回数によって過怠金が差等賦課されるとあります。1次違反に300万ウォン、2次違反は600万ウォン、3次違反は1000万ウォンです。

2019年4月2日の「ハンギョレ新聞」は、「顧客のパワハラで改正された産業安全保健法、公共機関の相談員の待遇も改善」の見出し記事が載りました。

「コールセンターで一日中電話応対をする相談員たちは、一日に何度も言葉の暴力の被害を受けるが、親切さを維持しようとするために一部の相談員は顔は笑っていても憂うつな感情が続く『スマイル症候群』を患ったりもする。
2018年10月18日、改正案が施行された産業安全保健法(産安法)で一日平均55件の相談を受けてきた公共機関の相談コールセンターの相談員が、相談者に暴言やセクハラを受けた場合、電話を切ることができる法的根拠が設けられた。
雇用労働部の関係者は、改正された産安法について、『ラーメン常務事件(大企業の常務が機内食に因縁をつけ暴行をはたらいた事件)やデパート母娘事件(デパートの顧客が駐車場でアルバイトの誘導員をひざまずかせた事件)など、顧客のパワハラ問題が多かった。
顧客応対の健康対策を樹立せよという要求が出てきて、国会議員が感情労働者保護法を発議した』とし、『産安法で顧客の暴言などに対する健康障害予防措置が新設された』と明らかにした。ただ、これまで公共機関の相談員が暴言などの状況に置かれた時に電話を切れるようにする具体的な規定は設けられていなかった。
これに対し行政安全部は10月1日、公共機関の相談員のための具体的な相談応対標準案をまとめ、今年下半期から施行する方針だと明らかにした。
行政安全部が作った標準案によると、相談者が意図的に通話を30分以上続けたり、言葉の暴力を加えた場合、相談員は後でまた電話をかける旨を説明して通話を終了することができる。行政安全部は今年下半期までに、このような内容を盛り込んだコールセンター運営マニュアルを各公共機関に配布する方針だ。
行政安全部の関係者は、「産安法改正案により労働者の顧客応対に対する事業主の義務を規定した条項が新設されたが、まだ(その義務は)ゆるい」とし、「さらに、公共機関のコールセンターのうち零細なところは相談員が9人や10人にすぎない。(コールセンターの)規模が小さければ茶山コールセンターのようなマニュアルもないだろう。(暴言を聞いたら)3回目で電話を切ることができるという規定ができたが、現実ではうまく作動できない場合もある。(行政安全部が)標準案を作成しようとするのはそのため」と説明した。
2018年、産安法改正案が施行された後、政府が相談員のための保護措置を導入することにしたが、スピーディーには進まなかった。
行政安全部は昨年、相談員保護のための音声案内の手続きを導入することを決めたが、このような手続きを実際に施行しているコールセンターは全国156カ所のうち40カ所のセンター(25.6%)にすぎないことが分かった。相談員を保護するために相談者の発言を録音するという音声案内を施行しているセンターは98カ所(63%)だった。
一方、行政安全部が2018年12月から今年1月まで156の全国の公共機関のコールセンター運営現況を調査したところ、公共機関の相談員は1人当たり一日平均61.5件の相談要請を受け、54.5件を処理すると集計された。」

具体的な公務員保護方案がない

2024年3月9日の「中央日報」は、「苦学の39歳公務員の死…悪質な苦情、公務員の84%が経験」の見出し記事が載りました。

「3月5日、仁川市庁から道路補修・管理業務を任されていた9級公務員1年6カ月目のAさんは仁川西区のある路上に駐車していた車内から遺体で発見された。現場では自殺の情況が見つかった。その後、同僚の証言などを通じて、Aさんが地域オンライン掲示板に交通渋滞が発生した道路補修工事の責任者として名指しされ、実名などが公開されて苦しんでいた事実が明るみになった。
公務員が悪質な苦情に苦しめられる問題は以前から繰り返されてきた。2023年4月には九里市(クリシ)のある行政福祉センター所属の公務員が苦情相談に対応した後、自殺を図った。
2024年8月、公務員労働組合総連盟が実施した「公務員悪質民願実態調査」の結果、回答者7,061人のうち84%(5,933人)が「最近5年間で悪質な苦情相談を受けた経験がある」と答えた。
悪質な苦情相談への対応指針をまとめた「民願処理に関する法律(民願処理法)」が施行されているが、具体的な公務員保護方案がなく、事実上有名無実だというのが公務員の主張だ。連盟は前日(7日)に声明を出して「悪質な苦情相談が発生するたびに公務員労働者個人が一人で耐える硬直した被害者保護制度から直ちに改善するように強く要求してきたが、悪質な苦情に対する全数調査はおろか、繰り返し要求してきた苦情処理関連制度および法令改善も今日明日と延ばした”と説明した。
一方、オンラインではAさんの個人情報を公開した人の個人情報が逆流出していて、その実名や職業、写真などが拡散している。また、論争が始まった地域不動産情報コミュニティには、過去にも各種苦情担当公務員を特定するコメントが掲載された事実が明らかになり、閉鎖要求も出ている状況だ。」

労働者・労働組合、研究者・学者、議員、消費者が共同で運動

韓国における「感情労働」への取り組みは、「お客さまは神様です」の対応で、顧客等からの暴言・暴力にたいして我慢をして受け容れる状況がありました。それに対して労働者・労働組合の要求で「感情手当」「感情休暇」を要求し勝ち取ります。それでも解決にならないことがわかると研究者・学者、議員、消費者が世論を高めるために共同で運動をすすめ、政府を突き動かし、さらに企業を巻き込んだりして指針、条例制定、法制化を実現させています。社会全体は確実に変化してきていると思われます。法律・条例、指針等が存在するということはそれだけで労働者に安心感をもたらします。

しかし、その実効性、実施状況、職場環境改善はまだまだ不十分です。現在の到達地点に安住することなく、それぞれがより良い職場環境を求めて声を上げることが改善を促進させていきます。さらに世論を高め、監視していかなければなりません。

そこには日本で見習うべきことがたくさんあります。

パワハラ防止法成立

韓国は、2019年7月17日、職場内のハラスメント予防・防止対策として、「改正勤労基準法(日本の労働基準法)」(パワハラ防止法と呼ばれています)が施行しました。

「第76条の2(職場内ハラスメントの禁止
使用者又は勤労者は、職場における地位又は関係等の優位性を利用して、業務上適正範囲を超えて他の勤労者に身体的・精神的苦痛を与え、又は勤務環境を悪化させる行為(以下「職場内ハラスメント」という。)をしてはならない

第76条の3(職場内ハラスメント発生時の措置)
① 何人も職場内ハラスメント発生の事実を知った場合、その事実を使用者に申告することができる。
② 使用者は、第1項の規定による申告を受付し、又は職場内ハラスメントの発生事実を認知した場合には、遅滞なく当事者等を対象にその事実確認のために客観的に調査を実施しなければならない。」

2021年4月13日、「勤労基準法(日本の労働基準法)」を改正し、10月14日から施行されています。改正法には以下の条文が新設されました。

「第76条の3(職場内ハラスメント発生時の措置)
⑦ 第2項により職場内ハラスメントの発生事実を調査した者、調査内容の報告を受けた者その他調査過程に参加した者は、当該調査過程で知り得た秘密を、被害勤労者などの意思に反して他の者に漏らしてはならない。ただし、調査に係る内容を使用者に報告し、又は関係機関の要請に応じて必要な情報を提供する場合は除く。
第116条(過料)
① 使用者(使用者の民法第767条の規定による親族のうち大統領令で定める者が当該事業又は事業場の勤労者である場合を含む)が第76条の2に違反して職場内ハラスメントをした場合には、1千万ウォン以下の過怠料を賦課する。
② 次の各号のいずれか一つに該当する者には、500万ウォン以下の過怠料を賦課する。(略)」

韓国の職場内のハラスメント予防・防止対策は日本のパワハラ防止法に倣っていますが、そのままではありません。「同じ職場で働く者」の限定はありません。「第三者からの暴力」・「感情労働」が意識されています。

また、韓国では、職場内ハラスメント発生時の措置の義務は使用者です。日本とはパワハラが発生する構造的原因のとらえ方、対応主体の位置づけが違います。

それをふまえたうえで、罰則規定に(過料)が新設されました。

韓国は、国際社会の一員としての認識をもち、労働者の人権・人格・尊厳の保障・保護に挑戦しようとしている姿勢がうかがえます。
2019年に成立したILO条約を批准する条件はほぼクリアされました。

韓国の「パワハラ防止法」についての詳細は別の機会にします。

Ⅳ 「第三者からの暴力」・カスハラ

お客様は神様でない

歌手の三波春夫は「お客様は神様」といったといわれています。

しかし、三波本人がいったのは、「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです」です。

お客様を神様として絶対視しているわけではありません。お互いが尊敬しあう関係をつくりあげるということです。韓国の「顧客が王様なら、従業員も王様だ」のようなことです。

しかし、経営者は歪曲して営業政策に組みます。「お客様だから」「お客様に対して」「お金を払っているんだから」などといって労働者に我慢を強います。客は図に乗ります。

我がままをいったり、暴言を吐いたり、難癖をつけのは神様ではあってもまさしく「疫病神」です。労働者は体調不良に陥ることがしばしばあります。

労働者は、「ハラスメントされるのは仕事じゃない!」のスタンスが必要です。

人権擁護法案 廃案

2002年3月8日、第1次小泉内閣は「人権擁護法案」を提出しました。

法律の目的は、第1条「人権の侵害により発生し、又は発生するおそれのある被害の適正かつ迅速な救済又はその実効的な予防並びに人権尊重の理念を普及させ、及びそれに関する理解を深めるための啓発に関する措置を講ずることにより、人権の擁護に関する施策を総合的に推進し、もって、人権が尊重される社会の実現に寄与すること」です。

第2条1項は、「何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない」と人権侵害等の禁止を定め、「人権侵害」とは「不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為をいう」と定めています。

第3条は、人権侵害にあたるものを掲げています。

一 次に掲げる不当な差別的取扱い
イ 国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する者としての立場において人種等(人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう。以下同じ。)を理由としてする不当な差別的取扱い
ロ 業として対価を得て商品、施設、役務等を提供する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い
ハ 事業主としての立場において労働者の採用又は労働条件その他労働関係に関する事項について人種等を理由としてする不当な差別的取扱い
二 不当な差別的言動等
イ 人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動
ロ 職務上の地位を利用して相手方の意に反してする性的な言動
三 特定の者に対して優越的な立場においてする虐待

そして、(不当な差別、虐待等に対する救済措置)を謳っています。

第42条 人権委員会は、次に掲げる人権侵害については、必要な措置を講ずることができる。
二 次に掲げる不当な差別的言動等
イ 第3条4相手方を畏怖させ、困惑させ、又は著しく不快にさせるもの
ロ 第3条第1項第2号ロに規定する性的な言動であって、相手方を畏怖させ、困惑させ、又は著しく不快にさせるもの
三 次に掲げる虐待
イ 国又は地方公共団体の公権力の行使に当たる職員が、その職務を行うについてする次に掲げる虐待
(1)人の身体に外傷が生じ、又は生ずるおそれのある暴行を加えること。
(2)人にその意に反してわいせつな行為をすること又は人をしてその意に反してわいせつな行為をさせること。
(3)人の生命又は身体を保護する責任を負う場合において、その保護を著しく怠り、その生命又は身体の安全を害すること。
(4)人に著しい心理的外傷を与える言動をすること。

さらに第5章66条以降の「労働関係特別人権侵害及び船員労働関係特別人権侵害に関する特例」においては救済措置が謳われています。

法律の「人種等」の適用は「何人も、他人に対し」で、人種等の違いを含むということです。

しかし、「人権擁護法案」は外国籍の者にも選挙権を与えることになるなどの理由で反対運動が起こりました。さらに報道機関は、法案では取材・報道において人権侵害があると判断されたら出頭要求・立入検査などの特別調査を定める特別救済手続の対象となっていることに対して、「表現・言論の自由」、取材・報道の自由が脅かされるという理由で反対しました。

果たして、人権と「表現・言論の自由」は相反することなのでしょうか。一方が一方の犠牲にならなければならないのでしょうか。しかし、議論のテーブルが狭すぎ、どちらも擁護するという議論には至りませんでした。

さらに、人権問題に積極的でないというよりは様々な横やりを入れる集団が存在しました。

「人権擁護法案」が成立し、職場における人権尊重の取り組みが進められていたら差別を含む職場のいじめ問題等への取り組み状況も変わっていったと思われます。

顧客業務、対人関係に従事する団体における発生する問題について対応・対策については、医療現場では看護師協会などを中心に早くから取り組みがすすめられています。病院などには「その行為は暴力です」などのポスターが待合室などに貼られています。

介護協会なども被害の実態などについては公表して社会に改善を訴えています。

鉄道業界においては、2000年初め頃から、被害の状況は「職場の暴力」と捉えて刑事事件として取り上げた事案件数を定期的に報告がおこなわれていますが、「接客」業務ということで、あまり実態は外部には出していないようです。また、労働者も問題を大きくしないという判断が働くようです。やはり、「お客様は神様です」扱いです。ただし、事態を知った利用客からは運転手等に“激励”のメールなどもたくさん寄せられています。

対策の取り組みをはじめた自治体や教育委員会も出てきています。

千葉県は全国では早い取り組みがおこなわれ、2003年10月に「適正な行政執行の確保に向けて~行政対象暴力対応マニュアル~」を作成しました。

当時のマニュアルです。

「行政対象暴力とは、暴行、威迫する言動その他の不当な手段により、県に対し違法又は不当な行為を要求することをいう。
1 『暴行、威迫する言動その他の不当な手段』とは、次に掲げる行為をいう。
(1) 暴力行為人の身体に対して不法に有形力を行使すること。ただし、身体に接触することは必ずしも要しない身体に接い。
(2) 脅迫行為恐怖心を生じさせる目的で害悪を言葉や書面で告知すること。
(3) 正当な理由もなく面会を強要する行為
(4) 粗野、乱暴な言動により他人に嫌悪の情を抱かせる行為
(5) 書面、街宣活動等により県の業務を妨害するおそれのある行為
(6) 庁舎等の保全及び庁舎等における秩序の維持並びに県の事務事業の遂行に支障生じさせる行為」

当時としては、県は一方的被害者の立場です。上から目線、排除の「お役所・官僚的」対応です。ただ、当時の「行政対象暴力」の状況はこのようなことが多く、毅然とした態度での対応が必要だったのかもしれません。しかしこの「マニュアル」を今発生している状況に適応したらトラブルが拡大してしまいかねません。

その後、都道府県でもマニュアル等は作成されていきます。

都道府県だけではなく、各市区町村の窓口でもトラブルが発生しています。

しかし、その調査、データ作成は行われますがその段階でとどまり、現場の声を反映させて解決をせまる法改正を求めていく運動まではなかなか進んでいかないというのが現状です。

子どものいじめは大人社会の真似

テレビドラマの学園ものは、いつも高視聴率を獲得します。取り上げられるテーマは時代と共に変わっていきますが、今も学校で起きている問題については「いじめ」と呼ばれます。

よく「子どもたちは大人社会のいじめを見て真似している」現象といわれたりします。大人が希望を持てない社会は子供が希望を持てるはずがありません。大人社会のいじめが子どもたちから希望を失わせています。

1970年には、生徒の教師への暴力が社会問題になりました。そして学校暴力がはびこります。しかし、それに対処する教師たちは昼夜違わず”孤軍奮闘”しながら生徒がなぜ暴力行為に走るのかを探しながら解決策を見つけていきます。警察権力の介入は否定的でした。

しかし管理教育が厳しくなり、問題の発生を個人的問題と捉える風潮が大きくなると安易な警察の介入が多くなります。

東京都教育委員会は2010年1月、学校の教職員向けに「学校問題解決のための手引」を発表しました。

「作成の背景及び目的」は、「昨年度実施した『公立学校における学校問題解決施策の検討に関する実態調査』では、学校だけでは解決困難ケースが約1割の学校で発生していること、また、そもそも学校の初期対応に課題があり、要求を理不尽にさせていく事例が半数以上あることが明らかになった」「学校問題の未然防止や解決に当たっては、初期対応をはじめとする学校の組織対応能力の向上が極めて重要である。学校が保護者や地域の方々と共に『相互協力』していく関係を築けるよう、教職員に啓発を図るため」です。

そして、「このように手引書は、決して『モンスターペアレント対策』などではなく、対応する学校や教員の側の意識改革を求めたもの、と言えます。ただ、人の話を『聴く』ことや、クレームの裏にある本音を察することは、気持ちの余裕や体力がないと、難しいものです。学校・教員と保護者・一般社会の間の意識がずれつつあることも確かですが、子どもや保護者と十分に対応できる時間を、教員が持つことも大切です。意識改革と同時に、教員の多忙化解消を図る施策も不可欠でしょう」とあります。

スタンスは、学校と教職員は保護者の要求を受け入れて我慢できるくらいの忍耐力を身につけろ、自分で解決しろということです。そこに管理職も含めて「評価」の問題が大きくおおいます。

自信を喪失し、体調を崩して休職・退職に至る教員が増えています。

マニュアルは、働いている労働者の尊厳を高め、心身共の健康を守り、安全な職場環境づくりにつながるものでなければなりません。誰かが勝手に作って通達したり、個人的解決方法を押し付けては有効性を持ちません。職場、職務での共通の課題として現場の意見を取り入れて、解決策をみんなで探り、納得して共有化するできるものは有効性を持ちます。

「小売業におけるストレス対処への支援」

2011年、中央労働災害防止協会は厚生労働省からの委託を受け、「職種別ストレス対処テキスト作成委員会」を設置し、店舗において各種商品等を販売する小売業について特徴的なストレスの原因への適切な対処法のテキスト「小売業におけるストレス対処への支援」を作成しました。

小売業の労働者における職業性ストレスについてです。

「調査票を用いて、一般の企業の労働者と販売職の方たちのストレスの状況を比較した資料があります。
それによりますと、販売職では、一般の労働者と比較して、男女ともにストレスの原因となる量的負担身体的負担が高ストレス状態を示す割合が高かったとされています。
この仕事の量的負担は、パート社員やアルバイト社員というより男性の特に正社員で高いことが多いようです。このような人たちは、業績や売り上げ目標があることや労働時間や拘束時間が長いことをストレスの原因として挙げています。販売に従事していてメンタルヘルス不調に陥った方からは、『作業の範囲が広い』、『本部からの指示や報告事項が多い』、『業務量が多い、そのため逆に接客する時間がとれない』、『責任ある業務でプレッシャーを感じる』といった声が聞かれています。お客様に接する従業員は、お客様からのニーズや要望のみならず、上司からの仕事に対する要求度(いわゆる“裏舞台での負荷”,back stage demand)が大きいという指摘もあります
お客様と上司(あるいは経営方針を示す会社経営層)の中間的立場にあるという役割に関連したストレスは、ひいては組織への積極的な関与(コミットメント)やサービスの質にも影響をおよぼすことが指摘されており、これをないがしろにはできません。会社組織として対応していく必要があるでしょう」

「販売職のストレス反応に関連が強い仕事のストレス要因
様々な仕事のストレス要因のうち、抑うつ感、不安感などのストレス反応に関連が強い仕事のストレス要因は何なのでしょうか。
職業性ストレス簡易調査票を用いて検討した報告があります。それによると、男女ともに、抑うつ感に対しては対人関係によるストレスが、不安感に対しては仕事の質的負担が、疲労感に対しては仕事の量的負担が、それぞれもっとも強く関連していたことが報告されています。
また、仕事に関連した燃えつきと関連が強いストレス要因について、販売業の某社に勤務する管理職と販売職を対象に検討した報告(2005年調査)では、男女ともに仕事の燃えつき得点と感情面での負担(感情負担)の得点は強く関連していて、量的負担の大きさよりもその関連が強く、感情負担に対する対応の重要性が指摘されています。
対人サービスにともない少なからず必ず生じる可能性がある感情面での負担、また、そのときに生じた感情をそのまま出すことができないという負担は、サービス職がサービス職たるゆえんであり、簡単に解決できるものではありません」

しかし、全体を通しては、「対人関係によるストレスが、不安感に対しては仕事の質的負担」が「仕事の燃えつき得点と感情面での負担(感情負担)の得点は強く関連していて・・・感情負担に対する対応の重要性が指摘されてい」るというところまでは認識されていますが、「感情労働」という認識までには至っていません。ということだけでなく、日本ではまだまだ「感情労働」の概念は全面的に受け入れられてはいません。

「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」

東京都産業労働局は、2000年3月にパンフレット『職場のいじめ-発見と予防のために-』を発行しました。そのなかでは、いじめの定義を「職場(職務を遂行する場所全て)において、仕事や人間関係で弱い立場に立たされた成員に対して、精神的又は身体的な苦痛を与えることにより、結果として労働者の働く権利を侵害したり、職場環境を悪化させたりする行為」としています。当時、「精神的苦痛」を盛り込んでいることは画期的でした。

厚生労働省は、ヨーロッパ等でのパワハラ防止対策の推進をうけて、2011年7月8日に「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」を開催します。

1回目は各委員全員が円卓会議で検討したい議題の希望を出し合いました。

ブールミッシュ代表取締役社長の吉田委員の発言です。

「…これらとはまた別に、私どもが今、一番悩んでいるのは、お客様による私どものスタッフへのいじめ・嫌がらせと言いましょうか、これは新しい切り口だと思います。日々、いろいろな方に接しておりますと、言葉は悪いですが、やや粗暴な方などがいらっしゃるんですね。でも、そういった方たちは割と扱いやすいと言ったら語弊がありますが、ガス抜きすると大体終わります。
一番困ってしまうのは、…おばちゃま、…これも嫌がらせと言うか、パワハラと言いましょうか、物事を上から目線で見たときに必ず起きますね。私は客よ。何、今の言葉遣いは。お宅様のお嬢様はいかがでしょうと聞きたくなる場合もあるんですけれども、そんなことを言ったらえらいことになってしまいますから、これも本当に大変な問題です。」

職場のいじめ・パワーハラスメントを定義

円卓会議はその後、非公開の「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループ」に議論委ねます。「ワーキング・グループ」は6回の議論をかさね「円卓会議」に報告書を提出します。

2012年3月15日、第2回「円卓会議」が開催され「ワーキング・グループの報告書」を了承するとともに「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」(「提言」)し発表します。2つはセットです。円卓会議は「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」の名称ではじまりましたが、報告書は「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」です。「いじめ・嫌がらせ」に変わって和製英語「パワーハラスメント」の名称が使われるようになっていました。

「提言」「報告書」は、職場のパワーハラスメントは職場のなかで構造的に発生しているという捉え方で、その予防・防止は取り組みは順序が大切と提案しています。まず、予防対策として、①企業トップからのメッセージ発信、②社内ルールの作成、③労働者へのアンケートで実態調査、④研修、⑤会社の方針の周知・啓蒙、をあげます。次に、解決するための方法として、⑥相談窓口の設置、⑦再発防止の取り組み、をあげます。最後に、⑧メッセージ、です。

そのうえで、日本ではじめて職場のいじめ・パワーハラスメントの概念規定・定義が行われました。

職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいう」です。

「第三者からの暴力」は無視

東京都の定義に似ています。違うところは、東京都が「職場(職務を遂行する場所全て)」であるのが「提言」は「同じ職場で働く者」に限定されています。また「提言」には「業務の適正な範囲を超えて」があります。

「職場(職務を遂行する場所全て)」と「同じ職場で働く者」には大きな違いがあります。後者には「第三者からの暴力」・顧客からの暴力は含まれません。円卓会議での吉田委員の発言は無視されました。

「第三者からの暴力」はどうなったのでしょうか。

「ワーキング・グループの報告書」です。

「2. どのような行為を職場からなくすべきか
(1) 共通認識の必要性
○「いじめ・嫌がらせ」、「パワーハラスメント」という言葉は、一般的には、そうした行為を受けた人の主観的な判断を含んで用いられることに加え、どのような関係(注8)の下で行われる、どのような行為がこれらに該当するのか、人によって判断が異なる現状がある。」
とあり、(注8)は
「同じ職場で働く者同士の関係以外にも、例えば、顧客や取引先から、取引上の力関係などを背景に、従業員の人格・尊厳を侵害する行為がなされる場合がある。」

これだけです。つまりは、「顧客や取引先」からの「ハラスメント」が存在することは認めていますがそれについては関与しないということです。
そして、差別問題が欠落しています。

厚生労働省には、憲法、労基法にすでに差別禁止項目が謳われているからあえて触れなくてもいいという意見があったようです。ではその実効性はどうでしょうか。雇用差別(女性労働者、非正規労働者、派遣労働者、関連会社等との関係)、国籍差別の実態はどうでしょうか。差別問題に触れることは、日本では「鬼門」のようです。

「第三者からの暴力」、差別問題は今も治外法権がはびこっています。

そして、「ワーキング・グループの報告書」には、

「2. どのような行為を職場からなくすべきか(1)共通認識の必要性」のなかに

「なお、職場のパワーハラスメントにより、すでに法で保障されている権利が侵害される場合には、法的な制度の枠組みに沿って対応がなされるべきである」と記載されています。

続けて「、(2)職場のパワーハラスメントの行為類型」として

「職場のパワーハラスメントの行為類型としては、以下のものが挙げられる。
ただし、これらは職場のパワーハラスメントに当たりうる行為のすべてを網羅するものではなく、これ以外の行為は問題ないということではないことに留意する必要がある。
① 暴行・傷害(身体的な攻撃)
② 脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)
③ 隔離・仲間外し・無視(人間関係からの切り離し)
④ 業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害(過大な要求)
⑤ 業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事」を命じることや仕事を与えないこと(過小な要求)
⑥ 私的なことに過度に立ち入ること(個の侵害)
次に、労使や職場の一人ひとりの理解を深め、その取組に資するよう、上記の行為類型のうち、職場のパワーハラスメントに当たるかどうかの判断が難しいものは何か、その判断に資する取組等について示しておこう。(略)」

と記載されています。

「行為類型」は、パワハラ防止法の「指針」等にも踏襲されていきますが、「パワーハラスメントに当たるかどうかの判断」は実際には「優越的な関係」の力関係で決まることが多々あります。

厚生労働省がいじめ・パワハラ問題の取り組みを始めたことがマスコミ等で取り上げられると確かに増えました。「提言」が出され、それまでがまんしなければならないと捉えていたことが、認められないことだと周知されると労働者は声を上げやすくなりました。職場では「パワハラは許されない」という認識が周知され職場環境は改善されていきます。世論に押されて会社も変わりました。

「働かせ方改革」のパワハラ防止

2017年3月28日に政府の働き方改革実現会議が決定した「働き方改革実行計画」に「職場のパワーハラスメント防止を強化するため、政府は労使関係者を交えた場で対策の検討を行う」と盛り込まれていました。

それをふまえ厚生労働省で17年5月19日から厚生労働省は「職場のパワーハラスメント防止対策についての検討会」が開催されました。

検討事項は

「(1) 職場のパワーハラスメントの実態や課題の把握
(2) 職場のパワーハラスメント防止を強化するための方策
(3) その他」

検討会でしばしば出た発言は、「『提言』を大きくいじると定着が進んでいる中で混乱が生じるのでそれはしないで・・」。といいながら「提言」を「検討」しながら進められ、「提言」の「典型例として示されている6類型」は2つの主張の並列記載です。

議論のひとつが、使用者側委員の問題提起による「どこまでが指導でどこからがパワハラか」の判断基準です。例えば、「提言」には、「必ずしもパワーハラスメントとは言えない事案もある」について、発生の要因については「行為者及び被害者となる労働者個人の問題によるものと、職場環境の問題によるものがある」の意見がだされます。

使用者側・労働者側委員双方から防止策を進めるときの難しさの理由として、中小企業における対応が難しく遅れているといわれました。しかし職場内の“人間関係”は企業の大小に関係ありません。いたずらにそう主張することは、職場のパワーハラスメントの発生を職場環境のからの要因追及を放棄して個人的要因によるものと断定し、企業の本来必要な取り組みの遅さを免罪することになりかねません。

この方向から「提言」の「定義」も厳密に検討するということで分解解釈がおこなわれ、“整理”するという口実で分解解釈がおこなわれます。
「提言」の「職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」は3要素それぞれがパワハラに該当し、すべてを満たさなければならないということではありません。

“整理”後の「定義」は、ⅰ)優越的な関係に基づくⅱ)業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動によりⅲ)労働者の就業環境を害すること(身体的若しくは精神的な苦痛を与えること)の3つの要素すべてを満たすものとされます。

その底流にあるのは、パワハラは個人間の問題という捉え方です。職場のパワハラは構造的に発生するという捉え方が消え、労働者の「責任」が登場します。企業の対応が免罪され、労働者が声をあげにくくなります。

職場は単なる個々人が存在する場所になってしまいました。

「労働者を守るのに無視できない実態がある」

第1回検討会は委員全員が意見を述べました。

UAゼンセン日本介護クラフトユニオンの浜田委員です。

「介護の現場の、ヘルパーさんであるとかケアマネさんの労働組合です。…現場ではパワハラだろうがセクハラだろうが、嫌なこと、困ったことなどいろいろな相談がくるのですが、その中には実は、特に流通とか介護の現場では多いのですが、顧客であるとか、利用者家族からのハラスメントも実は無視できない状態です。…実は、相談を受ける側としては、やはり、労働者を守るという意味では無視できない実態が実はあるのだということです。この一定程度進まないという部分を、これまでの取組の延長線上で現状を変えられるかということを考えますと、一定程度存在するパワハラ防止対策が進まない企業を、もう少しこの検討会では、今後の法整備に向けた、これまでよりもステップアップした対応についての議論が必要ではないかと考えております。」

第2回検討会に、資料として公益財団法人介護労働安定センター作成の「介護労働者が過去1年間に受けた利用者からのセクハラ・暴力等の経験」が提出されました。訪問系8.332人、施設系(入所型)4.888人、施設系(通所型)6.525人への調査結果です。

それによると、暴言(直接的な言葉の暴力)は、訪問系21.0%、施設系(入所型)39.8%、施設系(通所型)22.3%。利用者から介護保険以外のサービスを求められたは、訪問系27.5%、施設系(入所型)5.2%、施設系(通所型)12.3%。暴力は訪問系5.6%、施設系(入所型)32.1%、施設系(通所型)12.5%。セクハラ(性的嫌がらせ)は、訪問系8.0%、施設系(入所型)9.0%、施設系(通所型)10.8%。家族から介護保険以外のサービスを求められたは、訪問系14.5%、施設系(入所型)3.9%、施設系(通所型)6.2%が経験しています。

労働者の安全が脅かされた、放置できない深刻な問題が存在します。

さらにその後の検討会には資料として医療機関や鉄道におけるいわゆる「第三者からの暴力」についての資料が提出されました。

被害者には「使いにくい」施策

「検討会」の目的のひとつが職場のパワーハラスメント防止を強化するための方策です。

職場のパワーハラスメントの防止対策は、「提言」を周知・情報提供することにより、企業等における自主的な取組を促します。

現状よりも実効性の高い取組を進めるために、5つの規定の創設や施策の実施とそれぞれの具体的内容が示されました。

  • 行為者の刑事責任、民事責任(刑事罰、不法行為)パワーハラスメントが違法であることを法律上で明確化し、これを行った者に対して、刑事罰による制裁や、被害者による加害者に対する損害賠償請求の対応です。しかしすぐに実現すべきという意見は示されませんでした。
  • 事業主に対する損害賠償請求の根拠の規定(民事効)事業主は職場のパワーハラスメントを防止するよう配慮する旨を法律に規定し、その不作為が民事訴訟、労働審判の対象になることを明確化することで、パワーハラスメントを受けた者の救済を図る対応です。
  • 事業主に対する措置義務セクシュアルハラスメント対策やマタニティーハラスメント対策の例を参考に、事業主に対し、職場のパワーハラスメント防止等のための雇用管理上の措置を義務付け、違反があった場合の行政機関による指導等について法律に規定することで、個々の職場において、職場のパワーハラスメントが生じない労働者が就業しやすい職場環境の整備を図る対応です。
    セクシャルハラスメントについては、法律により、対価型セクシュアルハラスメントや環境型セクシュアルハラスメントのないよう、事業主に雇用管理上必要な措置を講ずることを義務付けています。その上で、措置義務の具体的な内容について、「指針」で規定しています。忘れてならないのは、環境型セクシュアルハラスメントとは、個人ではなく職場全体だということです。
  • 事業主による一定の対応措置をガイドラインで明示職場のパワーハラスメント防止等のための雇用管理上の一定の対応を講ずることをガイドラインにより働きかけることで、個々の職場において、職場のパワーハラスメントが生じない労働者が就業しやすい職場環境の整備を図る対応です。
  • 社会機運の醸成職場のパワーハラスメントは、労働者のメンタルヘルス不調や人命にも関わる重大な問題であることや、職場全体の生産性や意欲の低下やグローバル人材確保の阻害となりかねず経営的にも大きな損失であることについて、広く事業主に理解してもらい、防止対策に対する社会全体の機運の醸成を図る対応です。

検討会では、職場のパワーハラスメント防止対策を進めるためには事業主に対する「措置義務」を中心に進めることが望ましいという意見に最終的には集約されました。「パワーハラスメントが違法である」は「違法であるパワハラもある」という認識に置き換えられ議論・確認にはならず「禁止規定」、「罰則」は否定されます。

しかし、使用者側委員は、ガイドラインに固執して最後まで反対し続けます。本音は「提言」を認めないという“巻き返し”です。

そもそも被害者にとっては「使いにくい」・活用しにくいものばかりです。③~⑤は被害者が行使できるものではありません。措置義務に実効性がともなわないことはセクシャルハラスメント問題で実証済みです。

労働者が民事訴訟を起こすには時間と労力、さらに経済的負担がかかります。実質的に訴えの手段を封鎖し、使用者・加害者の行為を容認することになりかねません。

まさしく使用者側に立った「パワハラ問題の発覚を抑圧し、解決を困難にすることによる問題化の防止対策」です。

「同じ職場で働く者に対して」を踏襲

「第三者からの暴力」については、労使の攻防が続いていましたが「検討会」の最終局面で公益代表の学者委員が「第三者の暴力はカスタマーハラスメントといいます。カスハラといっても、得意先、親会社、商店における顧客からなどさまざまで、それぞれ特徴があり一緒にはできない、別個に検討会を設けて議論すべき」と発言するとそれ以上議論は続かなくなります。者使用者側への助け舟ですが、厚生労働省の意向をうけたものです。このとき、公式の場で初めて「カスハラ」の言葉が登場しました。

多くの委員会等は、最後のまとめは「座長一任」ということが多くありますがそのようにはなりませんでした。使用者側は安易な譲歩、妥協はしません。そのような「報告書」が2018年3月30日に提出されます。

「報告書」は、最後に顧客や取引先からの著しい迷惑行為について述べています。繰り返し検討会で深刻さが発言されたことを踏まえると無視することはできません。

社会全体にとって重要な問題であり、何らかの対応を考えるべきという意見が示された一方で、「提言」との職場のハラスメントの定義の違いがクローズアップされました。

「第三者からの暴力」を取り上げない理由付けが縷々述べられました。議論の方向性としては消費者問題や経営上の問題として対応すべき性格のものであり、労働問題としてとらえるべきなのか疑問であるため、職場のパワーハラスメントについては職場内の人間関係において発生するものに限るべきとの意見が示されました。「提言」の「同じ職場で働く者に対して」が踏襲されます。

「こうした意見を踏まえれば、個別の労使のみならず業種や職種別の団体や労働組合、関係省庁(厚生労働省、経済産業省、国土交通省、消費者庁等)が連携して周知、啓発などを行っていくことが重要であると考えられる。ただし、顧客や取引先からの著しい迷惑行為については、業種や職種ごとに態様や状況に個別性が高いことも事実であることから、今後本格的な対応を進めていくためには、関係者の協力の下、更なる実態把握を行った上で、具体的な議論を深めていくことが必要であると考えられる。」

逃げの口実です。「働き方改革実現会議」は政府が呼びかけたものです。政府は業種や職種別の団体や労働組合、各省庁を統括しています。「検討会」は具体的な討論にふさわしいものでした。

「第三者からの暴力」は被害を被る労働者にとっては切迫したものがあり、検討会外では問題提起がおこなわれました。

2017年11月16日、UAゼンセン流通部門は「悪質クレーム対策(迷惑行為)アンケート調査結果~サービスする側、受ける側が共に尊重される社会をめざして~」の速報版を公表しました。

「クレームの対応の難しさは、悪質クレームの明確な基準がないことがあげられる。…実際には厳格な対応が難しい環境にある。そのことが企業の対応に差異がうまれ、対応の難しさにつながっていることは否めない。一方、企業が自主的に判断基準を設定することは差し支えなく、悪質なクレームに対しては毅然とした対応をするための基準の策定には大きな効果を望める。一企業ではなく、業界全体としての基準作りをしていくことでより効果も大きくなっていく。」

労働者の人権、人格・尊厳は職業によって異なりません。会社によって違いはありありません。そして労働者が消費者や住民の立場になったときにも、相手の労働者の人権、人格・尊厳は尊重しなければなりません。

しかし、検討会の途中でUAゼンセンの委員の主張はトーンダウンしてしまいました。

「検討会」ベースの「審議会」

「報告書」はその後、労働政策審議会に建議され、18年9月25日から、労働政策審議の雇用環境・均等分科会で「パワーハラスメント及びセクシュアルハラスメントの防止対策等について」の議論が開始されました。パワハラ防止については、「労働施策総合推進法」の改正です。

議論のための資料としては「職場のパワーハラスメント防止対策についての検討会」の「報告書」が整理されて提出されています。

労働側はILO総会での議論をふまえ、「国際水準に合わせたハラスメントの包括的な禁止規定」を主張しています。使用者側は、「セクハラ・パワハラを分けて議論し、規制ではなくガイドラインにとどめるべき」と主張しています。

しかし議論は、基本的に検討会のベースを超えるものにはなりませんでした。

第1回の政策審議会に出された主な意見です。

① パワーハラスメントの定義について

  • 定義を修正してあらゆるハラスメントを対象に含むようにすべき。
  • 「パワー」や「優位性」という単語があると、上司や先輩等からに限られると受け止められるおそれがある。
  • 2012年の円卓会議のパワーハラスメントの定義は「同じ職場で働く者に対して」となっているが、同じ職場で働く者に限定すべきでない。
  • 典型例として示されている6類型について、セクシュアルハラスメントやモラルハラスメント、経済的なハラスメント等も加えてハラスメント全般をカバーできるようにすべき。

② パワーハラスメントの防止対策について

  • 来年、ILO条約が採択されるかもしれないことを考えると、ハラスメントを一体的に防ぐ一般法があれば、条約に批准できるのではないか。
  • ILOの条約案や国際人権規約、女性差別撤廃条約の勧告を踏まえて、職場のハラスメント全般に関する禁止規定が必要。
  • ハラスメント行為の禁止と措置義務が必要。被害者、行為者が第三者の場合も含めるべき。通報制度や二次被害の防止等も実施すべき。企業内のハラスメント防止対策は、労働者が参加した場で議論すべきであり、安全衛生委員会等の活用を検討すべき。

③ 顧客等からの迷惑行為について

  • セクシュアルハラスメントと同様、ハラスメントについても、顧客や取引先から受けるものも含めるべき。ILO条約案は、加害者と被害者に顧客や取引先も含んでいる。
  • 悪質クレームについて、介護労働者の7割がハラスメントを受けているなどデータがある。業種、業態の差について実態把握すべき。

職場のパワーハラスメント防止を強化するための方策は、労働者側委員と学者は事業主に対する措置義務を主張し、使用者側委員は事業主による一定の対応措置をガイドラインで明示すると主張して議論が続きました。

「検討会」での「提言」の定義を“整理”するという口実での「3つの要素」への分解解釈は踏襲されました。

職場のパワーハラスメントの防止対策については措置義務になり、そのために指針を策定することになりました。指針は、パワハラの定義の「3つの要素」や、業主が講ずべき措置等の具体的内容などです。

使用者側委員は最終的に事業主による一定の対応措置をガイドラインで明示すると主張について途中で態度を変えました。労働者側委員と学者が「罰則」ではなく措置義務で了承したことに対する譲歩です。

「第三者からの暴力」「カスハラ」については、集中した議論はありませんでしたがさまざまな意見が出されました。「職場において」起きているとやっと認識されました。しかしそれ以上の議論にはなりませんでした。

「建議」における「第三者からの暴力」についてです。

「取引先等の労働者等からのパワーハラスメントや顧客等からの著しい迷惑行為については、指針等で相談対応等の望ましい取組を明確にすることが適当である。また、取引先との関係が元請・下請関係である場合があることや、消費者への周知・啓発が必要であることを踏まえ、関係省庁等と連携した取組も重要である。」

そのうえで、「国はその周知・啓発を行い、事業主は労働者が他の労働者(取引先等の労働者を含む。)に対する言動に注意するよう配慮し、また、事業主と労働者はその問題への理解を深めるとともに自らの言動に注意するよう努めるべきという趣旨を、法律上で明確にすることが適当である」とされました。

努力義務にとどまりました。

検討会、政策審議会での議論において使用者側委員らは、法律に罰則を盛り込むことに執拗に反対しました。学者の委員も仲裁できません。訴訟となり、敗訴して判例で新たな「パワハラの定義」がおこなわれる可能性もあるからです。

審議会開催期間中、各地でさまざまな集会が持たれ、パワハラやセクハラ問題に取り組んでいる多くの団体から意見書等が提出されました。そのなかで多く指摘したのは、措置義務でどの程度防止に実効性が確保されるかという疑問と禁止規定が必要性です。

2018年12月14日、労政審からの建議が厚生労働省におこなわれ、法案化されて国会に提出されました。

パワハラ防止法案でILO条約は「批准できない」

衆議院で、企業に職場のパワーハラスメント防止策に取り組むことを義務付ける「労働施策総合推進法改正案」の審議が始まります。

2019年4月16日の衆議院厚生労働委員会で5人の参考人が陳述しました。与党議員が、禁止規定を設けることの検討を中長期的にも開始する必要があるのではないかと質問すると3人の参考人は必要ある、他の学者の参考人は「労政審での調整の結果を現時点では尊重したい」と回答しました。

禁止規定がない法律は居直りをもたらします。その具体例が2018年5月に発覚した福田淳一前財務事務次官のセクハラ問題についての麻生太郎財務相の「セクハラ罪という罪はあるのか」の発言です。

パワハラ被害においても措置義務は、被害者にとっては長期間かけても解決しないと諦めて泣き寝入りをすることを導く“効果”しかありません。そのことを承知しながら繰り返すのは、対策を進めるふりをしながら、規制など必要ないという本音を吐いています。

法に禁止事項と罰則をきちんと盛り込むことよってこそ実効性がともなうものになり、予防・防止の効果は発生します。

また、参考人への質問で、政府提出のパワハラ防止法案でILOが採択を予定している条約を日本は批准することができると考えるかと質問されました。4人は「できない」「むずかしい」と回答しました。

衆議院での法案の採決にあたって17項目の附帯決議がつきました。パワハラ防止に関係する個所を抜粋します。

「政府は、本法の施行に当たり、次の事項について適切な措置を講ずるべきである。
六 ハラスメントの根絶に向けて、損害賠償請求の根拠となり得るハラスメント行為そのものを禁止する規定の法制化の必要性も含め検討すること。
七 パワーハラスメント防止対策に係る指針の策定に当たり、包括的に行為類型を明記する等、職場におけるあらゆるハラスメントに対応できるよう検討するとともに、以下の事項を明記すること。
1 自社の労働者が取引先、顧客等の第三者から受けたハラスメント及び自社の労働者が取引先に対して行ったハラスメントも雇用管理上の配慮が求められること。
十六 国内外におけるあらゆるハラスメントの根絶に向けて、第百八回ILO総会において仕事の世界における暴力とハラスメントに関する条約が採択されるよう支持するとともに、条約成立後は批准に向けて検討を行うこと。」

これほどの付帯決議がつく不完全法案は、本来なら大幅な修正をしたり、出し直しにすべきです。指針で法の基本を変更することはできません。議論が煮詰まっていないという言い訳は、やる気がないときに引き延ばすための常套句です。

参議院の審議において、立憲民主党の川田龍平議員は「世界銀行の調査によりますと、189か国のセクハラに関する調査によりますと、禁止規定となり得る刑法上の刑罰は79か国、民事救済措置は89か国が有しているという調査もございます」と指摘しました。職場におけるパワハラに対して刑事罰は珍しいということではありません。

しかし、パワハラ防止法に罰則規定はありません。

2019年5月29日、企業に職場のパワーハラスメント防止策に取り組むことを義務付ける「労働施策総合推進法改正案」は成立します。あわせてセクシャルハラスメントとマタニティーハラスメントで従業員を不利益にする扱いを禁止する男女雇用機会均等法と育児・介護休業法の改正案も成立しました。

成立した改正法はパワハラの定義を「職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境を害するもの」としました。「優越的な関係を背景とした言動」に限定され、さらに「業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの」「雇用する労働者の就業環境が害される」の要素を満たすものになります。

暴力的苦痛を与える行為等は「言動に起因する問題」以外の行為で、刑法・民法で対処する問題だと説明します。では精神的苦痛はどうなるのでしょうか。「精神的」の文言は労働政策審議会の答申までは含まれていました。ところが法案提出の段階で削除されました。

改正法の具体的運用については、「厚生労働大臣は、…事業主が講ずべき措置等に関して、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針を定めるものとする」「厚生労働大臣は、指針を定めるに当たつては、あらかじめ、労働政策審議会の意見を聴くものとする」とあります。改正法は、公布の日から起算して一年を超えない範囲内において政令で定める日から施行されます。

改正法で効果は発生するでしょうか。

これまで「提言」によって作りあげてきた職場環境を崩し、パワハラの枠を狭めて会社の裁量権を拡大し、職場で労働者が声を挙げにくい状況を作り出しています。

「適切かつ有効な実施を図るため」の措置は、パワハラは職場の組織構造から発生していることをふまえ、企業・管理者の裁量ではなく被害者の人権保護の視点に立つものでなければなりません。職場対策においては、問題が起きたとの訴えがあったときは、職場のすべての労働者が就業環境を害されたと受け止め、改善にむけた議論ができる機会を保障する必要があります

措置義務は、被害者にとっては長期間かけても解決しないと諦めて泣き寝入りをすること導く“効果”しかありません。それを承知しながら繰り返すのは、対策を進めるふりをしながら規制など必要ないという本音を吐いています。

改正法は“働き方改革”の一環として国会に提出されましたが、まさしく政府・経済界の“働かせ方改革”です。

法に禁止事項と罰則をきちんと盛り込むことよってこそ実効性がともなうものになり、予防・防止の効果は発生します

付帯決議が条約案の採決を「賛成」にさせる

2019年6月10日から21日、ILO第108回総会が開催されました。主要議題は「仕事の世界における暴力およびハラスメントの撤廃に関する条約案」です。

日本政府は、直前まで態度を決めていませんでしたが、最終的に賛成しました。労働者を代表した連合は賛成、使用者を代表した経団連は棄権しました。

条約を読むと、日本政府が採決の直前まで態度を決断できなかったことがわかります。

そのために「パワハラ防止法」をILO総会の直前の5月に成立しました。

第190号条約においてどのような条約が採択されるかはおおよそ見当がついていました。しかし、了承できません。条約採択を受けて法律を制定するのではなく、その前に制定して条約に沿う法律に整えるための時間を稼ごうという魂胆が見え見えです。

それでも採択で賛成したのは、法案審議の衆参両院で「国内外におけるあらゆるハラスメントの根絶に向けて、第百八回ILO総会において仕事の世界における暴力とハラスメントに関する条約が採択されるよう支持するとともに、条約成立後は批准に向けて検討を行うこと」を含めてたくさんの付帯決議が付けられたことによるといわれます。付帯決議を付けさせたのは世論です。

しかし、条約採択後、厚生労働省の麻田千穂子国際労働交渉官は「条約の採択に賛成するかどうかということとは次元の違う話で、国内法と条約の求めるものの整合性について、さらに検討していかなければならない」と発言しました。批准は考えていないという姿勢の表明です。

経団連の棄権の理由は何でしょうか。

条約採択後の6月24日、新聞報道によると、経団連の久保田政一事務総長は会見で棄権の理由を問われると「上司の適正な指導とパワハラは線が引きにくい」「ILOの条約は定義が広く、(線引きが)どうなるのかはっきり分からない」と説明したといいます。条約の果たす役割、期待を理解しようとしません。

条約が採択されたら、加盟国政府は12か月以内に自国の権限ある機関(日本の場合は国会)に提出し、機関が執った措置をILO事務局長に通知しなければなりません。承認されたら政府はその批准をILO事務局に通告します。

2つの加盟国による批准がILO事務局に登録されてから1年後に発効し、その後は、批准した国ごとに批准登録から1年後に発効します。

2021年6月25日、第190号条約は発効しました。

しかし、日本政府は、国内法の整備を放置したままです。

パワハラ防止法を改正して条約批准を

仕事の世界における暴力とハラスメント予防・防止には、「すべての人間は、人種、信条又は性にかかわりなく、自由及び尊厳並びに経済的保障及び機会均等の条件において、物質的福祉及び精神的発展を追求する権利をもつ」(フィラデルフィア宣言)ことの共通認識、つまりはお互いの人権、人格権を認め合うことが底流にあります。

日本政府は条約批准に向けた取り組みを開始しなければなりません。

そこにはクリアしなければならないたくさんのハードルがあります。

パワハラ防止法のパワハラの定義は条約と比べるとかなり狭められています。

条約は、パワハラを法律で禁止するとしています。しかし、

パワハラ防止法に禁止はありません。

条約は、「基本原則」の4条2の考慮のなかに

「(a)暴力及びハラスメントを法律で禁止すること。

(f)制裁を定める(Providing for sanction)」

とあります。

このことについて条約採決後の記者会見等で質問が出されました。sanctionは民事的制裁の意味で刑事的な罰則は含まれないという解釈があるのだそうです。penalty(ペナルティー)とは違うといます。日本でもそのような解釈をしているところもあります。

6月21日にILO事務局から長文のサマリー(概要・要約)が出されました。事務局の見解は、sanctionは罰金、免許資格の取り消し、解雇、投獄などの範囲があり得るということです。性質は罰せられる状況と行為によって異なりますが、投獄はあきらかに刑事罰です。

職場の秩序・規律、行動規範の違反を安易に刑事事件として取りあげるべきでないという意見もあります。会社の人事・労務政策遂行のためには検察・警察機関の連携が必要ということではありません。発生している問題をこれ以上くり返さないためにも、厳罰化を目的とするのではなく予防をふくめた抑止力としての効果を期待するものとして個人に対しても、使用者としての会社にも刑事罰の規定は必要です。

海外と比べて日本の職場は刑事罰が不要といえるほどハラスメントの防止対策が進んでいるとはいえません。逆に野放しになっている状況にあります。

条約は「第三者からの暴力」について、「仕事の世界における暴力とハラスメントを防止し、根絶するための包括的かつ統合されたジェンダーを意識したアプローチを採用する」に続けて「そのようなアプローチは適用可能なときは第三者を含む暴力を考慮に入れるべきであり」が明記されました。(条約4条)

発生したトラブルは早期解決が鉄則ですが、施行後は、労働者と管理者において「パワハラだ」「パワハラではない」の議論になり、日常の労働相談においても、「パワハラ防止法」に基づいて対応するとかえって困難を極めます。

その原因のhいとつは、「パワハラの定義」です。

「提言」と比べると「パワハラ防止法」では3つの要素すべてを満たすものになり、ハードルが高くなってしまいました。

2つ目は、「パワハラ防止法」にあわせて出された「指針」です。

「提言」では6つの「職場のパワーハラスメントの行為類型(典型的なもの)」が提示されました。

しかし、「指針」では「職場におけるパワハラに該当すると考えられる例/該当しないと考えられる例」とされました。これらの例は抽象的となり、実際の運用での解釈・「線引き」は自分の側に有利におこなわれます。「該当しないと考えられる例」は使用者を救済するためのものです。「ここまではパワハラに当たらない」と公然と主張する使用者もいます。

パワハラか否かの判断は、加害者・使用者や第三者がおこなえるものではありません。

日常の労働相談においては、労働者がパワハラと感じたらパワハラですとアドバイスをします。パワハラと感じるようなことが起きているということは、すでにその職場では何らかの問題が発生しているということです。

3つ目は、加害者に対する罰則規定がないことです。実際に居直る加害者を戒め、起ち直させる機会もありません。抑制力の効果も果たせていません。

「仕事の世界における暴力とハラスメント条約」が採択されて間もなく5年です。「パワハラ防止法」(「労働施策総合推進法改正案」)が成立して5年が過ぎました。「パワハラ防止法」は「条約」を批准する条件を満たしていませんがその作業は進んでいません。

今、政府は「パワハラ防止法」を改正してカスハラ防止策を追加することを検討していますが、同じような趣旨の条文を追加しても実効性が生まれませんし、条約を批准する条件を満たしません。

職場で起きるあらゆるハラスメントを人権・人格権そして職場環境を悪化させるものであると位置づけ、その対応は使用者の責務であると謳っている「条約」を満たす法改正を急ぐ必要があります。

政府・使用者による「働かせ方改革」のなかで作られた「パワハラ防止法」を、ハラスメントの予防・防止、解決のための法律、労働者にとっての本当の「働き方改革」に有用できるものに作り変える必要があります。そして早期に「仕事の世界における暴力およびハラスメントの撤廃に関する条約」を批准できるようにする必要があります。

ちば・しげる(いじめ メンタルヘルス労働者支援センター

安全センター情報2024年8月、9月号